バーニング 劇場版のレビュー・感想・評価
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このコピーで台無し → 「待ち受ける衝撃のラストは、想像を絶する」
こんなコピーだと、どうしても良質な「サスペンス」を期待しちゃうもの。
それが 「えっ、これで終わり?」と まったく無用な「期待外れ感」を引き起こしてしまっている。
ハリウッド映画によく使われるような安っぽいコピーを、このような映画に安易に使うべきではない。村上春樹原作という点でサスペンスのような単純なものではないのだから。
中身は「パラサイト」と通じるところがあった。 貧富の差、怒りの爆発、ギャツビーの家は坂道に、そして主人公を演じたユ・アインとパラサイトのチェ・ウシクも面影が似ていて。まあこれらの点は映画オリジナルのもので原作の主題ではないが。
それにしても韓国って大変そうだ。。。
A Literary Thriller Mystery
Burning is a read-between-the-lines masterpiece, cryptic and not conforming to any genre. Jong-Su barely talks throughout the film, but through his motions in the chain of events and interactions with other characters and subplots of the film, we are always within his thinking. It's a sad tale dealing with loss of heart and jealousy; promises perceived but not fulfilled. Happy endings can't occur.
霧の中、夕焼けの中、おぼろげな現実に手を伸ばす。
イ・チャンドン監督の8年ぶりとなる新作は、日本では先にNHKで95分版が放送されるなど、実に不可思議な公開方式となった。村上春樹の短編小説を読むと、どちらかというとNHK版の方が原作のニュアンスに近いかなと思う。対する148分の劇場版はそこから完全にイ・チャンドン世界に振り切れてしまった印象だ。忽然と姿を消した「彼女」と同様、この消えた(編集削除された)「50分」もまた、二つの兄弟のごとき作品の間に漂う浮遊物のように思えてならない。
ともあれ、村上が著した頃と時代が一回りして、本作には逆に現代社会を鋭く突き刺したような生々しさが充満する。例えば、存在と不在。ネット世界では本当に実在するかなどもはや問題ではない。創作という行為もこれとよく似ている。イ監督はこれらを否定も肯定もせず、霧の中で手を伸ばすかのように世界を泳ぐ。我々も泳ぐように映画に触れる。とても刺激的なひとときがそこにはあった。
ミステリーのまま
イ・チャンドン作品の中では珍しく中途半端な気がした。(オアシス、ペパーミントキャンディなど文句なしで☆5)
どんなに行動しても証拠を得られないまま殺害に至ったのは、父と同様にバーニングしたということかもしれない。でも映画ってのは平気でどんでん返しをしてくるわけで観てる側としたら本当に彼がやったのか?と思わざるを得ないまま終わる。
おそらくは父親の刃物を使ったであろうが、なぜコレクションしていたかは表現されてもいない。
序盤、タバコの吸殻入れにしていた紙コップに2人でタンを吐いたり、女が久しぶりに会った幼馴染みにわざわざ猫の世話をさせたり、男と一緒なのに空港に迎えに来させたり(その時はラリってたかもだけど)、なかなかぶっ飛んでいた。
主演は中々良かったのに色んな意味で残念だった。
原作ありきなのかな?イ・チャンドン作品は好きだけど村上春樹は嫌い。そもそも私は原作を読むタイプでもない。だからか楽しめなかったのかな。
同じ瞬間に全く違う事を思う三人
物語が本格的に動き出すのがベンが秘密を打ち明ける中盤なのでそれまでは少々退屈かもしれない。
それでも序盤から物語を紐解く鍵は至るところに散りばめられていて、見逃すと全てがわからなくなる。
はじめからあると信じること、メタファー、生きる意味を求めるグレートハンガー、はじめから無かったかのように消えてなくなること、これらが紐解く鍵であると同時に物語を構成する鍵でもある。
それにジョンス、ベン、ヘミの三人のキャラクター、井戸、猫などが絡んでエンディングへ向け加速していく。
人生の意味を見出だせない三人。ベンとヘミが外に意味を求めたのに対し、自分の内に問題があると思っていたジョンス。彼は言う「世の中は謎なんです」と。
現実を直視せずに空想の中に浸ることが多いジョンス。彼が見るヘミは存在していたのか?無いものをあると思い込んだだけか、または始めからいなかったように消えただけか、もしかしたら水のない井戸に落ちてジョンスが見つけてくれるのを待っているかもしれない。
どれにしても、父の行く末を見守り、母を受け入れ、現実を見始めたジョンスはベンを燃やし、始めから無かったように空想をリセットした。
良し悪しや人生の意味まではわからないが、少なくとも「世の中は謎」ではなくなったと思う。
泣く意味がわからないと言うサイコパス男ベンもまた人生の意味を見出だせずにいる。いや、ある意味すでに見出だしているのかもしれない。
価値のなくなったビニールハウスが消して欲しいと僕を呼んでいるんですと彼は言う。
ビニールハウスを消すことが生きる意味ならば、裏を返せば「価値のない僕を消して下さい」という誰かを呼ぶ心の叫びだ。
ジョンスに刺されたラストシーンで安らかな笑顔に見えるのは彼の考える生きる意味が成就した瞬間だからだ。まあ死ぬんだけどもね。
ヘミは現状を受け入れ生きる意味を問う行為そのものに人生の価値を見出だそうとしているが、本当に価値のあった過去に思い入れがあり、夕日に向かいグレートハンガーを舞う姿は、ベンの目には消して欲しいと願うビニールハウスに写ったことだろう。
生きる意味を感じているヘミ。呼ばれていると感じたベン。裸になったことを咎める現実が見え始めているジョンス。
同じ夕日に向かってグレートハンガーを舞うシーンで、バラバラな三人の思いがバラバラのまま交錯する瞬間は後になって意味がわかる興味深い場面だ。
見逃していたバーニング劇場版。 サブスクで見ようかと思ってたけれど...
見逃していたバーニング劇場版。
サブスクで見ようかと思ってたけれど、キネカ大森にてイ・チャンドン監督特集がやっていたので鑑賞。
なんとも…なんとも、
身を焦がす様な映画体験だった。
年に一度あるかないかの感情の昂り。高揚。
この気持ちをうまく言葉に消化出来ないのがもどかしいほど、儚い作品だった。
バーニング。なんとも皮肉なタイトル。
感情、テキスト、汚さ、残忍さ、旋律、自然美、エロスと、余白。様々な要素がひとときの中に同時存在出来るのが映画なんだと改めて気付かせてもらった。
説明の仕方と、メタファーの使い方のバランスが絶妙過ぎて。もっと難解な作品なのかと思っていた。
実際の話はシンプルでわかりやすいんだけれども、物語で意図的に隠されている部分部分が見えてくる(実際は見せてなもらえない)と、何故消えてしまったのかがわかった時になんとも切なく寂しかった。
たまたまだけれど現代2023年の日本社会の事件にも通じるものが多過ぎて。ホストの斡旋問題とか、弱者男性、派遣社員放火事件、こう言った問題の根底に流れている社会不安や格差の波。
帳尻合わせは悲しいけれど弱い立場のひとの元へ火の粉が降りかかってくる…。それを放っておけばまた新たな怒りの炎が生まれ、その炎は大切だったものを知らず知らずのうちに焼き尽くし、そしてその炎は我が身に帰ってくる…。
全ての人がみておもしろい!となる様な作品ではないけれど、映画的な面白さとは何か?の解答が詰まった作品だという事は間違い無いのでは無いでしょうか。
身を焦がす映画体験でした。
謎が多きミステリー
イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K、にて観賞。
原作は村上春樹の短編小説『納屋を焼く』らしいですが、未読です。
最初から最後まで不穏な空気ただようミステリーで、この空気感は好み。
ハッキリと明示せず、謎が多いトコも考察が楽しいです。
ビックリしたのは、マイルス・デイヴィスの「死刑台のエレベーター」が流れた事、とてもシーンに合ってました。
僕も、この曲は大好きです。
昔ブランキー時代の浅井さんがマイルスの中で1番好きと言って、この曲が入ったアルバムを選んでました。
僕が聴いたのは、その影響(笑)
話を戻すけど、ミステリー好きにオススメな映画です。
謎が多い、この映画、あなたは、どんな解釈を、されますか?
意味不明な終わり方
いろいろな伏線がありつつ、なんでそんな終わり方に?と疑問のまま終わりました。こいうここと?いやこういうこと?といろいろと考えながら、ネタバレサイトを読んで、ようやく意味がわか、、、らない(笑)
意味は3つほど見つかりましたが、どれも真実ような虚構のような。
意味がわからないのが正解なのかな。
ラストシーンで「え?」と、今までの理解を一気に崩壊させられる。
ひとつ言えることは、とにかくどういうことか知りたくなる。誰かも観てたらその後話が盛り上がりそう。一人で見てたら、エンドロール終わる前に「バーニング ネタバレ」と検索してしまうはず。
スッキリしないけど、いろいろと想像出来るのは面白いのかも。
村上春樹っぽいのかな、、、。
原作との比較。
村上春樹の短編「納屋を焼く」を読んでみた。
なんと主人公の青年・ジョンスは原作に存在しなかった。
原作は作家の「私」
パーティーで知り合った「彼女」
彼女の恋人の「彼」
この3人しか登場しない。
そして「バーニング」は作家志望の青年ジョンスが主人公。
だから、彼女の恋人の「彼」がベン。
そして「私」がジョンスか?
映画では、
ある日曜日の昼間、ジョンスに「彼女」から電話がくる。
「遊びに行って良い?」
「彼女」と「彼=ベン」は、豪華なデリバリーの食材を持ち込み現れる。
白ワイン。
ビーフサンド。
ローストビーフ。
スモークサーモン。
持ち込みの食材を食べながら「彼=ベン」が何気なく語る。
「納屋を焼いてるんです」
ランチに相応しくない話題。
それ以来、
作家の「私=ジョンス」は、彼が言う「納屋を焼く」行為に、
取り憑かれてしまう。
居住区の半径6キロに点在する「納屋6戸」を特定して、
朝晩のウォーキングコースを変更して
見回るのだ。
半年そして一年。
しかし一向に「納屋」は焼けない
一方、映画「バーニング」では、
大学を出たけれど無職で小説を書いていると言うジョンス。
幼馴染のヘミがアフリカで知り合ったと言う男・ベン。
ベンは貧しいジョンスと対照的に、
《美邸とポルシェと元彼女のヘミ》
まで所有(?)するリッチマン=《富の象徴》として描かれている。
(村上春樹がこの「納屋を焼く」の度の箇所で一体、
(格差社会を描いた部分がひとつでもあっただろうか?)
そこに来て、更にジョンスの初恋の女性でもある幼馴染のヘミが、忽然と「消える」
(村上春樹の小説では、女性は「死ぬ」のではなく「消える・・・」のだ。)
消えたヘミ。
ジョンスはヘミをベンが殺したと思い込み、
ストーカー行為を始めると、エスカレートして行き、
ベンのマンションまで押しかける。
そしてその化粧室で、ヘミの私物を見つけて、
「ベンがヘミを殺した」と確信する。
村上春樹の「納屋を焼く」には、ヘミのように天真爛漫で漂うように生きる娘が
言うところの「彼女=ヘミ」である。
パントマイムが得意で、蜜柑の皮剥きのマイムが特技の「彼女」が、
確かに登場する。
それにしても村上春樹の短編はよく膨らむ。
小さい風船が、映像作家の手に掛かると、
まるでアドバルーンのように大きく膨らみ
大空を舞う。
濱口竜介の手掛けた「ドライブ・マイ・カー」も、大きく膨らんだ。
「ドライブ・マイ・カー」は、
喪失から再生そして希望へと続く物語だった。
イ・チャンドン監督作の「バーニング」は、
納屋を燃やす・・・架空の悪意?
嫉妬の業火!
怨念の殺意!
衝動から破滅!
自己破壊!へと突き進む。
ラストは衝撃的。
小説「納屋を焼く」が映画「バーニング」に。
「彼」も「彼女」も実は存在しなくて、全て作家の「私」の想像の産物。
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「納屋を焼く」
その反社会的行為はイ・チャンドン監督の創作意欲を極限まで
掻き立てたのは、
間違いない。
こんなメタファーある?
原作を知らずに韓国映画好きが見た感想。
なんだか見てる時はつまらなかったが、終わった後に、じわじわっとずっと考えることになる。個人的には、ベンとヘミは、感覚の世界の人で、ジョンスは、常識と感情の人といった風刺なのかと思う。分からないから殺してしまったのではないだろうか?また感覚の世界に憧れたから裸になって。心理学的に見れば、ジョンスは、隠された怒りがピークになってしまって、もう抑えきれない状態の殺人。ベンは、欲求不満をどう解消したらよいか常に意識しているナルシスト。ヘミは不安からの逃避といったところか。
謎。
先日村上春樹のドライブ.マイ.カーを観てからの観賞。村上春樹の小説は読んだことはないのですが今作は監督が韓国人で作品も違うのに何処か似た様な雰囲気がある。村上春樹の小説だからなのか。
登場人物が男性2人と女性1人で同じ様な設定。幼なじみの女性が突然連絡が取れずにいなくなる。彼はもう1人の彼が関わっているだろうと思っている。(確証は)ないが。でも。二人は争うこともなく淡々と日常を描いている。
ドライブマイカーも内に秘めた想いとかを相手にぶつける事もなく自分の気持ちを表さないところがとても似ている。
肝心の所が映像となっていないため 謎 の部分が深まる。細かな点と点で描いている様な感じ。最後は観ている人が線として繋げるような作り方(描き方)でそれぞれの感じ方をしてください。と言う事なのかなと思った。
けっこうよかった
サスペンス的な内容なのにすっきりしない。ポルシェの男が常に半笑いで、いい人なのかもしれないけど見ていてムカつく。猫のくだりはとても面白い。女の子がいなくなるところが村上春樹っぽい。ただ、とても長い。
パントマイムスルメ映画
非常に難解な作品でした。
村上春樹の短編小説が原作で、だいぶ脚色してあるとのこと。
村上春樹はまだあまり読んだことがありませんが、確かに物語の雰囲気がまさにそんな感じでした。
物語終盤までイマイチパッとせず、何か心に残るモヤモヤとした違和感。
ヘミは本当にヘミなのか?ベンは一体何者なのか?そしてジョンスも決して普通の人ではない。
それぞれの登場人物の表情が意味ありげに見えて、退屈ではないけれど、なんか気持ち悪い感じが残っていました。
でも、それが目的なんでしょう。
自分もジョンスと同様に鈍感な方なので、何かに気づき始めたのはヘミの腕時計を見つけるあたりからだし、役に立たないビニールハウスのメタファーには、最後まで全く気づけませんでした。
この映画は色々な解釈ができると思います。
なんせ、一般的に考えられる真相だったとしても証拠がないのです。
一つの考え方、捉え方に縛られては、この作品の本当の面白さには辿り着けないと感じました。
謎は残るばかりです。
正直、結末以外はほとんど全てが謎でした。
パントマイム、猫、グレートハンガー、アフリカ旅行、同時性、夢、井戸、グラス、ビニールハウス、あくび、腕時計、ボイル…etc
振り返っていたら、また観たくなってきました。
他作品との比較はあまりよくないかもしれませんが、パラサイトっぽさを至るところで感じました。
高級住宅街に住むギャツビーと貧乏人という構図や韓国の陰陽入り乱れる街並み、衝撃の結末なんかも似ています。
日本の小説を韓国の格差社会に落とし込んだのも良かったのかもしれません。
そしてこの映画で最初に感じたこと。
チョン・ジョンソかわええ〜。
それはさておき、観れば観るほど、考えれば考えるほど深みの出る作品だと思いました。
『納屋を焼く』
日頃あまり韓国映画は観ないのだけれどミナリ鑑賞記念にバーニングをみた。
本作は激しいアクション等はなくてゆる〜りとしているのにぐんぐん惹きこまれたミステリー作品。
最後まで目が離せなかった。
もちろんイ・チャンドン監督作は初めて。
後で知ったけれど村上春樹氏が1983年に発表した短編小説「納屋を焼く」を原作をアレンジした映画なのですね。
そう観ると色々深い意味がありそう。原作読んでないなぁ。
アフリカのリトルハンガーとグレートハンガーの話や古いビニールハウスを焼く話はなんだか哲学的にも感じた。
小説家志望の青年ジョンスと幼なじみの女性ヘミ。
彼女がアフリカ旅行へ行く間の飼い猫の世話を頼まれるジョンス。
ヘミはアフリカで知り合ったという男を連れて帰って来る。
その男ベンはギャツビー族で何でも手に入る大金持ち。
貧しいけどヘミに信頼されるジョンス。
彼らはどちらがグレートハンガーなのだろう?
もう一度みたくなる。
ヘミが忽然と消えてしまう終盤。
必死に探すジョンスを通して想像力を掻き立てられた。
真実ははっきりとは語られず、夕焼けのように曖昧。
何日も経ってから、あれはジョンスの書いた小説なのかーと気づいてにんまりした。
もやもやとした映画なのに、何故かまた観たいと思わせる不思議な作品。
カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で国際批評家連盟賞を受賞した作品だそうです。
告知ポスターがパラサイトの色合いと一緒だなぁ
映画を見て思いついたことをダラダラと書く。
村上春樹は以前小説を読んで合わずに途中で脱落。
どうせ、見ても意味わからない感じで終わるんだろうなぁ〜という、マイナス感情からの視聴。
映画はウォーキングデッドのスティーブンユアンが見たかったので見ることにした。淡々と流れていくストーリー、嫌いじゃない。むしろ見終わった後に不思議な余韻に浸っていたくなるような、不思議な感覚。結構好き。いや、かなり。好きだこの感じ。ヤダヤダ、わたしハルキストじゃないし!村上春樹なんか読んでも意味わかんない凡人で行く予定なのに!
で、感想。
ヘミが会いたかったグレートハンガーとはベンのことだったのかな。いや、3人のことかな。
ベンはサイコパスなんだろうか?すごく人当たりがよくて、魅力的、でもどこかで壁のようなものも感じる。主人公ジョンスやヘミに向ける笑顔や、ジョンスだけにした秘密の吐露。ただただ親切心があるようにも見えるし、奥底には持たざるもののジョンスに憐れみを感じているのを隠しているのかのようにも見える。これ知ってるなぁ、見たことあるな、上流階級のひとは見下しててもそれを上手に隠すよね、でも上手に隠せておくびにも出さなければそれはないってことと一緒なのかなぁ?見ながら、そんなことを考えた。それか、シンプルにそのまま、作家志望のジョンスには自分の高度で繊細な意識を共有できると思っていたのかな。
「犯罪だけれど警察もボロいビニールハウスが燃えてなくなっても気にしない」
燃やされることは必然だったことで、自分はその必然に組み込まれているだけ(セリフは違うけどそんなような話だったかな)
ベンはヘミを殺したのだとしたら、いてもいなくて誰も困らない存在であり、「最初からなかったみたいに消えてしまいたい」ヘミを、ベンが出会い、最初からいなかったかのように消える手伝いをしただけなのかもしれない。
ベンが殺人をしたかったという主体的な動機ではなく、もっと大きな運命の流れを感じる。
殺人鬼の戯言なのかもしれないが、「雨が降り洪水が起き人々が流される、そこに水の意思(ジャッジ)はない、ただ流れただけ。」自分も焼かれるのを待っているのを受け入れているだけという。
うーーーん、よくわかんないけど、わかる気がするーーー不思議体験!
ヘミの「最初からなかったみたいに消えてしまいたい」この感覚わかる!何もなかったかのように、消えてしまう悲しみも辛さもいろんなわづらわしさも、最初から何もなかったら何もないんだもんね。
でも、大麻も犯罪ですしってクギ打つ所、大麻の共犯にさせといて放火の告白をチクらせないようにしてたかと考えると、策士!
途中で猫の安否がとっても気になってしまい、余韻が中断した。ベンよ、女には容赦ないようだが、猫チャンには優しい人みたいでヨカッタ!
ベンがとても魅力的でどんな奴なんだろう、もっと彼の場面を見たい!と思うと同時に、ジョンスもヘミも、本当にとるに足らない魅力のみの字もない平凡なキャラクターで最後まで興味が湧かないように描いてたのかもしれないけど、逆にそれが新鮮だった。とてもリアリティがある。ヘミの平凡なんだけどアフリカ行ったりパントマイムとか踊りとかして精一杯平凡からの脱却試みてる感じもリアルでそれが側からすると苦笑いされてるみたいのも痛々しくてよかった…
あとは、
濡れ場シーンを初め、結構エロ描写があってPG12ってあったけど低すぎないか?と思った。
思ってたのとちがった
シークレットサンシャインが好きだったので、イ・チャンドン作品期待。
途中まで良かったけど、
ミステリー要素に引っ張られすぎたか?
楽しみかたがわからなくなってしまった
ラスト近くのヘミの部屋からのカメラが引いて待ちの風景、
のところで終わっても充分成立したような。。。
もしくは新しい彼女にメイクしてるところで終わる。。
ラストの展開はカタルシスはあるかもしれないが、ちょっと好みではなかったなー
フレンチのコース食べてたはずが、メインディッシュで味の濃いステーキ出てきた感じ(笑
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