バーニング 劇場版のレビュー・感想・評価
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イ・チャンドン監督の解釈を受容すると楽しい
しんどい映画
金持ちと貧乏人の対比
難しいと思うのではなく、難しい事を忘れればいい
村上春樹×イ・チャンドン。
これだけでも平凡な作品でない事は分かる。
不穏で、濃密で、難解。主人公の如く、まるで出口の無い迷宮をさ迷い続けるかのように。
舞台を現代韓国に変え、短編小説を2時間半の長尺に膨らますなど大胆翻案。
軸となる話だけを要約すると…
バイトで生計を立てる作家志望のジョンス。ある日幼馴染みのヘミと再会、アフリカ旅行をする彼女から飼い猫の世話を頼まれる。やがて帰国、謎めいた男ベンと共に。それなりに3人で仲良くやっていたが、突然ヘミが失踪。ジョンスはベンに疑いの目を向ける…。
あらすじだけ聞くとサスペンス/ミステリー的だが、かと言ってそれがメインではない。
それらタッチの重厚な人間ドラマで、とにかく本作、謎や不可解、暗示めいた描写などが複雑に交錯する。
改めて思うと、最初の“再会”も偶然か、それとも?…とさえ思ってくる。
蜜柑を食べるパントマイムをするヘミ。「そこに蜜柑があると思うのではなく、蜜柑が無い事を忘れればいい」…という、分かるような分からないようなこの台詞は、あたかも本作を表しているかのよう。
例えば、世話を頼まれたヘミの飼い猫。確かに居るのは居るようだが、一度も姿を見せない。
また、ヘミが語る井戸に落ちた過去。が、昔の知人に訪ねると、そんな井戸など無いとの声、声、声…。
嘘か思い違いか、忘れているだけか…?
考えれば考えるほど分からなくなってくる。
ベン。この男も何者なのか…?
ヘミ曰く、“アフリカで知り合った戦友”らしいのだが、詳しいキャラ背景は描かれない。ヘミとは恋人同士のように見えなくもないが、付き合ってる感じは無い。
イケメンで、高級車に乗り、パスタを食べワインを飲み大麻を吸う。時折パーティーなんか開き、まだ若いのに何をやって成功したのか分からない金持ち。ジョンスは“ギャツビー”と例える。
ニヒルな感じでもあり、好青年でもあるミステリアスな男だが、最大の謎発言は、「ビニールハウスを燃やす」。
2ヶ月に一度ほどビニールハウスを燃やす趣味(?)があり、彼に言わせれば、ビニールハウスが自分に燃やされるのを待っているんだとか。犯罪行為だが、警察は無関心と自信気。
この発言って、別の意味にも取れる。つまり…。
と言う事は、やはりベンはヘミの失踪に何かしら関与しているのか…?
それを匂わす描写や証拠も…。
しかし、決定打は無い。本当にただビニールハウスを燃やす趣味がある不可解な男かもしれないし、そうでないかもしれないし…。
またもや考えれば考えるほど分からなくなってくる。
謎とキャラの濃い二人に翻弄されているように見えて、実はジョンスのキャラは奥深い。
バイトで生計を立てる、最下層。韓国の格差社会。
夢はあるが、漠然としている。若者の閉塞感。
自分と同年代ながら何もかも恵まれたベンへのジェラシー。ヘミへの恋慕も加わる。
生い立ちは複雑。母は家を出(中盤で金の無心に現れる)、父は裁判の身。感情の激しい性格で、それは息子ジョンスへも。それを窺えるジョンスのラストの行動。
また、ジョンスの暮らす田舎は北朝鮮との国境に近い。
原作は日本の小説でありながら、違和感なく韓国映画になっている。
脚色力とイ・チャンドン監督の演出力に尽きる。
ジョンス役、ユ・アインが垢抜けない青年の彷徨と焦燥を体現。
ベン役、スティーヴン・ユァンの存在感は特筆。
ヘミ役、新人チョン・ジョンソの時に大胆で自由奔放な魅力。セミヌード姿で夕陽を浴びながら踊るシーンの何と美しい事!
万人に受けるタイプの作品ではない。
自分も所々分からなかったり、睡魔に襲われたりつつ、何とか答えの無い出口へ。
気が付けば、村上春樹×イ・チャンドンの世界に誘われていた。
全ては存在しているのか?
とても良かった。
ヘミのパントマイムのミカンの話がフックになって、
あると思うのではなく、ない事を忘れる事。
という言葉がずっと引っかかって、
ヘミの存在すらも疑いだす始末。
話が進んで行くにつれ、
ドンドン何が存在して何が存在しないのか
頭かぐちゃぐちゃになった。
主人公のボケ〜っとした顔とダラダラした歩き方も
こいつ夢でも見てんの?と物語の怪しさを増した。
前半は主人公の純朴さを見せて、
ベンを通してどんどん存在がちっぽけになって、
ヘミとの距離も遠くなって、
思いも伝えれず情けなくなって、
何故か19、20歳の何者でもなかった
自分を思い出した。
後半のビニールハウスから一気に物語が怪しくなって、
「煙となって消えた」という発言から嘘だろ?
と思ったけど、
あそこからのヘミの事を思うと、とても辛い。
ヘミは何を思ったのだろうか?
140分の長尺の決して派手でない物語を飽きさせずに
見れたのは、ベンの存在感だと思う。
何故か金持ち。気持ちに余裕があって、
なんか嘘くさく怪しい。
嫌ぁな感じが物凄く出てた。
ラストもボンヤリ終わるのではなく、
結末までしっかり見せてくれたのは良かった。
彼女の思い出でオナる感じもとても村上春樹感が
出てた。
主人公の喪失感よりもヘミの気持ちを思うと悲しい。
美しい。
不条理な世界
村上作品を韓国映画の熱量で新たな視点で昇華させた秀作
いくつか傑出したシーンはあるものの・・・
原作は村上春樹の初期短編『納屋を焼く』。
村上春樹作品の映画化は数が少なく、さらに観ているのは、大森一樹監督『風の歌を聴け』、今回カップリングの市川準監督『トニー滝谷』、松永大司監督『ハナレイ・ベイ』ぐらい。
本作、原作小説も読んでいるが、30年近くも前のことなので憶えていません。
アルバイトしながら小説家を目指している青年イ・ジョンス(ユ・アイン)。
とはいえ、まだ一篇も書き上げていない。
それどころか、何を書けばよいのかがわからない。
そんなある日、街でキャンペーンガールをしている幼馴染のシン・ヘミ(チョン・ジョンソ)と偶然の再会を果たす。
アフリカで「リトルハンガー(空腹な者)」と「グレートハンガー(人生に飢えた者)」の違いをみてみたいと言っていた彼女は、その言葉どおりアフリカへ旅立ち、帰路足止めを食ったナイロビ空港で巡り逢ったベン(スティーヴン・ユァン)とともに帰国する。
ベンは、ジョンスともヘミとも異なり、若くしてすべてを手に入れたような青年で、ジョンスの田舎の家の庭で三人で飲んでいる際に、「ぼくは何か月か毎にビニールハウスを焼いているんだ」とジョンスに告げる・・・
というところから始まる物語で、ここいらあたりが映画の中盤。
この映画の最も美しいシーンが、このジョンスの田舎の家の庭のシーンで、大麻で高揚したヘミが沈む夕陽を背景に、着ているものを脱ぎ捨てて踊るのをワンカットで撮っている。
その間に陽は沈む・・・
で、その後、ヘミが姿を消し、消えた彼女を巡ってのミステリー的サスペンスとなるのだけれど、おもしろいのかおもしろくないのかよくわからない。
ストーリー的にも、ヘミの消息についてはいくつかの解釈ができるのだけれど、その解釈は観客に委ねられている。
委ねられていながら、衝撃的な結末を迎えるので、すごいショック。
それもワンカットの力技。
だけれど、イ・チャンドン監督の語り口って、こんな風だったかしらん。
もっとはじめからグググと力で押して押して押し出し的だったような感じがしていたが、今回は終盤にかけてだけ。
「リトルハンガー」と「グレートハンガー」や、「ビニールハウスを焼く」「井戸に落ちる」「踊る」などいくつものメタファーが出てくるが、劇中で「メタファー」と言ってしまうあたり(それぞれのことを指しているのではないが)、この手のメタファー満載映画ではちょっと・・・と思ってしまった。
その他、ジョンスとベンのふたりの役どころ、田舎の鼠と都会の鼠を地でいく配役なのもツマラナイ。
いくつか傑出したシーンはあるものの、全体をしてはあまり買えない、といったところ。
もう30分短くてもいい。
評価は★★★☆(3つ半)です。
以下は、補足(というか追記というか、妄想というか・・・)。
と書いたところで、どうにも『バーニング 劇場版』のストーリーが気になって仕方がない。
なので、補足・追記のようなものを書きます。
ヘミが消失してしまった事柄についての真相は明らかにされないので、次のような解釈ができる。
1.ベンが殺してしまった
2.ジョンスにもベンにも関係なく、多額の借金のため行方をくらませてしまった
3.生死不明であるが、ヘミが行方不明となってからの出来事は、ジョンスが書く小説の内容で、実際の出来事ではない
これぐらいが妥当な線だと思うが、ここでは、それぞれについて検証することはしない。
気になっているのは、上記のいずれでもないストーリーも可能ではないか・・・ということ。
個人的には、こういう風だったら面白かろう、個人的にいちばん興味深いのだけれど・・・というもので、それは
ヘミが行方不明なのは、ジョンスが殺してしまったからで、ジョンスはそのことをまるで憶えていない・・・というもの。
そんな解釈できるかしらん、とも思ったが、そう考えることも出来なくもない。
それぞれの台詞やシーンを、次のように解釈すると・・・
ベンが「2か月に1度くらいの割合で古いビニールハウスを焼く」というのは、「古い彼女(オンナ)を棄てる」ということ。
性的交渉した後、一切の連絡・交渉を断つ(断たざるを得ないようにして)。
洗面所の戸棚に隠してあった女性もののアクセサリーは、戦利品。
ベンが飼い始めた猫は、ベンが言うとおりの拾ってきた猫。
ジョンスが「ボイラー」とヘスの飼い猫の名で呼んだ際に近づいたのは、単なる偶然。
ヘスが語っていた「昔、井戸に落ちた」エピソード。
ジョンスの母親は「涸れ井戸」と言っており、ヘスの母親も近隣の住人も「井戸(水を湛えた)」とは認識していない。
つまり、忘れ去られた存在。
ジョンスは、そこへヘスの亡骸を葬った。
ジョンスがみる「ジョンス少年の目の前で焼かれたビニールハウス」の夢。
これこそが、ジョンスがヘスを殺したメタファー。
ジョンスがヘスを殺す動機は?
夕陽の中で踊るヘスを観たから。
それまでのヘスは「グレートハンガー」だったけれども、ベンとも付き合うようになって「人生への渇望が満たされている」ことをジョンスは悟ってしまう。
ジョンス自身が「グレートハンガー」だけれども、その人生への渇望は何によっても満たされない。
その満たされない何かを求めて、ヘスを殺してしまう。
最後、ベンを殺したジョンスが何もかもを脱ぎ捨ててしまうこと。
夕陽の中で踊るヘス同様、生まれ変わったことのメタファー。
と考えると、ジョンスはヘスを殺したことを覚えていないわけではなく、自分が殺したことはわかっていながらも、「ベンがビニールハウス(ヘス)を焼いた(殺した)」ということで、自身の存在を証明しようとしたのかもしれない。
もしそういう物語ならば、かなり好きな部類の話なのだけれど・・・
これは俺にはダメだったよ
これは俺にはダメだったよ。
「ラブレス」以来のほっとかれ感。思わせぶり映画を撮るなら、誰かがいなくなり、その理由も行く末も明かさずに終われば、一丁上がりって感じだ。
この監督には、「オアシス」「ペパーミントキャンディ」のレビューで、「悲劇の名手。俺に『ロミオとジュリエット』は当時こんな感じで大ウケしたのだろうなあ」と絶賛した。
この映画もまさに引き裂かれる悲劇だけれど、これはダメだよ。救いがないよ。
井戸はあったし、二人の繋がりは本物だよ。でも、こんな引き裂かれ方はダメだ。本当にダメ。
ハルキストじゃないから余計わからないのだろうか?俺は、ハルキは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だけでいいや。
ヒロインはきわめて魅力的。男性二人の抑えた演技は見事。このあたりは、さすが。
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あまりに突き放されたから、みんなのレビューを読んできたよ。
なるほど。「ヘミは本当に実在したのか」か。最初から噛み合わなかったのは、俺でも感じていた。「村上作品では、井戸は、よく現実世界と心の出入り口として使われる」も「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだので、よく知っている。
なるほど、そう考えると「井戸から見上げたらジョンスが見ていた」というヘミのセリフは、まさに現実側と心の側っていうようにもとれるな。
みんな、すごいな。でも、そうだったとして、いったいどこから本物? ヘミは実在? ジョンスは? この世界を作り上げているのは、いったい誰の心なのか。ジョンスなのか、ヘミなのか。それともまさか、ベン…? 裕福だが何かぽっかり穴が空いているような心。ジョンスとヘミのような心の底での繋がりには懐疑的だが、本当は憧れているので、それを壊す想像を… いや、さすがに考え過ぎの無理スジだね。
終始眠い水彩映画なのに最後突然主線黒マーカー100pxバケツ塗り
まじで眠かったがこういう眠い映画なんだな…と思って頑張って寝ないで観てたらラストで突然名探偵コナンのワンシーンみたいになった
予備知識まじのゼロで「なんだこのクソイケメン 村上春樹の小説に出てくる男かよ…」「韓国映画にしてはハイソハエティ文化に精通してんじゃんかよ…」「韓国映画にしては印象的な台詞回しじゃんかよ…(とくにミカンのくだり)」とか思っていたらほんとに村上春樹の原作でウケた
サスペンスだ という事前知識だけあったからサスペンスなのか〜と思ってぼんやりと深読みもしつつ観たけど 分かりやすいサスペンスフルな出来事は現実にはなにもなくキモオタコミュ障童貞主人公の妄執がホラーで一人で頭の中が世界多発テロレインボーブリッジ大封鎖どったんばったん大騒ぎって話(現実に起こった悲劇 せいぜいが主人公の失恋)
話自体もラストも別に悪くないと思うんだけど せっかく途中まで意味深なカメラワーク答えのなさそうな展開続けておいて最後バーン!て余韻もクソもなくあーこうなったんだ(完)って終わってもったいないんだよな〜この結末にするなら冒頭にラストシーンやったりしたら面白いんだけどな こういう話はアンチクライマックスに終わらないと
美しい映画
可能性を感じる興業の形
先行してテレビ版を放映し、その後劇場上映するというモデルは過去にも例はあるとは思う。しかし、今回のようにそのテーマ性やプロット、それを物語るラストの違い(物語の途中でエンディング、劇場版はその続きがある)の印象で訴えたいものがこうも違うのかという作品であり、かなり強く影響を受けてしまった。作品中に出典されているキーワードをwikiで色々調べてみてもそれぞれが関連性を持っている事は当然とはいえ驚く。『グレート・ギャツビー』における信頼できない語り手→その代表作が『響きと怒り』、そして作家はウィリアム・フォークナーであり、そして短編集に収められている『納屋を焼く』、そして同名作品を書いた村上春樹は、F・スコット・フィッツジェラルドが好きだということ。それは監督を含めた制作陣の細かいストーリー設定を背景も含めて拵えている事を意味し、その真摯な制作に敬意を表する限りである。
家族や社会、貧富や都市地方、そして恋愛といった普遍的なテーマをサスペンス&ミステリーとして落とし込んだ解釈も大変興味深い。大事なキーワードである『みえないモノを忘れる』というフックも又展開に深く彩りを及ぼしていて不気味さを一層際立たせている。
そして本作はその対比やメタファーをかなり丁寧且つ親切に描いている点も注目したい。そして、テレビ版では目立たないようにしている伏線(物置小屋の金庫内に保管してある父親のナイフ等)を映画版でははっきりと示すように映し出しているところからも、編集の妙を存分に発揮している組立なのである。
テレビ版では謎の儘で終わる失踪も、映画版では壮絶な結末を迎える。その印象は、ミスリードというより、二通りの作品なのではないかという結論を得る。失踪した彼女の部屋で一心不乱にキーボードを打ち込む内容は、小説なのかそれとも殺害の計画書なのか、それとも遺書なのか・・・ そんな豊かな想像を抱かせてくれる大変良質な作品であった。数々の状況証拠を観客に披露したとて、それは直ぐに覆される乏しいカット。正に“信頼できない語り手”としての監督が、主人公に与えたのは心の鬱屈からの爆発。それは悲しく、寂しく、そしてそれでも抗えない“血”なのだろうか・・・
テレビ版にはないカットのお陰で想像を担保させてくれる喜びも発見であり魅力でもある。
PS.監督の記者会見での発言を書き足しておく
「最近の映画は段々シンプルになっていくような感じがあって“観やすい映画”、“決まったストーリーを追っていく”ことに観客が慣れてきている気がしますしまた観客がそれを望んでいるように思うんです。そんな流れに逆行したいという思いがありました。観客の皆さんには映画を通して生きること、世界とは何か、人生とは何かを自分なりに省察して欲しいのです。皆さんには映画を通して“新しい経験をして欲しい、新しいことを感じて欲しい、新しい問いかけをして欲しい、そして世界のミステリーを感じて欲しい”と思います。しかしそれは難しい作業ですし慣れないことなので、皆さんがどんな風に受け止めてくれるか気になってます。日本の皆さんにも“新しい経験”を是非楽しんで欲しいと期待しています」
このサイトのレビューでも、視るに堪えない罵詈雑言を平気で書き連ねる輩が散見する。本当に作品を観たのか疑わしい内容もあるし、それは論外だとしても、まるでケチをつけるために決して安くはない鑑賞料をはたく、非常識な人間もいるが、そんな輩にこそ、今発言を読んで欲しいと願うばかりだ。「一体、お前は何を観ているんだ?」と・・・
タイトルなし(ネタバレ)
バーニング劇場版 を観た後
ずっと、頭からモヤモヤが離れなかったけど、自分なりにやっと解釈できました!
以下、かなり自己流の解釈とネタバレ
この話、全て主人公ジョンスの深読みがもたらした悲劇じゃないかと思えてきました。
主人公サイドの目線で見るとベンが、サイコパスな殺人キラーに見えてしまうのは、仕組まれたトリックなのです。
ミステリーがモヤモヤするのは、全部、物事を勝手に解釈してる、ジョンス目線で描いてるからで、ジョンスこそが実は サイコパスだからです。
ちゃんと客観的になって ベンをみれば、サイコパスらしさは感じられない、少し虚言ぎみだし、ヤンチャに葉っぱも吸うけど、家族とトラブりもしないし、常識人です。
そもそも、ヘンミだって、殺されてこの世から居なくなったって証拠は何一つありません。
むしろヘンミは、サイコパスなジョンスからそっと逃げて旅にでたかったのでは?なんて解釈もできます。
ヘンミはジョンスから遠ざかるために、ベンに相談しネコを預けた可能性もあります。
だいたい、よーく考えたら、主人公のジョンスこそ、ヘンミの職場や教室まで探し回り、ベンにもつきまとい、もろストーカーなんですよ。 「ヘンミは僕のことを好きでいてくれている」「ヘンミが僕と連絡とらないのは失踪したからだ」「いや、こんなに連絡してこないなんて、彼女はあいつに殺されたんだ!」と、どんどん妄想し、犯罪に及ぶ様はまさにサイコパスな思考です。
一途すぎる純愛は、時に思考回路を混乱させる。主人公は童貞くんで、真面目で、小説家志願の想像力が人一倍豊かな人間で、父譲りの思い込みの激しさとカッとなる面を持ち合わせています。
主人公ジョンスは恋愛に不器用で、観ていてめちゃくちゃ応援したくなるキャラ。
逆にベンは、器用に生きて、お金持ち、生活や心に余裕がある人物、ただ主人公にとって、目の上のタンコブの彼は、それだけで憎むべき対象になる。
主人公の行動範囲で得た情報と、主人公の頭の中にある思い出の反芻で作られている映像だから、主人公が正義に思えてしまう。
最後主人公が殺人をおかしたときも、映画を見ていた観客たちは、良くやった!あいつは殺されて当然!ざまあー!くらいのスッキリした気持ちになってる。
わたしもそうでした。でも、スッキリした気持ちになって良いのか?ずっと引っかかってました。
そこで、主人公に肩入れしないでこの映画を紐解いていくと、この究極な答えに行き着きました。
サイコパスサイドの目線で見ていたから、主人公が殺人を犯すのを応援していたけど、じつは、ベンは妬みの対象にされた挙句、殺された損な男であって、主人公は犯さなくていい過ちを犯してしまった…という、ミスリードの極みのようなお話だったのではないか。
わたしの解釈が独特すぎるのかな。
原作は #村上春樹 原作 の #納屋を焼く 。かなりアレンジされてます。
役者さんに、スティーブン・ユアン(WDのグレン ♡) も出ていますよ。
#イチャンドン 監督作品は「ペパーミント・キャンディ」「オアシス」「ポエトリー」「シークレット・サンシャイン 」と、ほぼ全作品を観てるくらい大好き。
本作もやっぱり凄かったです!
分かりそうで分からない映画
ミステリーではなく青春サスペンス映画❗
全115件中、41~60件目を表示