「「Wi-Fiどこ?」」旅のおわり世界のはじまり stさんの映画レビュー(感想・評価)
「Wi-Fiどこ?」
彼らのつくっている番組はどんなものなのか。
彼らはどんな画を撮りたいのか。
映画の初めから、葉子(前田敦子)は何かモヤモヤを抱えているように見えますが、
そのモヤモヤが何なのかはおそらく自分ではわかっていなくて、
なぜモヤモヤしているのかを探ろうともしていないように見えます。
だからもちろん、僕たちにもそのモヤモヤがなんなのかはわかるわけありません。
ただ、はっきり言えるのは、葉子のモヤモヤの原因は、
ウズベキスタンという日本から遠く離れた慣れない土地にいることではないということです。
岩尾に「歌が歌いたい」と告白しても葉子の心は満たされません。
また、葉子だけではなく、撮影クルーというコミュニティ全体を見ても「撮りたい画」が撮れないことにイライラしているように見えます。
ディレクターの吉岡(染谷将太)は、「撮れ高」を気にしてはいますが、果たして「撮りたい画」があるのでしょうか。
カメラマンの岩尾(加瀬亮)は、職人気質で仕事をこなしてはいますが、果たして「撮りたい画」があるのでしょうか。
ADの佐々木(柄本時生)は、気さくでテキパキしていますが、果たして「撮りたい画」があるのでしょうか。
きっとあるのでしょうが、誰もそれを言葉にはしません。
撮影が順調に進まないこともありますが、それだけではないでしょう。
だからもちろん、僕たちにもそのイライラがなんなのかはわかるわけありません。
ただ、はっきり言えるのは、「撮りたい画」が撮れない原因は、
ウズベキスタンという日本から遠く離れた慣れない土地にいることではないということです。
囚われのヤギを解放する画を撮っても撮影クルーの心は満たされません。
映画に流れている、このぼんやりした倦怠感、鬱積感が一変するのは、
葉子がウズベキスタンの警察署で「東京湾の石油コンビナートの大規模火災」を見たときです。
東京湾で消防士として働く恋人に連絡を取って安否を確認したいあまり、
葉子は「Wi-Fiどこ?」と言い放ちます。
ウズベキスタンにある彼女が、ここで初めて周囲の人に「要求」します。
この真剣味のある「要求」が持つ意味を理解できない人はいないでしょう。
つまり、この時の葉子の気持ちは、国籍など関係なく、周囲の誰しもが理解できます。
この時、葉子は「世界と同化」したのです。
日本語の「世界」にはいろいろな観念がありまして、
英語にすると World や Universe がありますが、この場合の「世界」はどちらでもなく、
「自分が今まさに現実に知覚しているものによって脳が描き現したすべて」という観念で、
あえて平易な言葉に置き換えれば「状況」です。
ウズベキスタンという見慣れぬ土地で、世界と同化する経験を経た葉子は、
その後、ようやくウズベキスタンの景色をありのままに知覚できるようになったように見えます。
葉子の言葉で置き換えれば、「心がついてきた」ということでしょうか。
ラスト、世界に「心がついてきた」葉子は、
ウズベキスタンの雄大な光景をバックに歌を歌います。
「世界と同化」しなければ、歌は歌えませんし、「撮りたい画」は撮れません。
彼らのつくっている番組はどんなものなのか。
彼らはどんな画を撮りたいのか。
そこには一切触れずに、映画のおわりまで誘うのはさすがというより他ありません。