判決、ふたつの希望のレビュー・感想・評価
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見せ方上手&説明上手!
題材とか、お国の違いからくる理解できない感情とかあると思ったら、全然!憎しみに共感して、こちらもきりきり胸締め付けられながら、そしてお話はどんどん展開していき、盛り上がります。絵的に派手なことは起こってないけど、緊迫感のある演出とテンポで、最後まできっちり仕上がってました。
レバノン!
スペイン映画を見た時に、やけに日本のドラマににてると思ったことを思い出した。
新しい感動を受けるほど、人間関係を理解するのに役立つ映画。
感動もそこから来てる気がする。
とてもしっかり作られていて感動しました。
とても面白かった
不器用なおじさん二人が素直になれなかったために大変な騒動になっていた。特に若い方のおじさんは、タトゥーとか入れている割にお腹に1発パンチをもらっただけで悶絶してしまい、きっとそれがよほど悔しくて法廷闘争に持ち込んでしまったのだろう。しかしそんな彼が、エンジンがかからなくて困っている現場監督のおじさんの車を修理してあげる場面が感動的だった。不用意にむかっ腹を立てる割に、困っている人がいたら即助けてあげられる人だ。だから、現場監督のおじさんが弱った感じで配管工事させてくれと言ってたら何も問題は起こらなかっただろう。現場監督のおじさんが、自動車工場を訪ねて、無駄に挑発して殴らせる場面も素晴らしかった。出会うのが別のタイミングであれば、すごく仲良くなれていたかもしれない。そんな二人の佇まいが人間臭くてとてもよかった。
ただ、バーレーンの事情がよく分からなかったので、事前に勉強していたらもっと楽しかったと悔やまれた。
日本は平和すぎ?
この映画を観ていると日本人は中東のことを殆ど理解していないんだろうなぁ~と感じながら鑑賞しました。
新築住宅が違法建築だったり、難民の不法労働者が現場監督だったり、大統領自身が個人の裁判の和解を勧告したり、最後は日本では考えられない判決だってり・・・。
いろいろと考えさせられる作品でした。
演技、背景設定は見事
しかし、肋骨骨折の胸部写真は、裏表が逆。トニー・ハンナの押さえていた左手は、肋骨の下。かつ、パンフレットの映画エッセイストの論評は、レバノンの文化も、歴史も知らないと言って、書き始めている。テレビの出演者、コメンテーター並みの映画評論が好まれているのでしょうか?良い映画です。
明日は我が身
些細な口論と感情の縺れが周りを巻き込んで大問題に発展。ただ謝罪が欲しかっただけなのに…どこにでも起こりえる問題を見事に描いている作品。明日は我が身、身の引き締まる思いになりました。
2018-208
感情の背景
些細なことで主人公と相手が揉める。やがて、社会的・歴史的な背景も相まって、訴訟問題に発展していく。
法廷の中で、二人がなぜそのような発言や行動を取ったのか、徐々に明らかになっていく。
特に感じたのは、自分が取る行動・発言には、自身でも制御出来ない自分達のバックボーンがあって、その場の問題だけではないということ。
過去を振り返らずに、関係ないのだから、前を向こうというけれど、容易なことではないと感じた。
それでも、物語を通して、変わっていった、二人に感動した。
自分は日本人で、そういった負のバックボーンを直面せずに生きて来たのだと思わされた。
傑作!我が事として考えさせられる重厚なドラマ
これは傑作だった。レバノンとパレスチナ難民の対立や差別意識などを重点に置いて描かれているドラマであるものの、そこに映し出される光景は、今現在世界中の至るところで観られるものであり、どこかで見覚えのあるあるいは身に覚えのあるような出来事に思えたりする。単一民族国家と言われる日本であっても、こういう対立や差別のようなものは確かに存在しているし、国は違えど、この映画に描かれた問題と人々の痛みや苦しみや叫びを、世界中の人々が我が事として見つめたのではないかと思う。
きっかけは些細ともいえる個人同士の問題だった。工事が喧しいとか、水やりの水がかかったとか、その程度のことだった筈が、一方がレバノン市民で一方がパレスチナ難民であったこと、またそれぞれに事情と過去があること、それらはどちらも社会が生んだ悲劇であったこと、個人の問題の根底には社会問題が根を張って居たりすること・・・そういったことが解決の糸を複雑に絡ませてしまい、裁判にまで発展した時点で、あくまで個人同士として始まったはずの問題は民族同士の問題や社会問題に膨れ上がってしまった。この映画は、問題提起として何かを強く訴えようということとして以上に、個人の問題の礎が社会の問題であるということと、一方で社会の問題は個人の問題の蓄積であるということ、そしてまた個人の問題を社会の問題として扱うことの恐怖やその逆もまた然りであることなんかを強く気づかされる内容で、「個人」と「社会」という概念が複雑に重なり合っていくドラマティックさに重厚なサスペンスとメッセージを感じて、終始感嘆しきりだった。
分かりやすいシーンだとは思ったけれど、車のエンストのシーンはやっぱり巧いと思った。社会問題として考えればパレスチナ人を許すことはできない。でも個人問題として考えればエンストして困っている人は助けずにいられない。このシーンのように、人間の矛盾しているからこそ共感できる描写が多数存在して、その都度感心させられた。最後の不思議な和解のシーンも巧かった。
私は日本人という立場でこの映画を「外国映画」として見たわけで、作中の表現を借用すれば「観光客のように」作品を観たことになる。私の立場で観ればとても面白い映画だった。でも私が自国の当事者だったら、この映画をどうやって見てどうやって感想を抱けばよいかは、見当もつかないなと思った。それほど生々しく真に迫るものを感じたからだ。それでも私は☆5より下には出来ないなと思った。
この映画は、傑作だった。
ちゃんと話し合えば1時間もあれば解決できたはず
おじちゃん達の意地の張り合いでこじれまくって国まで巻き込む大事に。ざっくり言うと、水道管から水が漏れてて下の人にかかるから水道管を直したら、叩き壊されてクソ野郎と言ったら訴えられた☆っていう話。
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もちろん問題はもっと複雑で民族、難民、歴史、、とか色々絡んでるんだけど、どうしても叩き壊さんでもと思った(笑)無料で直してくれたのに(笑).
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ちょっとネタバレなのですが、.
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この映画ヤーセルの謝り方が上手いなあと思った。相手に自分の気持ちをわからせた上でさらに殴らせて、そして謝るっていう。さすがのトニーも1本取られたんじゃないですかね。
面白くてタメになる
極東の地にいて、遥か彼方の中東のことを知る。映画を観る大きな価値の一つだよなあ。おまけにその話が面白ければ、言うことなしだ。
些細な喧嘩に見えた諍いなのに、主人公二人は意地を張り合うかのように、どちらも折れない。
一人は「水をかけておいて謝らない」と怒り、相手は「"侮辱"という言葉では済まないほどのひどい言葉で罵られた」と言って、決して謝らない。
観ている側は「それなりのところに落ち着けようという気持ちはないの?」「まるで子供じゃん」と失笑しかねないシチュエーションなのだが、話が進むにつれて、ヨルダン国民とPLO難民キャンプの軋轢というものの深さ、やるせなさがわかってきて、お互いの辛く悲しい胸の内を感じ始められる。
すると、その中で見る二人の依怙地さ、張り合いが、あたかもハードボイルドかのように感じ始められる。
ちょっとした謎解きはあるものの、二人がどうしても折れることができなかった理由というか心情を、スッキリ理解できるわけではない。しかし、かえってそのわからなさによって、中東を少し理解できたような気になるから不思議だ。
PLO難民を受け入れるキャンプを設けることは当然のことと思われるが、PLO敗残兵や民兵による略奪や虐殺もあり、さらにそれらの悲劇はなかったかのように黙殺されているという事実。それを知った自分には、主人公ふたりの折れない姿勢にも、それぞれの理由があると感じることはできた。その真の辛さは、経験している本人たちにしかわからないもので、自分はこうやって映画を観て、少しでもわかろう、感じようとすることだけだ。
映画としてもうまくまとまっている。押しつけがましく説明するのではなく、なぜ依怙地なまでの姿勢を貫くのか、をサスペンスのように謎解きしていく展開は心地よい。
本人の苦悩みたいなものを極力描かなかったのもよかったのではないか。その分、クールに、ハードボイルドになったと思う。
多くを盛り込まず、削ぎ落とすって難しいと思うが、流石だ。
奥さん役の女優、きれいだったな。
2020/2/22追記
「いいね」をもらったのを機会に、あらためてこの映画の背景、レバノン内戦について、Wikipedia を見てみた。そこには、1970年代後半からつい最近まで続いた、レバノンの悲劇が描かれていた。もともとキリスト教徒が多かった旧レバノン(小レバノン)内のアラブ教徒による独立気運を鎮静化しようと、当時の宗主国であるフランスが行った国境線の拡大(大レバノン)から始まる悲劇の歴史は、この映画を観るという経験がなかったら、知らないままだっただろう。みなさんも機会があれば、Wikipedia でレバノン内戦を読んでみてください。
エンジニア魂
いかにもミニシアター系の映画なのでとっくに終わって見逃したと思っていたらなんとTOHOシネマズ。まだやっていた。
馴染みのない国。背景をつかむのが難しい。
まず、アラビア語(?)で「クズ野郎」がどれだけのinsultなのか。もし、日本語に訳された語感からすると、それを言われて謝罪を求めるだろうか?毛嫌いしている難民だとわかったら、「謝りに来い」というよりはもう「見たくない、かかわるな」というのが普通ではないか?謝りに来て和解する気などさらさらなさそうに見えたが。字幕の難しさと謝罪に対する文化的違いがあるのか?まあ、最初はトニーの暴走、という認識で間違いではなさそうだが。
もう一つは中東情勢。イスラエルのユダヤ人とアラブ人との争いくらいにしか思っていなかった。なんと、アラブ人同士、パレスチナ難民とヨルダン人との間で内戦になるなんて。ヨルダンにはキリスト教徒もいるというから知らないことばかりであった。
だから「シャロンに抹殺されていればな」を一審でトニーもヤーセルもなぜ隠そうとしたくらいの言葉なのか、理解できなかった。私がイメージできる難民は外国に保護してもらっているのだから、現地民から今までそんな挑発はいくらでもあったような気がするのだが、どうなのだろう。増して難民でありながら、受け入れた国と内戦になってまで争ったのに、なぜ彼らは追い出されず受け入れられているのか、パンフレットを読んだことからだけでは想像もできない。元の国民から毛嫌いされて当然のようにも思える。
ヤーセルは仕事で現場のリーダーを長年勤めていたようだ。そんなキャラクターは大抵冷静で、差別的挑発に乗らないものだし、実際、その言葉と解雇以外はそんな役柄だった。「シャロンに抹殺されていれば」がなぜ地雷なのか、理解はできなかった。ただ、地雷なんだろうな、くらいにしか。こんな反応はワールドカップでジダンが退場になった事件を思い出させる。
周りがヒートアップしていくなか、当事者たちはお互いの心の傷に気がつき始め理解していく。駐車場でヤーセルの車のエンジンがかからなくなったとき、トニーは引き返してきて修理する。恩を売ろうとしたわけではなく、エンジニアとして、壊れた車は直そうとする性からだろう。お互いが「中国製はだめだ、ドイツ製なら確かだ(日本製でないのが残念)」という価値観も共有している。生業は憎悪を超越するというのは洋の東西を問わないとつくづく感じた。
まるでその恩返しをするように、ヤーセルはトニーを一人で尋ねて悪態をつき、殴らせ、トニーの憎悪を解放してやる。傷ついたもの同士がこれで和解した。
判決は無罪。だが裁判に負けた人はいなかった。トニーも、トニーの弁護士も、実に晴れ晴れとしていた。無罪だったのはヤーヌスの暴力だけではなく、トニーの暴言も、傷つけあったもの同士、みんな無罪だと宣言したかのようだった。
こんなにわけがわからないのに、最後胸が熱くなるとはすごい映画だと思った。
ここでも女性は正しい。トニーの妻はこの家から引っ越したいと言うし、ヤーセルの妻もノルウェーに引っ越そうと提案する。この2人の言うとおりにしていればこんなことにはならなかったのに(映画にはならないが)。
男は殴り合って理解し合うのだから馬鹿だよね。まあ、それも悪くないけれど。ただ、戦争までしてしまうと、こんなふうに悲劇の連鎖なんだとつくづく感じた。
ちょっと残念だったのは、はじめてのヨルダン映画だったので、ヨルダンの特徴、みたいなものを感じたかった。社会情勢ではなく、文化、風俗など。フランスも共同制作だし、世界は狭くなっているのでそんなものは期待してはいけないのかな。なんだかBGMとか、都市のドローン(ヘリコプター?)映像とか、欧米の映画と変わり栄えなかったので。
レバノン映画
今回初めてレバノン映画を見ました。とても良かったです。映画を見るって何だろうかと考えた時、ただストーリーを追うだけじゃなくって、その国や社会の文化、宗教を学ぶことであったり、歴史を学ぶことだったり出来るから面白い。また、謝罪するときに菓子折り持っていくのは日本だけの慣習かと思ったらレバノンもそうなのねとか、町山さんも言ってたけど水掛け論も同じなんだなとかテーマと関係ないかも知れないけどそういうのも知れて良かった。
レントゲン、逆(笑)
法廷劇は異常に苦手だが、眠気を誘うことなく、非常に良い映画。ただ、自分の勉強不足でレバノンとパレスチナの関係。さらには宗教の問題が分かっていなかったので、その辺が分かったら、もっと興味不覚観られたかも。医者目線で言わせてもらうと、病院シーンのレントゲン写真は裏返しだった(笑)
ちょっとしたこと
トニーとヤーセルのちょっとした口論が、周囲を巻き込んでおおごとになっていく。よくある話かもしれませんが、それが個人的なものではなく国家や民族問題になった時の悲惨さは、皆が良く知ることだと思います。
当事者達よりも、話を膨らませ問題を拗らせていく弁護士がまるで中東における先進諸国の介入の様に感じてしまいました。ラストでヤーセルは裁判官から無罪判決を受けますが、大国が犯している罪の判決は未だに出ていません。
ご近所トラブルが社会問題へ。民族の多様性が持つ難しさ。
【賛否両論チェック】
賛:民族の多様性が持つ歴史の悲惨さや難しさを正面から取り上げ、身近なテーマから訴えかける内容に、思わず考えさせられる。
否:中東の歴史に対する知識や関心がないと、関係性がよく分からず退屈してしまいそう。
超個人的には、
「つまらない意地張らないで、さっさと謝っちゃえばイイのに・・・」
って思ってしまいましたが、それはきっと私が日本人だからなんでしょうね。
些細なきっかけで起きたトニーとヤーセルのトラブル。お互いがお互いの民族の誇りに固執するあまり、次第に収まりがつかなくなり、やがて本人達の預かり知らぬところで、国中をも揺るがす大騒動へと発展していってしまう様子に、人間が帰属する「民族」というアイデンティティの難しい関係性を痛感させられます。
中東の歴史の知識が全くないと、やや観ていて退屈かも知れませんが、決して看過出来ない難しい問題を正面から扱った作品ですので、気になった方は是非。
人間の善きところと悪しき処
中東映画の好きなところは説教臭くなく、人としての営みにあふれて人情味があるところだなーって再認識した。
扱ってる背景は重いけどテーマはライト。
意固地になっていいこと無し。もっと相手を知ろうってこと。映画としてのケレン味や抑制のきいた芝居に心地よくはまれる。
エンタメとして傑作。
良作だが邦題が酷い
シンプルな原題「侮辱」を、なにゆえこのようなダサピンク邦題に変えたのか。安易に希望という言葉を使って、決して単純ではないラストを「なんか良かったよね」で終わらせようという配給会社の姿勢には疑問が残る。このため星半分減らした。
物語に普遍性があるのは確かで、それゆえ政治的予備知識なしでも見に行きやすいというのは本作の優れた点だと思うが、やはり舞台となる中東の現状理解をすっとばして「私たちにも同じようなことあるよね」と言うことには抵抗がある。
映画文法はしっかりしているので、ある程度の事件のバックグラウンドは予備知識なしに理解できるが、パレスチナ難民側のバックグラウンドの扱いが浅いとも感じた。
本国レバノンでの鑑賞者はほとんどが右派だったそうで、左派からはボイコット運動もあった。主人公トニーに対する観客の反感を反転させる必要があったとしても、右派の不当な難民攻撃に口実を与えるような歴史解釈を入れ込んだ点にも疑問はある。作中で争いが法廷外に拡大していくように、映画の外側にも議論は拡大していく。
結果、仲直りには「お互いさま」の気持ちが大事みたいな生温い解釈で「いい映画だった」と言えるほど中東の傷は浅くない、ということが、メタで浮き彫りになっているのではないか。
つまり、この映画は人々の沈黙を搔きまわす、挑発的な映画なのだと思う。なので、このふわふわした邦題が余計に残念。
対立
見なきゃいけない映画だと思うし、観るべき価値もあった。
対岸の火事ではなく、誰もが抱えるであろう火種の話でもあった。
アカデミー作品賞を撮って欲しいとさえ思う。
肩に水がかかった。
そんな些細な事柄が国家を巻き込む民族闘争にまで燃え広がる。
そんなありえない展開を納得させる程の背景がレバノンって国にはあった。
実にスムーズに、スピーディに燃え広がる。
1人1人に燻り続ける火種があるからこそではある。
恐ろしいし、馬鹿げてると思うのは集団心理の扇動のされ方だ。
どちらの側も正当性を譲らない。
その譲らない正当性に付加されていくものがあり、和解どころか負けられない闘争になっていく。付加されるものは「愛国心」であったり「犠牲者の魂」「魂の尊厳」であったり否定するには忍びない事柄ばかりだ。
だからこそ世論を巻き込み、燃え広がる。
1番の戦犯は、その火に薪を盛大にぶち込んだ弁護人たちであり、当人たちの利益などは二の次だ。この事例を前例にやりたい事が山程あるのだろう。「口は災いの元」とは良く言ったものだ…。
そして最大の戦犯は政治家だ。
国を統治する為に使う文言の数々で、それらは国の為ではなく、議席や権力が底にある。
勿論、それらに簡単に騙され、煽られる俺たちも共犯だ。
そんな構成が際立つ脚本だった。
本人たちの邂逅の仕方も秀逸だった。
相手の車を直してやるシーンなどは見事なシーンだった。
自分の後悔も反省も、性格や生き様、信念まで色濃く反映されてたシーンで、対立しあってた2人が、交錯するとてもいいシーンだった。
その後、対峙した夜を経て法廷で再会した彼らにはもう憎しみはないように思えた。
対話がなくては溝はなくならない。
条件付きの対話などは愚の骨頂で、双方の為にこそ対話が必要不可欠なのだ。
言葉を交わすだけが対話でもないと思えた。
「謝罪は敗北でなく、相手を尊重する為に使う言葉だ」
この言葉を実践していきたいとも思うが、これは中々難しい…。
大きな集団であるなら尚更だ。
でも、心の何処かにはずっと掲げていたい旗印のようにも思えた。
昨今の世界情勢を考えても、非常に意義のある作品に出会えた。
ALL FOR ONE
過去の流産を経てどうにか繋いだ命は今を彷徨い、修繕を生業とする男達はかつての地獄を彷徨う。
赦免は健忘症へと変容する。
大地はひび割れ、正義の時代はまだ瞼を開かない。
だからこそ雨が降る。
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