「飼われる犬と飼われる人」ドッグマン andhyphenさんの映画レビュー(感想・評価)
飼われる犬と飼われる人
2018年のカンヌ国際映画祭で男優賞&パルム・ドッグ賞受賞。こんなに犬出てきてパルム・ドッグ逃したら泣いちゃうね!...それはさておき。
繰り返し映し出される同じ街の光景。狭い街。近所の友人。トリマーとしての仕事も順調。離婚してるみたいだけど娘も懐いてる。いかにも平和そうな主人公マルチェロ。
しかしマルチェロの友人(...というかのび太にとっての邪悪なジャイアン?)であるシモーネは、マルチェロを散々に良い様に使う。あれでなぜマルチェロがシモーネを見切らないのか不思議だが、「腐れ縁・暴力による脅迫・口先」の三点セットで丸め込まれている感。それにしても「誰かに殺されないかな」と周囲に思われる男シモーネは激ヤバである...。
よく言えば素直、悪し様に言ってしまえばとにかく間抜けで弱く従順な男、マルチェロ。男優賞を受賞したマルチェロ・フォンテの気弱な、媚びる表情と困った顔がさもありなん...という感じで迫ってくる。とにかく表情演技が凄いのだ。
シモーネの代わりに刑務所で服役した挙句、街の皆から村八分にされ、お金も貰えない哀れマルチェロ。なぜその道をゆくのだ...というくらいの転落っぷり。
最後に立てた計画さえも間が抜けていて。シモーネを怖がっていながら、ひとときの征服感が欲しいのか、信頼があると思っているのか...のび太とジャイアンというだけでは複雑すぎる感情だ。完全に片思いというか、恋愛だったら都合の良い女扱いの筈なのに、どこまでも素直というか、都合の良い解釈に流されてしまうのだ。
結局、街の誰もが恐れてできなかったことを成し遂げてしまうのがマルチェロであり、そこで彼が見る幻影があまりにも切ない。現実は「やったな!」では済まないはずなのだが。
そして、成し遂げてしまった後のマルチェロの表情。堕ちきった後の虚無なのか。友人を亡くしたことへの哀悼か。現実に直面しつつある恐怖なのか。虚無がいちばん近い気がする。飼い主を喪った犬のような、といえば穿ち過ぎか?底なしに堕ちていくさま。
人に飼われる犬と、さらに人に飼われる人。冷凍庫に入れられたチワワは救えても、自己は救えないというのが非情だ。