「黒沢作品は、芸術性の高い難解な作品だ」旅のおわり世界のはじまり 突貫小僧さんの映画レビュー(感想・評価)
黒沢作品は、芸術性の高い難解な作品だ
作品の「核」が判らないのだから、評価が出来ない。評価は、けして「星、ゼロです。」という意味合いではない。
黒沢清監督作品だ。「岸辺の旅」以来だろうか。彼の難解な作品にチャレンジ!
昨夜、映画「東京物語」を久しぶりに観た。小津監督の作品が大衆向きであるのに対し、黒沢氏の作品は、芸術性の高い作品と言える。やはり、よく判らない作品だった。私は、この作品が何を言いたいのか皆無だ。ラストの葉子の歌う「愛の賛歌」とウズベクの雄大な自然が上手く調和しているなと感じたぐらいで。どうして「愛の賛歌」を歌ったのか、「山羊は、果たしてオークであったのか」は意味不明。キャスティング、音楽は非常に良かった。「トウキョウソナタ」の時もドビュッシーの「月の光?」が非常に良かった気がする。
誰のどんな世界がおわり、誰のどんな世界がはじまったのか。??? ドキュメンタリー製作のために最低でも、ウズべクに行ったのは判った。黒沢作品は、どうしても「何を言わんとしているか。」観終わっても謎。「映画とは、誰が見てもなにがしかの印象を与える大衆向けの娯楽の一つである。」という持論を、180度覆す作品ばかりである。私のような凡人向きではないということか。判らないなら観なくてよいと謳っている作品ばかり。それなりに、世界でも評価されているから評価すべき作品群なのだろう。
通訳を介しての会話は、映画の流れを非常に削ぐものだと感じられた。誰か一人英語が話せる日本人を通訳として 雇うべきではないか?
個人的に作品中に葉子がやたらスマホを打つ場面があるが、私は、日頃から、スマホのキー打音が大っ嫌いなので、ここには非常に不快。葉子はウズベクにははじめてである設定だと思うが、真夜中、何かを買いに、そんなに迷う気配を感じさせないまま裏路地を行き来する場面も、作品上の必要性が判らない。が、作品の流れと繋がらないところが不快。一番酷いのは何度も葉子が乗せられた「回転ブランコ」の場面。終盤、実際新潟地震が起きて日本人が不安の渦中の中、なぜだか東京湾で工業地域のコンビナートで大火災とは大胆、人災なので批判するつもりもない。しかし、このタイミングで上映すべきだったのだろうか。