家(うち)へ帰ろうのレビュー・感想・評価
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おじいちゃんの素敵でちょっと波乱ある一人旅映画
頑固で調子の良いことを言う人だけど
憎めないおじいちゃんの一人旅映画です。
元仕立て屋さんだけあって旅中の服装が
とっても素敵。スーツ姿の時はつい
目がおじいちゃんの姿を追ってしまいます。
ユダヤ人差別に関する内容を含んでいますが
回想シーンは友人に救われている場面が多いです。
(もちろん痛ましい部分もあります)
おじいちゃんに巻き込まれて出会う人や
逆におじいちゃんの生い立ちに興味があって
出会う人、他にも幾人かの出会いがあります。
都合が良すぎる部分も多いのですが、
一人一人のキャラクターにいい意味で少し癖が
あるのでおじいちゃんの人間性含め
観ていて面白い映画でした。
最後は後味スッキリ、ハッピーエンドです。
人生の宿題かな
多くの子や孫に恵まれ、一財産築き平均年齢以上生きているアブラハム。好々爺になって余生を過ごしていても良さそうなものだが何だか目が違う(笑)、死んだ目をしていない、目力がある。魂が人生に納得していないとでも言おうか。このままでは終われん。何故か?宿題がまだ片付いていない、魂の宿題。それはおそらくは忌まわしき過去と向き合いそこから新しい一歩を踏み出すこと、喧嘩別れした娘に謝ること、そして世話になった友に再会すること。生きるって多分魂の世話をすることなんだなー壊死しかけの脚を引きづっても、泥棒に入られ文無しになっても魂の中の鬼がポーランドへ引っぱって行くんでしょうね。やるじゃんじじい。自分もこうありたい。
言うのは簡単。行動するから価値がある。
アルゼンチンから遥かポーランドまで旅するおじいちゃん、ユダヤ人のアブラハム。
映画の始まりは、アブラハムが施設に入ることが決まった所にある。
アルゼンチンで仕立屋を営み、子どもにも恵まれたアブラハムだが、右足の具合が悪く、高齢なこともあって持ち家を売却し老後を施設で過ごすことが決まった。
老人ホームで見せびらかす為に、孫たちに囲まれた「幸せおじいちゃん写真」を撮ろうとするのだが、ある孫娘は「写真は嫌い。iPhone6買いたいからお金くれたら撮っても良い」とゴネる。
この会話がなかなかに興味深く、おじいちゃんと孫の熾烈な金銭交渉が幕を明け、孫娘は見事に勝利。
そんな彼女にアブラハムは「だからお前を愛してる」と称賛するのだ。なんだかとってもユダヤ人らしい。
アブラハムと彼女は、共通の言語で生きている、紛れもない「家族」である事を確認できる一幕である。
こんな調子で、アブラハムおじいちゃんはかなりの曲者だ。
遠くポーランドにいるはずの、70年間音信不通な友人に「約束のスーツ」を届けるため真夜中に家を飛び出す。
飛行機では体よく隣席のレオを追い出して三人掛けを独り占めしたり、多額の現金があるのに宿代を値切ったり、ここまで来ると爽快で笑える。
なんだか「意地悪ばあさん」を思い出すなぁ。
その一方で、たまたま乗り合わせたレオのピンチを救ったりしているのだから面白い。
制服を来た人間に言われるがまま従い、結果収容所に送られた過去。見知らぬ者同士で助け合わなければ生き延びられなかった過去が、今まさに制服の人間によって強制送還されそうなレオを助けようという行為に繋がったのだろうか?
アブラハムおじいちゃんは興味深い。
一番ドラマチックだったのは、「ドイツを通らずにポーランドへ行きたい問題」の一連のシーンだ。
パリ東駅で「ドイツ経由での乗り換え」に気づいたアブラハムは、何とかドイツを通らない方法での移動をと駅員に訪ねるが、そんな経路はない。
飛行機に乗ろうにも金はなく、そもそも「すぐに出発したい」と旅を急いだせいでスペインから陸路、となったわけだから大体アブラハムのせいなわけだが。
そんな折、彼を助けようとしてくれるのがドイツ人女性のイングリット。
彼女の言葉にアブラハムは「助けたいと言うなら、あんたの国を踏まない方法を考えろ」とのたまう。イングリットは彼女の荷物から服を取り出し、足元に広げて直接地面を踏まないようにすることでアブラハムの希望を叶える。
「言うだけなら簡単。本気を見せてみろ」という要求に見事に応えてくれる。
それに対するアブラハムの心意気は、「あんたとあんたの国を受け入れてやろうじゃないか」という行動で示される。
大体、列車に乗った時点でアブラハムの覚悟は決まっていたのだ。本当に食えないおじいちゃんである。あんた最高だな!
全ての出来事が、「言うだけならなんとでも。相手を思うなら行動するもの」というテーマに沿って構成されている。
そして、アブラハムのキャラクターがその原理を持っているがゆえに、「約束のスーツ」を届ける直前になって、不安に襲われる気持ちもわかるのだ。
「行動で示すべき」なら、何故自分は友の元へ戻らなかったのか。友情とか恩とか言っておきながら、行動する勇気が持てなかった。
それほどの忌まわしい思い出だったのだろうし、多分友はアブラハムを責めたりしないだろうが、アブラハム自身がそんな不甲斐ない自分を認めたくなかったのだと思う。
「愛してるなんて口で言うのは簡単。そんな形だけの儀式に参加したくない」と言ったせいで勘当された娘のクラウディアだったが、娘の言葉はアブラハムにとって自分が出来なかった事を鋭く突いてくるセリフだっただろうな、と感じてしまう。
登場人物の心情が練りに練られた、素晴らしい脚本だと思う。
思い出の家に、仕立てミシンとメガネの男性。彼がそこにいる、ということも「待っている」を言葉だけにしない、最高の出迎えである。
アブラハムがいつ現れてもわかるように、窓辺で仕事をしていた友の人生に思いを馳せる。70年という歳月を一気に飛び越えるような、「俺の最後のスーツだ。型紙を送ってくれた」「あの青いスーツか!」というやり取りが聞こえてくる頃には、涙が止まらなかった。
映画は人生との出会いだ。素敵な人と出会えた喜びを分けてもらえる、素晴らしいおじいちゃん映画。おじいちゃん映画好きにはたまらない一本である。
ベタなメルヘンだけれど、社会の為に75歳で死を選ぶ奴よりはマシだ
娘が四人いて、見ず知らずの四人の女性に助けられる。もっとも、一人は本当の娘だが。
さて、その娘がユダヤの識別のタトゥーをしていたが、その意味が分からなかった。
さて、この映画見て思った事は、やはり、日本人が外国からどう見られているかってことかなぁ。大分誤解も多いだろうね。まぁ、国内で騒がれる程、日本人ってなんとも思われていないか、若しくは、韓国人とか中国人に間違われる。だから、中国人や朝鮮人にどう思われているがって事が気になりるね。
お茶目なお爺ちゃん。
老人ホームに入れられる?片方の足を切られる。子供たちに言われて決意する。70年前に助けてくれた友(幼なじみ)に会いに行く。生きているかどうかも分からないのに手紙ではなく直接会いに行く。88歳の老人には無謀に感じたがドイツ人に迫害を受けたユダヤ人として忘れようとしても忘れられない記憶。そんな時助けてくれた幼なじみの友。最期に会って自分で最後に仕立てたスーツを友に手渡す。約束を果たしたかったその思いが伝わる。
ドイツの地を踏みたくないと巌としたところは多々あったけど彼の意地があるからこそ会いに行くことが出来たのだろう。と思う
頭の隅にずーとあって……やり残したくないことの一つ。だった 会えてよかった。
孫が描いたホロコースト
脚本・監督のパブロ・ソラルスさんが語るには祖父は主人公アブラハムと同じポーランド人、母方の祖父はユダヤ人だったそうだ、ナチスの迫害から命からがら国外へ逃げ延びた思い返すのも辛い過去、それについて語ることはなく家でも出自を口にすることはタブーだったという。長じて歴史を学ぶにつれ映画に刻むことへの使命感のようなものに突き動かされたようだ。
戦後、ホロコーストを扱った映画は数多いが老人の一人語り、ロードムービーという形で切々と苦悩の過去と現代を対比させて描きながら、ユーディッシュ独特の商才、抜け目なさも添えているところがクールな印象を持った。
遠くの親戚より近くの他人と言うことわざがあるが老人を助けてくれる同情的な人々と冷たい娘たちが対比的に映るが疎遠だった筈の娘が父と同じ刻印をあえて腕に入れていたということは父の痛みを一番知っていたことの証なのだろう、繊細な演出でしたね。
総じてみればブエノスアイレスからワルシャワまで足の悪い老人の一人旅に添わされるのはハラハラしどうしで疲れました、それでも目が逸らせなかったのは軽薄ながら幸いにして圧政の無い恵まれた時代、境遇に生まれた者としてのある種義務感のようなものだったのかもしれません、心にゆとりのある時のご鑑賞をお勧めします。
すべてが調度良い塩梅
観る前は出演者も知らないので、戦争の悲しい過去を辿る暗くて長い映画だと勝手に思っていただけに余計に感動した。仕立屋だけにお洒落だが自己顕示欲も強く、顔も汚い偏屈なジジイが娘たちに家を売られ、老人ホームに追いやられたことから、人生でやり残した、命の恩人である友人にアルゼンチンから遠路遥々生まれ故郷のポーランドにたった一人で行く話。しかし、前から考えていたのだろうが、手塩にかけた娘たち、孫たちには求めているほど大事にされないからといって、相談もせず、老人ホームに入れられる前日に黙って単身ポーランドに向かってしまうという無謀さが凄い。しかも、友人に70年連絡を取っていないのに約束の仕立てたスーツを届けに行くという。足も相当悪いのに。連絡しなかったのは後で考えるに戦後ポーランドから叔母のいるアルゼンチンに行って生きるのに必死だったろうし、思い出したくない過去でもあったのだろう。暗い映画にならないのは、ジジイの茶目っ気と行先ざきで偶然出会う人々の親切さ。一期一会なのに。ジジイには人を引き付ける憎めなさがある。ラスト、遥々来たのに、会えなかったら、会っても怖いと言うジジイの台詞が良い。本当に会えて良かった、幻終わりかとも思ったが、現実でハッピーエンドが救い。しかし、途中ポーランドに行くにはパリからドイツの地に行かなければならず、強烈に反対するシーン、助けた女性がドイツ人と分かるとあからさまに嫌な顔。挙げ句には一歩も踏みたくないがために、ドイツ人女性に踏ませないよう布を敷かせるなどのドイツ嫌悪の徹底感。父親、叔父、妹の虐殺話は心が締め付けられたが、それをドイツ女性に話した後、ドイツ女性を認め、地に足を付け、一歩踏み出し、列車に乗るシーンも良い。映画全体通して、戦争の闇の部分あり、茶目っ気あり、ほっこりするところありと、調度良い塩梅で深い。長くなくまとまっている。世代は明らかに違うし、国も変化しているが、戦時中に虐待を受けた人々はその国を、人々を決して忘れないし、思っていて当然だと改めて感じ、日本においても、アジア諸国は未だにそう感じている人々もいることを改めて自覚させる映画だった
頑固老人のロードムービー
戦後75年にもなるとホロコーストを実際に体験した人も少なくなっています。現存している人はそりゃドイツ人に対する嫌悪感といったらいまだ凄い持ってます。ホロコーストに入ったことのあるアルゼンチン在住の頑固老人が故郷のポーランドに旅するというロードムービーです。ただドイツを通らないとポーランドに行けないんですよね。こういったドタバタとかを経て、祖国ポーランドで会いたかった人に...という感動的な結末を迎えます。ほぼほぼ、ネタバレレビューになってしまいましたが主人公の老人が頑固なところがユーモアも含み描かれているため暗い物語にはなっていません。良作です。
何があっても果たすべき約束
劇場公開時から気になっていた作品。
冒頭部分はジュゼッペ・トルナトーレの「みんな元気」(90年)を彷彿させた。
どちらも老人が主人公のロード・ムービーだが、「みんな元気」では子供たちに失望していく様を描いている。
一方本作品では逆に子供たちに失望し、身体の不具合を抱えながらも、待ち受けているであろう多くの困難を顧みずに70年前の約束を果たすべく家を出て行く。
たとえ忌むべき土地を踏んでも、約束を果たすために前に進む。
人間には、それが他人には理解してもらえないものであっても、何があっても果たさなければならない約束があることを教えてくれる。
約束を果たした後、主人公はどのような生き方をしたのだろうか。
それを想像(創造)してみるのも楽しい、良質の作品である。
おじいちゃん、がんばれ!!
88歳そして片足が悪いおじいちゃんが旧友へスーツを届けに旅に出るお話。
様々な人に出会いながら友の元へ
彼はそこにいるのだろうか?死んでしまっているのだろうか?
そんなことを観る側も思わせハラハラすることある
途中お金を取られたり、けんか別れした娘の再会、様々な素敵な女性の
出会いが旅の途中で花を飾る
しかしその旅の裏には過去ある恐ろしい戦争の記憶が蘇る
あの恐ろしく悲しくつらい記憶は88歳になっても
決して消えることはない
彼の暮らしの中の端々であの恐ろしい記憶が蘇り
じいさんを苦しめる
決して忘れることなど出来ないのだ
だからこそ旧友に絶対逢えたらいいなと
おじいちゃん がんばれと
観ていて願った
人生の清算と戦争の残酷さ
この映画の主軸は、二つあるように思われる。
一つは老い。
88歳のアブラハムは、明日には老人ホームへの入居が決まっている。死や痴呆が現実味ある恐怖として目の前に迫った時、過去の記憶と果たせていない約束が甦り、清算を思い立つ心情は、親が次第に老いていくのを体感する私にも、他人事でなく共感できる。
不自由な足を引き摺り、少し移動するにも息を切らしながら、それでも人生の最期にと、恩人である友を探しに旅立った老人の気持ち。
娘や孫に厄介者扱いをされているという孤独感を抱え、不甲斐なさや自尊心で偏屈になった心が、旅の途中で出会い、手助けしてくれた人々の人間味によって、少しずつ解きほぐされていく様が、心に染みる。
もう一つが戦争。
何故彼が、頑ななまでに『ポーランド』の一言を避け、ドイツを厭い、老体に鞭打って、遥かな地を目指すのか。
途切れ途切れに挟まれる回想や、語る思い出が、かつて彼の身に起こった悲惨な戦争体験を明らかにしていく。
私の祖父や祖母の世代の多くは戦争体験者であったが、自らその話題を語る人は殆どなかった。悪夢のような現実、心に刻まれた傷の深さは、過去の記憶としてさえ、思い出すのも口にするのも辛かったのだろう。
この作品の前に『ちいさな独裁者』を見ていたのもあって、戦時の命の軽さが胸に迫っていた。親も兄妹も目の前で失い、体に傷を負い、死をすぐそこに感じながら命からがら逃げ延びた彼の恐怖と恨みを、過去のものと割り切る事はできない。
それでも、あれほど嫌悪したドイツのホームに足をつけ、ドイツ人の彼女と抱擁を交わして別れた。人と人として向き合った二人の間の、小さくて大きな和解に、この映画は希望を託したのだろう。
主人公アブラハムの、偏屈で嫌味ながら、身嗜みもお洒落でプレーボーイな一面も伺える、憎めない老人像がこの映画のミソ。コミカルな展開も交えて、重いテーマを暗くなりすぎずに描いている。
再会を果たした友人と、見つめ合い、互いにじわじわと疑念から確信、驚き、喜びへと変わっていく感情変化を、二人の老俳優が表情だけで演じ切っていたの、は素晴らしかった。
人生の最期、彼が帰りたかったのは、追われた故郷であり、幸せなあの頃であり、家族同然の友の傍らであった。
「家へお入り」でなく「家へ帰ろう」と言った友人には、それが身に染みて解っていたのだろう。
歴史認識
物語はいたって単純で結末も予想できるため最後の展開も置きに行った感じがあってそんなに感動できない。
ヨーロッパ圏の人々にはこの物語が身にしみて感動する素養があるのかもしれない。
70年経っても消えない:娘のタトゥーは...
ホロコーストのトラウマについての話だけどユーモア要素が効いていて、見やすいです。
観客の間口を広げるという意味では見やすいのはいいことです。
アブラハムはアルゼンチンに移住しているホロコーストの生存者です。
ポーランドからアルゼンチン。遠い。
その距離を、気候も文化も異なる地への出立を促した傷を、想像して切なくなります。
移住後はポーランドへ戻ることもなく、ポーランドと口にすることもなく生きてきたものの、娘たちに老人ホームへ入れられる段になって、ポーランドの友人と交わした約束が去来し、発作的にポーランドへと旅立ちます。
ドイツ乗り換えはもってのほかなのでマドリードから電車でポーランドを目指します。
マドリードではホテルで所持金を盗まれてしまって大ショック!
ホテルの支配人女性と飛行機で隣に座った青年が助けてくれて、マドリードにいるが喧嘩別れした末娘に資金援助をイヤイヤ頼みにいきます。
末娘、態度は硬いですが左腕に6桁くらいの数字のタトゥーを入れていて、アブラハムに見られてしゃっと隠します。
おわかりの方にはみなまでゆうな、無粋ぞとたしなめられそうですが、いっちゃいます。
あの数字はナチスが強制収容所に連行したユダヤ人やその他の人々に入れた「囚人番号」で、当然アブラハムにもあります。
末娘さんは父の悲しい過去を自分の体に刻んでいた、というわけです。
おそらくこの末娘が一番深く強く父を愛したという証ではないかと思わせるシーンです。
その後列車でフランスについて、ドイツを通らずポーランドに行きたいと駅員に筆談とスペイン語で言います。
ドイツもポーランドも口にしたくないから文字で示し、ドイツに立ち入りたくないからドイツを避けたルートを出せという。
望む案内はしてもらえずふてくされていると、女性がスペイン語で助けを申し出てくれる。
この女性はドイツ人で、スペイン語もイディッシュ語も話せる。ホロコースト被害者への贖罪の気持ちがある人です。
ドイツ人を嫌うアブラハムの無礼な態度にめげずに、助けてくれる素敵なひとです。
どうしても乗換でドイツの駅に立ち入るしかなくて、どうにかしろと騒ぐアブラハムに、彼女の荷物をホームに敷き、その上を歩くことでドイツに立ち入らないwという一休さん的とんちで対処します。
この辺りのシーン、いいですね。
ドイツ人の彼女が、21世紀の世にいきていてユダヤ人に償わなければいけない責任はないんです。
その上で、過去に自分の属する文化圏の人々が犯した罪を自らの罪として背負って生きる、今も今後も償うという姿勢が、わたしは尊く思います。彼女の矜持は正しいと信じます。わたしもそうしなくてはいけないと思います。
無事にドイツを踏まずに乗り換えしたものの、電車内で倒れてしまいポーランドの病院でアブラハムは目覚めます。
看護師の女性に助けてもらい、かつての自宅へ行きます。
全編にわたり、妹と友達と楽しく過ごす子供時代、収容所から命からがら逃げてきたシーンなどが回想として挿入されます。自宅はポーランド人の元使用人に奪われてしまい、家には入れない。使用人の息子である友達が、かつての使用人部屋へアブラハムを運んでくれて命をつなぐことができた。彼のためのスーツを渡したい。
近くまで来て帰ろうとして、やっぱり諦められなくて家を振り返ると友達と目があった。70年以上振りの再会です。
お互いに老いたけど、会えた。よかったねぇ。素直にそう思いました。
70年経っても忘れられない傷はあるっていうことに、改めて打ちのめされました。
死んでしまうよりは生きてるほうがいいけれど、それでも消せない怒りがある。忘れることのできない恨みがある。
誰かをこのような立場に引きずり込む権利を、何人も持たないはずだと思います。
でも、アブラハムだけではないですよね。
無数にいる傷つけられた人々を思い、人の傲慢さを改めて噛みしめました。
家とは、生まれ育った家屋・土地、そこに居る人
私にとって、家(うち)とは、
夫の居る場所。
そう定義していた。
一人娘が生まれた。
娘が経済的にも精神的にも総合的に独立するまでは、
両人共大事だけれども、
娘に比重を置き、
その後は、末永く夫の方を大事にしよう、と決めていた。
(孫が生まれたら、また、優先順位変わるけど)
しかし、
この映画の結末は、
兄弟同然に生まれ育った
赤の他人(血縁関係無し)
と老後を暮らしていく事だった。
霧と夜
70年経っても、一歩たりともドイツの地を踏みたくないというアブラハムの行動に、改めて、ホロコーストの残虐さ、恐怖を痛感する。
彼を助ける文化人類学者のドイツ人女性が、過去に対する責任を明言する姿勢に、自分の歴史との向き合い方を考えさせられた。
親友との再会のシーンは、そんな中でも信じることのできる人間も(一部には)存在することを示している。
偏屈じいさんのおもしろ旅かと思ったら後半はめっちゃシリアスだった。...
偏屈じいさんのおもしろ旅かと思ったら後半はめっちゃシリアスだった。出会う人たちみんないい人ばかりやし、何よりハッピーエンドで最高でした!
笑って笑って、泣いて泣いて泣いて泣いた
エブラハム、70年振りとは言え、隣家のドアをノックすると言う痛恨のミス!で、すれ違いにならなくて良かったと。
70年間、互いに忘れなかった友の存在。現代人に、そんな重量感のある関係なんぞ滅多に見ないと思いつつ。家に帰ろうの台詞には、流石に耐えられず嗚咽してしまいました。こう言う、気の利いた邦題は好きです。
辛い料理の後のアイスは美味い理論。ラテンのリズムの軽妙な笑いの後のロードムービーwithユダヤの悲劇は破壊力抜群でした!
戦後もホロコーストに振り回された人生を過ごした、ひとりの老人の物語。
相変わらず邦題のミスリード。原題「El ultimo traje」を訳すと「最後のスーツ」なのに。この方がラストの感動が増すもの。この邦題だとどこか暢気さが漂い、気まま勝手な頑固爺さんの放浪記ととられかねない。そんな気はないと言われても、僕は「茶化すなよ」という気分になっていた。
もちろんそんな気楽な決意でないことは、爺さんの言動を追えば十分理解できる。悪くした足に愛称までつける茶目っ気をもちながらも、「ポーランド」を口にすることさえ嫌う執念も捨てない。そんな彼は、自らの人生の”終活”として、その怨嗟の感情の対象であるポーランドへ向かう。
行く先々で出会う素敵な女性たちの助力に心温まり、それゆえに感動のラストがとても身近い思えて感涙にひたった。
homeとhouse
映画を観たあと、英語のhouseとhomeの違いを思い出した。家は家でも、houseは建物のニュアンスが強い、homeはその中に人がいるニュアンスが強く、家庭、故郷、居場所、帰るところ。私たちはhomeを作っているだろうか?homeはあるのだろうか?
そして、決死の覚悟でhomeへ戻ろうとする主人公。頑固とも見えるが、死を間近に感じている人は、どうしても死ぬ前にhomeに戻りたい、homeで感じた愛を再び経験したいと渇望するのではないだろうか?
主人公は旅路で愛のある人々に出会う。しかし、必死さに何かをやろうとしている人に出会うと、人は心揺さぶられ手を差し伸べないではいられないのではないか。真剣に生きよう!と思った。
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