「私たちは何を追悼したのか?」チワワちゃん 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
私たちは何を追悼したのか?
全然チワワちゃんが好きになれない ほんとに 何の魅力も感じない
低身長で 男友達が多くて 底抜けに頭が悪くて
個人的には 玉城ティナがチワワちゃんをやってくれたほうがどれだけよかったことか と思う
でも当たり前だけど チワワちゃんだってなりたくてそうなったわけじゃない
何気なくSNSを始めたのに いつの間にかトレンドの祭壇に供物として捧げられて 無数の人々に 見られ 犯され 褒められ 貶され ボロボロになるまで消費し尽くされ
そして死んだ
チワワちゃんは他の登場人物たちのありうべき幻影だったんじゃないか と私は思う
誰も彼もがチワワちゃんになっていたかもしれない という
別に才能なんかなくたって カリスマなんかなくたって大して問題じゃない ただちょっとだけプライドを捨ててしまえばそれでいい 自分が救いようのないバカであることを開き直れてしまえばそれでいい
どうせ内面など誰も見てないし 誰にも見えない それがSNSという時代なのだし
だから チワワちゃんは死んでしまったけれど その理由は誰にもわからない し わかれない
語り手のミキは 同じく"趣味の一環"で被写体を始めたチワワちゃんが 自分を押しのけみるみる頭角を現していくのを 困惑と嫉妬の入り混じった表情で回想した
ミキはどうしてチワワちゃんになれなかったのかといえば ミキにはプライドがあるから
ミキは殺害されたチワワちゃんの情報を集めるべく 彼女の元彼のヨシダと会う ヨシダはミキを犯そうとするけど ミキはそれを拒絶する
キスされ 触られ 脱がされはしても 最後の一線だけは絶対に譲らない ミキがチワワちゃんになれなかった理由はここにある
湾岸でのチワワちゃんの追悼式は もちろんチワワちゃんを追悼するためのものなんだけど それは登場人物たちによる青春の葬送だともいえる
俺/私たちは 色んなことをした キスをした セックスをした 恋をした 意味もなく 理由もなく でもそういう生き方を プライドのない生き方を 10年20年先も続けられるかといえば たぶんそれは無理 どこかで踏ん切りをつける必要があった
そのときチワワちゃんが死んだ 自分たちの生き方のある種の象徴が生を絶たれた
登場人物は東京湾に向かって花束を投げる そしてそれを眺めながら涙を流す 悲嘆に暮れる
誰もがチワワちゃんと深い親交があったわけじゃない 彼女と殴り合いの喧嘩をした子だっていた
それでも誰もが涙を流したり悲嘆に暮れたりできたのは やっぱりそれが自分自身の青春の葬送でもあるからなんじゃないかと思う
ちなみに追悼式にヨシダは参加していない 彼には今の自分を葬送できるだけの勇気もプライドもない
たぶん彼はこれから先もずっと今と同じような生き方をしていくんだろう 道行く女に「お前だけなんか違う」と声をかけ 我が物にし 飽きたら次に乗り換える
ヨシダはチワワちゃん唯一の美点ともいえる他者への優しささえ欠如している たぶん彼女よりひどい末路を辿ることになるんじゃないかと思う てかなれ
じっさい本編の中じゃ彼には死より重い制裁が待ち受けていた それは無視だ カメラによる徹底的な無視 ミキへのレイプ未遂シーン以降 彼は一度もカメラに映らない もちろんセリフもない
他者を引き受けられない者に何事も語る資格はない
概してステキ~な映画だったけど 劇中の言葉遣いにブレが大きいのがちょっと嫌だった
現代の若者っぽい喋り方と 原作の岡崎京子的なセリフ回しが噛み合ってないというか 浮遊してるというか よしんば若者たちの軽薄さを強調するためのトリックだとしても 不快感が勝っちゃってうまく腑に落ちなかった