サスペリアのレビュー・感想・評価
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おっさんは魔女も大変だなあ、と思ったよ。
ホラーをリメイクするといって、そのまんまリメイクすることも問題ないが、本作の監督のように、思い入れが強すぎて、またゲイであることも十分に発揮して違った作風になったり、もっと言うと「ホラー」ですらなくなる、ということも全然アリだ。だから、より自由に撮れるアマゾン・スタジオでの製作ゆえ、安易なリメイクの氾濫の警告なぞ全く関係ないし、勇気ある選択も関係ない。
また映画をそのまま見ていけば、フラッシュバックで惑わされることはあるが、1977年のドイツという時代設定を少し勉強すれば、迷宮に入り込んだ、複雑な話でもないことは分かる。
そして、
ティルダの一人三役をやっている、ということが、特に3人目の役が誰なのかが分かった時点で、なぜティルダにその3人を演じさせたか、を考えると作り手がやりたかったことがわかる。
「サスペリア」
・
・
・
トム・ヨークの「嘆き」のテーマソングがなんだかいつも通りだが、画面の、のどかだが不可解で不気味なシーンでいいオープニング。
というか、結果、ここでしっかりネタバレしているという。
1977年のドイツはいまだ政権はナチスの残党が一部居座り、ドイツの秋と呼ばれるテロ事件が起こった年である。そんな混沌とした情勢を舞台に、第二次大戦中に妻と生き別れをし、その行方を捜し続け、帰りを待つ精神科医が狂言回しとして、リメイク版のみ登場する。
魔女の巣窟であるダンススクール内でも、政権交代がなされず未だ旧体制の「マザー・マルコス」派が、「魔女の在り方」もっというと、「魔女たちを統制する政治のやり方」がスクールで行われていた。
そのやり方とは、そう、ダンスの上手い娘を、魔女の頂点に君臨するといわれる「3人の母」の一人である「嘆きの母」に生贄(器、入れ物)としてささげることで、魔女たちは外界の喧騒をよそに古くから生きながらえてきた訳である。
だが、その体制は、第二次世界大戦のナチスと変わらず、排他的、独善的な組織。魔女たちの晩餐は、常に狂気の笑いに満ち、ナチスのそれのようでもある。
そこで主人公の登場である。出身はオハイオ州。メノナイト派キリスト教徒の家庭で育ち、キビシイ躾などで、その環境になじめずにいた。
その反発から魔女の誕生となる土壌がある。
これは、ドイツの旧態依然とした政界、経済界を覆そうとするテロ運動の時代に並行し、ドイツにいる魔女の旧態依然とした政権に終止符を打つべく、アメリカで誕生した魔女がやってきた、というお話。
とまあ、ストーリー自体はそんな感じなのだが、ロケや衣装、妙なパンをするカメラなども時代感はしっかり打ち出せている。
だが、正直、テロ運動については、その経過をせいぜいテレビで流す程度で、それを魔女の政権交代に並行させなくてもいんじゃね、と思う。
もちろん、それはトランプ政権下にて、作り手の、表現者としてどうしてもやりたかったことなのかもしれないが、深みはない。
そして本作で最も大事なダンスのシーンだが、カットが細かすぎて、「小細工感」が出てしまって、妖艶な感じも、迫力もないのが残念。
追記1
薔薇映画の次は、百合かよ、という想定通りの描写。ダリオ・アルジェントは激怒したというが、そりゃ変態監督なら怒るわな。
追記2
オレの解釈は、スージーは生まれつき、ではなく、「ウィッチ」(2017)のように魔女になった、とみる。彼女自身が生まれつきの「嘆きの母」なのか、は分からないが、彼女が「3姉妹」の一人である描写があったように思う。
追記3
宣伝文句のように「よじれる」シーンもそんなに怖くなく、終盤までショックシーンがないのが残念だが、ラストのどろどろシーン。
「あんたが嘆きの母っ??!!」からの「ブシャー」が素晴らしい。
マルコス政権とその支持者を粉砕し、被害にあった、醜く生かされている女子の「死にたい欲求」を満たしてあげ、妻の帰りを待つ精神科医に事実を伝えたのち、記憶をなくさせ、息の根を止める。
やさしいのか、やさしくないのか、分からないが、スージー新政権誕生。
神話の解体への物語・・嘆きの魔女は何を嘆くのか?
「サスペリア」と言えばダリオ・アルジェントがオリジナル@1977、本作はそのリメイクということになりますが、内容的には全くの別作品と言い切っていいでしょう。
衝撃的で大胆な構成・・イントロの時点でダリオ版の謎解き〜舞踏団の正体と黒幕〜を提示してしまっていて、本作がダリオ版のトレースであるのなら本作はミステリーとして序盤から失速するところです。敢えてそうした構成を採るのは、本作のテーマや謎解きがダリオ版とは全く違うということを示唆しています。
ビジュアル的な見せ場として圧巻なのが、6幕構成のうち第5幕でのコンテンポラリー・ダンス。このシーンは激しくそして幻想的ですが、「民族」(Volk)の名の「異教の儀式」が想起させるのは、コンテンポラリー・クラシック・バレーとも言えるストラビンスキーの「春の祭典」・・音で描かれたサバトです。
そして第6部終幕での阿鼻叫喚。本作のダーク・ヒロインである「サスペリア」(嘆きの魔女)の正体が明らかになるとともに始まる粛正。捕食者と生け贄との関係が一気に反転し、ビジュアル的な残虐性と心理的なカタルシス、狂気と歓喜とが混在する非日常性の緊張感。
ミステリーとしての最大の謎は、嘆きの魔女は誰か?にありますが、本作ではダリオ版から一歩進めて、嘆きの魔女とは何か?を劇中の謎解き要素としてだけでなく、視聴者に問いかけます。エンドロールの後での嘆きの魔女の奇妙な動作で更に念を押すかのように。
作中では、ベルリンを舞台に舞踏団、極左テロ組織、ドイツ第三帝国の3つの集団が登場していて、それらを悪と見做して断罪することは容易ですが、その集団的な内なる狂気に注目すると、それらは固有の強固な信念、言い換えれば「神話」に彩られています。
【問】 嘆きの魔女は何を嘆いているのだろう? 【答】(暫定)現象的に姿形を変えながらも永久的に続くであろう神話を嘆いています。神話とともにあるという自身の存在の永続性とともに。(作中で嘆きの魔女の力は絶大であると同時に無力。魔女がヒトに与えられるのは凄惨な死か安らかな死)
不気味…
前衛的で狂気に取り憑かれたダンス、女の園、マダムたち、フック船長を思わせる鈎、博士、そして何よりもティルダ・スウィントン。。時系列が突如移り変わったり、戦後のドイツに馴染みがないので、物語をつかみにくい。エログロ?満載なのだが、ラストはダコタ・ジョンソンがマルコス派を優雅な音楽と共に一掃。ダコタは魔女の生まれ変わり。結局は権力闘争だったのか。一番驚いたのが、解説を見て、ティルダが一人三役、マルコスと博士を演じていたこと。道理で不気味だと納得。ダコタは健康的で美しかった。ストーリーはアート的?高尚過ぎて分からなかった。
あかいあかいあかい
劇場でも鑑賞したのですが、このあいだ改めて見返したのでレビュー。サスペリア旧作も鑑賞済みです。
とにかく赤い映画でした。赤くて痛くてグロテスク。
私はコンテンポラリーダンスの良さが元々よくわからないので、この映画内での「不気味な儀式」といった扱いは妙にしっくりきました。筋肉が引きちぎれそうなくらい腕を振って、ステップとともに悲鳴のように高いキュッという音が床を鳴らす。踊っているだけでホラーチックな映像は素直に良いと思いました。閉じ込められた生徒が体を激しくぶつけながら踊りをやめられないシーンは、痛々しすぎて目を背けたくなるほどでした。
映像を通して見て思ったのは、この監督は女体を「汚らしく」撮るのが本当に上手だなということです。ムダ毛やクマ、シワ、たるみなどありのままの生体としての「女」を撮るので、そのありのままの汚さが「魔女」の醜さに繋がっていくように感じました。全寮制の女子校が舞台で同性同士の絡みも多いのに、耽美的な雰囲気はあまりなく汚らしく煩わしいものに思えました。そこが好きでした。
しかし、ラストの魔女復活の饗宴シーンはなんだか冷めてしまいました。内臓を撒き散らしてグチャグチャで確かにグロテスクなのですが、前半にあったなんともいえない気持ち悪さが失われてしまったような…劇場ではラスト付近はあまりに露骨にグロテスクなので少し笑ってしまったほどです。「母」というワードが繰り返し出てきたので、あれは出産の際の出血をイメージしているのかな。
ティルダスウィントンが好きなので、影のある彼女がたくさん見られて嬉しかったです。
苛立ち
アルジェント監督のサスペリア鑑賞済みです。
褒めている人が多いのであえて書きます。
まず、この作品はファンアートだなと思いました。
たくさんの偶像がそのまま抜き出されて混ざり合っておらず、単に深読みを促すための簡単な手段に甘んじているように感じられたからです。
劇中のティルダ・スウィントンの容姿、仕草は明らかにピナ・バウシュを模すように演出され、部屋に貼ってあるファスビンダーのポスターや、ファスビンダーと対になるテロ事件。ナチス、ユダヤ、壁、ラカン、どれも自室のコレクション棚から抜き出してきて、そのまま筋に合わせて配置しただけのように僕には思えました。オリジナルのサスペリア自体もそんな偶像の中の一つだろうと思います。どの素材にも重さが感じられないので、結局コレクション棚にすら陳列する気のないものたちを簡単な連想で取り出してきただけのようにも思える。
固有名詞をこねくり回すにしても、名詞の間の繋がりを断ち切る覚悟があればオリジナルとは別の形式として飛躍する可能性が残されていたはずで、そういう路線は突き抜ければ十分に強い作品になりうると思います。
今作はポエジーの不足と思いきりの悪さで、結局は物語ることの中に引きこもってしまっており、映画や観客の枠組み自体を最終的な言い訳にしているように思えました。
作り手の先導役であった崇拝の対象を越えようとする手段の一つが「リメイク」だと思いますが、引きずられる可能性はやっぱり大きいのではないでしょうか。「リメイク」することを決めた先に、なぞることを恐れて必要以上の反発をするのは引きずられて同じ道を辿ってしまうのと同じことだと思います。
古文を現代語訳するような「リメイク」の実際的な必要性。オマージュの類の「リメイク」が持つ、継承ゆえの返答。どちらもこの作品にはなかったです。
あともう一つ、最後に悪者を一瞬で爆死させる善者としての絶対の母が登場しますが、そんな絶対者が現実には存在しないがために、あらゆる紛争や戦争は非難される余地を残しているのであって、こんな風に簡単に処理してしまうのはいかがなものかと思いました。頭を吹き飛ばす前に、彼女ら魔女にも、ダンサーの娘たちに尋ねたように、生死の選択をさせるべきだったのではないでしょうか。
罪に苛まれるおじいちゃんを救ったのもこの母神でしたが、そんな風に希望を人間にとって都合の良い神に託すのはどうなんでしょうか、、。ラストシーンの壁もしかりです。
決して二日酔いの時には観ないでください。
もう40年近く前になるでしょうか。
「決してひとりでは観ないでください。」
のキャッチフレーズで「サスペリア」が
大ヒットし、日本でも社会現象となりました。
(ドリフの8時だよ全員集合でも度々ギャグに)
私的には、CMで流れる映像色彩が何かどぎつく
おどろおどろしく、劇場に観にいくことは
ありませんでした。
その後、テレビ放映されたものを観た
記憶がありますが、ストーリーが破綻しており
極彩色の映像と音響でおどろかす感じで
最後の謎ときも唐突で、拒否反応を持ちました。
ただし、ゴブリンによる映画音楽は暗い
ユーロビートのようで、なかなかよかったです。
今回のリメイク版ですが、前作に思い入れはなく
また、事前の批評家の評価が良かったので
いちかばちか、観てみました。
結果は・・・・
映画の始めから、どう理解すればいいのか
迷う場面がえんえんと続き、登場人物も多く、
いずれも似たような名前で誰が誰だかわかりにくく、
舞踏団のメンバーの正体も早くから明らかにされるため、
謎解きの要素はそんなになく、なんだか気持ち悪い音楽と
しつこいグロ描写があったり、前衛的な表現の
画面や舞踏団のあやしい踊りが続きます。
エピソードも前作により重層的になっており、
前作に出てこなかった精神科医も准主人公的な
扱いとなっており、ますますわけがわからなくなります。
昔、ブレードランナーを初めて観た際に感じた
難解さと同じような印象もあり、何度も見て
新たな発見をするというカルト映画に
なるような気はします。
※長いです!、1時間くらい削除すればいいのに。
※主人公を演じた女性は、昔のマイアミ・バイスに出て
いたドン・ジョンソンの娘だそうです。
※前作の主人公を演じた女性が重要な役を
演じています。
※これは、もう公表されているので書きますが
ひとり3役を演じている役者がいます。
但し、なんのために3役演じているのか
趣味なのか、よくわかりません。
※日本未公開の「マザー!」に似ています!
※最近、あえてリメイクしたり、続編を製作
する例が増えていますが、そうする意味が
ないような映画も散見されます。
※決して二日酔いの時には観ないでください。
二日酔いが絶対悪化します。
肩甲骨とユダヤ人迫害
何だかスピルバーグの映画を観てる錯覚をしてしまいそうになる前半部分。どうもハイジャック事件やユダヤ人医師の過去の想いによって『ミュンヘン』や『シンドラーのリスト』を思い出してしまったみたいです。確かにダリオ・アルジェント版のオリジナルでは1977年にドイツに起こっていた社会背景が全く描かれていなかった(多分、ハイジャック事件は公開後だが)。おかげで、予習のために見たアルジェント版がとても薄っぺらい作品に感じてしまった。
バーダー・マインホフやドイツ赤軍(RAF)、パレスチナのハイジャック犯が・・・という話題にパトリシア(クロエ・グレース・モレッツだった。気づかなかったよ)が興味をもって地下活動してるなんて噂も飛び交っていた。魔女マザー・マルコスが魔女の選挙によって選ばれ、落選したマダム・ブラン(ティルダ・スウィントン)は振付師として生徒たちを教育していた。これだけでもオリジナルから全く外れたストーリー展開。たしかに学校内での登場人物の名前はほぼ同じで、パット、オルガ、サラはみんな殺され、魔女たちの生贄にされていたが、この映画では死んでるのか死んでないのかよくわからない。謎といえば、オリジナルにおいても、明らかに謎の男の手が最初の殺戮に関わっていた。
改変といっても、これはこれで楽しめたという内容。ナチによるユダヤ人迫害のテーマがメインともとれるし、魔女狩りとも絡めてあるところが興味深い。さらに言えば、主人公スージーの存在自体が普通の少女ではなく、間違って選ばれた魔女を粛清するために派遣された聖母マリアのような存在のように描かれていた。選挙の際、「多数決ね!」という言葉もずっと引っかかっていたのですが、マザーマルコスが選ばれたのもヒトラーが選ばれたのも多数決の選挙なのだ。ついでに言えばアベちゃんだって・・・
社会情勢や反ナチの伏線は大好物ではありますが、最後には全部「記憶消しちゃえ!」みたいな方向に持っていったのは反則技のような気がします。エログロな終盤の儀式、パカっと胸を開いたスージーちゃん、記憶に留めておきたいのにしばらくすると術が効いて、忘れちゃうのかも。ちなみにハート(AJ)のエピソードは好き。収容所で殺されたアンケがオリジナル版のスージー、ジェシカ・ハーパーであることも感慨深い。「オリジナルを貶したリメイク」といった意見も多いのですが、高校生当時映画館で観た者から言わせてもらえば、アルジェント版は目がチカチカしただけで普通に駄作だと思いましたよ・・・全然怖くなかったし。なぜ今オリジナルが時を超えてそこまで持ち上げられるのかがわからない。
意味不明過ぎて探求心を擽る
全編通して何が何だかサッパリ分からないというのが観賞後の率直な感想。意味不明過ぎて怖いという感情も沸かず、ホラーなのか?アート?結局なんなの?という疑問ばかりが浮かびました。
逆に、ここまで意味不明過ぎると探求心が沸くもので、解説ブログや感想を読み込み、やっと少しはこの作品が理解出来た気がします。
謎ばかりの登場人物たち、謎ばかりのバレエ団、謎ばかりの過去、謎ばかりの未来。ダルダルの裸サングラスおばちゃん魔女とか、ラストの阿鼻叫喚血祭ダンスとか、とにかく尖った作品でした。
好きではないですが。(笑)
決して、ひとりでは?
いやいや、やっと見ました。
リメイク版サスペリア。
朝、シネコンに行きましたら
えらい混雑。
ほとんどがキムタクの映画目当てな素敵女子笑
しかし、中高年を中心に
サスペリアも最終日とあってか
なかなかの入り。
多分、来ているおじさん、おばさんは
青春時代にダリオ・アルジェント監督の
サスペリアに魅了された人なんでしょう。
ここから先、ネタバレあり
嫌な方はさよなら。
結論からいうと
オリジナルへのリスペクトをしっかり表現してますが、
「全く別物」
でした。
グロいシーンはやっぱり
それを「きれい」に魅せる
アルジェントがよかったかなあ。
からだがねじ曲がる、
オシッコもらす
骨が突き出す
いやいや、わたし苦手(じゃあ見るなて言わないで笑)
魔女の集団が、秘密を知った生徒を
「殺す」のではなく
前作のサラみたいにゾンビ状態で
飼い殺し。
まあ、150分飽きはしなかった
途中、刑事が
下半身晒されてるのも見所?笑
でも、ラストが???
魔女の秘密の部屋。
きったね~ヨボヨボの魔女。
え?これマーテルサスペリオルム?
でも、また違うきったねー魔女が
これが?マーテルサスペリオルム?
でも、主人公のスージーが高らかに
「私がマーテルサスペリオルムよっ!」
意味わからへん。(怒)
オリジナル版よりさらに
わからへん!
最終、主人公がマーテルサスペリオルムやったみたいやけど。
会場から「??」の嵐 笑
最初に言った通り
別物なら
「適当に金がかかった全国公開ホラー」
て感想。
でもリメイク版とするなら
似てるのはストーリーが破綻してる?
とこだけ似てます て感想。
サスペリア大好きくまごろとしましては
やはり
「ビバ!オリジナル!」
でした。
しかし、オリジナルでスージーを演じた
ジェシカハーパー
オババになってましたか
きれいでしたよ。
まさかリメイク版監督のルカさん
あとの2本(インフェルノ マザーおぶティアーズ)もリメイク?ないよね~笑
(わたし、サスペリアテルザていう安直なタイトルは認めませんっ!)←知らんわ。笑
ただ、ルカ監督、
ほんまにアルジェント監督のオリジナルが
大好きなんやなあ。
よくあるリメイクの
「負けいくさ感」はなかった。
真似ても勝てへん
なら、別物で。
あらかじめの敵前逃亡は
今作を
失敗作にはしなかったかな
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決して1人では見ないでください
なにを見てたんだろう、と鑑賞後にひたすら混乱、、
話の筋はわかるんだけれど、結局スージーは何者?お母さんとなにがあったの?博士の奥さんと舞踊団に関係はない?どうしてスージーは真実を知ってるの?と、謎は残ったまま。
役者の表情も所々意味わからなかったし、スーザンがうなされている時に見ている映像もなんだったかわからなかった。
ほんとは描かれているのに自分が気づいていないだけなのか否かもわからない、、、
グロさと気持ち悪さと圧巻のダンスなど映像にとにかく魅せられていたけど、ストーリーが全然掴めない。オリジナルを見たことはないし、そもそもストーリー云々は関係のない映画なのかもしれないけれど。
君の名前で僕を呼んで、の監督ということで、生々しさとそれと共存する美しさといった映像美はすごかった。君の名前で僕を呼んで、の桃を食べるシーンのようなエグさがずっと続いてる感じ。
背徳の怪奇映画
アーミッシュ(*メロナイツ)の魔女 エロスの無い女体 老人の裸
ワルプルギスの夜 アーリア人主義 秘密結社 折畳み人体
ティルダ スウィントン
悪趣味のごった煮でクセが強い。その雰囲気を楽しもう。
生命
サスペリアのリメイク見たさというより、グァダニーノの新作ということで劇場まで足を運びました。非常に難解だったので、町山さんの解説を聞いたりしながら鑑賞後数日経った今も考え続けています。以下、全くの私見です。
「私達が絶対やらないのは、明るく美しい踊りだ」マダム・ブランのこのセリフ、常に明るさと美しさを無言下で求められる女性性に対する反旗の様に聞こえました。同時に「女性の事は女性が決めるぞ」という自立の様にも聞こえました。過去、魔女としてスケープゴートにされた女性達の声を代弁しているようです。
組織として腐敗した舞踏団のマルコスは、歳をとり若者を容れ物にして生き延びる全権力者の象徴です。だからこそ、こんなにも醜く描かれているのでしょう。この腐敗した権力は架空の話でも過去の話でもなく、現代の話なのです。脈々と続いてきた魔女のコミュニティを見ていると、実はカルトでも何でもなく人間社会そのものを映し出している事に気がつきます。権力を持つ側は生き延びて持たざる側は権力の生贄になると。
日本でも年寄の権力者のとんでもない誤りが、沢山の若者達の命を犠牲にした歴史があります。どんなにカルト化しても、内部から変わる事はありませんでした。権力を一掃できる人間は、そのコミュニティに永年属した人間では無理なのでしょう。だから「母」は若いスージーでなくてはいけなかったし、舞踏団に染まっていない他者でなくてはいけなかったんだと思います。
グァダニーノは女性迫害の歴史に対して落とし前をつけてくれたのと同時に現代に生きる私達を鼓舞します。魔女達の血みどろの惨劇は、新たな命を産み出し新たな未来を生み出す出産の象徴とも捉える事ができるのではないでしょうか。女性にしか出産、つまり新たな未来を作ることはできないというメッセージなのか、それとも私の考えすぎなのか。でも、作品から何かを受け取ってしまった私は、恐ろしさと感動に胸が震えています。
I know who I am! ホラーではない・・・
ホラー映画を観る気マンマンで映画館行ったら、全くホラー映画じゃなくってポカーンとした感じです。まぁ、最後のスージー覚醒シーンは好きでしたが、そこに至るまでが長すぎてしんどかったです。もし家で観てたら途中で止めてるかも。
なにぶん昔の「サスペリア」を観た事がないので優劣付けようもないのですが、本作観てから昔のも観てみようとはならないかも。本作ってきっと色んな所にネタを仕込んでいるんだろうけど、長すぎてもう一度見ようって気には全くなりません。
ダコタ・ジョンソンは美人さんですね。本作を観た後に言うのも何ですが、健康的美人さんっぽい。ティルダ・スウィントン三役もやってたんだ?しかもおじいちゃん役まで。こういうのって、きっと監督が意図する事があるんでしょうけど、実質あまり意味ないですよね?なんというか作り手の自己満足的な感じです。サラ役のミア・ゴスはいい子そう。クロエ・グレース・モレッツ何故出た?
何だか色々と詳しかったり、映画を観ていて「ここはこういう事だろう」って深読みするのが好きな方は楽しめるかもしれないのですが、一般人にはハードルの高い作品でした。
21世紀のトラウマ映画になりそうだ
1977年、東ドイツ・ベルリン。
米国オハイオ州出身のスージー(ダコタ・ジョンソン)は、世界的に著名な舞踊団「マルコス・ダンス・カンパニー」のオーディションを受けるにやって来た。
舞踊団ではメインダンサーのパトリシア(クロエ・グレース・モレッツ)が失踪をするという事件が起きており、巷ではバーダー=マインホフ率いるドイツ赤軍によるハイジャック事件が進行していた・・・
というところから始まる物語で、舞台はベルリンに移されているが、時代は1977年でオリジナル版『サスペリア』が製作・公開された時期と重なることから、1971年生まれのルカ・グァダニーノ監督にとっては、よっぽどトラウマ映画だったに違いない。
映画はその後、カリスマ振付師マダム・ブラン(ティルダ・スウィントン)に認められたスージーは入団を許され、その実力からパトリシアの後釜に据えられ、その一方で、パトリシアの失踪を不可解に感じた主治医の老精神分析医クレンペラー博士(ルッツ・エバースドルフ名義=ティルダ・スウィントン)が失踪事件を独自に調査を進めていく・・・と展開する。
スージーが舞踏団の主要演目である「民族」の踊りをするのに合わせて、退団しようとするダンサーの身体がねじれ破壊されるというショッキング描写が前半にあるもの、総じて、いわゆるショッカー描写は少なく、女性たちばかりの舞踏団での不穏さや、クレンペラー博士が第二次世界大戦中に妻と行き別れたという事実などが、これもまた不穏な緊張感を伴って描かれていきます。
既存のホラー映画とは一味も二味も違うテイストですが、この映画の根底にあるのは、二項対立的世界の不気味さと不安定さで、その混沌感が観る者を幻惑・困惑させます。
二項対立の図式は、
物語の背景にあるドイツ赤軍によるハイジャック事件(東西冷戦、資本主義と共産主義)、
物語の根幹にある魔女の物語(男性社会と女性社会)
のふたつがわかりやすいのですが、途中では恐ろしい台詞が出てきます。
「キリスト教もナチズムも、どちらも十字架と儀式によって成り立っている」というキリスト教とナチズムを同じ次元で捉えている台詞です。
異教徒を認めない(ので改宗させる)キリスト教、アーリア人種以外認めない(ので彼らが認めなかったユダヤ人ほかのマイノリティを虐殺した)ナチス。
物語を根幹をなす魔女(三人の魔女がいるが、この物語では嘆きの母マザー・サスペリウム)はキリスト教の出現により、母の地位を引きずり落されて魔女になったといい、クレンペラー博士はナチスドイツによる大量虐殺の生き残りということになっている。
この二項対立がどこへ帰着するのか、それとも帰着しないのか・・・・
映画は、最終的に、スージーが嘆きの母となるのであるが、その前には、嘆きの母を崇拝していた舞踏団内部での大量虐殺が描かれます。
その様子は、深紅、深紅、深紅。
ナチスによる大量虐殺を思わせる地獄絵図。
そして、それを目の当たりにするクレンペラー博士・・・
観ている方としては、混沌ぶりに、幻惑・困惑・混乱するしかありません。
しかし、その混沌ぶりには、どこか歴史の既視感のようなものも感じるのです。
最後、嘆きの母となったスージーは、床についたクレンペラー博士のもとを訪れ、博士の額に手をあて、魔術のような言葉を投げかけます。
「忘れなさい」と。
この言葉、「呪」の言葉なのか・・・
それとも、平穏に生きていくための言葉なのか・・・
エンドクレジット直前に映し出されるのは、クレンペラー博士と愛妻が石の門柱にかつて刻んだふたりのイニシャル。
いまは、忘れ去られたように、蔦に覆われている。
そして、エンドクレジットの後、スージーが現れて、カメラの方に向かって、博士にしたように手を差し伸べる・・・
忘れていいのか、忘れていいのか・・・やはり、忘れてはいけないのか。
21世紀のトラウマ映画になりそうです。
【ヌエの鳴く夜は恐ろしい】
【ヌエの鳴く夜は恐ろしい】・・・間違えました!
【決してひとりでは見ないでください】の意味がわかった。
「テンポが悪い!長時間過ぎる!」
アート作品は認めない症候群のターゲット。
または
「ホラー描写が甘い!説明セリフが多い!」
シネフィルウイルスの感染源になりそうな作品。
(※シネフィルウイルスに関しては「アンダー・ザ・シルバー・レイク」評をごらんください。)
アリオゾフィとその歴史に関する考え方、ナチスドイツ、ベルリンの壁、カルト集団、魔女狩りなど、単独でも複雑過ぎる問題が多牌している。
これが賛否の根源ではないだろうか。
それぞれを散発して、うまく繋げようなんてつもりは全くないないのでしょう。
ただし5章6章のコリオグラフと展開は凄すぎる。
Don’t think feeeel. エピローグでthink
ここに共感ではなく・・・共鳴?共振?可能な観客は大傑作と称えるでしょう。
しかし、そこが、何これ?普通じゃん、そもそも長過ぎる!ってなる観客にとっては退屈な時間。
そんな所をみんなでバーベキューでもやりながら話そうぜ!
なので
決してひとりでは見ないでください。
『サスペリア』(1977)ファンの為の作品!
【ネタバレとしましたが、 難解なので独自の解釈です。】
ダリオ・アルジェント監督の「サスペリア」(1977)は映画の中でも〝神〟的に好きな作品でw
それ以降アルジェント作品に「サスペリア」以上のものを求めて観てしまうのですが「サスペリア」以上の作品には出会えず! 個人的には「サスペリア」はあらゆる偶然が合いまって生まれた〝神〟的作品だったのだと諦めていたのですが (「フェノミナ」まではギリ)…
このルカ・グァダニーノ監督版『サスペリア』はその41年の欲求をすべて満たしてくれる程素晴らしい作品でした。
ただ単にリメイクするのではなく、アルジェントの強いビジュアル、色彩、音楽をあえて排除して、エッセンスだけ汲み取り独自の『サスペリア』に仕上げたグァダニーノの映画創りの魂を感じ、またそこにアルジェントへの敬意をも強く感じられました。
そして肝心なストーリーもリアリティに拘るグァダニーノらしく、アルジェントの「サスペリア」公開時の1977年ベルリンの時代背景に照らし合せ、魔女達の関係や存在意味をよりリアルに描いており、アルジェント版でのバレエ寄宿学校を、ピナ・バウシュ的な現代舞踊の養成所にシフトし、〝舞踊〟=〝儀式〟として描く解釈は説得力がありました。
ビジュアル的にはサブのエピソードを現代アート的なイメージカットをサブリミナル的に挿入し、全編を通して映画を観るというより現代アートの映像を体感している様で、血みどろの魔女の召喚儀式にトリップさせられました。
これもコンテンポラリーアートの映像作品に数多く出演しているティルダ・スウィントンの存在があるからこそ出来た作品だと思いますし、一人三役も見事 でした!!
ホラーという概念をも覆し、脳で感じる恐怖映像作品としてとても芸術的なセンスを感じました。
そしてラスト。単純にストーリーをなぞるのではなく、ちゃんとグァダニーノ作品としてのオチも用意されており、アルジェントの「サスペリア」三部作の「インフェルノ」(1980)から三人の魔女(嘆きの母、暗闇の母、涙の母)をもってきたあたりは鳥肌物でした‼︎
エンドロール、スージーがベルリンの壁を撫でる意味…
真の〝魔女〟とは? 当時のドイツの時代背景を勉強すれば2倍も3倍も楽しめる、まさに現代版『サスペリア』として見事な作品でした。
そういう意味ではホラー映画では無いので、お化け屋敷的なホラーを期待すると何じゃこれ⁉︎ ってなる作品。
激動の世の中と魔女
ダリオ・アルジェントの名作「サスペリア」。今なおカルト的人気を誇る作品だが、本作もまた遠い未来でも語り継がれる名作となるだろう。
本作はリメイク版「サスペリア」だが、新たな視点で描かれた全くの別の作品に仕上がっている。オリジナル版の色調を豊かに表現し、芸術的な才能を見せつけられたあの描写の数々は本作においては再現されていなかったのは残念だったが、本作の表現したい本質はそこではない。
本編が150分というかなりの長さだが、それもそのはずだ。オリジナル版では語られなかった新たな背景を様々な視点で描いているからだ。本編が第一章から第六章で構成されているが、あっという間の150分だった。
物語のベースは同じだ。アメリカからやって来たスージーという女性が、ベルリンを拠点とする舞踏団へ入門する。直ぐに才能が認められ、主役に抜擢されるまでになる。その一方で建物内で不穏な現象や失踪事件が起こり…というオリジナル版とほとんど同じ展開で進んでいく…。
しかし、終盤に差し掛かるにつれて独自の方向性へ。ここまで挑戦的なリメイクは今まであっただろうか。賛否両論が巻き起こったのも言うまでもない。
本作の背景として、時代設定は1977年。
当時のベルリンは情勢が不安定であり、本作でもテロ関連の出来事が起こっている。
1977年と言えばオリジナル版の「サスペリア」の公開年でもあるが、当時は「ドイツ赤軍」の争いが激化し、当時の撮影隊も駅でのテロ攻撃に巻き込まれたらしいが、それらについてはダリオ・アルジェント監督は作品に重ねることはしなかった。
しかし、本作は明らかに主人公の入門した「マルコス・カンパニー」と「ドイツ赤軍」を比較して描いている。不穏な空気が漂うバレエ楽団の生活に、淡々と述べられるドイツ赤軍関連のニュースが響く描写が多く登場する。この二つが直接絡むことはないが、「マルコス・カンパニー」と「ドイツ赤軍」は同じ運命を辿っているものとして描かれているのではないだろうか。
両者とも共通していることは、「過去に巨大な力で押さえつけられた存在」というところだ。ここからは「サスペリア」にある程度の知識があるという呈で書き込むが、魔女は昔、病気の治療などで人々を救う、救世主的な存在であった。しかしキリスト教が浸透していくなか、魔女らの存在は疎まれるようになり、「魔女狩り」にまで発展してしまった。そういう背景があるからこそ、魔女は細々と暮らしていく様になった訳である。一方「ドイツ赤軍」も元々は第三帝国などにより押さえつけられて生活をしていた人々が、反帝国主義、反社会主義を元に立ち上がったものだ。いわゆる「平和」を求めての反乱である。
しかし、1977年のドイツ赤軍は、内乱が発生するなど崩壊寸前である。旅客機をハイジャックし、乗客を人質に政府に対して仲間の解放を求めたのだが、失敗に終わる。
ハイジャック犯は4人中3人が銃殺、獄中にいた仲間は敗北を悟ったのか自殺。その後ドイツ赤軍は自然消滅のような形になった。
「マルコス・カンパニー」はバレエ楽団
を唄った魔女の集団。バレエ楽団を率いるある魔女の「器(またの名を入れ物)」となる存在を探すことを目的としている。もはや双方ともに本来の存在の目的とはかけ離れた存在理由になってしまっている。
魔女らは「入れ物」探し、ドイツ赤軍は内乱。のにち双方とも何らかの形で終わりを遂げることになるのである。
元々の存在意義から逸脱した二つの組織は内部の変化によって失われていくのだ。
この様に本作はホラー映画という枠を大きく越えた、時代と文化を色濃く体現した、壮大な物語なのである。
これをリメイクと呼んで良いのかは置いておき、ホラー映画という表現が限られたジャンルに当時の実際の情勢などを取り入れるというあまりにも挑戦的過ぎる内容に脱帽である。オリジナル版には無かった要素を取り入れると邪魔に思えることもあるが、本作は上手く溶け込み、より深く魔女らの目的や理由を描いている。これは、ヘタなリメイク化への警鐘だろうか。
あまりにも深いテーマと描写の数々で
今後も論争が続きそうである。
嘆きの母
初めから最後迄一体なんの内容なのか全く理解出来ない超難解な作品であった。それはそもそものオリジナル作品を未鑑賞だというのも原因であろう。しかし本作はそもそもオリジナルを“換骨奪胎”しているとの触込みなので、これもまたオリジナリティの強い内容であることは初見でも充分感じ取れる。
多分、余りにも複数の要素を詰め込みすぎた帰来は感じられる。魔女、東西冷戦、ナチス、ユダヤ人虐殺、赤軍派ハイジャック、キリスト教、そして舞踏と、女性だけの世界。それを粒子の粗いマットな映像ルックで撮られており、緊張と緩和を繰り返しながら精神とオカルトへ強引に持って行かれる。
と、どこかで聴いたような感想はここまで。本音を言えば、難解作品極まれり、といった印象だ。説明や経緯は最小限度なので全く不親切であり、そもそも主役が誰なのかもよく分らない。そもそも最初に出演していた女性が誰なのかも、中盤以降やっと理解出来る。一人三役やってる女優もいるのも調べて初めて分ったことだし、クレジットエンド後のカットも、意味深さを充分醸し出させるのが、意図が分らない。
今作品で一番ホラーなのは、何と言っても人体の可動部があらぬ方向へ曲がり、へし折られ、その生々しい骨折と、皮膚の変色であろうことは間違いない。あれこそがトラウマを引き起こすシーンであろうことは疑う余地もない。ストーリー展開そのものよりも、“闇”を表現することに拘った挑戦的な作品である。
ティルダ様がステキだった❤︎トムヨークは天才
トムヨークの音楽とカタルシスのような解放と悲しみで泣きそうになった
素晴らしい映画だった
I am she.
いやゆうんかい!!!笑笑
儀式のところ、かなりのゴアハウンドだったけどあの真っ赤でもうなんだかわからんなかで流れるトムヨークの音楽。そして願いを聞くところ、なんでか知らないけど鳥肌たってまた鳥肌たってが連続して続いて、最後には涙がこぼれ落ちそうになった。
映像も美しいし、素晴らしい作品!
ストーリーも時代背景などが描かれていたことで入り込みやすかったし楽しめた
ティルダ様、ステキ😍
スージーよりサラ派!目が好き❤︎
トムヨークやっぱ天才
まさかのシーンで泣きそうになる
(多分トムヨーク効果)
ヘレディタリーより好きでした!
博士の喋り方が好きだった笑笑
(ティルダ様笑)
舞踊専攻の人たちにみてもらいたい!!
てか感想聞きたい笑
クロエ、、、、
ドイツ語多い笑
ハーパーさんもちょいとだけ
(でも嬉しかったなぁ〜)
ドイツ語?とフランス語多くて英語少なくて前の席で観てた外人さん困ってた笑笑
なぜ英語字幕入れんかった?笑
パンフ売り切れ事件😱
気持ち悪いとこもあったけどそこ乗り越えてもう素晴らしかった!!!!!
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