「個人と個人のトラブルに非ず、二つの国の対立と未来への縮図」判決、ふたつの希望 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
個人と個人のトラブルに非ず、二つの国の対立と未来への縮図
レバノンとパレスチナの複雑な現状についてはほとんど知らない。
政治、思想、宗教、内戦、歴史絡み、遠い異国の日本人にはピンと来ない。
それを、個人と個人の問題として描いているのが秀逸。
本当に些細な“ご近所トラブル”が発端だった。
とあるアパートの修復工事。
住人のトニー(キリスト教徒のレバノン人)が流した水が排水口から漏れ、工事中の現場監督のヤーセル(イスラム教徒でパレスチナ人)らにかかる。
ヤーセルは排水口の修復をするが、勝手にやられたのが気に障ったのか、それをトニーが叩き壊してしまう。
ヤーセルはつい、「クズ野郎!」と罵り…。
これにトニーが激怒…いや、憎悪と言っていいほど。直接の謝罪を求める。
謝罪するのを拒んでいたヤーセルだったが、雇い主に説得される。
再びトニーの元に赴くが…。
なかなか謝罪の言葉を切り出さないヤーセル。
その時トニーが、ヤーセルを貶めるような侮辱的な言葉を浴びせる。
逆上したヤーセルはトニーに暴行を加え…。
トニーは肋骨を骨折。裁判を起こす。
が、最初の裁判は、トニー側に非があるとされ、ヤーセル側に有利に。ヤーセルは釈放される。
不服のトニーは控訴。
個人と個人のトラブルが、周囲の人々や国をも巻き込む大裁判に発展していく…。
拗れに拗れ、どうしてここまで拗れたのか。
どちらが悪い?…なんて、簡単に白黒付けられない。
修復しなければ違反になるのに、それを叩き壊したトニーにも非がある。
手を出してしまったヤーセルにも非がある。
暴行を加えられたトニーにも同情の余地はある。
侮辱されたヤーセルにも同情の余地はある。
最初の内に何とか解決出来なかったのか。
当人たちもここまでの大事は望んでいなかった。
トニーはただ謝罪して欲しかっただけ。
ヤーセルも暴行を加えた事は認めている。
だけど、どうしても退けない。
和解の場を一度逃してしまえば、後はズルズルズルズルと。
トニーは妻とぎくしゃく。
ヤーセルは職を失う。
当人たちも苦しいが、周囲の人々こそ気の毒。
心労から、身重のトニーの妻は早産。さらに裁判で、過去に難度も流産した事まで明かされる。
収拾付かぬ泥仕合。
トニーとヤーセル、それぞれに付いた弁護士は、何と父娘。奮闘しているが、裁判は言ってみれば、父娘対決。
各々がレバノン人、パレスチナ人である事が重石に。
パレスチナ人であるヤーセルへ、傍聴席のレバノン人からは非難の嵐。
レバノン人のトニーが発した侮辱的な言葉は、パレスチナ人の反感/憎悪を買う。
トニーの今も悪夢に見るある過去…。
この対立は遂には暴動へ飛び火、大統領まで動き出す事に。
個人の問題が波紋を広げ、国を動かす事は時にあるが、燻っていた感情が爆発したようなこの大揉めは滑稽でもある。
もはや個人と個人の問題ではなくなったが、当人同士は…。
ある人物との会談を終えたトニーとヤーセル。
それぞれの車に乗って帰るが、ヤーセルの車がエンスト。困っていた所を、トニーが直してやる。
ある夜。ヤーセルがトニーの前に現れる。トニーに挑発的な言葉を投げ掛ける。実は、この真意は…。
そして、拗れに拗れ、揉めに揉めた裁判の行方。
判決は…。
下された時の双方の表情。
長い闘いが終わった安堵感というより、この結果を望んでいたかのように。
それはただ個人と個人の対立が解決しただけではなく、レバノンとパレスチナの複雑な現状だって、いつかはきっと…。