「3・2・1・ブーッ」少女邂逅 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
3・2・1・ブーッ
比較的地元から近い処でのロケ地であるので、親しみを感じながら鑑賞できた作品である。監督は20代の女性監督であり、地元が高崎であるのも勝手に親近感がでるのかもしれない。とはいえ、若い内から映画作品を作れるということの才能と環境にはビックリする。かたや何年経っても映画を撮れない老年の監督もいるのもまた、世知辛い世の中である。
今作品に原作があるのかは不明だが、ストーリーは大変良く出来ていると感じている。では、実際の映像ということになると、荒削りの部分は否めない。映画というモノは、実際どれだけ監督が意図して制作されいるのか、そしてプロデューサーがどれだけ作品の出来映えを当初の予定との近似値に収めているのか、それとも完成形に納得しているのか、観客にはその情報は得ることは出来ない。勿論、まかり間違っても「失敗作」でしたとはアナウンスする筈もないだろうから、その出来の評価は観客それぞれである。よくアフタートークが催されるが、その場でもエクスキューズが語られることは殆ど皆無である。なので、ここが違うんじゃないかと感想を述べる程、見当違いも甚だしいと制作側が思うだろうから、レビューとは難しいモノだ・・・
自分的には少女時代特有の澄み切った瑞々しさ、そしてその裏に隠された女性特有の陰湿さ、そのなかで“百合映画”としてのプロットをきちんと織込んでいることは評価できると思う。冒頭の痛々しい“苛め”シーンにおける、いじめっ子達の酷さが無理なくしかし強調できているからこそ、主人公の絶望感としかし自殺への勇気が持てない情けなさが演出出来ている。
本作の難しいところは、果たしてファンタジーと現実がどこまで折り合いをつけるのかということだ。転校生は限りなく“日本昔話”的なイメージ。“蚕”という知ってそうで実はその生態に不勉強な自分としては、ネットでサイトを開けた途端に、幼虫の顔のアップに目眩がして直ぐにパソコンを閉じた程強烈なご尊顔である。そんな蚕の余りにも不可思議且つ不条理な生態(家畜化されていること 但しその家畜としての品種改良の過程は不明 都合良く成虫になると口がないので食物を摂取できず直ぐに死ぬこと なのであくまでも種の保存のみでの存在価値)が、正に女子高生達のその性質との近似に、上手くメタファーとして組み込まれていることは良いのだが、ただ、傷付けた体から糸がでていること、夢なのか現実なのか分らない夢想シーンなど、その境界線が曖昧な為、かなり混じり合ってしまって、表現が曖昧になってしまっているのは勿体ないと思う。もしかしたらこれもわざとで、狙っているのかもしれないのだが・・・
オチとして、往年のドラマ『高校教師』オマージュなのか、父親からのセクシャルDVでの餓死(これも蚕そのもの)と、その後追いでのリストカットのシーンは、何とも言えない哀しさと切なさが、50代のおじさんでも痛い位に伝わる印象的な演出である。
もう少し、主人公二人の演技力が付いてきたら、もう一度リメイクして欲しい、それ程の期待な内容であった。
『虫には痛覚がない』というトリビアもちりばめれていて、勉強になる要素も多分にある作品でもあるw
イヤイヤ、こちらこそすみません。僕は少女が最後に意味なく死ぬ物語が駄目なだけです。
高野悦子さんの『二十歳の原点』って僕らの時代のアイドルだったんです。ついつい、言葉に力が入ってしまい申し訳ございませんでした。
また、よろしくお願いいたします。では。