旅のおわり世界のはじまりのレビュー・感想・評価
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山頂の景色は、登った人にしか見えない
旅をする時って、楽しいようで、どこか一歩引いた目線で世界を眺めてしまう。自分が、目の前にいる人達とは何か別のものに所属し、別の場所を目指している人間であると、ある意味線引きをすることでもある。
何にでも「No Thanks」で片付け、好意のお弁当にも鼻から見向きもしない葉子の旅路は、「本当は私は歌手なのに…」と、目の前の仕事を心の中で遠ざけてきた、今までの生活と重なる。物見遊山的な人生。
加瀬亮に「君撮るの面白いよ」って言われるほどテレビリポーターとしては優秀だし、結婚までいきそうな恋人がいるなど、
しっかりと自分の人生を歩んできた軌跡はあるのに、自分で「本当にやりたいこととはどんどんズレていって」と、世界に線を引いてしまう。
しかしそんな中、警察のおっちゃんやテムルが心の扉をノックしてくれたおかげで、
実態を知ろうとしないままレッテルを貼っていた外国の街並みにも、血の通った同じ人間の営みがあることを実感する。
価値が無いと決めつけていた周囲に、自分の知らない可能性があることに気づく。…その後日本に帰れる状況なのに、残って仕事に励んだってことは、そういうことでしょう。
そして恋人の生死が確認されたことで、自分の人生の中で「愛」が確信のあるものと気付く。
(テーマ曲が愛の讃歌なのは、人を愛することって、唯一、自分の内側から確信を持って溢れ出るものだからじゃないか?仕事や夢や物事の価値判断なんかは、色んな主観や要因で変わってしまうけれど)
ほんで、山羊のオクーちゃんが、山のてっぺんに向かって生き生きと駆け上がっていく様子を見て、確信する。
かつては、「自分でロープを断ち切ることもできた。本当は何を望んでいるの?」と尋ねたりもした。でも、監禁されたり野に放たれたりされた、オクーちゃんの人生は、オクーちゃんにしか分からない。
同様に、自分が歩んできた旅路は、自分しか見たことのない景色なのに、 それを見たことのない誰かに良いとか悪いとか決められるのか、と。ましてや自分が決められるか、と。
山のてっぺんは、登るために価値があるとされる目的地ではなく、登ってきた瞬間にだけ鮮明に感じられる景色(世界)である、と。
2回見て、このくらいの理解。映画のタイトルそのものが、ネタバレ。
豪華キャスト!
女優、前田敦子。
黒沢清監督は、女優、前田敦子の良さを1番よく知ってる監督だと思う。
ウズベキスタンで映画を撮りませんか?という企画から、
生まれたヒロイン映画。
前田敦子がヒロインでと脚本も監督自身のオリジナル。
ウズベキスタンに、撮影クルーのレポーターとして、加瀬亮、染谷将太、柿本時生、と共に、前田敦子演じるヒロインは同行してるのに、ポツンといる佇まい。
街中をさまようヒロインを追うように黒沢組の芦澤明子さんの撮影も黒沢作品としてはかなり自由に動いているのが新鮮。
コトバがわからない現地で、無茶なレポートをしていく中で、
カメラが回る間の笑顔とカットがかった途端、素の表情になる。出会う動物。ヒロインが歌う歌。
黒沢清監督とは
「Sevens Code」は前田敦子の曲のショートフィルム的な60分の作品。ローマの映画祭で複数の賞を獲得するのもわかる60分に意外な展開のある紛れもなく黒沢清映画。
「散歩する侵略者」は出番は少ないのに、前田敦子でしか演じられない瞬間。
これからも黒沢清作品の中の前田敦子を観ていきたい。
おもてなしの国
ちょうど半年前にウズベキスタンを旅したので、タイミングが合って鑑賞しました。メディアに映る異国の地もメディアに映る自分の姿も一部だけを切りとって分かった様な気になってしまう。そんな現代の違和感を主人公を通して感じました。SMSも同じですよね。
プロフはウズベキスタンではとてもポピュラーなメニューなので、どこのお店でも大鍋に作り溜めしていると思います。わざわざ撮影の為に作って貰わなくても、無かったらどこのお店にでもあるのでは?と思うのは、私がウズベキスタンに行った事があるからです。また、ウズベキスタン人は、お土産屋さんを除いてあんなにがめつい感じではありませんでした。国民のホスピタリティ最高でしたよ。私が出逢ったウズベキスタン人も一部ではありますが。旅番組を作る映画の裏方にリアリティが無いと思わせたのだとしたら、凄いですね。
前田敦子のガンバルマン
それじゃ怪魚なんぞ獲れんだろw
バイカル湖でいっその事水着姿で踊ってくれれば良かったものの、、、ぽ〜にぃて〜る〜、、。
〜あらすじ〜
冴えないB級番組収録の為、女性リポーターを演じるネガティブ洋子がウズベキスタンに行き奮闘する話。
ってか、中盤までのB級番組収録のくだり、どうにかならなかったのかな、、、と。
収録が上手く行かないくだり、上を目指すためにはこんなショボい収録番組でもステップアップしなきゃと頑張る人間模様&もがく姿は分かるが、その描き方が面白く感じない。💦
食事ネタとかヤギのネタとか、、ネタって言えないんだよね。B級番組や地方ローカル番組に逆に失礼。
収録時間外の前田敦子、もがきながらも探索するウズベキスタンでの展開、後半が生きないんだよね。
展開◯、脚本✖️。
前田敦子のイヤイヤガンバルマン感は悪くない。
彼女にもう少しアクティブ感があればガラッと映画は変わっただろう。
ネガティブで愛の讃歌を歌われても困る。
異国の地は安心すれば溶け込むもんです。
素のままの様なウズベキスタンと撮影はいいだけに残念。
合う合わないがある
前評判が上々で、玄人受けする黒沢清監督なのと、
最近の前田敦子は目を見張るものがあるので、観に行ってきました。
観終わって、私には合いませんでした。
もうね、前田敦子にこういう「根性のあるバカ女」役はお腹いっぱいです。
これまでも何度も観ました。
彼女の可能性はもっと違う気がします。
ウズベキスタンの土地と風習、日本人の感覚との差異、
言いたいことは理解できましたし、絵も美しかったです。
でもね、こんないい役者たちを使っておいて、
贅沢な素材を使って、雑に盛り付けた料理みたいです。
勿体無い。それしかない。
エンディングの歌も、
下手なのは問題ないですし、ディレイなしの生歌で表現したかったのも解りますが、
なんであんな素晴らしい景色で接写なんだろう…。
いろいろ、うーん、うーん…な作品でした。
「旅のおわり世界のはじまり」観ました。前田敦子がホテルの窓を開けた...
「旅のおわり世界のはじまり」観ました。前田敦子がホテルの窓を開けたら、風が吹き込んでカーテンがフワフワするシーンに、黒沢清映画フェチとして、「おー!きた!」と盛り上がりました。えーと、感想はそれぐらいかな
退屈だった
ドラマが薄くてテンポもわるいため退屈できつい。特に山羊を逃がすとか、本当にそれでいいのかと疑問を抱く。山羊を売った連中も、撮影隊がいなくなってから回収に行けばいいのに、もめるに決まっていて、バカなのか。前田敦子が『愛の賛歌』を歌うところはよかった。日本人が現地の人になじもうとしないのはリアルだったような感じがする。
タイトルなし(ネタバレ)
☆☆☆☆
第1章 自分探しの旅
主人公は(おそらく)無名な旅番組のリポーター。
寝坊してしまい、自力で撮影隊を追い掛けなければならない様な立ち位置にいる。
以後、色々と撮影するも自身の心は満たされない。
映画自体もこの時点では、一体(映画全体で何を表現しようとしているのか?)何を撮ろうとしているのか?は謎だ!
ただ、ぶっきら棒な顔を終始している前田あっちゃんと、適当に撮影している様に見えるカメラマン役の加瀬亮。何かにつけてジャパンマネーをチラつかせては、簡単に事を解決するのを選択する染谷将太等。どうやら全員が、自分自身が今置かれている立場に満足はしていない様に見受けられる。
そんな時に前田のあっちゃんは突如街へと繰り出す。
ちょっとした買い物をはするが、一体何の為に街へ出るのかが分からず。観ていて困惑してしまうのだが、そんな折に前田のあっちゃんは寂しそうな1匹の山羊を見つける。
映画は、見るからにこの1匹の山羊と。前田のあっちゃんを一対の様な存在として見ている様に見える。
「この山羊を解放してあげたい!」
その想いこそは、満たされない毎日にあがき続けている自分に対し。目の前の希望に迎え!と言っているかの様に…。
第2章 歌への渇望
毎度毎度、街へと繰り出す前田のあっちゃん。
まるで迷路の様な街並みをウロチョロウロチョロ。
それでいて、しっかりとホテルには帰れてしまうのが、全く持って意味不明なのだが(笑)
そんなある日。美しい歌声を耳にし、或る劇場へと迷い込む。
実は、前田のあっちゃんの夢は歌手で。歌への渇望が強い。
この時に、舞台で熱唱する前田のあっちゃんと、客席でそれを聴いている前田のあっちゃん。
その導入の入り方。更には(何故だかホテルに戻っている)目が覚めた時の部屋のノックの音。風に揺れるカーテン。揺れる陽だまりの妖しさ。
『岸辺の旅』や『ダゲレオタイプの女』等、近年の黒沢清映画で表現されて来た。単純なホラー映画とは一線を引く、(一般映画なのに)黒沢清流ホラー描写が観ていて楽しい。
ホテルの部屋の中で、意味なくゴロゴラと転がる描写等は。その直前に妖しく光る陽の光と共にこの作品で最高の白眉のシーンでした。何よりもその意味の無さが(^^)
第3章 迷路
進まない(尺が埋まらない)撮影。そんな時に、先日行った劇場の話題が。
その劇場こそ、日本人捕虜が建設時に尽力した劇場だった。
生きて帰れるのか分からないのに…。そんな日本人捕虜の心の奥底と、今置かれている自分の立場の位置を探す日々との比較を…。
…………流石、黒沢清と言うべきなのか?兎にも角にも、そんな美談なんぞは清の心には全然刺さらなかったらしい(´⊙ω⊙`)
だから、前田のあっちゃんは再び街を徘徊し始める。しかも今度は或る意味で表現者として。
それまでは自分を押し殺して来たからホテルに戻れた…のか?今度は表現者になった事で後戻り出来なくなったのか?全く持って清の考える事はなかなか理解出来ん(u_u)
しかし、この時に東京で或る災害が起こり…。
「原発ですか?」
何気なく言った一言。この一言こそ、前作の『散歩する侵略者』に繋がる台詞ではないだろうか?山羊を巡る騒動での、あっちゃんが全速力で走る横移動のカメラワークもやはり『散歩…』を彷彿とさせる。
第4章 エピローグ
映画は半ば強引に大団円を迎えるのだが。
まさかまさかの…。
『サウンド・オブ・ミュージック』とは
ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
あっちゃんが、ジュリー・アンドリュースになっちゃった〜٩( ᐛ )و
何だかんだと不思議と感動させられてしまったな
〜。
何よりも、そのいい加減さの素晴らしさが全てと言って良い(*´ω`*)
ラストカットの美しさは筆舌に尽くしがたい。
まるでこの1カットの為だけに、それまでに2時間とゆう長〜い時間を掛けて来たみたいに。
まだまだ清は見過ごせん!
2019年6月18日 シネ・リーブル池袋/シアター1
ウズベキスタンと前田敦子を堪能できるのは間違いない
ほぼずっと前田敦子演じる主人公・葉子のエピソードのみで物語が進行するので、スクリーンに映るあっちゃんの表情をたっぷり堪能できます。
ウズベキスタンで現地レポートするTVレポーターという設定なので、ナチュラルメイクでラフなスタイルですが、だからこそ彼女の持つ魅力が引き立っていたなと感じました。(あっちゃんファンというわけではありません)
物語も「世界ふしぎ発見!」の裏側を見ているような面白さがあります。1分の尺を撮るのにこんなに過酷なロケをしてるのかと、TVマン達への尊敬の念さえ抱きました。特に絶叫マシンレポートは観てるだけでキツイ・・・。
一方で、葉子の行動にイライラする面も。英語も話せないし若い女性、それに「私は結構用心深い」と自分で言ってるのに(フリなのか?)、夜の人気が少ない場所へ出歩いたり、一人で突っ走って迷惑をかけたり。一応反省はしているようですが、そんな葉子を誰も叱責しないのも気になりました。
また、ミュージカル女優を目指しているため歌唱シーンがありますが、もう声量が無さ過ぎて聴いてられない・・・。歌が下手なわけじゃないのですが、とにかく声が細いので、これでミュージカル出たいと言われても・・・。
どうしても気になる箇所もありましたが、人や国を見た目や偏見、情報だけで判断するのではなく、自分で感じたこと・見たことを大事にしていけばもっと分かり合えるというメッセージはとても良いし共感できました。
とはいえ、危険な国でふらふらするのは危ないので注意。笑
すがすがしいほどの
黒沢清監督、どうかしちゃったんでしょうか。
主人公の行動がとにかく不自然で、どこからか持ってきたようなエピソードを切り貼りしたような物語。ヤギを逃がすくだりとか、ふざけてるとしか思えない。愛の讃歌も、笑ってしまった。
前田敦子は、やっぱり演技も歌もできないなと確認するために公開しているんでしょうか。誰も得しない駄作。
運は誰にとっても平等です
「Wi-Fiどこ?」
彼らのつくっている番組はどんなものなのか。
彼らはどんな画を撮りたいのか。
映画の初めから、葉子(前田敦子)は何かモヤモヤを抱えているように見えますが、
そのモヤモヤが何なのかはおそらく自分ではわかっていなくて、
なぜモヤモヤしているのかを探ろうともしていないように見えます。
だからもちろん、僕たちにもそのモヤモヤがなんなのかはわかるわけありません。
ただ、はっきり言えるのは、葉子のモヤモヤの原因は、
ウズベキスタンという日本から遠く離れた慣れない土地にいることではないということです。
岩尾に「歌が歌いたい」と告白しても葉子の心は満たされません。
また、葉子だけではなく、撮影クルーというコミュニティ全体を見ても「撮りたい画」が撮れないことにイライラしているように見えます。
ディレクターの吉岡(染谷将太)は、「撮れ高」を気にしてはいますが、果たして「撮りたい画」があるのでしょうか。
カメラマンの岩尾(加瀬亮)は、職人気質で仕事をこなしてはいますが、果たして「撮りたい画」があるのでしょうか。
ADの佐々木(柄本時生)は、気さくでテキパキしていますが、果たして「撮りたい画」があるのでしょうか。
きっとあるのでしょうが、誰もそれを言葉にはしません。
撮影が順調に進まないこともありますが、それだけではないでしょう。
だからもちろん、僕たちにもそのイライラがなんなのかはわかるわけありません。
ただ、はっきり言えるのは、「撮りたい画」が撮れない原因は、
ウズベキスタンという日本から遠く離れた慣れない土地にいることではないということです。
囚われのヤギを解放する画を撮っても撮影クルーの心は満たされません。
映画に流れている、このぼんやりした倦怠感、鬱積感が一変するのは、
葉子がウズベキスタンの警察署で「東京湾の石油コンビナートの大規模火災」を見たときです。
東京湾で消防士として働く恋人に連絡を取って安否を確認したいあまり、
葉子は「Wi-Fiどこ?」と言い放ちます。
ウズベキスタンにある彼女が、ここで初めて周囲の人に「要求」します。
この真剣味のある「要求」が持つ意味を理解できない人はいないでしょう。
つまり、この時の葉子の気持ちは、国籍など関係なく、周囲の誰しもが理解できます。
この時、葉子は「世界と同化」したのです。
日本語の「世界」にはいろいろな観念がありまして、
英語にすると World や Universe がありますが、この場合の「世界」はどちらでもなく、
「自分が今まさに現実に知覚しているものによって脳が描き現したすべて」という観念で、
あえて平易な言葉に置き換えれば「状況」です。
ウズベキスタンという見慣れぬ土地で、世界と同化する経験を経た葉子は、
その後、ようやくウズベキスタンの景色をありのままに知覚できるようになったように見えます。
葉子の言葉で置き換えれば、「心がついてきた」ということでしょうか。
ラスト、世界に「心がついてきた」葉子は、
ウズベキスタンの雄大な光景をバックに歌を歌います。
「世界と同化」しなければ、歌は歌えませんし、「撮りたい画」は撮れません。
彼らのつくっている番組はどんなものなのか。
彼らはどんな画を撮りたいのか。
そこには一切触れずに、映画のおわりまで誘うのはさすがというより他ありません。
不思議な作品
観終わって
「何か不思議」がまず出た感想
結局なにが言いたいのかよくわからない
というのが、正直なところ。
でも、作品として悪くはない。
ある種ものすごくリアリティがある。
元々やりたかったわけではない
レポーターの仕事。
よくわからない異国。
自分だって、ああなっちゃうだろうな
って気はする。
「大丈夫です」とか言っちゃって
自分ひとりでなんとかしようとして
怖い怖いって交流を避けて
走って逃げてまともに買い物出来ない。
スタッフにお願いとかすればいいのに
出来ない(したくない)感じ。
何かよくわかる。
その辺すごいリアルな感じする。
それを前田敦子が演ってるのも
またリアル。
でも、作品全体として見ると
何が始まって何が終わったのか。
何も無い、という気もする。
なんなんだろう。
なんかが足りないのかな?
イイんだけど勿体無い。
何か不思議な感じする。
愛の賛歌…
惜しい作品
葉子の感情の動線が追えなくて、途中で何度か現実に引き戻される。
なぜ、1人でバザールへ行くのか?
なぜ、ヤギを開放したかったのか?
なぜ、猫を追いかけたのか?
なぜ、明らかに警備が厳しい場所で一度止められたのに撮影したのか。
なぜ、最後に歌ったのか?
スマホがあるなら、google翻訳を使えば現地人との多少の意思疎通は出来るはずだし、警戒心が強いならそもそも1人で行動しない。
現地人との交流を求めてるわけでも無さそうに見えるから、行動する理由が伝わってこない。
ヤギに自身の何を投影したのか。
撮影隊の存在を忘れるほど熱中する何かが猫にあったのか。
あと、初めての異国の地の地理を把握する能力高過ぎじゃない?
ストーリー自体は悪くないはずなのに、なんだか疑問が多く残る作品でした。
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