「言うのは簡単。行動するから価値がある。」家(うち)へ帰ろう つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
言うのは簡単。行動するから価値がある。
アルゼンチンから遥かポーランドまで旅するおじいちゃん、ユダヤ人のアブラハム。
映画の始まりは、アブラハムが施設に入ることが決まった所にある。
アルゼンチンで仕立屋を営み、子どもにも恵まれたアブラハムだが、右足の具合が悪く、高齢なこともあって持ち家を売却し老後を施設で過ごすことが決まった。
老人ホームで見せびらかす為に、孫たちに囲まれた「幸せおじいちゃん写真」を撮ろうとするのだが、ある孫娘は「写真は嫌い。iPhone6買いたいからお金くれたら撮っても良い」とゴネる。
この会話がなかなかに興味深く、おじいちゃんと孫の熾烈な金銭交渉が幕を明け、孫娘は見事に勝利。
そんな彼女にアブラハムは「だからお前を愛してる」と称賛するのだ。なんだかとってもユダヤ人らしい。
アブラハムと彼女は、共通の言語で生きている、紛れもない「家族」である事を確認できる一幕である。
こんな調子で、アブラハムおじいちゃんはかなりの曲者だ。
遠くポーランドにいるはずの、70年間音信不通な友人に「約束のスーツ」を届けるため真夜中に家を飛び出す。
飛行機では体よく隣席のレオを追い出して三人掛けを独り占めしたり、多額の現金があるのに宿代を値切ったり、ここまで来ると爽快で笑える。
なんだか「意地悪ばあさん」を思い出すなぁ。
その一方で、たまたま乗り合わせたレオのピンチを救ったりしているのだから面白い。
制服を来た人間に言われるがまま従い、結果収容所に送られた過去。見知らぬ者同士で助け合わなければ生き延びられなかった過去が、今まさに制服の人間によって強制送還されそうなレオを助けようという行為に繋がったのだろうか?
アブラハムおじいちゃんは興味深い。
一番ドラマチックだったのは、「ドイツを通らずにポーランドへ行きたい問題」の一連のシーンだ。
パリ東駅で「ドイツ経由での乗り換え」に気づいたアブラハムは、何とかドイツを通らない方法での移動をと駅員に訪ねるが、そんな経路はない。
飛行機に乗ろうにも金はなく、そもそも「すぐに出発したい」と旅を急いだせいでスペインから陸路、となったわけだから大体アブラハムのせいなわけだが。
そんな折、彼を助けようとしてくれるのがドイツ人女性のイングリット。
彼女の言葉にアブラハムは「助けたいと言うなら、あんたの国を踏まない方法を考えろ」とのたまう。イングリットは彼女の荷物から服を取り出し、足元に広げて直接地面を踏まないようにすることでアブラハムの希望を叶える。
「言うだけなら簡単。本気を見せてみろ」という要求に見事に応えてくれる。
それに対するアブラハムの心意気は、「あんたとあんたの国を受け入れてやろうじゃないか」という行動で示される。
大体、列車に乗った時点でアブラハムの覚悟は決まっていたのだ。本当に食えないおじいちゃんである。あんた最高だな!
全ての出来事が、「言うだけならなんとでも。相手を思うなら行動するもの」というテーマに沿って構成されている。
そして、アブラハムのキャラクターがその原理を持っているがゆえに、「約束のスーツ」を届ける直前になって、不安に襲われる気持ちもわかるのだ。
「行動で示すべき」なら、何故自分は友の元へ戻らなかったのか。友情とか恩とか言っておきながら、行動する勇気が持てなかった。
それほどの忌まわしい思い出だったのだろうし、多分友はアブラハムを責めたりしないだろうが、アブラハム自身がそんな不甲斐ない自分を認めたくなかったのだと思う。
「愛してるなんて口で言うのは簡単。そんな形だけの儀式に参加したくない」と言ったせいで勘当された娘のクラウディアだったが、娘の言葉はアブラハムにとって自分が出来なかった事を鋭く突いてくるセリフだっただろうな、と感じてしまう。
登場人物の心情が練りに練られた、素晴らしい脚本だと思う。
思い出の家に、仕立てミシンとメガネの男性。彼がそこにいる、ということも「待っている」を言葉だけにしない、最高の出迎えである。
アブラハムがいつ現れてもわかるように、窓辺で仕事をしていた友の人生に思いを馳せる。70年という歳月を一気に飛び越えるような、「俺の最後のスーツだ。型紙を送ってくれた」「あの青いスーツか!」というやり取りが聞こえてくる頃には、涙が止まらなかった。
映画は人生との出会いだ。素敵な人と出会えた喜びを分けてもらえる、素晴らしいおじいちゃん映画。おじいちゃん映画好きにはたまらない一本である。