「エンジニア魂」判決、ふたつの希望 かぴ腹さんの映画レビュー(感想・評価)
エンジニア魂
いかにもミニシアター系の映画なのでとっくに終わって見逃したと思っていたらなんとTOHOシネマズ。まだやっていた。
馴染みのない国。背景をつかむのが難しい。
まず、アラビア語(?)で「クズ野郎」がどれだけのinsultなのか。もし、日本語に訳された語感からすると、それを言われて謝罪を求めるだろうか?毛嫌いしている難民だとわかったら、「謝りに来い」というよりはもう「見たくない、かかわるな」というのが普通ではないか?謝りに来て和解する気などさらさらなさそうに見えたが。字幕の難しさと謝罪に対する文化的違いがあるのか?まあ、最初はトニーの暴走、という認識で間違いではなさそうだが。
もう一つは中東情勢。イスラエルのユダヤ人とアラブ人との争いくらいにしか思っていなかった。なんと、アラブ人同士、パレスチナ難民とヨルダン人との間で内戦になるなんて。ヨルダンにはキリスト教徒もいるというから知らないことばかりであった。
だから「シャロンに抹殺されていればな」を一審でトニーもヤーセルもなぜ隠そうとしたくらいの言葉なのか、理解できなかった。私がイメージできる難民は外国に保護してもらっているのだから、現地民から今までそんな挑発はいくらでもあったような気がするのだが、どうなのだろう。増して難民でありながら、受け入れた国と内戦になってまで争ったのに、なぜ彼らは追い出されず受け入れられているのか、パンフレットを読んだことからだけでは想像もできない。元の国民から毛嫌いされて当然のようにも思える。
ヤーセルは仕事で現場のリーダーを長年勤めていたようだ。そんなキャラクターは大抵冷静で、差別的挑発に乗らないものだし、実際、その言葉と解雇以外はそんな役柄だった。「シャロンに抹殺されていれば」がなぜ地雷なのか、理解はできなかった。ただ、地雷なんだろうな、くらいにしか。こんな反応はワールドカップでジダンが退場になった事件を思い出させる。
周りがヒートアップしていくなか、当事者たちはお互いの心の傷に気がつき始め理解していく。駐車場でヤーセルの車のエンジンがかからなくなったとき、トニーは引き返してきて修理する。恩を売ろうとしたわけではなく、エンジニアとして、壊れた車は直そうとする性からだろう。お互いが「中国製はだめだ、ドイツ製なら確かだ(日本製でないのが残念)」という価値観も共有している。生業は憎悪を超越するというのは洋の東西を問わないとつくづく感じた。
まるでその恩返しをするように、ヤーセルはトニーを一人で尋ねて悪態をつき、殴らせ、トニーの憎悪を解放してやる。傷ついたもの同士がこれで和解した。
判決は無罪。だが裁判に負けた人はいなかった。トニーも、トニーの弁護士も、実に晴れ晴れとしていた。無罪だったのはヤーヌスの暴力だけではなく、トニーの暴言も、傷つけあったもの同士、みんな無罪だと宣言したかのようだった。
こんなにわけがわからないのに、最後胸が熱くなるとはすごい映画だと思った。
ここでも女性は正しい。トニーの妻はこの家から引っ越したいと言うし、ヤーセルの妻もノルウェーに引っ越そうと提案する。この2人の言うとおりにしていればこんなことにはならなかったのに(映画にはならないが)。
男は殴り合って理解し合うのだから馬鹿だよね。まあ、それも悪くないけれど。ただ、戦争までしてしまうと、こんなふうに悲劇の連鎖なんだとつくづく感じた。
ちょっと残念だったのは、はじめてのヨルダン映画だったので、ヨルダンの特徴、みたいなものを感じたかった。社会情勢ではなく、文化、風俗など。フランスも共同制作だし、世界は狭くなっているのでそんなものは期待してはいけないのかな。なんだかBGMとか、都市のドローン(ヘリコプター?)映像とか、欧米の映画と変わり栄えなかったので。