「轢き逃げ事件がおこす被害関係者たちの心情」轢き逃げ 最高の最悪な日 エイガーさんの映画レビュー(感想・評価)
轢き逃げ事件がおこす被害関係者たちの心情
今や自動車を利用することはごく一般的であり、最近では煽り運転というワードも交通単語では多く聞くようにもなった。『轢き逃げ』はそんな一般的乗り物車が人を轢き、なんの対応もせずに放置、その場から遠ざかること。これは教習では教わるがその判断の誤りは各個人の性格によるものであり、実質は本人に委ねることになる。タイトル通り主人公は轢き逃げをする。会社の副社長の娘と結婚する未来があったが、結婚式準備でホテルに向かう会社同期を助手席に乗せ道中に轢き逃げ、なんとか結婚式を終えると見知らぬ人からの脅迫手紙。主人公と同期の2人は怯え、事件発覚がどんどん近づく中、事件は思わぬ裏が……
人を殺めてしまい罪の償いに苦しむ主人公、娘を殺されて悲しみ怒りと娘との思い出を振り返る両親、夫の轢き逃げで親族へのお詫びや留置所でやつれた主人公と向き合う妻、と各関係者からの目線での送られています。
最後にラストで主人公が妻へ出した手紙の一部を個人的に心にきたので
『人の人生を奪い、早苗さんご家族やみんなの人生を壊した私に早苗さんは何を求めるのでしょう。早苗さんへの愛を問われても、早苗さんを守ろうとしなかった私には選ぶべき言葉も無いのです。逃げ場のない隔離された場所で、毎日自分の犯した罪と向き合っていると心も身体も自分が人間であると思う意識が薄れていきます。人間で無ければ楽になれる気がしてくるのです。嫉妬にはその先に2つの道がある事を知りました。一つは嫉妬を糧に高みへと昇る道、もう一つは嫉妬に取り憑かれて地獄へと落ちる道。ご両親の人生も壊してしまいました。それでも僕は被害者とご両親に何をしなければならないのか考えます。答えなど永遠に出るはずがないとわかっているのに。今の私には、その事を考えている時だけがせめて自分が人間でいるような気になれます。自分の犯した罪を償えるなら償いたいと思いました。でも、罪を償えると思うのは罪を犯していない人間の言い分だと気づきます。罪を犯したものにできるのは罰を受けることだけです。どんな罰を受けようとも、誰かが僕を許したとしても私は私を許さない。』