ドッグマンのレビュー・感想・評価
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この小さな町、小さな人間関係に「世界」が透けて見えてくる
犯罪社会の実相をドキュメンタリー・タッチで描いた『ゴモラ』で注目を集めたガローニ監督だが、最近はその不条理感をファンタジーの領域にまで高めた作品が続いていた。で、今回の新作はというと、久々に小さな町の社会、リアルな人間関係を追求しつつも、観た人の誰もが「寓話的!」と評さずにいられない、一人の風変わりな男の心根に深く寄り添った怪作となった。
誰にでも厄介な友人は一人くらい存在するが、本作の「友人」は怪物クラスに厄介な男だ。関わった全ての人を不幸にするし、心を尽くして付き合っても必ず裏切られる。そんな時、我々はどこまで微笑みを絶やさぬキリストになれるのか。ヒョロッとしてギョロッとした主人公の職業が犬のトリマーという着眼点が面白く、ラストもまさに寓話的なオチが待っている。
この小さな町に、時々、世界が透けて見える。とりわけトランプ誕生後の世界政治は、まさにこれと瓜二つなのではないだろうか。
終盤までマルチェロの感情が分からない&もうやめとけ、(嫌な予感しか...
終盤までマルチェロの感情が分からない&もうやめとけ、(嫌な予感しかしない)映画なので観るの疲れた。
省略的な編集とマルチェロ役の人の演技が良い。
マルチェロはシモーネにとって冒頭の荒っぽい犬の様にいつか手なづけられる犬だったのか、、特殊すぎる関係性描いた作品だが
この閉鎖的な村社会に、日本的な雰囲気も感じる。
村の厄介者を排除したいが、手を汚したくはない、できれば何処か余所者がやってくれればいいのにと願うコミュニティの住民たち。いざ、身内の中で手を汚した人がいても、そこには手を差し伸べずにその人も排除して、万事解決してしまう。村社会とゆう生き物と、そこに迎合できないマルチェロとシモーネの話。
配信で鑑賞
ジャイアンとスネ夫
主人公マルチェロはどちらかというとのび太ではなくスネ夫に近い。おそらくシモーネとは幼馴染。子供の頃から悪友として一緒に悪さをしてきてそのまま大人になってしまったが、ジャイアンであるシモーネはいくつになってもジャイアンのままだった。そしてスネ夫の方もそんな腐れ縁を断ち切れず、おこぼれを頂戴したりしてズルズル関係を続けてきた。
こんな関係はどこかで断ち切らなければならなかった。いい大人ならシモーネはどうみても常軌を逸しており、今まで通り付き合いを続けていけばいずれは破綻が来るのは目に見えていた。そういう意味でマルチェロも純粋な被害者とは言えない。ただ、少し要領が悪いところがあって気の毒だとは思う。離婚されたのは納得。
本作の二人の関係性を見てると他のレビュアーの方も書かれてる通りアメリカと日本の関係を想起する。戦争でアメリカにこっぴどくやられて敗戦を迎え、戦後は民主化の名のもとに実質対共の防波堤として都合よくアメリカに利用され、いびつな民主国家になってしまった日本。
原爆投下に関しては被害者ともいえる立場ながら、アメリカの顔色伺いで核兵器禁止条約には反対するという矛盾。挙句の果てにはアメリカの戦争犯罪であるイラク戦争にまで加担。これはいやいやながらもシモーネに加担せざるを得なかったマルチェロの姿そのまま。
ラストでシモーネを思いがけず殺してしまったマルチェロ。草むらに放置しておけばおそらくお咎めはなかったかも。警察もいい厄介払いができたと犯人捜しをおざなりにするだろうし。でも結末は公園でシモーネの遺体とともに茫然自失状態のマルチェロの姿で終わる。
これはいろんな解釈ができるよう監督がこのように即興で撮ったらしい。これが功を奏したと思う。このラストシーンを見て、日本はいつまでアメリカと今のままの付き合いを続けるのだろうか、アメリカに乗せられて台湾有事とか威勢のいいこと言って最終的にマルチェロのようになってしまうよと思わずにはいられなかった。
犬のようにご主人様シモーネに献身的に仕え、裏切られてそれでも逆らえず生きてきたマルチェロ。人間と犬との関係が切っても切れない関係であるかのようにマルチェロとシモーネの関係も断ち切ることは難しかったのかもしれない。ドッグマンのタイトルが最後の最後になって分かった気がした。
犬のような男
イタリアの寂れた町に住む悪魔のように腕っぷしの強いシモーネとシモーネが怖くご機嫌を伺っている犬のトリミングサロンを経営しているマルチェロ。
物語は映像も薄暗く進んでいきます。
近所の人たちとは仲良く、裕福ではないがたまに娘とダイビングしたり幸せそうマルチェロですが、めちゃくちゃケンカも強く町中から恐れられてるシモーネにいいように使われています。
シモーネには逆らえず、たまにエサを与えてもらっては嬉しそうなマルチェロ。
シモーネに逆らえず彼をみる目はところどころでアップで映される犬たちの怯えた目そのものです。
ラストがどうなるのか読めず、食いついて観てました。
ラストは秀逸です。
ただこの映画の最も素晴らしいのはマルチェロを演じる役名も同じ名前のマルチェロさん。
縁起が素晴らしいです。
犬を愛しているところ、シモーネに怯えているところ、鬼気迫る目をしている時、そしてラストの目。
目で全て物語れるようなそんな役者さんでした。
違う出演作品もみてみたいなと思いました。
犬好きな心優しい気弱な男…
なんだけど、結局は自分が一番大事な身勝手な小男で共感できなかった。シモーネが怖くて、犯罪に加担し、仲間を裏切り、最愛の娘のことも考えず、服役する。弱くとも立ち向かう勇気がなかった。服役後、シモーネに約束の金をせがんでも、貰えず、シモーネを殺す羽目に。殺して仲間に認めてもらい、迎え入れてもらおうというのも、自分本位で、娘や家族のことを全く考えていない。娘のことも、犬と同じ様に何かを金銭的に与えて、可愛がるだけで、養っていく、守るという発想がない。実話ベースだが、演じるマルチェロは正に小物感、きょどきょどして、隷従する役を好演。
演出の意図があからさまな自己満足の独善的世界観の好悪
1980年代にイタリアで実際にあった殺人事件をモチーフにしたというが、作者独自の世界観に当てはめた設定とストーリーを意図的な演出で単一化した自己満足の映画作品。近年のヨーロッパ大陸の映画表現の独善化を象徴するかの国際映画祭での評価は、あくまで審査委員数名の映画人の好悪が優先される選択に過ぎないことを改めて認識させる。勿論単一化するための演出技量は認めるも、細かな点の疑問が次から次へと現れ、それが不条理の一言で片付けられないところにある。例えば、離婚したとはいえ何故愛する娘が悲しむことを主人公マルチェロは続けるのか。この矛盾を抱えたまま、無知で小心者の哀れさを描かず、暴力男シモーネの飼い犬の如き服従を強いられる姿を執拗に映し出す。また、町一番の嫌われ者でもあるシモーネの度重なる傷害事件を、だれも警察沙汰にしない放置状態が無駄に過ぎていく。唯一、闇の組織を使って暗殺を試みるが、負傷したシモーネの自宅の場面で繋ぎ、マルチェロが傷の手当てをすることと、シモーネのマザコン振りを見せるための手段にしている。そして、強盗事件の身代わりで1年の服役をするが、それは出所後に分け前として1万ユーロを要求するためと判る。しかし、シモーネがそれを承諾するはずがないことは、火を見るよりも明らかであろう。すると結末はおおよその予測が付いてしまう。狂犬シモーネをケージに入れる映像の面白さはあるが、流石に自らケージに入るのは餌の仕掛けがない檻に入る熊以下という事なのか。二人の突出した間抜け振りが、結局は無残な結末を必然とする。
脚本と演出の殆どが意図的な表現の為に費やされ、人間を描く本質から逃げているのではないか。唯一優れているのは、統一された沈んだ空気感が漂う映像美を見せる撮影である。イタリアの荒廃した海辺の町の舞台が全ての矛盾を生むことを、作者は言いたいのだろうが。
悪い縁を断つ事も必要!
マルチェロはシモーネを友達と思っていたのか、怖くて逆らえなかったのかどっちだろう。シモーネの身勝手さは観ているだけで腹立たしい。シモーネがマルチェロの店の壁を壊して盗みに入ると言った時、あの時に断ち切るべきだった。何故そうしない?しかも自分が刑務所に入ってまで庇うとは!本当の事を話して後々シモーネに仕返しされるのが怖かったのか?どちらにしても、マルチェロの決断は間違っていた。あれでは他の仲間に避けられても仕方ない。
マルチェロの娘がパパのことを好きな事がこの映画の唯一の救い。最後の、事を成し遂げたにもかかわらず、仲間に無視されるマルチェロの長めのアップがとても虚しい。
アメリカと日本の関係
親しい相手に悪事を強要させる最終手段「友だちだろ」。相手が他に親しい友だちがいないことを知っての上での言葉だ。もちろん小心者で断り切れない性格をも熟知している奴だ。借金したり連帯保証人にさせるのもこの手口が多い。
そんな気弱なマルチェロは犬が大好きで、娘を溺愛。犬の心ならすべて理解できるのに、人間関係も犬社会と同じように考えてる節がある。乱暴者シモーネに対しては自分が従順な犬であるかのように、商店街の友人たちもサッカーと食事だけ楽しんでいれば上手くやっていけると思ってる様子だ。
多分、心の奥底ではシモーネのことを金も払ってくれない酷い奴だと思いつつも、酒を飲ませてくれたり、女の子とダンスを踊らせてくれたりと、ちょっとだけ頼ってくれてるんだという安ど感という餌をも与えてくれるのだ。完全なる従属関係。アメリカと日本みたいなものか・・・
そんなある日、関係を考える決定的な事件が起こる。ドッグマンの隣の店に窃盗に入るためにマルチェロの店の壁に穴をあけるというもの。シモーヌがドッグマンの店のドアから鍵を使って逃走したため、脅迫されてやったものだと警察もご近所さんもわかっているのに、マルチェロは証言しない。そのため彼が1年間服役することに・・・
出所してみると、商店主からも嫌われ、マルチェロは再び孤独に。友人関係の修復不可能とわかり、シモーヌとの主従関係を打破するために思い切った行動に出るのだった。
爽快感があふれるはずだったのに、マルチェロは自分の愚行に気づく。結局は動物的行動に過ぎない。犬と同じだ。人間として人間と付き合うことの難しさをも痛感する。人間の幸せって何なのだ?
結構暗い雰囲気で終わってしまいますが、わざわざ後から空き巣宅に忍び込んでチワワを救い出すシーンには涙・・・自分もやっぱり犬好き。『グレタ』の保健所のシーンでも泣けたし。
哀しいほど哀れ。彼が何がしたかったのかわからない。娘のために金がほ...
哀しいほど哀れ。彼が何がしたかったのかわからない。娘のために金がほしかった。少なくとも、街の仲間の中に埋没できない余剰を彼は抱えていた。でもこうなることは見えていて、愚かさの積み重ねをただ見ていく。およそ主人公にはなれないタイプのパーソナリティの描き方が秀逸。風景が美しい。
へなちょこドッグマン
イタリアの海辺の町で犬のトリミングを生業にしている主人公、善良で気の弱いところがあったが、町の嫌われ者で暴力的な男シモーネに従属する関係ができてしまう。
シモーネにはめられて警察に捕まり、1年の刑務所暮らしの後・・・。
へなちょこ男の復讐は、なんというか。
【”ブルドッグ”を甘やかしすぎてしまい、”飼い慣らす事”が出来なかった、愛すべき犬好きの男の哀話。】
ー マルチェロは、何であんなに”乱暴者で町の嫌われ者”のシモーネの言いなりだったのだろうか?ー
・盗みを手伝わされたり、クスリを無理やり調達させられたり・・。けれども徐々に、”マルチェロはシモーネの事が好きなんだ。愛する犬と同様に・・。”
と思うようになった。
何故なら、マルチェロはシモーネの無茶な要求に”困った顔で”答えながら、時折とても嬉しそうに笑うから・・。
・フランチェスコの遊戯店のゲーム機を、シモーネが壊した時もマルチェロは、おろおろしながら・・”うちの犬が、すいません・・”と謝っている、人の良いおじさんに見えたし・・。(私だけか?)
・”飼い主の責任”として、シモーネの罪を被って、一年も刑務所に入るし・・。(愛娘アリーダとの約束を果たすための報酬期待もあるけれど・・)
ー 日本の法律でも飼い犬が人を噛んだ場合は、飼い主に瑕疵が認められた場合、過失傷害罪に問われたケースがあったよなあ・・。ー
・そして、”飼い犬”が言う事を聞かなかった場合は、”飼い主の責任”として、キチンと”叱らなければならない・・”
・愛娘アリーダと海外の海に行くために、盗みの手助けをした報酬”1万ユーロ”をシモーネが払わない、と分かり、マルチェロはまずは軽く”お仕置き”として、バイクを傷つける。
・が、”飼い犬に手を噛まれ”、身近な海にアリーダと行った時のマルチェロの遣る瀬無い表情・・。
・そして、マルチェロは決意するのだ。
”もっと、厳しいお仕置きを!”
”飼い犬の粗相”のために、失くしてしまった大切なサッカー友達を取り戻すのだ・・。
・マルチェロが”飼い犬に厳しいお仕置きをした後”に観る幻のサッカー仲間達の姿。
そして、その仲間たちはもういない・・という現実に気付いた時のマルチェロの表情が何とも言えない。
<狂暴な犬を飼う時には、”首輪”をつけて、きちんとした躾が大切。でないと、”ツケ”は自分に帰って来る・・。
ー あくまで、”犬が苦手”な人間が感じた感想である。ー
今作は実に”多様な見方”が出来る作品でもある。>
■マルチェロを演じた、”マルチェロ・フォンテ”
この俳優さん、表情と醸し出す雰囲気が良い。
なかなか、あそこまで親しみを持てる”小物感”を出せる俳優はいないだろう・・。
自分でまいた不条理な種は、自分で刈り取る
デカくて粗暴な友人(と一応は思っている)にいいように扱われる気弱な主人公を、どうしようもない不条理が襲う。
主人公を演じるマルチェロ・フォンテが、例えるならMr.オクレにアンガールズ田中のエキスを注入したような、実生活でもいじめられまくってきたのではと思えるほど、実にイイ顔している。
ついでに言うと、開始冒頭で出てくる犬も実にイイ顔している。
主人公に降りかかる不幸は、欲に目がくらんだが故の結果でもあるので、そういう意味では自業自得な面もある。
だからこそ彼は、落とし前として自分でまいた種を自分で刈ろうとする。
道は踏み外してしまったかもしれないが、そこで初めて独り立ちするのだ。
それにしても本作といい、先日観たフィンランドの『アンノウン・ソルジャー』といい、ヨーロッパはどうしてもこうも観終わってダウナーな気分にさせてくれる映画づくりが上手いのか…
タイトルに偽り無し
一つの見方として、最後までだれかの“犬”だった“男”。
街の荒くれ者の“犬”として、小さな特殊なコミュニティで生きる術としてそれに従事する。
娘が喜ぶことだけを考える“犬”(良い意味で・和やかなジョーク的な意味合いもこめて)。
開店中は、動物の犬に、仕事の“犬”として献身的に尽くす。
街の荒くれ者を殺し、わざわざ仕留めた獲物を元仲間に知らせようとする様も“犬”のよう。
「ドッグマン」が意味するところは、そういうことなのかもしれない。
最後のシーン、不必要に長く感じた「主人公が辺りを見渡す様」は、主人(ついていくもの)を失った犬のような喪失感を匂わせる。そこで自分を見失ったというより、「最初から自分がなかった」ことに気づいて、頭のなかでぐるぐると否定と肯定が繰り返されるなかで(あれ?…)とただただ喪失感の権化のような人間がそこにたたずんでいる。
誰に向けたなんの映画だったのか。まったくわからない。「こんな世界がある」としか思えないが、異文化を感じられるとても貴重な映画だと思う。
主人公の流されっぷり、考えのなさにたびたびツッコみたくなるかつイラ...
主人公の流されっぷり、考えのなさにたびたびツッコみたくなるかつイライラ。でもこれが実際の事件をモチーフにしてると知り、現実はこんなふうなことの方が多く不条理にまみれているものかもな。。
ただ個人的には後味スッキリ映画が好みの私、ドン引きしてしまいました。。
犬は誰か
自分の承認欲求を満たしてくれる相手は、たまに会う娘ではダメだったのかな? あんな男を相手にしなくてはならない心のひもじさが辛い。卑屈な笑いが演技とはいえ凄い。最高。
最後に死体をみんなに見せつけようとする誰もいないシーンは凄い。
小さいコミュニティでもそこが世界の全てなんてことザラだよね
犬好きな男の話。
昔からの腐れ縁なのだろう、ジャイアンのような暴君に振り回されて一見かわいそうに見える男だが、共感はできない。
主人の言う事を聞けば見返りとしてエサをもらえるのを男は知ってる。そう、男はエサが欲しいのだ。それがどうしても浅ましく汚い。
男が孤立していく様もなかなか醜く描かれている。
リアリティは薄いようにも見えた。
餌付けされたペットは主人を失ったらその先どう生きていくのか。
飼われる犬と飼われる人
2018年のカンヌ国際映画祭で男優賞&パルム・ドッグ賞受賞。こんなに犬出てきてパルム・ドッグ逃したら泣いちゃうね!...それはさておき。
繰り返し映し出される同じ街の光景。狭い街。近所の友人。トリマーとしての仕事も順調。離婚してるみたいだけど娘も懐いてる。いかにも平和そうな主人公マルチェロ。
しかしマルチェロの友人(...というかのび太にとっての邪悪なジャイアン?)であるシモーネは、マルチェロを散々に良い様に使う。あれでなぜマルチェロがシモーネを見切らないのか不思議だが、「腐れ縁・暴力による脅迫・口先」の三点セットで丸め込まれている感。それにしても「誰かに殺されないかな」と周囲に思われる男シモーネは激ヤバである...。
よく言えば素直、悪し様に言ってしまえばとにかく間抜けで弱く従順な男、マルチェロ。男優賞を受賞したマルチェロ・フォンテの気弱な、媚びる表情と困った顔がさもありなん...という感じで迫ってくる。とにかく表情演技が凄いのだ。
シモーネの代わりに刑務所で服役した挙句、街の皆から村八分にされ、お金も貰えない哀れマルチェロ。なぜその道をゆくのだ...というくらいの転落っぷり。
最後に立てた計画さえも間が抜けていて。シモーネを怖がっていながら、ひとときの征服感が欲しいのか、信頼があると思っているのか...のび太とジャイアンというだけでは複雑すぎる感情だ。完全に片思いというか、恋愛だったら都合の良い女扱いの筈なのに、どこまでも素直というか、都合の良い解釈に流されてしまうのだ。
結局、街の誰もが恐れてできなかったことを成し遂げてしまうのがマルチェロであり、そこで彼が見る幻影があまりにも切ない。現実は「やったな!」では済まないはずなのだが。
そして、成し遂げてしまった後のマルチェロの表情。堕ちきった後の虚無なのか。友人を亡くしたことへの哀悼か。現実に直面しつつある恐怖なのか。虚無がいちばん近い気がする。飼い主を喪った犬のような、といえば穿ち過ぎか?底なしに堕ちていくさま。
人に飼われる犬と、さらに人に飼われる人。冷凍庫に入れられたチワワは救えても、自己は救えないというのが非情だ。
不条理
マルチェロはシモーネに飼い慣らされた犬。街の仲間と協力してシモーネを排除することもできたが結局街の中に暴力を留まらせてしまう。シモーネを刑務所に入れることもできたが、結局は出所して復讐される。自分だけならまだしも娘に手を出されては元も子もない。だから、自分が刑務所に入るしかなかった。しかしその時点で自分の人生は転落した。本人はそのことに気付いてないのだが。出所して飼い主に牙を剥き復讐を遂げるも自分は飼い主を失った迷える子犬。街の仲間からも見放され最後自分の近くにいたのは犬たちだった。
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