存在のない子供たちのレビュー・感想・評価
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3.4世話ができないなら産まないで
世話ができないなら産まないで
それがとても印象に残る映画でした。
全体的に展開が暗く、ちょっとした希望もない
赤ん坊を置き去りにしようとするシーンはとても切なく映りました。
全てに絶望した旦那が神の名のもとに子どもを作り続けるが、育てることができないまま寝ているだけ。子どもたちに変わりに働いてもらう。その構図はさながら軍隊アリのような別次元の生命体のコロニーを見ているかのように映りました。
それが軽蔑に値する、憐憫に値するというわけではなく、経済的に豊かではない中での子供の増加は必然的にそうなるのであるということを表しているようにも思った。もちろん子だくさんでたとえ貧しくても幸せな家庭もあるとは思うが、目の前の生活のために物を盗む、ウルトラCの商品を密売するという誘惑をコントロールすることは難しいだろうなと思った。
昨今では日本の異次元の少子化対策を考えておりますが、こうしたものを見ると、ますますもう限界なのではと思います。それは人口の少なさを前提とした都市運営にしていかないと行けないのでは?ということです。それを既存を維持するために一時的にお金を配っても将来への不安、常識があればあるほど産もうと思わないし、移民を入れても分断問題でより既存維持どころか経済基盤の後退もありうるでしょう。
また一概に人口の増加は人口ボーナスを産まないんじゃないのかとも個人的には思っています。昨今は中国オワコン、時代はインドとアフリカ!!となっていますが、経済的な土壌、文化的な背景がビジネスにまだ適しているとはいえません。圧倒的なカースト、民族のルツボの対立、クオリティなどを考慮すると人口の多さ、個人の能力の高さだけでは国内全体を豊かにするのには十分ではないでしょう。個人的にはインドやアフリカの上位層だけが海外で転職しまくって豊かになるだけのような気もしています。
唯一合理的なのは職業の安定と、所得の将来的な安定性があればいいですが、昨今の業務はちょうどいい仕事がなくなっているようにも思います。単純労働か、業務の高度化であります。高度すぎるスキルが必要なものと、現実的な体力が必要な仕事。そうなると今の中間層がどちらかに流れ落ち、将来的に家計が厳しくなる可能性があり、一人ならぎり生きれるが、二人以上になるとどう考えてもジリ貧とわかりきっている脳みそがそれを押してまで結婚しない。
それを押してまで子どもを産むとしたら、映画本編のようになにか「合理的ではない理屈」(宗教や文化、家族観など)によるものなのだろうと思った。
映画本編は最後はいい感じで終わりましたが、その実は『神は僕たちにボロ雑巾であることを望んだ』という状況なのだろと思ってやり場のない虚無感を感じた。
なぜ貧困か?多産が原因ではない。内戦が続いたからだ。
やはり、こう言った良い映画を作るのは、女性だ。傑作だと思う。
現実はもっと悲惨だと思う。人身売買は養子だけではない。臓器売買とかも含まれる。
また、なぜ貧困か?沢山子供が生まれる事が原因ではない。内戦が続いたからだ。
エチオピアからの出稼ぎを受け入れているくらいだから、経済的に赤貧までは無いと思うが、ベイルートは兎も角、シリア国境近くは、シリアからロケットが打ち込まれる事もあって、治安が物凄く悪いようだ。現状は行った事ないので分からない。勿論、イスラエルとの争いも終了したわけでは無い。
でも、争いが色々と起こっていて、それが元で、貧困が続いている。
ウクライナもそうなると思う。負けても良いから、早く戦争は止めなければ駄目だ。
なんか、切ないなあ!
ベイルートの貧民街に住むゼインは12歳 11歳の妹を結婚させ死んだ。その両親を刑務所から訴えた。もう子供を産むなと。貧困は、児童婚と児童売買 ゼインのしっかりした話ぶりが素晴らしい。ようやくIDを作ってもらう時の笑顔がいい。
心はないのか?
子供は飾りやおもちゃじゃない。ネグレクトはもちろんのこと、ましてや売り買いするなんて。。。恐ろしすぎる。
愛せないなら産まないで。
この映画が好みかと聞かれるとそうではないけど、観ることはお薦めします。ゼイン役の演技を是非観てほしい。
ゼイン役の子は現在移住先で安定した暮らしをしているそうです。
幼い頃から周りを支える立場の環境
両親への願いが
これ以上子供を産まないで
だなんて
自分が体験した苦しみを、連鎖しせないために
自分への愛ではなく、この先の犠牲者を想って吐いた言葉が辛い
血の繋がっていない乳飲み児の世話をしても
愛情のベクトルは我が子へ向いてしまう現実
少年の目や表情から
生きる希望が感じられなくなり
それでも、生きていかなければならない状況
最後のID発行の時の笑顔
すごい演技力でした。
子供が事態の収拾を苦慮するって…
推定年齢 12歳の濁った目に正気が無い男の子。
序盤では、法廷に原告側として立ち被告人は両親
訴える罪は『ぼくを産んだ罪』👨🏻⚖️
産まれた時から七転八倒する状況に陥ってたら、
敷かれたレールが 稼ぎ柱or研鑽を積む で違えばこうも早熟するのですか。損得鑑定で割り切って生きる為に何でもする。
咎める大人も居ない。
妹の生理を逸早く気づき処置を施し、生理が来た事で妹の身体が孕むことのできる身体として好色な目で見られる事も知っていた。
妹は11歳で身籠って暴力で殺されてしまった。
こんなに心を痛めた映画は無かったです。
印象に 苦しい、辛いも入れて欲しい。
恐ろしい中東の現実を…
目の当たりにする、まるでドキュメンタリーの様なリアリティ。出生証明書がない少年ゼイン。学校にも行けず、行こうとしても両親に断られ、路上で働く。子供を生むだけ生んで、労働させ、女子は売り払う。まさに毒親。周囲も彼らを気にしないし、よくある風景といった感じ。エチオピアからの不法移民親子も、いつ追放されるかという恐怖と隣り合わせで必死に働き暮らしている。貧困があまりにも過酷すぎる。両親を訴えるというゼインの選択は両親が悪いという単純なものではなく、社会全体への問題提起。ゼインの演技は素晴らしいし、あの表情、目は自身厳しい環境で育ってきた者にしか表現できないと思う。妹のサハルが死んで、悲しんだ両親が、また子供を生んでサハルと名付けようとする姿、行動こそ、代わりは生めばよいという、子供を代替品としかみていない、何とも悲しい現実だ。日本でも毎日新聞が無戸籍の子供のニュースを展開していた気がするが、遠い国だけの話ではない。
変わることができる人とは
主人公(12歳くらい)のゼインがこれ以上ないほど苦しみを味わい、それでも自分の意思を発することを諦めなかったことでミラクルが起こったこの映画。
薬を売ったり時には自分の親と同じような事をヨナスにもしてしまう。
しかしこの子はきっと将来、親と同じような大人にはならないだろう。
彼の、現状をなんとかしようとする行動力とクレバーさが文化や習慣から抜け出すことのできない大人たちとの違いだったのではないか。
劇中一度も笑うことのなかったゼイン。ラストシーンでスクリーンいっぱいの満面の笑みに、希望と心配を同時に感じる最後だった。
レバノンの哀しい現実
観るのがとても辛い映画だった。誕生日がはっきりしない12歳だろうゼインは学校にも行けず働いて、妹の初潮の面倒までみる。何故?母親に知られると嫁がされるから。まだ11歳なのに、、、反発したゼインは家を出るけれど、もっと過酷な状況になる。助けてくれた女性もエチオピアからの不法滞在で、赤ちゃんを抱えて必死で生きている。それでもゼインを助けるのだから、これまた辛い。彼女も赤ちゃんヨナスの世話をゼインに頼んで仕事に行けるからお互い助け合っているのだけれど。
ゼインとヨナスが2人だけで何日一緒にいたんだろう、、、どうしていいか分からず困っただろうに。ゼインの置かれた状況を思うと心が張り裂けそうになる。
ヨナスの足を縛ったり、クスリを砕いて水に混ぜて売ったりと、両親と同じ事をしてなんとか生き延びる。あんなに憎んでいる親と結局同じ事をするしかない状況が観ていてとても辛い。
出生届を取りに戻ったゼインは(そんなものはないのだけれど)妹が死んだ事を知って、結婚した男を刺して逮捕されるのだけど、刑務所の中の方がまともな暮らしが出来ていることが悲しい。きちんと食事はできるし、寝る場所もある。刑務所の中のほうがマシって、なんなんだ!あまりにも悲しすぎる。
いちばんつらいのはラジオへの生電話。両親を訴えた裁判でも言った言葉、子供を産まないで!育てられないなら産まないで!子供がわかる事を何故この両親はわからないんだろう。苦しい生活の中で11歳の娘を売るように結婚させ、死なせているのにその状況の中で妊娠するって、、、理解し難い。でも子供を産むように言われて育ったと両親が裁判の中でいっていた。これは宗教的な事もあるんだろうか。
負の連鎖、貧しい中で親も身分証がなくまともに働けない。子供も当然身分がない。ずっとずっとどん底のまま。そんな人たちが大勢いる中東の現実。あまりにも辛い辛すぎる。
最後の身分証の写真を撮るためのゼインの一瞬の笑顔だけがせめてもの救い。とても、とても辛い映画だけど、小学生には無理だろうが中学生以上には観て欲しい映画。
世話できないなら産むな
映画「存在のない子供たち」(ナディーン・ラバキー監督)から。
貧しい両親が出生届を提出していないため、IDを持っていない。
「IDがないってこと=この世に存在していないこと」
言い換えれば、何をやろうとしても、人間として認められない、
そんな意味にもとれる。
それは、主人公ゼインだけでなく、中東の貧民窟には、
多くの「存在のない子供たち」がいる実態を浮き彫りにした。
作品というよりも、ドキュメンタリーに近い気さえする。
特に主人公が育てる赤ん坊は、ミルクを飲ませてもらい、
つかまり立ちをし、立ち上がり歩き始めるまでのシーンは、
これってまさか演技じゃないよな・・と思わせる。
冒頭の裁判シーン。「なぜ法廷に?」「両親を訴えたい」
「何の罪で?」「僕を産んだ罪」は、まだ理解できなかったが、
ラストの裁判シーン。(冒頭のシーンへ戻ったのだが)
「大人たちに聞いてほしい。世話できないなら産むな。
僕は地獄で生きてる」と訴え続ける。
「両親への要望は?」という裁判官の問いに、
「子供を作るな」と言葉を投げ捨てるが、
さらに「大きな声で・・」と裁判官に促され
「子供を作らないで」と懇願する台詞に変わった。
こんな辛い思いは僕だけでいい、お願いだから・・
そう言われたようで、胸が締め付けられる思いだった。
この国では「新型コロナウィルス対策」どころではないな。
文句なく傑作、だけど…
自分が生まれたことを罪だと親を訴える、こんな悲劇、他にあるだろうか。
最近の邦画作品「Mother」は実際の事件が基になっているが、これだけ子供の権利や福祉が整備されているように見える日本においても親の人間性と価値観で、子供の人生は破壊されるのだから、国にその基盤がないならその恐ろしさはどれほどのものだろう。
親に生まれた日を届け出てもらえないばかりか、記録も記憶もしてもらえない。誕生を祝福されない、人間として扱われない、愛されないなんて。
父親は、自分たちは虫けらのように扱われていると言うが、自分の生み出した子供を虫けらのように扱っているではないか。なんだその矛盾は。
母親は、子供を育てるためなら罪を犯すと泣きながら訴えるが、ニワトリと引き換えにしたり、泣き叫ぶまだ幼い娘を男に渡したりしてるではないか。
育てる苦労を訴えるくせに、また妊娠してるではないか。しかもそれを神からの贈り物だと言う。
娘を失った直後のはずなのに、なぜセックスしようと思うんだろうか。
ディゲストも同じようにとても貧しく、違法滞在中の移民で、決して褒められる育て方ではないが、彼女達親子はゼインのそれと決定的に違う点がある。
「愛してるかどうか」だ。
ゼインは帰らないディゲストに対する様々な感情より、何も出来ないヨナスを守り育てることを優先する。
まるで、自分が本当は親からそうして欲しかったことを与えるかのように、何をしても最優先するのだ。
この優しさ、これが本来なら子を持つのに一番必要なものではないのか。
無戸籍の子供は残念ながら日本にも沢山いる。
我が家には犬が2匹いるが、犬だって登録していれば鑑札から飼い主のデータくらい辿り着ける。身分証があるに等しい。飢えたことも、当然、暴力にさらされたこともなく、空調の効いた清潔な部屋で過ごしているのに…
なぜ人間に、その最低限を与えずにいられるのだろう。
本当にこのメッセージを強く訴えてくる傑作だ。
育てられないなら産むな
こんなことを子供に言わせる世の中であってはならない。
盛りだくさんの社会問題。考えさせられる。
子供はどんな親でも愛するものではないかと思うのは間違いで、無責任に子供を産んだ両親を裁判で訴える、という。貧民窟に住む一家の長男ゼインは年子の妹以下4~5人の弟妹がいる。両親は健在だが失業中で、学校も行かず近所の雑貨屋のゴミ捨てなどの手伝いをしている。一番仲の良いすぐ下の11歳の妹に初潮が来たことから、両親が妹を雑貨屋の男と結婚させるのを知り、妹を連れて家から逃げようとするが失敗し、一人でバスに乗って家出をする。バスで出会った老人をきっかけに遊園地でバスを降り、そこで働くことを思いつくが上手くいかず、出会った若い黒人女性ラヒルの世話になる。しかしラヒルは赤ん坊を抱えた不法移民で、偽造の滞在許可証の期限がもうすぐ切れるのだった。ラヒルの仕事中にゼインが赤ん坊の世話をしてしばらく同居するが、ラヒル自身もギリギリの生活の中、新しい滞在許可証を入手するには大金が必要で、赤ん坊を里子に出せと迫られ、金の工面に奔走するうちに警察に拘束されてしまった。ラヒルがいつまでも帰ってこないので、ゼインは赤ん坊のためにミルクを盗んだり、自動車工場で体を洗ってもらったり、家にあるものを売ったりして暮らすが、市場で同じように花を売る少女からスウェーデンに行けばこんな生活から抜けられると教えられる。ポケットの中に処方箋を見つけ、手に入れた薬を海水で溶かして売り、渡航費を稼ぐが、大家に鍵を変えられて家を追い出されてしまう。背水の陣となったゼインは、すっかりなついた赤ん坊を置き去りにしかけるが、それもできず、同じ手放すなら男に売ることにし、お金を手に入れる。しかし渡航には身分証が必要だと言われ、家に取りに帰るが、父親に「身分証はない。誕生日はわからない。戸籍登録はしていない」(第一子の誕生日くらい控えておいても良さそうなものだが)と言われ、さらに嫁に行った妹が死んだことを知り、激高して雑貨屋を刺し、収監され、ラヒルに出会う。少年院に面会に来た母親が、おなかに弟か妹がいる、と嬉しそうに言うのにゼインは苛立つ。そんな時、テレビの生放送番組が視聴者からの電話に答えているのを見て、電話をかけ、無責任な大人への怒りを伝え、社会に反響を巻き起こす。それが映画冒頭の裁判につながる。
貧民窟というどん底の環境に暮らす人々、多少の盗みは当然になっている暮らし、口減らしのための児童婚と早過ぎる妊娠、不法移民の問題といった厳しい現実社会の一方、何日も赤ん坊を連れ歩く少年をシャワーで洗ってあげたりする暖かな目もないわけではない。また両親が、裁判所でスーツを着た弁護士や裁判官に向かって「こちらの状況にいることが理解できるか」というような言葉は、子供からすれば身勝手な言い草であるが、結局問題はそこに行き着く。
12歳にしては小柄に見えるゼイン、もともとはどういう子なのかと思いながら観ていたが、最後の身分証の証明写真撮影の時に初めて笑顔を見た。
とても辛かった
・出生証明書のないゼイン達、11歳で結婚させられる妹、偽造証明書で暮らすエチオピア移民のシングルマザー、酒浸りで無計画に子供を作っては仕事をしない両親など…誰も余裕がなく苦しい映画だった。
・唯一金を稼ぐ方法が処方箋で買えるけど興奮剤とかなのか、それを砕いて混ぜたジュースを販売するという…とにかく救いのない事ばかり。
・そんな中で救いを感じたのは水道もままならなそうな町で身体を洗いたいとゼインが作業着の大人にホースで水をかけてもらったシーンと市場で瓶のコーラを開けられない?とゼインが町で働いている少女にお願いしたらわかったわと開けてくれたこと。両親もゼインに酷い言葉と暴力ばかりでしんどい中で、そういったシーンはしみてくる。当たり前に思っていたけど、誰かが誰かを助けるシーンは観ていて嬉しくなるんだと初めて感じた。
・弱者が弱者をいたぶる世の中っていうのが現実なのだと痛感して切なくなった。
・ゼインがサハルとヨナスを大人から守ろうとしている姿がとても良かった。
・アスプロが外国へ逃がしてやると金を貰って倉庫に監禁していたけど、なぜ赤ん坊だけ金を払って監禁していたのかが疑問だった。後から何かしようとしていたという事か?
・ラストにゼインが母親から子供ができたという報告に、心がないのかと言っていた。自分もそのようなことを思った。母親がえ?みたいな顔をしていたのが凄く嫌な気持ちになった。こういった事が現実にあまた起きているのかと思うと辛かった。
・裁判で両親が自分たちもっと違う生活をしていたらと言い、今の生活をしているのは被害者だといった事を言っていた。じゃあその中での子供たちは?って思えてならなかった。血のつながりといいつつ物のように扱っているのが辛かった。
・ラストにゼインが証明書の写真だよと撮影している人にいわれニコッとした。それもとても切なかった。
・当たり前としていた事すべてがとてもありがたく感じさせられる映画だった。
存在する子供たち
見る前から期待はしていたものの、一抹の不安もあり。中東の貧困、虐待、移民、人身売買などを扱った作品を日本人が見て理解や共感出来るのか…?
そんな不安は全く無用だった。
気付いたら作品世界に引き込まれ、時に胸苦しく、時に胸打たれ、非常に非常に素晴らしい作品だった!
それにしても、こんなにも底辺も底辺の生き方を強いられている子供たちが居るとは…。これを思い出すだけでまた胸が苦しくなってくる。
まだ『パラサイト』や『万引き家族』の方が恵まれているかもしれない。
レバノンの劣悪な貧困窟で暮らす“おそらく”12歳の少年ゼイン。
彼には身分を証明出来るものどころか、戸籍すら無い。
つまり、こうして生きてはいるが、存在して居ないという事。
無論学校には通えず、朝から晩まで働かされている。
ボロ家住まいで生活は家賃や食べるものに毎日困るほど貧しく、両親は毒親で時々虐待も。
それでもまだ幼い妹や弟たちの為に必死に働いていたが、ある日ゼインの我慢も遂に爆発する出来事が。
11歳の妹と特に仲良かったゼイン。
その妹が親の勝手な都合で望まぬ結婚をさせられる。これが日本だったら、一体いつの時代の話どころか、犯罪。
ゼインは家を飛び出す。両親などどうでもいいが、幼い弟妹を残していくのは心苦しかっただろう。
あちこち放浪した末、掃除婦として働くエチオピア移民の女性ラヒルと知り合う。
ひょんな事から彼女の家で暮らす事になる。赤ん坊が一人居て、面倒を見る。
全く赤の他人の少年と母子。血の繋がりのある家族より血の繋がりの無い擬似家族の方が幸せな事がある。束の間のひと時。
…再び、苦境が。
ラヒルが仕事に行ったっきり帰って来なくなる。
あんなに優しい人だったのに、赤ん坊を残して…?
そうではない。ラヒルは不法移民。拘束されたのだ。
そうとは知らず、帰りを待つ。
ゼインは“存在して居ない子供”だが、考えてみれば、母親が不法移民であるこの赤ん坊も。
そんな少年と赤ん坊、肩を寄せ合って。
このまだ幼い“存在して居ない”子供たちに、世の不条理は何故にこんなにも過酷を強いる?
自分の弟妹ならまだしも、赤の他人の赤ん坊の面倒を見るゼイン。
もう立派過ぎる!
我が子を虐待する世の大人どもは、黙ってこの映画を見て、彼の爪の垢を煎じて有り難く低頭して頂け!
ゼインだって本当なら親に育てられ、まだ甘えたいだろう。
それなのに、こんなにも逞しく。
…しかし、12歳の少年と赤ん坊がたった二人でどん底の暮らしを続けていく事には限界がある。
家を追い出される。
ゼインは時折相談していた男性に赤ん坊を託す。
無論ゼインは、喜んで手離した分け与えではない。手離す時、溢れ出る涙を何度も何度も拭う。拭っても拭っても、止まらない。
ゼインにとっては、二度目。自身の妹やこの赤ん坊を守れなかった。そんな自分への怒りと、悔しさ。
が、ゼインは預けたその男が、人身売買者である事を知らなかった…。
再び、実家に戻ったゼイン。身分証明を出来るものを手に入れる為に。
真っ当な仕事をする為にも、夢である余所の国へ行く為にも、身分が証明出来るものが必要。
が、先にも述べた通り、ゼインにはそんなものは無い。
勝手に家を飛び出したゼインに、両親はとてもとても実の親子とは思えない辛辣な言葉を投げ付ける。
「俺たちは虫けらも同然」
「お前など産まなければ良かった」
さらにゼインは、信じたくもない悲劇を知らされる。
嫁いだ妹が嫁ぎ先で…。
ゼインは包丁を持って飛び出し、相手を殺しはしなかったものの、気が付いたら刑務所に居た。
本当に本当に何処まで苦しむのか。苦しまなければならないのか。
ゼインや子供たちが何か悪い事でもしたというのか。
こんな劣悪などん底で、この世に生を受けた事自体が罪だというのか。
救いはないのか…?
しかしやっとやっと、ゼインに救いの手が。
刑務所で電話を掛ける。
それは、TVの生放送の相談番組。
ゼインの訴えは波紋を呼び、弁護士が付く。
そして彼は訴える。両親を。
罪状名は、“僕を産んだ罪”で…。
映画は回想形式で、実の親vs子の裁判の様子も途中途中挿入される。
ゼインが不利になったり、
ラヒルも証言して赤ん坊を奪われた事を悲しみつつも、ゼインに対して恨みは無いと有利になったり、
実の両親の賛とも否とも取れる反論あったり。
母親の涙の叫びは、あれは嘘偽りではないだろう。毒親とは言え、自分のお腹を痛めて産んだ我が子を手離し、亡くした事を微塵も悲しまない親は居ないだろう。
が、「お前など産まなければ良かった」と言った親に弁解の余地は無い。
そんな母親のお腹には、また新しい生命が。
これには唖然とした。
こんな最低最悪の暮らしの中で、また子供を産むというのか。
産まれてくる子供に罪は無い。
が、また一人、ゼインのような恵まれない子供が増えるだけ。
一体、何を考えているのか。
自分のようになって欲しくない。
ゼインの心からの訴えが胸に突き刺さった。
自身の実体験も盛り込み、だからこそのリアリティー。ドキュメンタリータッチのナディーン・ラバキー監督の演出が素晴らしい。(余談だが、弁護士役でも僅かながら出演していて、とても美人さん!)
でも何と言っても、ゼイン役のゼイン・アル・ラフィーア少年。
子役ではなく、役柄の環境に近い貧困窟でスカウトされた全くの素人。
本当に素人!?…と思うくらい、圧倒的な演技力、存在感! 例えるなら、恐ろしいくらい。スゲェ…!
強気な口調、性格で、ずっと仏頂面ながら、澄んだ瞳と内に秘めた切実な思いが、不条理な世界に対して爆発するほど訴える。
それから、赤ん坊のヨナスくんが愛らしい。
ラストは少々出来すぎになったかもしれない。
でも、いいじゃないか。ずっと過酷な現実を強いられて、せめて映画だけでも報われ、救われて。一筋の希望。
この世に生を受けた事に何の罪も無い。
産まれて来なければ良かったなんて事は、断じて無い!
産まれてきた事には、きっと何かしら意味がある。
歴史に名を残す偉業、世を動かす力、その人一人のささやかな幸せ…何だって構わない。
我々は生きている。
僕たちは存在している。
ラストシーンのあの笑顔にーーー。
どん底比べ
自分の子供ですらまともに育てようとしない親と、どこの子かわからないけど精一杯面倒をみようとする12歳の対比が悲しいです。
子供に対する責任感の欠如を描いている点は『ラブレス』と共通しているが、背景にある貧困がより強烈。映画館周りの方鼻すすって自分も情けなくぽろぽろ泣いておりました。
シリア紛争下だが、これは他の諸外国でも問題になり得る家族愛について取り上げています。
格差を取り上げる映画は10年代多かったが、どん底比べだけが映画ではないと思います。でも、これも映画です。
フィクションとリアル
この作品に言える事は大袈裟であって真実であること。そしてリアルではあるが観客に耐えうるべくリアリティに矮小化したこと。即ち
、ファンタジーとノンフィクションがカオスとして表現された作品なのであろう。だからどこまでが本当のことなのかを考える事自体意味がない。あくまでも映画であり、レンズを通して画角に収められた映像はそれ以上でもそれ以下でもないからだ(レンズに映り込む蛍光灯の反射の光も含めてこれも現実であり幻想的とも言える)。勿論観客は翻弄される。今の時代に、江戸時代に行なわれた、娘を吉原に売るようなマネが行なわれているのだろうか、そもそもあの発育不良の主人公はそれ程頭が切れるほど知能は高いのか、レバノンの現実はあの家族に集約されていてそれが須くどの家族にも共通なのだろうか等々…勿論、YESでもありNOなのだ。それは対象となる人によって異なるし、又心持ちによっても違う意見が噴出する。そしてこの作品の白眉は正にその捉えどころのない映像を収められた“事実”なのである。どんな意図があるにせよ、実際にスクリーンに映し出される映像自体は紛れもない“リアル”だ。疑ったり、解釈したり、信じたりと人間はなんて愚かで素晴らしい生き物なのだろうかと思わざるを得ないのである。
ストーリー展開も上手に作り込まれていて、年子の妹の行く末の心配が現実になってしまいその怒りで家出をすることが第一章、家出先の遊園地で働く掃除婦の家に転がり込み女の子供を世話しながら、世間の世知辛さを充分味わうのが第二章、そして北欧へ渡航するために自分の身分証明を探しに家に戻るのだがそこで妹の死を図らずも発覚してしまい復讐で妹を連れて行った男を刺すのが第三章となっている。それを捕まった後の裁判中の時間軸、振り返るような過去の時間軸を交互に往復しながら比較的易しい構造で進んでいく。そして慟哭にも似たクライマックスの両親への訴えは、この国の現実をまざまざと観客に突きつけてくる。「愛さないなら産むな 育てられないなら産むな」は、子供にとっての切実な願いであり、最後通告でもあるのだ。その言葉を発する子供も又、自分が家族とこれで縁を切る辛さを覚悟させてしまう哀しさは余りにも胸が締め付けられ言葉も出ない。やっと手に入れようとする自己証明書の写真の笑顔は、決して自然と溢れ出る笑いではなく、まるで無感情の何の思考もない“惚け”そのものである。それでもあの両親は悔い改めず相変わらず兎のようにポカスカ子供を作るであろう。そして相変わらず世界はこの問題を解決せず放置し続ける。地獄そのものがこの世に存在している・・・
「良薬、口に苦し」な切ない良作。
以前から気になっていた作品で公開から1ヶ月以上経って、やっと観賞しました。
で、感想はと言うと…正直重いし、胸が痛いし、切ない。
単純に良い作品と言うだけではなく、心に重く迫ってくる迫力で観終わった後の爽快感はありませんが、問い掛けるメッセージが真正面からズドンと響いてきます。
とにかく、貧困の極みのしわ寄せをもろに受けたゼインの怒りや悲しみを超越した感情が物静かな表情から問い掛けが凄い。
何に怒っているか? 両親を始めとしていろんな物に怒りを感じているが、怒りを顕にする以上に生きる事に貪欲。
貪欲だから自分の置かれた境遇に必死に抗ってる。それを子供にやらすか?と観ていて怒りややるせなさを感じてしまいます。
少し中盤で間延びする様な所もありますが、ゼインの苦境がこれでもかと押し寄せてきて、観ていても“もう勘弁して”と言う気持ちなるくらい、重くて切ない。
親からも愛されてなく、最愛の妹が幼くして口減らしの為に他所に嫁がされていく。
家を出て、さまよった中で出会った女性の世話になるが、トラブルから女性は拘束され、訳も分からないまま、その女性の赤ん坊を育てなければならない。
いろんな悪い事もするが、それも全ては生きる為。
やむを得ず、赤ん坊を手放し、生きる為に必要となる証明書を取りに家に帰ると最愛の妹は亡くなっていた事実を知る。
相手の男を刺して、刑務所に入った事で皮肉にも事態が好転していき、テレビで見た児童虐待を取り上げた番組に連絡して、様々な一件が明るみとなり、親を告訴した。
単純に親を訴えたと言う出来事だけで見ると、この物語の訴えかけたい真相の部分は多分理解出来ない。
冒頭で裁判所で両親を訴えるゼインのそこに至るまでの感情がゆっくりと回想されていくからこそ、この物語の深さと言うか、凄みが分かります。
主人公のゼインは子供らしさが殆ど無く、12~13歳では考えられないくらいに落ち着いてる。
クールと言うよりかは達観していて、世の中を諦めた感じから何処か斜に構えた見方をしている。
それが物悲しい。生きる為の選り分けが出来すぎていて、子供にここまで強いる環境は苦境としか言い様がない。
唯一、子供らしさが見えるのは妹のサハルに事になると感情を顕にする所とバスの中で出会ったスパイダーマン擬きのゴキブリマンに興味津々だった所。
このゼインの演技は演技として割り切れない、リアルさをひしひしと感じます。
それが表情と言うか、目で訴えかけてくる。
他のキャストもそれぞれに迫る物がありますが、ゼインの鬼気迫る演技は単純に凄いです。
自分の置かれた環境の悩み苦しみは人それぞれで、単純に比較して解消する物ではありませんが、今の日本でここまでの劣悪な環境は無いだけにスクリーンの映像に映る世界が霞の様に感じながらも決して他人事と割り切れない、リアルな現実感があります。
自分達の周りに普通にある電気・ガス・水道が無いのは当たり前で、そこに仕事も食べ物も殆ど無い環境がのし掛かる。
極めつけは自身を証明する物が無い。
社会との繋がりが不明瞭になり、存在の意義が根底から覆される。
ここに家族からの愛が存在すれば、まだ自分の居場所が見つけられるかも知れないのにそれすら無い。
もう辛すぎます。
ゼインが法廷で裁判官に訴えたのは“育てられないのなら産むな。だからこれ以上子供も産むな”
子供が親に求める事が切なすぎるけど、それが真理。
両親には両親なりの理由があると思う。
でも、そこに同情は出来ない。
ゼインが“本当は皆に愛されて必要とされる人間になりたかった。でもそれが許されない環境だった”
だから、これ以上自分やサハルと同じ不幸の連鎖を産まないで欲しいと思う気持ちからの言葉。
心に突き刺さります。
判決がどの様な結末を迎えたのかは明らかにされてませんが、最後に証明書作成でのゼインの笑顔を作ろうとするが笑顔を素直に作れない、何とも言えない表情がまた切ない。
ゼインはこれ以上の無いドン底を味わいながらも、見失わなかった事は「生きること」
だからこそ、これ以上の地獄は無いと思うから、ラストでの表情からせめて今よりかは前に進める未来であって欲しい。
切実にそれを願います。
映画はハッピーエンドが好きで、楽しく観られるのが良いと思いますが、それでもこの作品は観るべき作品かも思います。
「良薬、口に苦し」と言う言葉の通り、重くのし掛かる物がありますが、この作品を鑑賞した事で何かを感じ、何かを気が付かせられる、鑑賞した人の中に確実に一石を投じる作品かと思います。
ゼインに感服
この作品のような、日本とは遠く離れた地での地獄巡りを観るときは注意していることがある。それは、映画で知る世界がどんなに過酷で、またそれにより今の自分がどんなに幸せに思えたとしても、今自分が自分を取り巻く現状を「辛い」と感じてしまう事実は変えられないということだ。この作品を観た以降も、きっと自分は寝坊したり一日中だらだらして過ごすことがあるだろう。これを意識しないと、その時自分の無力さやぬるま湯に浸る自分を過剰に責めて鬱病になってしまう可能性がある。それを防ぐために、のめり込み過ぎないよう距離を置き続けて観る必要があるのだが、そんな状態でこの作品をしっかりと"観て"、"理解する"ことが出来るのか不安だったが、果たして杞憂でした。
今年一の大号泣。主人公を自分に重ね合わせてみた「凪待ち」より遥かに泣いてしまいました、なんなら帰りの電車でも思い出し泣きしたくらいです笑
ゼインのいた世界は生まれた時から地獄で、しかも生きている限り世界は更に牙を剥いてくる。場所を変えたとしても、それが止まる事はない。そんな中で妹の身を案じ、ヨナスを世話し、ひたすら歩き続けるゼイン("美しい"という意味らしい)がただただ美しかったです。
なぜ大家は鍵をかけた、、、
ヨナス、せっかく引き取ってもらった先があれかよ、意味ないじゃん、、、
登場人物は全員ギリギリ、誰も悪くない。そりゃ両親だってあんな場所で生きてたらストレス溜まるでしょ、セックスしたくなるよ。
でも、じゃあどうすれば良かったのか?分からない。
原題「カペナウム」だが、悔い改めなかったのは誰か?分からない!
終盤一気に流れが変わってハッピーエンドで終わるんだけど、あの後も各登場人物と世界、何かが変わるとは思えなかったです。じゃあエチオピアやスウェーデンがレバノンより良いのか?いやこれ同列で比較するのはダメか。
でも、鑑賞後の調べでゼイン役の子が北欧に移住できたって事実を知って、本当に良かったって思えました。
日本も将来こんな人達が絶対出てくるし、多分もう居る。観ながら「万引き家族」が頭の片隅にありましたが、その前に「誰も知らない」有りましたね。他の方のレビュー見て思い出しました。まだ観てないので、早く観たいと思います。
最後に、こんなにつらい125分なのに耐える事が出来たのは、随所にちゃんとユーモアが挟み込まれていたからです。ちゃんと笑えるパートもあるんです。
凄い作品を観ました。2019年ベスト候補。
久々にいい作品に出会った。
ちょっと前から気になっていたので、他の予定をずらしてでも見に行ってよかった。
ベイルートで貧困に苦しむ兄弟の多いザインは両親との確執から家出し、そこで出会った女性も不法滞在で子どもを抱えながら綱渡りの生活をしていた。
女性が捕まり、乳児とともに生活することになったが、悪徳ブローカーの餌食になり、それがきっかけで義弟(だいぶ年上だけど)を刺して捕まってしまう。刑務所で偶然出演した番組がきっかけで、「なぜ自分を産んだのか」という罪で両親を訴える。
レバノンの孤児(出生届も出さずに学校にも当然行けない)の現実、シリアからの難民、アフリカ諸国からの移民(もしくは不法移民)の問題を誇張することもなく、伏せることなく、フィクションながらもありのままに描こうとしているのが伝わってくる。事実をもとにした映画でもあり、出演者の多くが同じような境遇で育ってきた人を採用しているのも映画の質を保っている由縁だろう。
全く笑うことのないザイルが最後の最後で刑務所に収監するために取られる写真に初めて笑顔を見せる。今まで出生届もなく、この世には存在しないとされたザイルが犯罪という評価できない状況ではあるものの、自分のアイデンティティを確立した瞬間だった。それを共有できただけでも光栄である。
ドキュメントかと思うくらいの高クオリティだった。
自分の大切なものを守るため
ほんの12歳の少年が男として戦った。可愛がっている妹を守り、一緒に暮らして始めた女性の赤ちゃんも、彼女がいなくなっても育て続けた。わずかなお金です買うのは赤ちゃんの食べられるもの。
年齢じゃない。心が大人で男なんだ。
彼がやっていることは全て誰かのためなのだ。
最後にみせる屈託のない笑顔は年相応の可愛い笑顔だった。
いい映画だった。
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