ジュディ 虹の彼方にのレビュー・感想・評価
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#metooムーブメント、LGBTQ+といった「今」を反映
まずはレネー・ゼルウィガー演じるジュディ・ガーランドの、時おり怖さを醸し出す表情のインパクトたるや。とても47歳とは思えないほどの老けぶりに驚く。あれでも晩年の本人に似せたメイクらしいが、ちょっと『愛と憎しみの伝説』でフェイ・ダナウェイが演じたジョーン・クロフォードを連想。
逆に言えば、それだけジュディ本人の人生が過酷だった事を意味するわけだが、本作も終始彼女の苦悩にクローズアップした作りで、観ているこちらも辛くなる。
ジュディ本人を知らなくても、どこかで聴いた事のある曲をレネー本人が完コピしているあたり、さすがオスカーを獲得するだけある。もっとも、演技に熱を込め過ぎた反動からか、ドラマ要素が希薄に感じなくもないが。
同性愛者が犯罪者もしくは病気と見なされていた時代を反映しつつ、映画会社のトップからのセクハラ紛いの行為も盛り込んだあたり、#metooムーブメントやLGBTQ+が巷で叫ばれるようになった今だからこそ作られた映画、という印象。
ジュディの代表曲が「虹の彼方に」で、LGBTQ+のシンボルが「レインボー」なのは、決して偶然ではない。
最&高
実在の人物の伝記物としても音楽的作品としても、成功している。
レネーゼルウィガーのスイートボイスも歌唱力も抜群で、物悲しいスターの晩年を見事に演じ切った。
雑感は、スターって大変なんだな。
幼い頃からショウビズ界で働き詰めでそういう時代だったのか薬漬け。繰り返す結婚と離婚。ハリウッドがもっとも華やかなりし大作が産み出された時代の闇をみた。
ジュディガーランドが性的マイノリティに理解を示していたあの時代の数少ないスターだったことから、あの有名すぎる曲「over the rainbow」が現代のLGBTQのシンボルたるレインボーフラッグ🏳️🌈に繋がったのだと知らなかったので深く感じ入った。
「トロリーソング」はジュディガーランドの歌に当て振りかな?と観ていて思ったぐらい完璧すぎたが、なんと全曲レネーが歌っているとのこと。
途中ステージで、「ここはシカゴ?」というセリフがあったのだが、あれはレネーがシカゴのロキシーを演っていたメタ的発言なのだろうか?たまたま?
ラスト、「私を忘れないでね」のセリフには、製作陣のジュディへの愛を感じて泣けてしまった。
ドリームガールズやシカゴのようなド派手作品やマンマミーヤやヘアスプレーのようなどこまでもアッパーな明るい作風のミュージカルもそれはそれでよいのだが、ちょっと陰を感じるマリオンコティアールが演じたエディットピアフのような歌曲映画は主演女優の憑依的演技と歌唱力にぐいぐい引き込まれる。ビョークはいわずもがなだ。
いまだにブリジットジョーンズや夢みがちなウェイトレス役も強く印象に残るレネーだが、コールドマウンテンから暫くしたら顔貌が一変していて、このままメグライアン風味になっていくのかと思ったが、この作品は彼女の輝かしいキャリアの中でも最高峰に位置すると思う。
やっぱりレネー大好きだ。
ラストの「虹の彼方に」で涙腺が決壊した。
子供のころから働き続けてきた。
遊ぶことも恋をすることも大人たちにがまんさせられてきた。
十分眠ることも許されずに働き、睡眠時間のかわりに大人が与えたのは覚醒剤であろう薬だった。
働き続けてもお金は残らず、住む家もなかった。
結婚と離婚を繰り返しても、男は誰も頼りにならなかった。
子供の親権も元夫にとられた。
47年の人生の晩年に近い時期、ロンドンでのステージは成功するかに思えたが、しかし酒と薬で舞台に遅刻し、舞台に立ってもパフォーマンスは安定しなかった。
そんな陰鬱な人生であるが、しかし、毎日コツコツ生きていくしかないと歌う。
そして、ラストの「オーバー・ザ・レインボー(虹の彼方に)」は、まわりの大人たち、男たちに破滅に導かれた女性の絶唱である。「オーバー・ザ・レインボー」が来るんだろうなと予想していても泣いてしまう。さらに、歌えなくなったジュディ・ガーランドを観客が「オーバー・ザ・レインボー」の大合唱で支える。多かれ少なかれトラブルを抱える大人の涙腺は決壊するだろう(決壊した)。
スターだから闇に落ち、スターだから救われる。
ジュディ・ガーランドの伝記映画ときいていたので、もっと彼女の華々しい成功も描かれるのかと思ったら…。最初から最後まで、けっこう暗いです。レニー・ゼルヴィガー演じるジュディは見るからにボロボロ。華やかだったはずの子役時代の回想シーンも、過酷な労働環境や、周囲の大人から強いプレッシャーを受けていたことが色濃く描かれる。
だから全編にわたって、ジュディはかなり痛々しい。お酒や薬に逃げる姿、子どもの親権を求めてわめく姿、年下の恋人にのめり込む姿、ぜんぶつらい。
でも、ステージに立つと、別人のように輝く。ああこれがスターなんだ、と思いました。
ラストのステージは特に美しい。
彼女のファンの代表であるゲイのカップルの存在が効いていて。スターになるために苦しんだジュディが、ファンに救われる。
ファンにとっても、やっぱりスターの存在は救い。どんなスキャンダルがあろうと、本人がボロボロでも、そこにいるだけで、パワーを与えてくれる。
Over the rainbow
彼女の事をよく知らない。
だけど、最後の曲は良かった。
あの曲に全てを集約させるために作られた脚本のようだった。ずっと縛られていた呪いを祝福に変えたとでも言おうか…それまでの彼女は散々だった。
周囲からのリスペクトと引き合いもあるものの、常に彼女のプライドが邪魔をする。
そのプライドが生み出す寂しさというか…厄介なスパイラルに陥っているのだ。
それが産み出される過程も原因もそれなりには描いていて、自伝モノとしては良いバランスのようにも思う。
ただ…最後にあの曲が待っていようがなんだろうが物語としては終始、彼女の愚痴を聞くようでもありゲンナリする。
彼女の事を知らないから尚更だし、俺が男だから尚更なのかもしれない。
47歳で亡くなったとの事だったのだけれど、作品中の彼女を60歳くらいかなと思ってた。なので年下の男にほだされる彼女をバカだなぁとも思ってたんだけど、40代ならば納得だ。
主演レニー・ゼルヴィガーは素晴らしかった。歌唱のシーンはよく分からないのだけれど、徹頭徹尾ジュディであったような気がする。
彼女の事をよく知らない俺がそんな風に感じるのは、ステージの上で歌い上げる様だとか、脱力するようにするお辞儀の仕方だとか…彼女はステージで歌う自分を受け入れてないような気がするのだ。
出来る事ならもうやめたい。
でも、これしか出来ない、させてもらえない。そんな葛藤をラストの曲まで引きずってたように思うのだ。
ホントにラストに至るまでの壮大なネタ振りで…かの曲で一気にまとめ上げたような印象だった。
俺がジュディについて思い入れがあったなら、全然違う評価をしたかもしれない。
虹の、彼方に
47歳とはなんと若くして亡くなられたのだろう
子供の頃からあまりにも有名になりすぎると心が壊れてしまうのかも
周りの大人が食い物にして壊してしまったのかもしれませんね
世の中には知らなくても良いことが沢山あります
同僚の収入額とか引く前のおみくじの中身とかね
ジュディーの生き様も私が今この歳だからもういいかなと思いますが、若き人たちはキチンと見る順番を考えてみた方がいいですよ
まずはやっぱり『オズの魔法使い』を見てからでしょうね
見ながら「この子はこんなに辛い思いをしながら働いているのだな」などど思ってしまったら夢の中世界が台無しだから
夢を売る世界の先頭にいる人は己の身を削って世界中に笑顔を振りまいていたのですね
童話『幸福な王子』のようで
せつない
これを映画館で観てから13日。先週末には都心の映画館がついに休館になった。そして今週末も。これは戦時中よりひどい状況ではないか?!
そんな社会状況もあって、この作品の印象はとても重い。
非凡の才能。それがショービジネスに取り込まれる時、本人の尊厳と生活は後回しにされる。というか、ないがしろにされる人生。気がついたときには手遅れだ。
私は一時間だけ、○○○○を演じているのよ!そう言って自分を保ち、守るしかない才能豊かなタレント。
『オズの魔法使い』には明るい楽しいイメージしかなかったが、こんな裏事情があったなんて。これは現場からの内部告発、あるいは懺悔のような内容ではないか。ハリウッドが蓋をしてきた事実を元に書き下ろされたエンターテイメント。
それを体現したレニー・ゼルウィガーは捨て身の演技でアカデミーをもぎとった。
晩年のジュディ・ガーランドを全く知らなかった身としては、本編の本人役がどれ程似ているのか否か、判断のつかないところだが、鑑賞後日、動画サイトで本人の映像を観ると、そのイメージを作品は良く仕立て上げていると思った。
遥か昔、トム・クルーズの相手役に素人で抜擢されたレニー・ゼルウィガーは、今回とてもがんばった!
しかし、10台半ばでその才能を世の中に見初められ、タレント化されていく事の残酷さよ。
その才能は現金化され、然るべき大人によって搾取される。その才能が優れていればいるほど。
それはいつの時代にも起こり、ある意味その犠牲者によって、世の凡人は癒される。すべてのタレントがそうとは限らないが、世間を良く知らないうちに世に出される若者に、自己の意志で渡世をコントロールしていくことは、無理難題というものだ。
この作品は、ハリウッドが己を振り返り、罪を償おうとする聖なる面と、己のゴシップさえエンターテイメントにしてしまおうとする邪の両面を兼ね備えた一筋縄ではいかない奥行きを感じさせる。
しかし、ジュディ・ガーランドって、ライザ・ミネリのお母さんなんだよな。外野はどうあれ、やはり血は争えないということか。
これまでの、そしてこれからの数多のスターに乾杯!!
Hungry Clown
娘のライザが語っていると言う「ハリウッドに生かされハリウッドに殺され」と。
ただ僕はいつもClownとして踊っていたジュディの姿を観ていた。
最近のコロナウィルス感染への自粛もあるけど、
4月1日は全館1100円の日だから、映画館も賑わっているだろうと、少しは思っていた。
・・・まさか・・・この映画を見にきたのが自分一人とは。スクリーン独り占め完全貸切状態。こんなこともあるんだ。しかし、真っ暗な中で自分一人とは孤独なもの。
後ろに誰かいないのかしら・・って、いたらそれはそれで怖い状態になる。
まぁ、やはり誰もがこの自粛騒ぎで外出を手控え敬遠して映画どころではないのかもしれない。
しかし、
「どんなに不景気でも、映画を見たい人はいる」(ルイス・メイヤーの映画内のセリフ)。
そうどんな状態でも映画を見たい人はいるんだ・・と思う。
ジュディ・ガーランド。僕にとっては特別な人だ。
ひたすら孤独であり続けた大学入学の頃、ミュージカル映画” The Pirate”や” Easter Parade”は、そのあとの楽しい映画人生を作ってくれたきっかけになった。
学生時代、今はなき三越ロイヤルシアターだったかどこかの名画座だったか、観たスクリーンの中のジュディはコケティッシュだった。
そしてまた和田誠の『お楽しみはこれからだ』の数冊を何度も繰り返して読んで、その中で” A Star Is Born”を実際に観て、セリフ"Hello, everybody. This is Mrs. Norman Maine"に涙した。その時のジュディの姿はまさに毅然として凛としたものだった。
今思えば、これは本当は実生活でも彼女自身が手に入れたかった言葉なのかもしれない。
彼女の人生がSex & Drugに浸り続けたものであることは、彼女のことを知るものは誰もが知ってる。だから劇中、何かを口に含むものを見るたびに心が痛む。それがなんであろうとも。
本当に彼女が望んだのは、DrugではなくCakeだったはずだ。ほんの一口、口にしたい甘いCakeだったはずだ。Cakeは彼女が本当に手に入れたかったものだと思う。にもかかわらず、死を目の前にするまで、それを口にすることはほとんどできなかった。
劇中では、それを最後に安心して手にしたのだろうか。食べ方もわからずに、何度も皿を回す彼女の姿は哀しい。それは絶えずhungryであり続けた彼女が、最後までそれを満たすことのができなかった姿の象徴だ。そしてまた彼女はひたすら孤独であり続けた。“I’ll go my way by myself・・・・I’m by myself alone”。
レニー・ゼルヴィガー。
サントラ聞いたけど、これはあのジュディではない。ジュディを自分のものとしている!ジュディまではいかないけど(笑)、レニー・ガーランドにはなっている。
映画の中のジュディは46か47。しかし、年齢以上に老けた役作りをしたのは、実際のジュデイその人がそうであったためだろう。レニーの表情や所作の一つ一つが、蝕まれた彼女の姿を年齢以上に老いてしまわざるを得なかったジュディの姿を演じ切っていた。
もう一つ言えば・・・ミッキー・ルーニー。似ていたな!www
晩年、って言ってもわずか47歳だよ?
ジュディ・ガーランドの伝記映画ーそれだけで早く観たくてそわそわしてました。「オズの魔法使」よりむしろ「スタア誕生」の彼女が素晴らしくて主演女優賞を取れなかった経緯を知って根に持っていたので(笑)。
そして娘のライザ・ミネリ(この作品でもちらっと登場)も大好きな大女優。母親ジュディと同じく波乱万丈に生きていて。
ジュディがまだ子供の頃から薬漬けにされていたのは有名な話だけど映像で見せられるとやはり凄まじい。当時は痩せ薬としてアンフェタミンが普通に使われていたらしいけどあんな子供に覚醒剤と睡眠薬を与えて不眠不休で働かせていたというショウビズ界の闇。「スキャンダル」もそうだけどこういう暗部が描かれた作品が評価されているというのはハリウッドも大きく変わってきたってことでしょうね。
亡くなる半年前のロンドンの日々を中心にジュディの壮絶な人生と女優魂を映していますが彼女を演じるレネー・ゼルウィガーが本当にお見事。ジュディが乗り移ったかのよう。そして歌もブラボー。どれだけトレーニングしたの??
アカデミー賞受賞式でオスカー像を手にして「この賞はもちろんあなた(=ジュディ)のものです」と語ったゼルウィガー。そこまでがこの映画かのようでした。
観賞後はずっと Over the rainbow を口ずさんでました。そして困難な日々の今だからこそ Get happy を聴きましょう♫
後ろ姿が美しい…
会員デーにもかかわらず観客3人、快適に鑑賞できました。
レネーは噂どおり、素晴らしい演技と歌でした!! ステージに立ったときの後ろ姿が特に美しいです!
子ども時代のジュディもとても可愛いですね♪
そしてロザリン役のジェシー・バックリーもとってもキュート♡他の出演作も観たくなりました。
ゲイカップルのお家に行った時は、えっ知らない人の家に行って襲われたらどうするの?と心配しましたが…一安心。彼のラストの歌声に泣かされました。しかも良い声してる!!
気になったのは夫となったミッキー。ジュディを愛していたのか、ビジネスとして利用しただけだったのか… ジュディからのプロポーズや重い愛情表現にちょっと引いていたように見えましたが…
元夫は出演シーンは少ないけど、かなりお気に入りキャラです! 親権争いも描かれていましたが、そんな時には『クレイマー、クレイマー』をオススメします。
この作品を観たあとには改めて『オズの魔法使』をじっくり観たくなりました。
必要とされたい
誰かに必要とされているから生きていける。
でも一番必要とされたかった人に自分が求めている言葉と違う言葉を言われてしまったら?
どんなに苦しくても自分の存在を確認するかのようにステージに立ち続ける姿はとても美しくまさに伝説の人。
私も死ぬまでに、自分が人を愛すよりも多く人に愛されたい。
繰り返されるスターの生き辛さ
一人の大スターの晩年の数日間のステージの様子を
実話と脚色を織り交ぜて綴られた本作。
実生活ではアル中でボロボロの舞台裏から
毎夜毎夜どんな思いで舞台に立っていたか〜
舞台に立つことの恐ろしさや苦しさ
、
それでも一度喝采を浴びた者の性(さが)と言うのか
観客が喜んでくれる姿に自分の存在意義を見出して
さらなる
勇気を貰ってまた舞台に立つ。
エンターテインメントという夢の裏側で
どんなに酷い、セクハラ、パワハラ、
マインドコントロールが行われてきたのか
あまりあからさまには描かれていないけれど
それによって人生が狂ってしまった
一人の女性の最後の輝きの姿に
自然と泣けてきてしまいました。
さすがにアカデミー主演女優賞!!
ワンカットで魅せる歌声が素晴らしい!
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ジュディー・ガーランドがどれほどのスターであったか
私も含めて多分、今の50代以下の人には解りにくいので
アカデミー主演女優賞を取らなければ
埋もれてしまったかもしれない作品。
私は「午前10時の映画祭」で「オズの魔法使い」や
「ザッツ・エンターテインメント」を観てるので
大スターのジュディー・ガーランドを記憶していて、
あの晴れやかな笑顔を作るために
どんな思いをしていたのか?
この映画の中でも、厳しい食事制限や
疲れて動けないのに無理やり当時の覚せい剤を飲まされて
働かされ、その副作用で眠れなくなると
睡眠薬を飲まされるという酷いシーンがあります。
あまりの生活に耐えかねてたまに反抗的な態度をとると
当時のプロデューサーに、セクハラまがいの
マインドコントーロールで服従させられる〜
そうして心身ともにボロボロに壊されたジュディーを
ハリウッドは「役立たず」として使い捨ててしまった。
ライムスター宇多丸さんが自身の映画批評の中で
主演のレニー・ゼルウィガーの演技が素晴らしいのは
言うまでもないけれど
、アカデミー会員の中には
主演女優賞を贈った気持ちの片隅に
当時のジュディー・ガーランドへの
ハリウッドの仕打ちの贖罪の思いもあったかも〜〜?
と言っておられました。
なんか解るわ〜〜。
「ボヘミアン・ラブソディー」や
「ロケットマン」のレビューでも書きましたが
スターになるのも大変だけど
スターで生きて行くのはもっと辛い〜
私ら平凡な者たちに
大きな楽しみと希望を与えてくれる全てのスターたちへ
限りない感謝と愛を贈ります。
@お勧めの鑑賞方法は?
こんな時節ですが、できれば音響の良い映画館で是非!!
「マリア・カラス思い浮かぶ」
今年30本目。
お客さんが2人だけでした。こんないい映画なのに。1週目の興業成績は8位と健闘しています。
こんな過酷な状況で生きていた人がいたとは。
ジュディ・ガーランドより前の歌手と言うと、20世紀最高のソプラノ歌手とまで言われたマリア・カラスが思い浮かびます。彼女との共通点は喉の不調による公演放棄です。
マリア・カラスは1958年1月2日、ローマ歌劇場が行ったペッリーニ「ノルマ」で病気の為、2幕5場からなるオペラの第一幕だけで出演を放棄してしまった。それだけ歌う事が過酷だと言う事。自分の体調もあったと思う。
しかし歌手が命を懸けて歌っているから人々が歌に惹きつけられるのである。魂の叫びが正にそれである。自分が歌手と比べて何が出来るか分からないが、命を懸けてやりたい事もあります。
感動した。
私が小学生の頃に、テレビでオズの魔法使いを観たことがあって、あまり記憶にはないですけど。
子役は自由もなく、食べたい物も制限され、監視され
終いにはジュディは洗脳までされてたように感じました。
ラスト辺りでジュディがケーキを食べるシーン。
私的には、ジュディは子役時代に食事制限をしていたので、ケーキを食した事がなく食べ方が分からないのかな?とさえ思いました。
ケーキを食べた後の何とも言えない幸福感に満たされたジュディがそこにいた。
この映画はラストに近づけば近づく程、見入ってしまう。
そして、泣きました。
ライザミネリの活躍は見ずに亡くなったのか。
ジュディ・ガーランド=「オズの魔法使い」のドロシーという美しいイメージしか持たない者にとって、かなりインパクトのある映画だった。「オズ」以降の活躍を知らないので、ロンドンの公演で歌ったのが、彼女の持ち歌なのかも分からなかった。しかしその圧倒的な歌いっぷりからは、彼女がショーの世界で懸命に生き抜いてきたことを実感させた。短いロンドン公演の時間で少女時代と現在をオーバーラップさせて、現在の彼女の辛さみたいなものをクローズアップさせていたのは非常に効果的だった。それがなければ、ただの破滅的な中年女になってしまう。少女時代はその才能に吸い寄せられた大人たちにすべて管理されて精神のバランスを失ってしまった。それ以降の人生は、その時失った愛や喜びを必死に追いかけたんじゃないかと想像できた。結婚離婚や薬物依存による入退院の繰り返しは、そんな彼女のあがきに思えてくる。アメリカのショービジネスの世界から干されていた彼女が、子供達と一緒に暮らしていくために、熱心なファンの多いロンドンへ子供と離れて稼ぎに行くという設定も泣ける。
思い通りにいかない事が多かったが、最後にステージでファンと共感しあえたことで、ジュディの人生もそんなに悪くなかったと思える。辛い場面が多いが、ゲイカップルのジュディ大好き感やロンドンでの女マネージャーの厳しい優しさが救いになっている作品でした。
歌、歌唱力で感動させられた
檜舞台で輝くスターを、私生活や舞台外の出来事をうまく絡ませて、あくまで舞台上でのパフォーマンスに重きをおいて描いているところが良かった。
そう思えたのも、レネー・ゼルウィガーのすばらしいパフォーマンスがあってこそ。過剰なまでの演技っぷりが、ステージ上では実に見事な存在感。舞台で歌うたびに、自然と涙が流れてしまった。
ありがちなショービズ界の残酷な部分を描きつつも、スターが輝き続けて、幸せに生き抜いた様を描いていたような印象で、いい意味で予想を裏切られて、いい映画だったなぁと─。
期待以上!
ブリジットジョーンズの日記をこよなく愛する者として、最近は整形をいじられたり、劣化画像が出回ったり、レネーがすっかり大人になっちゃったのを寂しく思ってました。役作りでかなり増量したのは何年前?
今回のジュディ役にあたり、年中チキンスープでダイエットさせられ、薬漬けにされて一日中働いてきた、華奢でヨタヨタしたカンジをしっかり表現していた女優魂。
いや、どのハリウッド女優も増量・減量くらいチャチャっとこなすでしょうが、レネーはちょっとおちょぼ口で悪態つく気の強いスター役、見事にハマってました。
ボラブ、ロケットマンなど、最近はスターの半生を描いた映画は割と感情移入できましたが、生まれる前のスターはそこまで刺さるかなと思ってました。
…甘かったwww
途中、何度も涙が出ました。うまくいかない結婚生活、子どもたちとの別れ、観客への悪態、ファンの家で美味しそうじゃないオムレツをご馳走になるところ…もちろん、ロンドン最後のショーが素晴らしかった。
子役は成功しないとよく言われるけど、ここまでの才能、歌唱力、スター性があってわがままでない方が難しいだろう。色んな誘惑から自分を守るために、プライドを保つために、必死で戦ってきたに違いない。
ロザリン役の女優さんも、上品なイラつき方が素敵だった。散々振り回されてるのに、結局ジュディはロザリンの手の平で転がされてたような気がするw。
過去に起きた悲しい出来事
ハリウッド黄金期にニュージカルスターとして活躍したジュディ・ガーランドが亡くなる半年前に行ったロンドン公演時を伝記的にドラマ化した映画。
レネー・ゼルヴィガーがGGとオスカーを取りながら、あまり乗り気がしなかったのは、多少なりともジュディ・ガーランドに起きたことと、早死にをしたことを知っていたからだ。オズの魔法使いも知った後に見てしまって、楽しいのに悲しくなったので、本作も多分そうなるだろうな、と思いなかなか行く気が起きなかったが、サービス料金の日で時間もよかったので見てきた。
簡潔にいうと素晴らしかった。賞をとるとはこういうことだな、という感じでレネー・ゼルヴィガーが私もフテッジしか見たことないジュディ・ガーランドらしい喋りと歌を歌っていた。彼女をスターダムに押し上げた歌は薬漬けでほぼねれない日々を過ごしていても健在で、喉がカラカラでも素晴らしい。
でも同時に悲しい。彼女をスターにしたスターシステムも悲しいし、そのことが彼女に重くのしかかっているのが悲しい。まだエンターテイナーとして活躍できる歳なのに、それらのことで彼女が折られるのを見るのが悲しかった。
愛される事への渇望
幼い頃から愛されるように、愛されないと価値がない世界で生きてきたジュディ。その不安定さが見事に演じられている。演じられているというよりも本人じゃないかとさえ思ってしまう程。劇中涙が溢れて止まらなかった。これは何の涙なんだろう。うまく説明ができない。最後にテロップでこのロンドン公演の半年後に亡くなったと流れ、ほっとしてしまった自分がいた。死因の詳細は語られていなかったのでわからないが、彼女にとって愛される事を実感できたこの公演を思いながら旅立てたのではないだろうか。
胸が苦しくなる
虹の彼方にを知らない方も居ないと思うが、その後のジュディを知る人は少ないだろう。子供の頃から縛られ、普通の日常を過ごせるスキルが無く、若くして頂点になった後の苦しみが全般を重く覆う。せっかくロンドンの温かいファンをも裏切り、ステージを去ることになったジュディを、最後に救ったのもそのファンであり、きっと最後は救われた部分もあるかなと、会場皆と涙した。
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