少女邂逅のレビュー・感想・評価
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邂逅=蚕(カイコ)
少女漫画原作の映画作品は数多くあるが、本当の意味で少女漫画の感性を映像に焼き付けた作品は少ない。これはその数少ない1本だ。岩井俊二作品にも匹敵する純度の高い少女漫画性のある実写映画を初めて観た気がする。
邂逅=蚕(カイコ)、2人の少女の世界は純白のカイコの繭に包まれているかのように狭くて純粋だ。クラスに馴染めず外の世界も知らない2人のこの世界は、青春時代の僅かな瞬間にしか存在できない。20代前半の枝優花監督だからこそ、描くことのできたものであろうし、監督にとっても今じゃなければ描けないと思えるものだったと思う。
彼女の感性は京都アニメーションの山田尚子にも通じるものがあると思う。『リズと青い鳥』と本作は比較できるところがたくさんあるだろう。物語も、撮影も録音も荒削りだが、それすら魅力に転じさせる力を持った作品だった。
この作品が公開された時、枝優花監督は24歳でした。素晴らしい才能の...
この作品が公開された時、枝優花監督は24歳でした。素晴らしい才能の持ち主ですね。今では?珍しいgirl meets girlの物語です。とにかく穂志もえかさんと共に主演を務めたモトーラ世理奈さんの不思議な魅力がScreenの中を駆け巡っています。新宿武蔵野館で連日トークショーが開催されていましたが同時期に上映していた「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」のプロデューサーとのtalk & teach inは大手シネコンには無いミニシアターならではと思いました。
『死んで楽になる』と言うが、もし違ったらどうする?
女性の監督だと思って見たが『二十歳の原点』の様に感じた。
『二十歳の原点』の著者である彼女が生きていれば、74歳で団塊の世代真っ只中。残り一年の寿命だよー。
そう言えば、この主人公の女優サンが原作者に似ていると感じた。
いつも死生観を考えて思うのだが。『死んで楽になる』と言うが、もしそれが違っていたらどうするんだろう?体を焼かれて、骨壺に入れられ、真っ暗な世界から一歩も動けない。
『死ねば天国に行ける』って言うのはむしろ『反語』であると思ってしまう。しかも、その正解は誰も知らない。
『こんな狭い所からおさらば出来て羨ましいね』って、言うまでもなく、その閉塞感は自己の問題じゃないかなあ。
お嬢様が、自分の生まれ育った場所や国に嫌悪感を覚え『外の世界には絶対に夢が存在する』と誤解する。そして、結論は脱亜入欧に見出してしまう。しかし、現実の世界は寧ろ地獄みたいな所が多くて、生きる事は大変。リストカットする前にドローンに殺される。または、路上で寝ている間に逆走してきた輪タクに惹かれて即死♥。ならば良いが、その事故で重症を追ってお金が無いので、医者にも行けず自分の万年床でのたれてしまう。そんな世界だよー。
【”きっと、世界はもっと広い。”女子高生同士の苛め、生きる儚さ、残酷さ、女子高生が大人の女性に変容する様を可視化した作品。多様な見方を許容するアーティスティックな作品でもある。】
■いじめをきっかけに声が出なくなった小原ミユリ(保紫萌香)。
自己主張もできず、周囲にSOSを発信するためのリストカットをする勇気もない。
そんなミユリの唯一の友達は、山の中で拾った紬と名付けた蚕だったが、ある日、昔は仲が良かった、いじめっ子の清水に蚕の存在がバレて捨てられてしまう。
そんなある日、ミユリのクラスに富田紬(モトーラ世理奈)という不思議な雰囲気を漂わせた少女が転校してくる。
紬は前日、苛められて居たミユリを助けてくれた少女だった。
二人は急速に仲良くなり、紬は可なり強引に沖縄旅行に行こうとミユリを誘う。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・個人的な感想だが、富田紬はミユリの唯一の友達で、山の中で拾った紬と名付けた蚕(で、苛めっ子に捨てられる。)の生まれ変わりであると思う。
ー 劇中、生まれ変わりの石があるという沖縄の大石林山に行きたいという言葉や、実験で蚕を湯に入れるシーンでその湯をひっくり返す紬の姿。-
・蚕は、劇中で紬が言っているように、他者の為に糸を出すが自らは2日しか生きられない弱き虫である。
だが、蚕のお陰で人は布を古代から織って来た。
養蚕業が盛んな時代もあったくらいである。
自らを犠牲にして、他者に尽くす、貴重な生き物なのである。
<今作のラストは残酷だ。
苛めっ子から(この女子高生自身、実はミユリの事が好きだと思う。)”あの子死んだよ。部屋の隅で。餓死だって。親から性暴力を振るわれて、売春もしていたみたい・・。”と淡々と伝えられる。
実は、一番苦しんでいたのは富田紬だったことが分かるシーンである。
紬は自分を大切にしてくれたミユリを助け、自身は死んでいったのである。
そして、それを知ったミユリは列車の中で、手首にカミソリの刃を当てる。
鮮血が白い肌を流れていくのである。
今作は、観る側に様々な解釈を許容する、印象に残る作品だと私は思う。>
最後の部分はしょり過ぎ
旅行を出かけるところまでは、心理描写や暗示をいろいろ描写しているのに、それ以降は全くと言っていいほど描かれていない。
怖くなって逃げ出したという解釈をしている人がいたが、そう受け取れるような演出でもなかったと思う。
裏切りや、絶縁や、背伸びの火遊びや、上京やら、どれも断片的で、何がどうなっているのか掴めない。
好意的に解釈すると、見る側に「ご想像にお任せ」する意図なのかもしれないが、主人公の心理の変化すら把握できないような丸投げ方はどうかなと思う。
それとも見たものがカットされていたのだろうか。だとすると とんでもない編集ということになるが、おそらくオリジナルだろう。
とにかく消化不良だった。
映画を見慣れている人ほど辛口のコメントをすると思います
女子高生ゆえの未熟さであったり、学生という身分での行動範囲の制約などそれらに抗おうとする若さゆえの行動がいたいけであり懐かしくもあり楽しめました。正直大学生になればそれくらいのこと普通に出来るよと思うようなことをなんとか頑張ってやろうとしている感じが何とも懐かしくてよかったです。
アングルであったり演出の仕方に関しては映画をよく見ている人からすれば酷いという評価になるのかもしれませんが、私は逆にこのような今どきの若者がiPhoneで撮るような自然な描写を意図的に用いるのは面白いと感じました。
アラサーではありますが、私たちが子供のころにはクリームソーダというのは当たり前の存在でしたが今の若い人からすれば逆に新しい、バズるという感覚ということにジェネレーションギャップを感じています。
青春と言えば若い男女の恋愛という印象がありますが、私は思春期ゆえの葛藤であったり、同性の友情の方が青春だと思ってきているためこの作品に対して高評価をしてます。ある程度年を取ってくると男女の云々は正直どうでもいいなという感じがしてきました。
ネタバレになりますが、主人公が沖縄に行くのを直前ですっぽかしたというレビューを見かけましたが、すっぽかしたのではなく、主人公がツムギの糸を抜ききってしまったためにツムギは蛹になってしまったの方が正しいのではないかと思います、ツムギの作中のセリフから察せられるように最終的には何も食べれなくなって部屋の隅で餓死したという方が私は合点がいきました。蛹になっても蛾になってもいずれも死という表現をツムギが敢えてしているのは、蚕の幼虫であるうちに沖縄に行かなければ意味がないという暗喩なのではないかと思いました。わざわざ夏休み前のテスト期間にサボらせて沖縄に行こうとしたのも自分が蛹に近づいているのを察していたのではないかと推察できます。
庵野監督のラブ&ポップを楽しめた方はこの作品も楽しめるのではないかと思います。ある程度人生経験をして「その気持ち分からなくもない」という感覚になれば楽しめると思います。現役女子高生が見て楽しめるものではないのだろうなと思います。一周回ってそんな時期もあるよなというある程度大人になった人が若さゆえの葛藤を楽しむ作品かなと思います。
保紫萌香が可愛かった
いじめられたことがきっかけで話せなくなってしまったミユリは森で蚕を見つけ「ツムギ」と名付け大切に飼っていたが、いじめっ子にその事を知られて、蚕を捨てられてしまった。唯一の友達を失い絶望するミユリだが、ある日、ミユリの学校に「富田紬」という少女が転校して来た。蚕と同じ名前の紬と仲良くなり2人で沖縄に行く計画を立てるが土壇場ですっぽかしてしまった。さてどうなる、という話。
なんか悲しい、切ない話で感情移入して泣きそうになった。
ミユリもだが、紬も相当悲惨な環境で、自分が彼女たちだったらどうしただろうと考えながら観てた。
答えはないけど・・・、やはり抵抗しないと始まらないのかなぁ、とは思ったが、無理かも。
ミユリ役の保紫萌香がすごく可愛いかったし、富田紬役のモトーラ世理奈は相変わらず存在感あった。
監督は何を表現したかったのか分からない
意味不明の抽象的カットが散見し、遠回しな台詞のために何を言いたかったのかが良く分からない。
たぶん、監督さんは「分かる人に分かってもらえば良い、分からない人に分かってもらおうとは思わない」という気持ちで作った映画だと思う。
と言うことで「よく分かりませんでした」と答えておきます。
ただ、モトーラ世理奈さんの不気味な表情はすごい。これだけは見る価値あり。
「邂逅」 かいこう....と読む。
偶然や運命的な出会いという意味らしい、、
この言葉すいません知りませんでした。
保志もモトーラも大好きなので見たかった映画ようやく観れた。監督の新作「息をするように」との併映でラッキー。
順撮りしたのか主人公の変化が自然で見やすく、イジメやDV、鬼畜な現実のなかで幻想的なシーンも効果的であった。邂逅=カイコ、説もあり得るな。
若年層の虐め、DVやレイプ、売春はかなり問題になってるし見えづらい部分で氷山の一角なんだろう。
こういう形ででも描かれる事は意味があると思うんだけど、、、映画や小説など創作物では少々鼻に付いてきた。話の流れに目新しさはないが、監督や役者の若さ、撮影部も女性、いろいろ危うさとみずみずしさが紙一重で結果上手くまとまったんじゃないかと思う。いや、実力かもしれない。
スピンオフも全部見たけど、、、、イントロは「金魚プール」パクリだし、終わりは保険のCMみたいで「ツムギどこいった?」映画の余韻が吹き飛んでいただけなかった。こちらは観なくてよいと思う。
思ったよりも怖い、踏み込んだ台詞回しに驚く
ようやくムーラボ屈指の名作とも言われる作品を初鑑賞。期待値が上がりすぎていたのもあってかそこまで咀嚼できず。ただ、枝優花監督の才能はホントに凄くて圧倒される。
初っ端からコイツ何言ってるんだと思われるかもしれないが、女性監督らしい踏み込み方をする台詞回しだと思った。パンツをあげたり、生理を共感のパーツに使ったり、初体験を"終えた"ように取ったり。純粋に男性の脚本じゃ起こせないし女性監督じゃないと踏めないアクセルだと感じた。
作品に関して言うと、二人の距離感そのものが鋭利な方へと流れていくことによってハマれなかった次第。紬との出会いによって彼女が変わったのは分かるのだが、イジメの克服や揺れ動く心の着地点がどうも見いだせなかった。あまりにスッと関係性が変わってしまうし、夢を現実に落とし込まれてしまうのがどうも気になってしまった。また、作品の核もこちらに委ねているので少し複雑に写った。何より『放課後ソーダ日和』を先に観たので、そこまでクリームソーダが出なくて寂しかった。これは蛇足だが。笑
保紫萌香の横顔がきれいで、モトーラ世理奈の表情がこちらを試しているようで…実は観ている自分が空っぽだったりして。
【カイコ】
間違っていたら、申し訳ないのだけれど、もしかしたら、あのタイトルは、出会うの「邂逅」と「蚕(カイコ)」をかけたのだろうか。
重く、切ない物語だが、これは、僕たちの生きる世界の断面だと思う。
エンディングで明かされる事実の伝えられ方も、敢えて人を傷つけることを厭わない僕たちの世界に蔓延している悪意のようなものが感じらたり。
ミユリは、これから繭を作ろうとするカイコで、紬は、繭を作って、まさに死に行くカイコだ。
その出会い・邂逅、対比。
カイコは醜くても繭を作るために大切にされるが、蛾になっても、生きることができるのは数日で、動くことも飛ぶこともままならない役に立たない生き物。
であれば、美しい繭だけ残して、死んでくれた方が良い。
僕たちの世界では、こんな考え方が人に対しても向けられてはいないだろうか。
見た目や若さで判断したり。
カイコや虫には、痛点はなくても、人にはあるはずだ。
物理的な刺激だけではなく、心も苦しくなるのだ。
なぜ、気持ちや心を感じ取ろうとしないのか。
中身が役に立たないなんてことはないはずだ。
カイコと自分を重ねてみるなんて切なすぎる。
これは、見たいところだけ見て、他は目もくれようとしない僕たちの生きる社会の断面だ。
自分の選択
いじめられっ子女子高生が自分を助けてくれた蚕と同じ名前の転校生に惹かれ仲良くなり変化する話。
いじめられて手首を斬ろうとしたらそこに蚕が、という流れから密かに飼い始めた蚕をいじめっ子に逃がされて、そんな折に東京からキラキラ同級生がやって来て、彼女にも助けられ行動を共にしていく。
飄々としていたり、芯があったり、他の同級生とは異なる空気を醸し出す転校生の紬のおかげで、自身が変わり友達は出来るしいじめは無くなるし、とお伽噺の様な展開に仲良くなってもみえないミステリアスさがあったり、授業でも蚕に纏わる話が出て来て蚕の特性が語られたり…。
夢か妄想じゃないと成り立たないものはあるし、山場での選択に繫がるものが全然無いしと粗い部分もあったけど、家蚕の蚕は生きられないのですよ。
MOOSICLAB感は全然感じなかったけれど、痛さと爽やかさと妖しさがとても良かった。
カメラワークも演技も酷い
カメラワークがとにかく酷い。岩井俊二に影響受けてるはずなのに、照明や光がとにかくひどい。主人公2人以外のアドリブみたいな演技がひどくてみてられない。ちゃんと監督はまわりの人達も演出したのかしら?テーマも何十年も前に宮台真司が書いてたようなことを言わせてるだけだし。お洒落な写真や、なんか今っぽいコラムを書いてる人が撮った映画って感じ。映画を信じてないし、興味ないんじゃないかこの監督。インフルエンサーになればいいのに。
美しい
映像全てが生々しくも儚く美しい。
どのシーンも心に刺さり感情が揺さぶられた..
富田紬のミステリアスな感じと、弱さを隠しながらも気丈に振る舞う姿は物凄く魅力的で好き。
君だけでよかった。君だけがよかった。のキャッチコピーは映画全体を象徴し、シンプルながらも心震えた。
【総合評価】
観る人によっては考え方が違うので多くの考察や解釈が出来る。
個人的には少し難解なところもありますがとても深く心に残る青春映画だと思いました。
いろんな解釈が出来そうな作品でした。
なかなか難解なお話ですね。
いろんな解釈の仕方があるように思えますし、ひとつのはっきりとした結論を出してしまうのは躊躇われてしまいますね。
なので、お話そのものには敢えて触れませんが、色彩の美しさや淡さなど監督のセンスを感じさせられる作品でした。
それに相まって主演の御二人の儚げな雰囲気、とても佳かったですね。
枝優花監督と主演の御二人、穂志もえかさんとモトーラ世理奈さん、今後の作品にも期待です。
好みは分かれるかもしれないが一生に一度は観るべき
ずっと観たかった映画をやっと観れた。
登場人物と年齢が近いのもあって自分にはかなり刺さった。もっと早く観ればよかった。誰かに感想を言いたいがあまりにアカウントをつくってしまった。
まず、女優さん二人がとっても美しい。すごく儚くてみとれてしまった。ずっとみていたかった。
ポスターに書かれている「君だけでよかった 君だけがよかった」というキャッチコピーが好き。鑑賞前はミユリ目線だと思っていたがそうではなくて実は紬目線なんじゃないかな、と思った。
ラストシーンが最高に切なくて悲しくて好き。紬の写真がたくさん出てくるところ。本当に好き。
最初は良くも悪くも雰囲気映画だと思っていたがそんなことはなかった。ただ、刺さる人刺さらない人両方いるだろうな、とは思う。とりあえず中高生には刺さると思うし本当にみてほしい。
少女と蚕
まだ粗いかもしれないし、ちょっと岩井俊二入りすぎてるかもしれない。けれど、これ撮ったのが24歳の女子と言われたらやっぱり凄いよね。
主演の二人の女子も魅力的です。穂志萌香もモトーラ世里奈もいい。お芝居はまだまだですけどね。
ロケ地が自分の通った高校だったり、学校帰りによく寄った喫茶店だったり懐かしいです。枝優花監督も高校の後輩なんで+0.5増やしました。次作も期待します。
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