「画と女優。これで十分だろう」旅のおわり世界のはじまり りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
画と女優。これで十分だろう
テレビのバラエティ番組のロケでウズベキスタンを訪れたレポーターの葉子(前田敦子)。
スタッフは、監督、助監督、カメラマン、通訳兼現地コーディネータと小規模。
番組の主眼は、ウズベキスタンの湖に棲む2メートルを超す怪魚であるが、簡単には姿を現さない。
街でのレポートで尺を稼ぐスタッフたちであったが、葉子は日本に残して湾岸消防士の恋人のことと、帰国後に開かれるミュージカルのオーデションも気になる・・・
といったところから始まる物語で、ま、簡単いえば、異国の土地で自分を見つける若い女性のハナシ。
と書いちゃうと、目新しさはない。
バラエティ番組の海外ロケの裏事情、というのは珍しいかもしれないが。
なので、映画の中心はやはり主役の女性。
「不思議の国のアリス」ならぬ、「不思議の国ウズベクの前田敦子」で、町の小さな遊園地の宇宙飛行士の訓練用簡易装置のようなアトラクションに身体を張って何度も挑戦する様子など、黒沢清監督はヒロインをイジメるのが上手い。
そして、自分探しの様子を、スタッフたちから離れて、町を彷徨する葉子で描き、あちら側とこちら側の境界を、何度も道路を横断するというシーンで繰り返す。
それも、道路へ降りる際は、土手のような傾斜地になっているという念の入れよう。
こういうのを「演出」という。
で、もうひとつ、あちら側とこちら側を境界に「山羊」を用いる。
何の目的で飼われているのかわからないオスの山羊。
すったもんだの末、山羊を放つ(ジョン・アービングの小説『熊を放つ』を彷彿とさせる)。
その山羊は終盤に再び登場し、クライマックスの、これまた『サウンド・オブ・ミュージック』を彷彿とさせる最後のシーンへと繋がっていく。
画と女優。
これで十分だろう、なんの不足があるんだ、と自信満々の黒沢清監督の笑顔を、スクリーンの裏側に観たような気がしました。