「当たり前を疑う」ビリーブ 未来への大逆転 ミカさんの映画レビュー(感想・評価)
当たり前を疑う
1970年代までのアメリカに男女を差別する法律があったことを恥ずかしながらこの作品で初めて知り、凄く驚いています。なぜならウーマンリブはアメリカを中心として全世界に広がった運動だった為、アメリカは女性が堂々と権利を主張できる平等な国なのだと私自身が勝手に思い込んでいたからです。確かに日本よりも男女平等度が高いフランスでも、中絶が合法化されたのは日本から約30年ほど遅い1975年です。
作品を鑑賞していると男女平等が規定された日本の憲法そのものが、時代に先駆けた先進的なものだということに気づかされます。日本国憲法は第14条で法の下の平等、第24条で両性の本質的平等が定められています。アメリカ合衆国憲法にはこの男女平等の明記がありません。性差別の訴訟の際原告は、法の下での男女平等を指摘することができないそうです。だからこそ、作品で描かれた男女平等裁判には歴史的に大きな意味があるのだと思いました。
ルースは法科大学院に入学しても男子生徒のイスを奪った女子とされ、弁護士としても就職することができませんでした。また、裁判で争われた男性の事例も介護者の性的役割を決め付けたものです。これ、医学部入試で女子の入学に制限をかけたり、男女の役割が決められている現代の日本と同じだと思いました。
勘違いしたくないのは、ルースは女性の権利だけを主張しているのではないことです。男性であれ女性であれ、性別で職業が決まることや国の補助が受けられないことがおかしいと言っているのです。性差別に対して声を上げると「女性の権利ばかり」というイメージを植え付けられたり、逆に面白おかしく変人扱いされる風潮がありますが、本質は男女共に差別をされない事にあります。男性が女性を養わなければならないという考えも、男性が社会から受けている一種の差別なのではないでしょうか。
この作品の影響で私自身日本国憲法の男女平等が何の為に作られたのか、誰が作ったのかを調べたところ、「女性に人権がないと日本は平和になれない」事を理由として、若干22歳のベアテさんというアメリカ人女性が草案を作ったとありました。この憲法草案を作ってくれて、私は本当に感謝しかありません。
トランプ政権になってから政治的な素晴らしい作品が世界各国から沢山生まれてきていると感じています。アメリカはトランプを大統領にしてしまいましたが、危機感を感じた表現者は直ぐに行動に移しています。この作品から映画の持つ力を改めて感じたと同時に、日本でも政治的な問題を題材にしたメジャー作品も観てみたいです。今だったらネタも沢山転がってますし。
ご無沙汰しています。
政権が代わってあらためて、不妊治療への保険適用が話題になってますが、性的被害などによる望まない妊娠の中絶費用については、保険適用も何らかの助成金も私の知る限りは無いと思うのですが、もしそうなら、もっと社会的な議論が必要ですよね?
裁判で心理的ダメージを受けながら、かろうじて勝てた場合かつ相手方が費用を出せるだけの経済力があるケース以外は泣き寝入りのうえ、自己負担!なんてあり得ないと思います。