旅のおわり世界のはじまりのレビュー・感想・評価
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鬼か!と
旅情に不穏感を混ぜ込んだような空気の中で、主人公の前田敦子の佇まいが印象的でした。
怯えたような、気丈なような、張り詰めたような、異国での孤独な存在感が出ており、良かったと思います。
バラエティー番組海外ロケ現場のお話として、シニカルなユーモアも感じました。
遊園地ロケではさすがに、染谷将太ディレクターは鬼か!、と思ってしまいましたが。
また、慌ててWi-Fiの繋がる場所を案内してもらうくだりも、緊迫したシチュエーションながら、その部屋?親切過ぎる!と、なんだか笑ってしまいました。
様々な出来事を経て、張り詰めていたものが和らいでゆくような感じで、ラストは爽やかな和らいだ気持ちになりました。
黒沢清監督作は、ホラー系ばかり観ていたのですが、こんな爽やかな気分にさせられるとは、意外でした。
旅のおわり世界のはじまり
落ち込んでいる時、人生うまくいかないなあと感じている時に観たい映画です。前田敦子ファンではないですが、十分に楽しめました。
仕事がうまくいかず、休日、家にいるより映画でも観に行こうと出かけ、「アラジン」か「メン・イン・ブラック インターナショナル」を観よう思っていたのですが、チケット売り場でエンターテイメント性の高い映画の気分ではなかったので、「旅のおわり世界の始まり」のチケットを買いました。
何気ない、淡々とした内容ですが、ゆっくりのんっびり映画を観ている気分に浸ることができました。最近の映画なら「愛がなんだ」が面白かった人にはお勧めです。TBS-TV「世界ふしぎ発見」が好きな人にも。映画の中で「愛の讃歌」の歌のシーンが2回あり、前田敦子さんが特別に歌がうまいわけではありませんが、単純に良かったです。「愛の賛歌」の唄が凄いだけかな。
客層は老若男女、バラバラでした。
夢と悪夢と迷宮と
広大なそして雑多な見知らぬ国を背景にとても小さな不安を抱えた魂が彷徨う超怪作。中央アジアの夏の日差しを受けて黒沢清監督の集大成にして新たなる旅立ちを高らかに告げる幻想譚。わけもなく涙がでるあのラストシーンにもう一度みたくなる。
自然と自分を重ねてしまう
黒沢清に愛されすぎている前田敦子。
前田敦子は個性的な映画監督に評価され愛されるのに、なんというか、一般受けしない感じがあり(いまだAKB48のセンターの記憶があるのだろうか...)、玄人向け女優みたいになっているが。
周りにほぼ心を開いていない、レポートの笑顔は型通り、異国の地で(これが英語圏なら若干違うのだろうが、何しろウズベキスタンである)警戒心露わに走り抜ける女性。彼氏とやり取りしている間だけ寛いだ表情を見せる女性。前田敦子は不機嫌だったり閉じていたり投げやりだったりする役がとても似合う。恐らく黒沢清はそこを見越している。
何もかもを無意識に頑張りすぎて、結局なにがなんだか分からなくなってしまう女性。自然と自己を投影したくなってしまう女性。周囲のキャラクターを巻き込んで、前田敦子の「葉子」が完璧なまでに立ち上がる。これは私だ、というような。
予想どおりだったが劇的なストーリーはない。しかし、レポーターの割に、外への警戒心が強すぎる故に(しかしその割に側から見ると彼女は無警戒だが...)起きる事件で、彼女は泣く。それまで作っていたもの、壁とか責任感とか警戒心とか、それが剥がれ落ちる。そしてその後に彼女を完全に取り乱させる出来事が起こる。しかし、それは彼女のトリガーを最後に引くひとつの出来事でしかない。何というか、為すがままというか、解けるというか。
前田敦子が歌うと否応無く「Seventh Code」を思い出すのだが、これはMVじゃないので、ある種当たり前みたいに彼女はウズベキスタンで歌う。表情が最高だと思った。歌のまあ、上手い下手は置いておいて、ああ、開けたな、という感じが勝手にした。
まあ殆どあっちゃん無双ムービーな訳だけど、脇役のキャラ立ちは良かったです。染谷将太のあの遣る瀬無い感じとか。個人的は柄本時生と前田敦子が並ぶとやっぱり微笑んでしまう。いつかはブス会4名でがっつり組んだ映画を観たい。まあしょっちゅう彼ら共演してるけどね...
ホラー映画
前田敦子がひたすら迷走していて、ハラハラする。
でも、
本人は心が死んでいるのか、閉ざしているのか何も見えてないし応えない。
最後のシーンも、感動するシーンのようで、コイツ何も成長してねーって感じる。
そういうのを面白いって思える人には面白い映画
思えない人には、全く意味のない映画
終わったあと、後ろの席な女性が
全くわからん。。。って呟いてたのには笑った
黒沢のおわり映画のはじまり
なるほど、自分を見失った女性が異国の地で自分を見つめ直し、再生する。
聞こえは良いが、どうもリアリティに欠ける。まず前田敦子。この人は器用にそれっぽい演技をするんだけど、イマイチ真に役に入ってない感じが見受けられる。どうしても、殻を破れない。既視感ある演技。
脇役陣、まず染谷将太が、ディレクターに見えない。雰囲気とか、チョコチョコ、あるあるネタを入れてくるんだけど、だから?て感じ。手抜き?とすら思える演技。
加瀬亮は、まあ普段通り。やる気があんまりなさそうに見えた。
柄本時生が1番良かった。なんか良い人なADさんが見えた感じ。
歌を目指してるんだか、彼氏に依存してるんだか。中途半端な身の上を脱するポイントだけど、歌やら、美術館やら強引。関係のない事と、異国の地が日本人からみた異国の地に見えた。旅した時の印象と近いかも。でも本当は違うんだけどなあ。キアロスタミっぽい演出してるんだけど、それも前田敦子だと無理がある。
コレは、キャスティングミスが1番だと思うんだけど。
前田敦子ありきでお金を貰って作ってるの?そこが知りたい。
「前田敦子の成長物語」
今年57本目。
「散歩する侵略者」が非常に良かった黒沢清監督が、今作では全く違った作風の映画を作りました。
昨年4月からの1カ月間のロケで、ウズベキスタンに1カ月いて映画を撮ると言う、映画人はみんな命を懸けてやっているんだなあ、と思います。
作品は「舞台で歌う」と言う夢を持った葉子が、色々な出来事を通して、どう成長するかが見所になっています。
歌は必見かなと思います。
世界を理解するということ
スマホやネット情報など自分の世界に閉じこもり、海外に行っても人や街に心を開かず、「あー綺麗」と反射しかしない日本人観光客を見事に描写。
(あと、テレビのクソディレクター描写も見事。あれは監督も役者もよく観察して再現しているなぁと感心)
肌を露出しない国で、短パンで歩かせるなど、「観光客」らしさの強調がうまい。
行った国の人間(個人)や文化、歴史を理解しようとしなければ、単に「行っただけ」になる。
その単なる観光客でしかない「旅」を終えて、「世界」を改めて見るようになった姿を、感覚的に捉えさせてくれました。
その意味では、タイトルってネタバレじゃないの?と思わなくもない。
実は、こんな姿勢は日本にいても同じ。
自分の狭い尺度だけで「世の中が悪い」「自分が何をやりたいかわからない」などと言うだけで、他人や社会を理解しようとしないのは、子どもっぽい独りよがりでしかなく、本当の意味で大人になっていない、というメッセージを受け取った気がしました。
黒沢清監督の作品は、私の肌に合うなぁ。
ただ1点、ヤギのエピソードは、「1人頼りなく、あやうく登っていき、世界に向き合う自分」を重ねるためのものなのかもしれないが、十中八九、野犬や狼に殺されるから、あんまり好きな表現じゃなかった(群に寄せて放すか、放牧スタイルの畜産家に預けるならわかるけど)。
自分を見つめる旅だけど・・・
前田敦子のファン、且つウズベキスタンに行ったことがあるので懐かしくて見に行った。
役者が皆素晴らしい。本当に皆それっぽいし、変に自己主張しないので見ていて心地よかった。
あの年代はずっと自分探しをしていたことや、変に片意地張っていたことも想い出した。全体的に落ち着いたトーンでドキュメンタリーのようで、心に残る映画だった。
しかし、前田敦子よ、もう少し太った方が良い。貧相な少女にしか見えない体は大人の女ではない。そして衣装さん、あのイスラム圏であんなに足を丸出しにさせないで欲しい。日本の男性の「自分が支配できる位置に置きたい」少女好みも、いつまでも少女のままでいたい若い女の希望も、ちっとも美しくない。日本の若い女は貧相で悲しい。
それから海外レポートをするような女性はあそこまで無知ではないのでは?以前菊間千乃アナウンサーが転落事故に遭ったけど、彼女はその後弁護士になった。あっちゃんをもう少し知的な、でも道に迷っている女性として描いても良かったと思う。
前田敦子のPVのような映画❗
星🌟🌟🌟🌟前田敦子のPVのような作品でした❗一応ストーリーはあるのですがやはり前田敦子しかあんまり印象に残らない…あと黒沢清監督は前田敦子がお気に入りだそうで…❗彼女のアップは凄く綺麗に撮れているし彼女以外出演した俳優のアップはなかったような気がします😁❗私個人は上演中退屈しなかったし半分ドキュメンタリーを観てるようで楽しめたのですが…やっぱり染谷将太、加瀬亮の出番が少なかったのは残念です❗彼女とブライベートで仲の良い柄本時生はまあまあ出番はありましたが…
心が解放される感覚を覚えます。
『旅のおわり世界のはじまり』観てきました。
同じ映画を何回も観に行くのはオタクあるあるですが、連日と言うのは初めてかもw
二回とも同じ所で泣きました。
心が解放される感覚を覚えます。
これ旅好きなら絶対見なきゃいけないレベル。
なんかもう一回くらい観に行きそうな…
前田敦子扮する葉子の旅先での行動が私そっくりで、単身旅行者あるあるです。
『累』での土屋太鳳や芳根京子みたいな分かりやすい熱演もいいけど、本作の男性役者、染谷将太、柄本時生、加瀬亮みたいな渋い妙演も良いですなぁ…
あっちゃんの演技についてはノーコメントで。
演技の「強度」と「精度」
役者の演技の(上手い / 下手)を測るモノサシは2種類あって、ひとつは「演技の強度」というモノサシと、もうひとつは「演技の精度」というモノサシがあると思ってる。
「強度の演技」は、泣いたり怒ったり叫んだりという、いわゆる“熱演”と言われるものや、キメどころでバシッとキメるという“カッコ良さ”で観客を魅了する。昔の映画や俳優は比較的この「強度」というモノサシ優先で設計されて作られたり、評価されてきたような気がする。演じる男優や女優がイケメンだったりキレイだったりすると、その要素は「強度」に加算される。だから現代に評価されている昔の俳優は、二枚目や美人が多いんだろうと思う。
「精度の演技」は、例えば悲しみと怒りの中間の感情とか、好きと嫌いの混ざった気持ちとか、登場人物の微妙な心情を、目線やまばたきや表情のニュアンスで精密に再現する。「目は口ほどに物を言う」なんて言葉があるけど、例えば「目の大きい俳優」がスクリーンでアップになると、スクリーンのうちの「目」が占める面積は大きくなり、その面積が大きく見開かれたり、細く伏せられたりすると登場人物の心情がより観客に伝わる。僕が個人的に「精度の演技が上手いな」と思う俳優は、目や他の顔のパーツが大きい人が多かったりする。
正義のヒーローや、絶世の美女や、凶悪な犯罪者というようなキャラの濃い登場人物は、「強度の演技」で見せられるのが面白い。
普通の社会人や、冴えないおじさんや、その辺にいそうな若い娘というような登場人物は、「精度の演技」で見せられるのが、リアルで感情移入しやすい。
「強度」と「精度」のどちらがエライとかいうわけではなく、それはその映画が登場人物にどちらの要素を求めるかによって変わってくるのだけど、多くの観客が理解して評価しやすいのは「強度」のほうであると思う。
『旅のおわり世界のはじまり』は、「精度の演技」がスゲー!と唸った映画。
「普通じゃないはずの前田敦子の、演技の精度がスゴすぎて、“普通の女の子”にしか見えない!」
これがこの映画のイチバンの見どころであり、絶対の成立条件なんだと思う。
「前田敦子が“素”で演ってるだけじゃね?」なんて言う人がいるかもしんないけど、“素の前田敦子”なんて元AKB不動のセンターだもん、普通の女の子なわけねーよって話。
「じゃあ、普通の女の子連れてきて“素”のまま演らせたらいいじゃん」って言う人もいるかもしれない。でも映画を撮るっていう異常な状況の中で、普通の女の子が普通でいられるわけがない。ドキュメンタリですら普通の人は普通じゃいられないのにって話。
つまり、劇映画のスクリーンに“普通の女の子”を再現するのはスゲー技術が要ることで、それが普通にできてる前田敦子はスゲーって話。
そもそも“普通の女の子”って何だよ?って。そんな定義はないはずなのに、スクリーンに映ってる前田敦子は普通の女の子にしか思えない。それはつまり“概念としての普通の女の子”を「精度の演技」でもって具現化してるってことだと思う。
中でも僕が特にスゲー!と唸ったのは、序盤に出てくるグルメリポートの場面。ウズベキスタンのチャーハンみたいな料理を食レポすることになるんだけど、店のおばちゃんがグズって、ちゃんと加熱してないお米がカリカリのチャーハンが出てくるの。で、スタッフが感じ悪く料金倍増しして交渉するんだけど、結局、そのお米カリカリチャーハンを食レポすることになる。
カメラが回って前田敦子は、「お肉がやわらか~い!野菜の甘みが・・・」とか頑張って食レポする。この時の前田敦子の「演技の精度」がハンパない。
スタッフに雑に扱われてる悔しい気持ち、
やるしかないから開き直ってる気持ち、
ゴネてるおばちゃんにイラッとする気持ち、
ていうかこの米のカリカリは「ないわ〜」という気持ち、
でも自分の芸能活動の成功に向けて頑張ってる気持ち、
でもその頑張りもいいように利用されてることが薄々わかって情けない気持ち、
そんないろんな気持ちを言葉で伝えるようなモノローグはない。
しかも口に出せるセリフは「お肉がやわらか~い!野菜の甘みが・・・」って食レポ。
さらにスゴいのはその食レポが“微妙に下手”っていうこと。
いったいいくつの感情の表現を同時にやってんの!!?って。
1ミリたりとも良い場面じゃないのに、僕は感動しちゃった。
「黒沢清監督の新作映画」としてはどうだったか?
全体としてはちょっと意外な仕上がりの「白い黒沢映画」だったけど、「オレの見たい黒沢節」はシッカリあった。
黒沢清監督独特の、「コワさ」と「おかしさとヤダ味」の演出。
「コワさ」としては、前田敦子が夕食の買い出しにバザールに出かける場面に顕著。その帰り道の暗いこと、コワいこと・・・。別に幽霊的な何かが映り込むわけでもないし、ギャング的な何かが襲いかかってくるわけでもない。ただ裏通りに入った瞬間の「黒い暗さ」!コワい!!
子どもっぽい歩き方、車道を横切る時の危なっかしさ。前田敦子が“普通の女の子”だからヒヤヒヤ心配!!
「おかしさとヤダ味」については、冒頭から序盤、件のチャーハン場面も含めたTVクルーたちのキャラが、おかしいくらいに淡々としていて最高にヤな感じ!
前田敦子を置き去りして、遅れて来た前田敦子を誰もチラリとも見ない。リポートに対するダメ出しも冷酷なくらいに無感情。過酷な撮影後にまずチェックするのは、前田敦子の体調じゃなくカメラの状態。別にスタッフ誰一人として前田敦子に意地悪でもなく、罵声を浴びせるでもなく、ハラスメントしてるわけでもないのに、笑えてくるくらい感じワルイのが絶妙。あの遊園地のアトラクション(?)の場面なんて、直視するのがキツイくらいの残虐さだった。地獄!!
でも本作はホラーでもスリラーでもない。だからコワさやヤダ味の「黒沢節」は、この映画のメイン要素じゃない。それゆえ「いつもの黒い黒沢映画」を求めて観た人にとっては「物足りない」とか「コレジャナイ」とか、なんなら「つまんない」という印象を持つかもしれない。
本作の物語は「普通の女の子が、自分の進みたい道に歩き出すまでの話」。タイトルになぞらえて言うなら「“ここではないどこか”を探す旅が終わり、周りの人を認めて自分の足を地につけた世界がはじまるまでの話」。大きな事件(東京湾は別にして)も、不可解な謎も、ラスボスとの対決もない、登場人物も多くないシンプルな物語。それを120分の尺で描くと、どうしたって淡白な映画になるし、飽きちゃう観客もいるだろうと思うし、実際映画サイトで叩いてるレビュアもいる。
でも僕が120分を退屈することなく楽しめたのは、前田敦子をはじめとする加瀬亮、染谷将太、柄本時生の「演技の精度」がスゴかったからだ。しかも加瀬亮も染谷将太も柄本時生も、登場人物として身体も感情も「あまり動かない役柄」だから、その分「動いて物語を牽引する役柄」は前田敦子が一手に背負うことになる。
起伏の少ない物語が、120分という尺の中でダレがちになりかねない“間”を、前田敦子の演技で見せ切っているということだ。
これは黒沢清監督にとって、けっこうな賭けなんじゃないかなと思うし、それは役者に対する信頼と自信があるからだと思うし、その賭けに対して前田敦子はキッチリ応えてる。
「演技の精度」というモノサシを持参して、是非劇場で楽しんでもらいたい作品だと思う。
噴飯もの
なぜここまでよさげな俳優が脇を固めていて
このような結果になるのか…不思議でした。
撮影時間がなかったのか?
監督にやる気が出なかったのか?
何かしらのバイアスがかかったのか?
脚本が特によくなかったのかも。
歌った
職人監督としての仕事
そこに景色があり
その上に何かの話がついてきたのだろう
何かの話がただ何かではなく
皮肉めいたドライなシーンが愉快だった。
前田敦子が歌う前から感情が出てしまっていたのが気になったが
いい景色と、適度なお話だった。
構えずにビールでも飲みながら楽しみたい映画だと思った。
前田敦子とウズベキスタン好きにオススメ
前田敦子がたくさん見られます。ファンにはたまりません。
ウズベキスタンがたくさん見られます。興味のある方にはたまりません。
私はどちらも大ファンという訳ではなく、好きな俳優も出てるので鑑賞。
前田敦子はとても綺麗でした。可愛い。本当に少女のよう。演技も悪くないと思います。もう、ただの元アイドルではありません。
主人公の女性は売れないアイドルのような一面があるので、前田敦子がもし売れなかったらこういう人生だったのかと思ったしまいました。そういう意味では、前田敦子がこの役をやるのは興味深い。
ウズベキスタンもとても綺麗でした。
度の中で女性が成長して行くのか、何か事件が起きるのか、、、とくに何も起きない。
知らない国で、そんなミニスカートで夜ウロウロして良いのか?「WiFiどこ?」とか、バカ女ぶり。中学生や高校生ならまだしも、大人がやることではない。
ウズベキスタンは安全で良い国ということをアピールするPR動画かな?
どんなに綺麗でも最後まで意味がわからなかった。
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