止められるか、俺たちをのレビュー・感想・評価
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主役めぐみ(門脇麦ちゃん)で正解だった
若松監督世代、学生運動生活ドンピシャの人に激アツオススメされて鑑賞。
同時代に青春を過ごした人は、そりゃもう、胸アツでしょう。
あの映画もあの事件も、あーー!!て感じだろうなーと、途中途中思いながら。
でも、だからこそ、若松孝二監督自体を主役にせず、若松組に加わった紅一点・めぐみさんを据えたのは、世代以外の観客に向けても、良かったと思う。
こうだったよなーと懐かしむ人、そうだったんだーと改めて知る人、それらまとめて、最後はなんか切なくなるはずなのです。
実在の人物だらけなので、その後の彼らがどうなったかを色々と調べるとまた、そこから今に至る色んなこと、カルチャー史の一端にも触れられる。
表現者たちに、まだ鬱屈したパワーのあった時代。
若松監督の映画はひとつも観ていない。キャタピラは、あまりにもエグすぎて途中で観るのをやめた。途中でやめるのはそうはない。
だからこの映画を観た理由は、音楽が曽我部恵一ということと、井浦新ほか役者陣に興味があったのと、そして、観ようと思っていた映画が満席で取れずにちょうど時間が合ったのがこの映画だった、ということ。
赤塚不二夫のほか、当時の文化人、業界人が何人も出てくるようだがよくわからなかった。その時代の映画界に携わった人たちにとってはおそらくノスタルジーを掻き立てられる映画なのだろうと思う。僕には「素敵なダイナマイトスキャンダル」に似た映画、という感覚しかない。たぶん、井浦新のデフォルメされたような演技を好きか嫌いかで、この映画の好みがわかれるんだろうなあ。
めぐみがああなるのは、ちょっと意外だった。あれは真実なのだろうから筋書きに異論はないが、めぐみは自分の人生を幸せだったと言えたのだろうか、とふと思た。
行き場のない若さ
若松監督の作品は「キャタピラー」位しか知らない。しかし、この映画からは監督、助監督を含めて、若さゆえのあり余るエナジー、そして、それを昇華する場所としての映画作りと感じ取れた。今年は「ブリグスビーベア」「カメラを止めるな」と映画作りの映画が良かったなー。
強烈な残像を残す作品でした
夜中に目が覚めたら、めぐみの横顔や涙や笑顔が迫ってきて、なんだか眠れなくなってしまって。
熱っぽくて強烈な残像を残す作品でした。
悲しいなぁ、やっぱ、立ちションがなぁ。
どうしたって同じってわけにいかないもの。
自由に、女が自由に生きるってどういうことなのか、今だってちっともわからない。
めぐみさんを生き切った、門脇麦が素晴らしかったです。
井浦新の熱演から、若松監督の圧倒的なバイタリティが良く伝わってきました。
若松プロの若手達も、今見たい顔ぶれが揃っていてわくわくでした。
タモト清嵐演じるオバケはほんと魅力的だったし、毎熊克哉も好演でした。
それに、藤原季節のカメレオン役者ぶりは凄いです。
若松映画の映画というメタシアター
門脇麦に尽きる。
ただし、破天荒な青春群像劇となり得たところが、門脇演じるめぐみをメインに据えたために、良くも悪くも物語が浄化されてしまったように思える。
だって、あの頃のポルノ映画の独立プロが、果たして、これほど「きれい」だっただろうか?
しかも監督は、「彼女がその名を知らない鳥たち」(傑作)で、あれほど汚い人たちを描き、観る者の心揺さぶった白石和彌。
おそらくはノスタルジー、そして死者を悪くは描けない、ということか。
若松孝二に私淑していた曽我部恵一が音楽を担当。彼の柔らかな声は映像にはなじむが、実際、当時聴かれていた音楽は反体制のメッセージを込めた、もっと鋭いものだったはず。こうした点を鑑みても、現実の「あの頃」との差異を感じる。
父を知らない娘(めぐみ)が、若松孝二の父性に憧れ、父の面影に惹かれて男に抱かれる。
そして彼女は映画を生むことも、子供を産むことも出来ず死を選んだ。
当時はいま以上に職業と性差の考え方がはっきりしていた。映画を生むのは男性という暗黙のルールがあったのだ。
しかも、母になれば絶対に映画は生めない。せっかく、ここ(助監督のチーフ)まで来たのに、積み上げてきたものは無になる。彼女は映画と我が子と“2人の子”を選べなかったのだ。
さて、本作は「映画の映画」である。劇中、はしばしに映画への愛が溢れている。
従って、この作品がメタシアター的になるのは当然だろう。
そもそも本作は劇中でめぐみの死を悼みながらも、と同時に作品として若松孝二へ追悼を捧げるという二重構造を持っている。
また、本作は、映画作りそのものが、「若松孝二的」だ。
映画を撮影しているシーンで、助監督のめぐみが「背景に関係ない人が映ってしまった」と指摘するシーンがあるが、若松孝二は「そんなの誰も見てねえよ」と一蹴する。
なるほど。劇中、町を歩くシーンで、どう考えても当時にはないものが映り込んでいるところがあるのだが、それは若松組の映画作りなのだな、と合点がいった。
また、何かのインタビューで井浦新が、本作の撮影期間は2週間だったと言っていたのだが、やはり、めぐみが仕切って撮影日数を短くしたというやりとりが出てくる。
本作が若松プロの再出発となるとのこと。そのことにふさわしい映画作りを志向したのだろう。
面白かった
少し長いと思いますが、飽きずに鑑賞できました。
正直言って、そこまでリアルな70年代な映像ではありませんでしたが、気持ちは完全に70年代に持って行かれました。
すごく良かったです。
映像や、演技はとても素晴らしかったですが、伝えたい主題がイマイチ捉えきれず、そこだけが残念です。
若松プロの疾走に引き込まれる
やられた。熱き時代に止まらない若松プロのその姿に、凄く共感しちまった。まさに傑作の邦画。アングラと言われようが、エロと言われようが、右寄りな思想を出そうが、若松プロは常に前進あるのみ。助監女性中心に描かれてるが、この映画は間違いなく、時代を生き抜いた若松プロの勇姿、その誇りをうたいあげた映画だ。
恥ずかしながら、若松監督作は『キャタピラー』しか観てなかったが、あの作品の重厚感と生々しいエログロさの元はここにあったんだと知らされた。
女性に観てもらいたい
言いたいことはいっぱいありますが個人的には、門脇 麦さんの演じる女性の心の揺れ動く描写に終始見入ってしまいました。
子供をおろすのはセックスに負けた事であり、子供を産むこともまためぐみにとっては負けることになるから結局『死』という悲しい選択をしてしまったのでしょうが…
その行為は浅はかではありますが死ぬことによって彼女のクリエイターとしての最期の自己主張たる『作品』として完結したのでしょう。
そう、文学者・三島由紀夫 氏のように…
19’ 11月1日 ミニシアターにて鑑賞
ぽっかり空いた穴に落ちる
門脇麦は存在感のある女優である。何を考えているのかわからない女、本当は何を考えているのか教えてほしいようなほしくないような、知りたいような知りたくないような女がいる。そういう女を演じるとピカイチだ。本作品の主人公はまさにそういう女で、自分でもよくわかっていないところにリアリティがある。
めぐみは、何をしたいのかよくわからないままに生きている。若松孝二という圧倒的なバイタリティに引きづられるように毎日を過ごすが、自分がどうしたいのか、何が出来るのかは、闇の中だ。闇は心にぽっかり空いた穴を埋め尽くし、やがて現実ににじみ出て、めぐみを苦しめる。周囲の男たちの言葉によって小さな幸せを感じたり、または怒りに顫えたりしながら、彼女なりの精一杯の青春を生きていた。門脇麦の渾身の演技である。
観ていてかなりしんどい映画だった。若い映画人がそれぞれに鬱屈を抱えつつ、殺人的なスケジュールをこなしていく。ときに飲みつぶれながら、ときに激しく議論しながら、それでも作品を作り続けるエネルギーが伝わってきて、観ている方も体力がいる。井浦新の若松孝二は映画監督というには少しスマートすぎる感があったが、反権力、反体制の人であり、感性の人であるという特徴はよく出ていたと思う。好演である。
映画が終わって外に出ると、日曜日の正午すぎの新宿三丁目は、微妙に怪しい雰囲気である。休みの店や準備中の店、営業しているのかわからない店がそこかしこにあって、気だるそうに道を往く東南アジア系の観光客、急停車した車から降りて走り出す黒人、腕組みをしてこちらを睨む女装の人、大声で電話をしているチンピラなど、凡そ日曜日の午後らしくない人々が闊歩している。なかなかいい感じである。
思考の上積みも感情の整理もできず…
1969年は確か、ウッドストックのあった年だ。
学生運動やベトナム戦争などの時代を直接経験していない自分にとっては、この映画を観ても思考の上積みも感情の整理もできなかった。
若松監督作品も知らないため、強烈なキャラクターであることはわかったが、彼が本当に撮りたかった映画がどんなものか知らない。何かを“破壊”したかったのだとは感じた。
若松映画に憧れて、監督志望のめぐみは、映画監督にはなりたいけど“何を撮りたいかはわからない。”と言っていたことが印象に残る。助監督を勤め、あんなにがんばっていたのに、どうして自死を選んでしまったのか?
映画監督の大澤渚、漫画家の赤塚不二夫、漫画家のモンキー・パンチも登場する。
当時の雰囲気、情景だけは、何となく伝わってきた。
熱量
男臭い映画は嫌いなんですけどこの映画はその熱量を感じて引き込まれて観た。女性が主人公と言うのがよかった。門脇麦ちゃんが本当に美しい。過酷な現場ながら、笑顔もたくさん。夢や希望がたくさん。でも、それは期間限定のことなのかな。何かをつかもうと自分の道を自分の意思で歩む女の子が、最後あんな形で終わってしまう悔しさ。あんまり物事を深く考えてない男子がああやってひとりの情熱を持った人間の命を危機に晒すってこと、ほんと罪深いね。女の子の自尊心が本当に低い時代だったんだなあとも思う。劇中の映画にでてくる女の人はつよいのにね。
クソみたいな映画界をぶち壊したい
多分、国営放送でなければNHKの朝ドラの題材になるような作品なのではないだろうか。お山のボス猿の元に得ないの知れない一匹のメス猿が舞い込んでくる。とはいえ、そのメスの部分をグッと押し殺し、ボス猿の背中を見つめながら、自分の存在理由を問い続けるメス猿の波瀾万丈な生き方を語った作品である。
1960年代後半からの時代背景は、自分がまだまだガキだった頃の話なのでそこには全てを共有できないけど、物心ついたときにその残り香を感じさせれるセットの数々は確認出来た。特に所謂高級文壇バー的な場所のあの木の調度品等、あの頃から古めかしいしかし、威厳みたいなものを感じ取られたものだ。
若松監督作品は、『キャタピラ』位しか観ていない。それ以外の作品はアクが強いという理由で観る機会がなかった。そんな感覚の自分が思うに、主演の門脇麦は今作品、出るべきではなかったと勝手に結論を持った。勿論、ファンの一人としての想いなのだが、汚れをやるにはまだ若いのではないだろうかと・・・ まだ“業”みたいなものが表現仕切れていないように感じる。
いや、門脇麦が悪いんじゃなくて、そもそもこの同窓会的作品自体が作られる必要性があったのだろうかと感じるのだが。
確かに、安保時代からの狂乱のバブル時代にそれぞれ登場人物がそれこそ暗躍していたであろう怪しい人達の元々の“虎の穴”的巣窟がこの若松プロであったという件は歴史的にも重要なのだろうが、あまりにもマニアック過ぎてその有難味が湧かないのが正直なところである。所々有名人が差し込まれているのだが、そりゃ狭い業界、どこかで遭遇することありえるだろう。ストーリーとしてそれが必然性を感じさせてくれれば深みも増すのだが、そういうこともあった的状況説明に始終しているように感じる。赤塚不二夫、大島渚等、こんな人とも知り合いだったんだよ的、自慢話にみえてしまうのは自分だけだろうか。
主演、吉積めぐみの自殺方法が、睡眠薬&酒&扇風機というのもノスタルジーを掻立てることはあっても、もっとドラマティックさを演出してもよかったのではないかと思うのだが、底辺に流れるイメージは違うのだろうかな。
正直、共感性はあまり感じられず、唯々、主人公の虚無感だけが漂う、引っかかりの薄い作品だと感じた次第である。
キャスト陣は大変素晴らしい人達ばかりだったんだけどね・・・
PS:このサイトじゃなくて、有名な映画レビューサイトでちょくちょく書き込まれていた『タバコ』問題だけど、よくそんなくだらないコメント残す奴いるんだなぁと思う。今の時代背景を何で作品に落とし込むのかよく分らない。そんな奴はレビューする資格無いから書き込むな!! タバコの紫煙の奥にある意味合いを勉強しろ!!
予告編を観たり、このアプリで
何となく、あらすじを読んで映画館に足を運ぶワタクシ。ハズレもあればアタリもある。今回はアタリの方でした。門脇麦さんが本当に良かったかな。紙を丸めて、ゴミ箱や壁に投げ付ける、というのは昭和な表現なんだと変な発見をしました。
興奮が止められない
最後のエンドロールが流れてきたとき、悲しいとも感動とも違うものを感じました。
興奮したが正解なのか、悔しいの気持ちもあるかも、自分でも説明できない気持ちだけど、やっぱり映画はすごいなぁ
60年代カッコいいなって思う。
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