「主演のゼルウィガーとガーランドの人生が重なり合う。」ジュディ 虹の彼方に yuiさんの映画レビュー(感想・評価)
主演のゼルウィガーとガーランドの人生が重なり合う。
天才子役としてアカデミー賞まで獲得した伝説的なスター、ジュディ・ガーランドはその後女優としての重圧に苦しみ、酒と薬物に溺れた人生を辿ることになります。本作でガーランドを務めたレネー・ゼルウィガーもまた、『ブリジット・ジョーンズの日記』や『シカゴ』で大女優としての名声を確立しながらも、ハリウッドから距離を置き、数年間の休養に入りました。この二人は、人生のある時期の状況が明らかに重なり合っています。
久しぶりにスクリーンに映し出されたゼルウィガーの容姿は、メイクによる部分も多いとは言え、人生への疲れが刻み込まれており、設定(46、7歳のガーランド)よりもかなり年老いた印象を与えます。もちろん実際のゼルウィガーは、インタビューの写真などから明らかなように、相変わらず美しいのですが。
物語でガーランドは、失意のアメリカから、まだ女優・歌手としての名声が残るロンドンへと活動の場を移します。通常の伝記映画であれば、ここから華々しい復帰劇が始まるところで、本作でもそのような流れになりかけるのですが、現実のガーランドの人生が示すように、その結末は、同じく伝記的な映画である『ボヘミアン・ラプソディー』のような爽快感とは無縁です。
ただ、だからこそ結末の味わい深さは一層増しています。本作ではガーランドの、文化的アイコンとしての要素がいくつもちりばめられています。例えばある二人の人物との逸話は、彼女が性的な多様性を受け容れている当時では数少ない著名人の一人だったことを示しています(LGBTQのシンボルであるレインボーフラッグは、ガーランドの「虹の彼方に」に因んでいるという説もありますが、これに関してはあまり有力な説とは言えないようです)。また実の娘であるライザ・ミネリとの親子関係についてもわずかではありますが言及しています。そしてもちろん、「虹の彼方に」の歌詞が終盤にさしかかるにつれ、大きな意味を持ってきます。
本作だけでも十分に感動を味わうことができますが、『オズの魔法使』(1939)を事前に鑑賞することで、彼女が当時の人々にとってどれほど重要であったかがより一層理解できるのでは、と思います。
エンドロールが示すように、本作ではゼルウィガー自身が見事な歌唱を披露しています。彼女の声質は本来、ガーランドとは全く異なっていたとのことで、本作においてどれだけの努力を重ねてきたのかが伺えます。ただ、演技をしながらの歌唱はさすがに無理だったらしく、歌は別撮りだということですが。
なお、幼少時代のガーランドを管理し、精神的に追い詰める映画スタジオの重役はアーサー・フリードといい、目を付けた女優に、役を回す代わりに性的関係を要求する「キャスティング・カウチ 」として悪名高い人物です(未成年のガーランドに対しても!)。彼がガーランドに過剰なダイエットと寝る間もないほどの仕事を課したため、彼女は薬の力を借りないと眠れなくなる薬物中毒となり、早世に繋がりました。『スキャンダル』のロジャー・エイルズと並んで、死後もその悪行を忘れるべきではない人物の一人です。