判決、ふたつの希望のレビュー・感想・評価
全109件中、61~80件目を表示
それでも私たちは前にすすまなければならない
予告を見た段階では、レバノンの対立と内戦の怨恨が社会に落とす翳を描いたもんだと。地勢的にも歴史的にも、あまりにも複雑すぎる「マイノリティの集合体を聖地の隣に作ってしまった不幸」を考えると、こんなラストとメッセージなど予想なんてできっこなかったです。思ってたよりも10の4乗倍も深かった。
今年の一番です。しかもダントツ。
脚本、役者さん、撮影、素晴らしかった。
ヤーセルは判決も近づいた日の夜ハンナの元を訪れます。およそ、知性と道徳心を置き忘れてきた、これまでの紳士的な元PLOの解放戦士とは思えない言葉を並べたて、ハンナの心を傷つけます。
低い右フックがヤーセルのストマックを捉える
すまなかった。ヤーセルの、謝罪の言葉を口にするきっかけの作り方は、あまりにも不器用すぎましたが、ハンナの要求してきた謝罪は、この瞬間に完了しました。
判決は、純粋に暴言と暴力の因果関係にのみ判断を下し、ヤーセルに無罪を言い渡します。国を分けた議論のきっかけを作った二人は、共に晴れやかな表情で建物を後にします。お互いに目配せしながら。
ダフードがベイルートから車でたった20分の距離であることや、難民キャンプからも一見普通に仕事に出かけていく生活なんて、知らなかった。シャティーラの虐殺も忘れるなよと、弁護士は釘をさします。あれは、小さくないけどね。
レバノン軍の党首がTVを通じてハンナに呼びかけた言葉がこの映画の主題です。
「それでも我々は、前に進まなければならない」
全員が加害者であり、全員が被害者の歴史を持つレバノンの未来は、恩讐の彼方にある。必ずしも、皆が手に手を取りあう必要はない。ただ全員が、それを乗り越えなければならない。
そんな映画。
劇としても良くできていたし、主題にも感動した。
この名作が埋もれてしまいそうになっていることを恐れています。少しだけ中東の歴史と情勢を知ってもらえれば、この作品の意義もわかると思う。単純な宗教対立なんかじゃないんです。レイシズムなど問題の表層に過ぎない。もっともっと深い傷を、双方が双方に残してきた歴史が、この映画の土台にはあります。もっと、多くの人に見て欲しいって心の底から思う映画です。
原題、侮辱の意味するところは、内戦に負け歴史の負の遺産を背負わされたことであり、武装勢力に家族同胞が殺害されたにもかかわらず、近隣国と欧米の介入圧力でそれらが有耶無耶にされていること。それらがレバノン人民の心底に沈殿し堆積していること、それ自体を指す。2人の男の間の話だけじゃ無いんだと思うですが、まぁ日本人には伝わらないんですね、思った以上に。
私達全員が、この侮辱を乗り越えなければならない。と言う主題も伝わってねぇーーー、びっくりするほど。
自尊心
良い映画でした。
DVDなら観ない類なので、あえて映画館で
思い観てきました。
中東のこと分からないですが、
見入りました。(深く理解してないけど)
皆さんのレビュー読んで
なるほど。ああそーやなぁ。うん。うん。
車のエンコを直してあげた辺りから
グッとくるものがありました。
言葉の暴力って心をえぐり傷つけてるんですね。
ラスト良かった。
複雑な背景、シンプルな理由
見てよかった。
中東系の宗教とか民俗とか思想って平和ぼけしている日本に住んでる私には何処の話ですか?って感じで始まった。
レバノン人のおじさんが、パレスチナ人がわざわざ作ってくれた排水溝を壊して、(人の親切を顧みずに暴言を吐く)で、パレスチナ人も暴言を吐いて。殴っちゃうって話なのに。
裁判がはじまっていく当人達が想像しない流れに話が膨らんで、政治抗争や第三者からの攻撃とか。
二人の過去の話とか、何故そこまで憎むのかとか。
色々納得いくところに落ち着いて行くという。
ストーリーと観客の心を同時進行で進めていく。
悪奴じゃない、人間だものっていう描写が泣ける。
車修理。
謝罪。
あぁ観てよかった!
見なかったら知らない話理解できない話で終わってた。
理解できなくても知ろうという思いが湧いてくる!
最後号泣。
レバノンの歴史と現状を理解してないと、登場人物の行動理由がサッパリ...
レバノンの歴史と現状を理解してないと、登場人物の行動理由がサッパリ分からないと思います。
解説してくれているレビューを読んでからの鑑賞をオススメします。
普遍的な差別と偏見の物語
社会派の法廷劇であるものの、わかりやすく丁寧に作られていました。
そしてなにより、鑑賞後、自分はどうやって生きていくべきかと自問自答するほど、我が身にも関係の深い問題であると意識せざるを得ませんでした。
物語は、レバノンの首都ベイルートで起きた、水漏れを発端とした些細な小競り合いから始まる。
それぞれが謝罪を口にすれば良いだけの個人の話のはずが
、二人はそれぞれ、パレスチナ難民と、キリスト教徒のレバノン人だった。
売り言葉に買い言葉でついた悪態が、各々の人種、民族、政治、宗教、紛争や歴史的な侮辱につながる言葉<ヘイト>だったことが事態を悪化させ、舞台を法廷に移し、国を二つに割る政治的な大事件に発展してしまう…
これは、レバノン、パレスチナだけの話ではなく、国際的に普遍的な問題だ。
偏見、ヘイトはどの国にも、何らかの形で存在している。
そして、事態をややこしくするのはいつも、歴史として積み重なった、個人の持つ過去への「怒り」と「差別に偏見」。
偏見の原因は、相手を知らず理解していないことや、お互いを尊重する気持ちがないこと。
我が国にも、出身国(国籍)、出身地域、男女性差、LGBT、病気、趣味嗜好、貧富、学歴etcといった、差別と偏見の歴史と現実があります。
映画冒頭に「この映画の見解は、監督と脚本家の考えを基にし、レバノン政府は認めていない」と注意書きが出ることからいって、作品の示す方向は創作であり、収斂していく結末は、ある種の理想論でしかないものの。
全世界では移民が大きな問題として存在し。
我が国でもこの先、移民受け入れや、国際結婚による二重国籍の子供の存在から目を背けることはできない中で。
邦題が示す「ふたつの希望」が、ありとあらゆる国や人との間に生まれたらいいのに、と願わずにいられませんでした。
こういう気持ちにさせてくれた本作を、傑作だと思った次第です。
傷負い人が、人に傷を負わせる悲しみ
難民キャンプで、学校の先生をする日本人がいるそうです。家も仕事も失った大人達と、暮らす子ども。席を譲ることも、分け合うことも出来ません。そこにノートやら、おもちゃやら、物資が届きます。彼女がポツリ。あの子達に必要なのは、モノじゃない…。
自分にとって正しいことが、隣人にとっての迷惑だとしたら、どう対処します?。故郷を追われた記憶に苦しむ人が、他者に寛容になる方法は?。法律に、過去の事件、暴走する大義。それらを乗り越える強さと優しさは、どこで調達できます?。
きっかけは、些細なことでも、歴史と政治の話が始まると、ヒトは絶対分かり合えないと考える私にとって、本作は、邦題通り、希望です。
さっきのキャンプの話ですが、トラブル続きの日々でも、教室を掃除したり、机を整頓したりする子が、ひとり、また、ひとり…。奪い合いから、譲り合いへ。先生にとって、彼らこそ、希望なのでしょう。
分かち合うことの難しさと
分かち合うことの喜びは
あなた自身で確かめて
あなた自身で確かめて
サンボマスター「手紙」
本作を観ていたら、思い出した曲です。ビデオグリップが、けっこうリンクします。興味ある方は、ご検索を。それと、本作をご覧になった方、もれなく全員に「戦場でワルツを」を、お薦めします。劇中、突如登場した六芒星の意味が、なんとなく分かります。
tohoシネマズ海老名に感謝!
まず、こんなゴリゴリのミニシアター系を、tohoシネマズ海老名という大きなシネコンでかけてくれた事に感謝します。
さて内容ですが、登場人物がみんな我を押し通そうとするので、どんどん騒動が膨らんでしまうというストーリーです。
観ている方からしたら、コイツら何をそんなにこだわっているんだ?と疑問に思う様な幼稚な争いです。本当に小学生レベルの言い合いです。
しかし、裁判が進むにつれて、起こるべくして起こった事件で、表面とは裏腹にその背景は単純な内容では無いと理解が進みます。
思慮の深い人の少なさ、他民族への不寛容。
さまざまな要因で自体が深刻化していき、もはや手に負えません。
怖いのが、この民族主義的な旦那が、遠い中東の地だけでなく、どの国にも必ず一定数いる存在だという事です。
民族主義のぶつかり合いの危険さを感じました。
あの辺の政治組織や、歴史の流れを軽く掴んでおくと、スムーズに鑑賞できます。
複雑に縺れた紛争の糸を、丹念に解く…
中近東の複雑な紛争の歴史を背景にした法廷劇と言うことで、少し腰が重かったのですが。
普通に良質なエンターテイメント作品として楽しめました。
紛争の歴史を知っている方が、より深く理解出来るのだろうが… 今や、それが複雑に縺れた糸の様になってしまっているからこそのストーリー展開となっており、決して遠い国の話しでは無くどこの国でも起こりうる人の愚かさ・愛おしさを、感じられるヒューマンな作品でした。
個人的には、人は争い無くしては生きられない生き物で、戦争は無くならないと思っている。
生まれて来る子供は無垢なのに…。
世界はほんとうに複雑なのか?
単一民族で島国にっぽんの私達には難しい主題である。紹介では普遍的な問題を描いているから予備知識なくてもわかります、と書かれてあったが、観客動員のためにはそう宣伝しないとね、と解釈しておく。
「シャロンに殺されてたらよかったのに」と出てきて、『シャロンって何?シャロン・ストーン?あっ、もしかして氷の微笑の足の組み換え、あれじゃね?』と思ってるような輩(自分だというのは内緒)でもわかるのかな。
先の侮蔑を浴びせられてどれぐらい屈辱的なのか想像がつかない。想像がつかないからヤーセルが職を失って苦悶するところで驚いた。クビがそれほど痛手なら感情一切を捨てて謝っておけばいいのに、と思ってしまう。
そういう発想が、すでに単一民族で島国にっぽんなのかもしれない。日常、自尊心を心の奥にしまっておける社会で暮らしている。ところがあちら、民族と国家が混じりあった土地に生きる人たちは、肌と下着のあいだぐらいに自尊心をまとっていそうだ。尊厳と生活は寄り添いあって、ときに反目しあったりするのだ。
世界は複雑である。しかしあえてその複雑さを拭い去って「世界は一家、人類は皆兄弟」の視点でみるとどうだろうか。
トニーは血の気が多い。あの排水溝は問題あり。それを無償で直してくれたのだから、壊さなくてもいいだろう。どんな民族のどんな国家のどんな思想家のどんな宗教をもった人であれ、あの性格はトラブルメーカーだ。
そうかそうか、シンプルにみたら、事はシンプルなんだ。
となると、注目したいのは一審の判決だ。さっと流れた場面だけど、あの判決はものすごくまっとうだ。直感的な判決だけど、あの裁判官は確かな眼を持っていたのではないか。二審から事態は複雑化した、というか、二審が事を複雑化させた。優秀な弁護士らが、問題を解きほぐしていったように見えて、実は問題を積み重ね塗りたくりして、カオスにしてしまったのではないか。
複雑さとはどこにあるのだろう?問題を解くとはどういう行為なんだろう?そこまで思索をひろげるともう収集つかない。たしかに普遍的である。
世界で起こる民族問題にもっと関心の目を向けるべきかも。
この作品にコメントを寄せている著名人の方たちは、実際、今の中東情勢をしっかり把握しながらコメントされているのだろうか?私は、今ある中東問題を不勉強のまま詳しく知らないままこの作品について「民族の諍い」について鑑賞させて頂いたが、歴史を踏まえた奥深い感想を今までの中東問題における出来事を忠実に把握して感想を述べることは作品について失礼であると思われる。隣近所の些細な諍いにより、民族問題にまで発展するという世界で今現在起きている民族紛争等々の深部にまでにつながる問題、事実を即して述べることは、苦しい。
トニーが幼少期に経験した「ダムールの虐殺」事件の真相が、彼の中でこんなにも燻っていることを知り、中東の危うく脆い民族問題について考えさせられた。という感想で良いのか?
「お前の母ちゃんデベソ」的な。いや、それ以上の人間否定からはじまる諍い。
キリスト教徒もイスラム教徒も住むレバノン。ささいなもめ事が雪だるま式に大騒動に発展していき、本人のあずかり知らぬほどの対立へと・・・。
やはり気になるのは、そこから先だ。
どう収束するのか、ということだ。
果ては紛争へと発展し、また泥沼のいがみ合いに転げ落ちるのか。
もしくは、あれほど世間を巻き込みながら、決着をつけることができるのか。
ラストは、思いのほかすがすがしかった。
意固地になることも、卑屈になることはない。我を通しすぎるのもよくないが、自己の存在を否定することもない。
ただ、相手が何者であり、相手という人間自身を知ることだ。相手の属するクラスタで紋切り型に決めつけるのではなく、どんな人間なのかを見つめることだ。すると、あんがいすんなりと物事はかたがつく。好きになれなくても認めることはできるかもしれない。この映画のように。
傑作
レバノンを舞台にした法廷劇。
隣国から逃げてきたパレスチナ難民と、キリスト教徒のレバノン人(レバノンで最も多いのはイスラム教徒だが、フランス統治の影響でキリスト教も多い)の、ちょっとした口論が裁判に発展し、やがて、社会を巻き込む騒動になっていく。
法廷劇と聞くと、退屈そうな印象もあったんだけど、意外にもエンターテイメント性は高い。テンポのいいストーリー運びと、メリハリの効いたショットによる演出は飽きさせない。
当然、中東固有の事情が個人のケンカにも影を落とす。
それぞれ主人公たちは、互いに殺し殺され、奪い奪われ、侵し侵されてきた、宗教的、民族的な背景を、否応無しに背負ってしまうのだ(直接は登場しないがユダヤ人=イスラエルの存在も意識される)。
ゆえに、状況はどんどん混沌としてくる。
映画としては、裁判の判決までを描いている。
しかし、単純ではない。
裁判だけで決着する話でもなく、主人公同士の法定外でのやりとりもある(とてもいいシーンだ)。
この「単純ではないこと」を描くのに、映画というフォーマットがとてもよく機能していると思う(特に長さと、裁判で主人公たちの過去に触れるという時間軸=歴史の扱い方の点で)。
主人公たちの演技も素晴らしい。
中高校生に教材として使うと良さそうだ。
原題のまま「侮辱」を邦題に
どんなに腹を立てていても言ってはいけない言葉というのがある。
相手が生きているその根幹に関わることで、その人が人であるための尊厳に触れるような言葉。それを言ってしまったら文字通り「おしまい」なので、致命的な言葉を間違って吐いてしまったら、言葉を取り消すことができないし、後戻りも出来ない。
それをテーマにした映画を観た。
ストーリーは、
レバノンに住むキリスト教徒のレバノン人、トニーは自動車修理工で、妻と二人でアパートに住む。妊娠中の妻は、子供を育てるならいま自分達が住む都会の小さなアパートではなく、都会の喧騒や混雑から離れた、夫の家がまだ残っている田舎で暮らしたいと思っている。しかし夫は頑なにその案を拒否している。
アパートのベランダで洗濯した水は、配管のない2階のベランダから直接外に流れ落ちる。狭いアパート下の路面で工事を始めた工事責任者のヤセルは、洗濯の汚水を浴びて腹を立ててベランダから突き出たパイプを切り落とす。この工事責任者のヤセルは、パレスチナ人で寡黙で優秀な技術者だが、モスリムで難民出身だ。ヤセルはベランダから切り落としたパイプから新しい配水管をつけて水が外に漏れないようにする。しかし怒り収まらないトニーは、その新しい排水管を叩き割る。
トニーはヤセルに、勝手にパイプを切り落としたことで「謝罪」を求める。工事が止まって困った市の職員は、ヤセルに謝罪させて、この場をまるく収めて早く工事を再開させたい。トニーの妻も、怒っているトニーの方が水を垂れ流して悪かったので、妥協するように懇願するがトニーは聞かない。市の職員に連れられてきたヤセルは、トニーに謝罪しようとするが、トニーはパレスチナ出身者に言ってはならない言葉「このやろう自分の国にとっとと帰れ」という侮辱の言葉を言ってしまう。怒ったヤセルはトニーを殴って、ろっ骨骨折の負傷を追わせる。その後トニーは骨折した体で、自動車修理の仕事を続けて、職場で倒れ、それを抱き起して病院に送った妊娠中の妻まで、早産で未熟児を出産するという不幸が重なった。
トニーを負傷させ逮捕されたヤセルは、頑なに沈黙を守り、何が起きたのかを言おうとしない。トニーにはレバノンのキリスト教側のサポートが付き、ベテランの弁護士が付いて裁判が起こされる。裁判では圧倒的にトニーが有利な状況だ。たった1本のバルコニーの排水管をめぐって怒り狂うトニーと、静かに黙し、どんな罪も受け入れると、自己弁護を一切せず沈黙を守るヤセル。孤立するヤセルに人権問題を専門とする優秀な女性弁護士が現れる。何とそれはトニーの弁護士の娘だった。父娘の裁判所での対決はそれでなくても注目を浴びた。
トニーとヤセルの裁判は、大きな問題として報道され、レバノンのキリスト教支持者と、モスリムの支持者とに分かれ、互いの支持グループがデモでぶつかり合うような社会問題にまで発展した。
レバノンの自動車修理工がパレスチナ難民出身者を侮辱したために殴られた。殴ったヤセルが謝罪すれば済むことだったのに、それが民族問題、宗教問題に発展してしまった。裁判の途中で、トニーの弁護士は、なぜトニーがこれほどにパレスチナ難民を憎むのか、調べるうちにトニーが生まれ育った国境近くの村が、トニーが6歳のときに、モスリム勢力に占領され、大規模な住民虐殺の起きた村だったことを突き止めた。トニーは幸せだった田舎での生活を奪われ、家族親族を虐殺され、難民となって都市に流れて来た体験が、ムスリムへの憎悪、難民への侮蔑に向かっていたのだった。トニーの弁護士は法廷でそれを明らかにする。
トニー自身が認めようとしなかった根強いモスリムへの差別意識の根源が、衆人の前にさらされ、6歳のころから閉ざして思い出そうとしなかった自身の過去に、トニーは対峙することになる。自身の過去に、心の整理をつけなければならない。6歳で去ってから30年近く、訪れることのなかった故郷にトニーは初めて帰る。家は荒れ果てていたが、当時そのままだった。かつての果樹園は林になっていた。その大地に身を投げ出して、初めてトニーは自分では抑えきれなかった「怒り」を「赦し」の心に変えることができた。
というお話。
この映画のみどころは、トニーの顔の変化だろう。トニーは都会の小さなアパートで妊娠中の妻と暮らし、妻の話を聴こうとしないし、平気で妻を傷つける。仕事熱心だが幸せそうではない。何をしていても、何をしてもらっていても、いつも怒っている。平気で難民を侮辱して、絶対に人の言うことを聞こうとしない。妻や役所の職員や裁判官がどんなに説得しても耳を貸さない。そんな幸せでない、世界の不幸を一身に背負ったように見える男が、裁判の過程で裸にされて、初めて自分自身の姿に気が付いて、傷跡を再生させていく。映画のはじめからトニーの怒った顔が、最後の最後になって、まったく別人のような柔らかな顔になる。その大きな変化、それだけのためにこの映画が作られたと言っても良い。
一方のパレスチナ難民ヤセルの寡黙で、達観した姿は、キリストのようだ。好きで難民になったわけではない。自分で選んでレバノンで技術者になってレバノンに住んでいるわけではない。両親が生まれた土地で暮らしていければそれに越したことはない。レバノンで少数民族として生きなければならないパレスチナ人にとって差別は、常に付きまとう。
人には誰にも誇りというものがあり、人の尊厳に関わる言葉を吐いたもの、侮辱したものは、差別禁止法によって裁かれ、罰を受けなければならない。
原題の「INSULT」(侮辱)という言葉はとても強い言葉だ。普通の日常会話には出てこない言葉で、直接に告発とか、訴訟、犯罪に関わる言葉だ。侮辱する方も、侮辱される側の方も傷つく。その意味で、邦題を「判決、ふたつの希望」としたのは、まったく映画の内容に合っていない。はじめから裁判が和解のためにあったようなイメージを与えて、本来の映画とはかけ離れた題名になってしまったように思う。
2018年アカデミー賞外国映画賞候補作。オーストラリアシドニー映画祭観客賞、ベネチア国際映画祭男優賞受賞作品。
寡黙さがちょうど良い
些細なことから大きな問題に発展してゆく典型的なストーリーではあるものの、実は些細なことではなく、それぞれの背景にあるものが大きかったということが、ストーリーを骨太にしている。
これにある関係のそれぞれの弁護士の戦いが絡みあってきたり、彼らの意思に反して民意や国家を巻き込んでの大問題へと発展してゆく。
ただ、中途半端な描きになってしまっている部分が多く、もっとわかりやすい劇的な演出があっても良かったのかもしれない。それはハリウッド映画の見過ぎかな。これくらいの寡黙さがちょうど良いのかもしれない。思う心と出る態度が上手く表現できない時もある。それでもいい。いつか伝わるから。
世界を救う映画だと思える
頑固者二人の些細な争いがレバノンの抱える問題を浮き彫りにし、国を巻き込む大騒動へ。
これは遠い国の遠い話ではなく、私たち自身の話だと感じた。
この映画があれば世界は救われるんじゃないかと本気で思わずにいられない。
序盤からトニーの極右思考に辟易とさせられるが、国は違えど私の中にも彼のような感情が無いとは言えないし理解できる。
同時にヤーセルの境遇と感情も痛いほど理解できて、もしあんな屈辱的な言葉をぶつけられたら私も殴りかかるだろうと思う。
起きた出来事を見れば同情を誘うのはヤーセルの方だし私も正しいと思うけれど、後に明かされる昔の苦悩が無くともトニーをどうしても完全に否定出来る気がしない自分がいることに気付いた。
弁護士が付いて裁判が再始動してからの、当人達の意図を超えた範囲まで話が広がり周りがどんどんヒートアップしていく様が非常にスリリング。
深掘りに深掘りを重ねて二人の過去と思惑の真相が紐解かれて見えてくると、新たな発見もあり新たに苦しむ人が現れて。
これに収集付けるのは不可能なんじゃないかと思えてくる。
判決ひとつで国の状況までもがガラッと変わりそうな事態、さてどんな複雑で深い判決の言葉が聞けるのだろうと身構えていたら「被告は無罪」という簡潔な判決の言葉に一瞬だけ拍子抜けした。
トニー側の周りの人間が怒るんじゃないかと、右思考の民衆が暴動を起こすんじゃないかと思ってしまったけど、判決を聞いた皆の反応を見てこれで良かったんだと思うことができた。
トニーがヤーセルの車を修理した時点、ヤーセルがトニーを煽り殴られた時点で二人の間では既に答えが出ていた。
極右思考のジジイだったワハビー弁護士が2ヶ月の裁判の中で二人の背景とレバノンの歴史を再度洗い直し、思考に変化が生じていた。
色々な人が色々な成長をしていて、双方が互いに望んでいた結果だったんだと気付いた。
観ている私も忘れていたけど、そういえばこれ元々個人同士の諍いの裁判だった。
最後に二人が目を合わせた時の表情がすごく良くかった。
好きなシーン、忘れられないシーンが沢山ある。
特に一番好きなのが、トニーがヤーセルの車を修理するシーン。二人の動作を対にした一連の動きでまず鳥肌が立ったし、その後のトニーの引き返しには涙が止まらなかった。
出頭前にヤーセルが職場仲間の人達に心配される場面も好き。あの一コマで彼の人柄をすぐに把握できる。
ヤーセルが「中国製の工具は使えない」と発言したとき「お前分かってるな」的にトニーがチラッと見る所も大好き。
レバノンの歴史、宗教や内戦、難民問題を特に調べないまま観た。
最初は下調べしておけば良かったと思ったけど、映画内で要点はしっかり把握できた。変に説明的にならず話の流れからすんなり入ってくる分かりやすい構造だった。
観ているうちに出てくる疑問にきちんと答えを示してくれるのも良かった。
どちらが正しいなんて答えの無いデリケートで難しい問題をここまでエンターテイメントに落としこんでくれているので、法廷劇とドラマを楽しみつつ自分の生き方や考え方を改めて見つめ直すことが出来る、非常に面白い映画だった。
日本でも世界中のどこでも起こり得る事件で、舞台はレバノンだけど終始かなり近くに感じていた。
あの後も国の状態がどうなるか分からないけれど、たしかにふたつの小さな希望を見つけられて良かった。
関係ないけど裁判官や弁護士たちの服装がお洒落で好き。
間違いなく名作、だけど、、、
なんだろう、感動までは至らず。
歴史的な背景がわかると、
もっとぐっと入り込めたのかな。
中東の歴史は悲しい、悲しすぎる。
歴史は変わらない。
新しい時代へ。
でも、感情は残り、
それが争いを生む。
最後の終わり方は、
個人的にあまり好きではなかったのが残念。
とても良い。世界の差別はこんなにある
レバノンなんてどこにあるかみんな知らないですよね。
イスラエルの北にあります。
中東なのにキリスト教徒が多く(シリアも)
イスラム教徒もいるし、パレスチナ難民もいます。
こんな状況で自由にならない不満を、別の人種や、別の宗教に転嫁したりしたくなる気持ちはわかります。
主人公は極右政党の党員と、パレスチナ難民。
是非みんなに見てほしい作品です。
今こそ観るべき映画
この時代、こんなにも考えさせられる映画。
ほんの些細な出来事が互いを傷つけ、引くに引けなくなった結果、国中を巻き込んだ裁判に発展していく。
対立ふたりは本当にそっくりだ。同じものがあるのに相入れることができないのは、彼らにはどうにもすることができない歴史。「正義」って簡単に言うけどそれは何なのか、考えてしまう。
決して忘れることのできない記憶があるのだ。それだけ忘れないようにしたい。
大変骨太な作りの映画であり、作り込んでいないリアルを感じた。最後のふたりのシーンが「希望」なんだと思った。
中東の歴史にあまりに疎いので若干分からないこともあったが、そういうことを知ろうという気持ちにさせてくれるのが映画の力だと思う。知らなければならないことがたくさんある。
全109件中、61~80件目を表示