「最も困難な、三つ目の希望はあるか」判決、ふたつの希望 マユキさんの映画レビュー(感想・評価)
最も困難な、三つ目の希望はあるか
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観客は、レイシズム丸出しでパレスティナ難民のヤーセルを侮辱するレバノン人のトニーに、初めは反感を抱くだろう。しかし、トニーのパレスティナ人への憎悪には理由があることを見せられることになる。
トニーの出身地の村で起きた虐殺が、パレスティナ民兵の仕業ではないかとの疑いがあるからなのだ。イスラエルの迫害により難民となったパレスティナ人のヤーセル。生まれ故郷で忌まわしき虐殺が起こったトニー。そんなふたりだからこそ、法廷闘争の原告と被告でありながら、ミメーシスが生じる。ヤーセルの車のエンジンの調子を直してやるトニー。トニーに向かってわざと憎まれ口をたたいて、自分がやったのと同じように殴らせるヤーセル。立場の違い、民族の違い、宗教の違いを越えてミメーシス(感染的模倣)が起こったのだ。
トニーの弁護士は、虐殺に関する記録映像を法廷で見せ、こう言う。「私たちは、こうした映像に慣れてしまっている。何の衝撃もありません。普通のことです。しかし、被害者や家族にそう言えますか?」と。
そう、私たちは悲惨な報道に慣れきっている。残虐な映像に無感覚になっている。本作は、そんな観客である私たちに問いを発するのだ。判決は下り、トニーにもヤーセルにもそれぞれの希望が生まれた。ところで、傍観者であるあなたたちを誰がジャッジするのか、と。
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