「「スライド」を味わう見事な作品」ゴールデン・リバー しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
「スライド」を味わう見事な作品
原題はThe Sister Brothers、つまりシスター兄弟の物語。
兄弟なのにシスターって?!
そう、本作は、こういうズラし(事態のスライド)がたくさん出てくる。
シスター兄弟は名の知られたガンマン。
提督と呼ばれている土地の実力者に雇われている。
兄にジョン・C・ライリー、弟はホアキン・フェニックス。
このホアキン・フェニックスがいい。ほんと、相変わらず隙のない演技をする役者だ。
シスター兄弟は砂金を採取する方法を発見したという化学者を探して殺すよう、提督に依頼される。
だが、殺すはずだった化学者と仲間になってしまう。
これもスライド。
化学者を追う途中で兄は毒グモに襲われ、顔がかぶれる。
しかし終盤、兄だけが化学者の薬品でかぶれる被害を受けずに済む。
これもスライド。
荒くれ者の弟よりも、実は兄のほうが凄腕のガンマンだった。
これもスライド。
このように本作は、観る者をミスリードさせておきながら、そこから事態をスライドさせていくのだ。実にうまく。
化学者は砂金を原資に西部に理想のコミュニティを築きたいと考えている。
だが、最後に兄弟が行き着くのは母の待つ実家で、これまた、旅のゴールがスライドされる。
本作はシスター兄弟のロードムービーと言っていいと思うのだが、では、旅のスタートは何で、ゴールはどこか?
スタートは弟の父親殺しであり、それは母親を救うためでもあった(兄弟を迎えた母親の態度から、そう推測される)。
弟には父殺しの罪悪感があり、以後、心を荒(すさ)ませていく。
一方、腕が立つ兄には、それを弟にさせてしまったという罪悪感がある。
ゆえに弟は飲めない酒に溺れ、兄は酒に酔うことができない。
(ラスト、だから生家に戻った兄弟は酒で祝うのではなく、コーヒーを飲む)
旅の出発点は、「提督からの化学者殺しの依頼」だと思わせておきながら、実は「父殺し」へとスライドされるのである。
そうであれば、旅のゴールは生家しかない。
ここが本作の巧みなところで、そこがゴールになるとはまったく予想をさせない。
しかし、上述の通り、どんどん事態をスライドさせていき、このゴールに着地させた。
提督は死に追っ手はもう来ない。
彼らにはメイフィールドから奪った財産と砂金があり、お金に困ることはない。
兄弟にとって、旅を続ける理由はもうなくなった。
このように破綻なく旅をゴールさせた本作の脚本には感嘆する。
終盤、兄弟と提督の対決シーンを見たかった気もする。ストーリーとしては、間違いなく、そのほうがカタルシスがあった。
(盛り上げておいて、提督が死んでいた、というのも“ズラし”である)
でも、そうしなかった、というのは、これはそういう映画ではない、つまり、一見、西部劇のフォーマットを用いながらも、「ラストで決闘」という、いわゆる西部劇ではないよ、ということだろう。
これまた、西部劇あるあるをスライドさせている。
旅には、いつも思いがけないことが起こり、事態はスライドしていくが、いつか旅は終わる。
このメッセージを、このような作品に仕上げたオーディアール監督は、やはり、一筋縄ではいかない。