「テロリストの敵」ウトヤ島、7月22日 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
テロリストの敵
公開当時からこの作品のことは知っていたが劇場鑑賞を逃しており今回やっと配信にて鑑賞できた。
手持ちカメラによる長回し撮影で、臨場感、緊張感、没入感がものすごい作品。これは真っ暗な劇場のスクリーンで見るべきだった。そうすればより没入出来て鑑賞後の疲労度もかなりのものであったはず。
主人公カヤにずっと手持ちカメラがついてくる。テロが起きてから皆が逃げまどい恐怖に包まれる現場をまさに追体験させることによりテロというものがいかに恐ろしいものかを観客に訴える効果は絶大であった。
いわゆるPOV方式のような手法がこういった作品で最も効果的だとあらためて感じた。現に鑑賞中私は間違いなくカヤと共にあの時のあの場所にいた。
テロの脅威におびえながらも必死ではぐれた妹を探し出そうとしたカヤもついには凶弾に倒れてしまう。カヤを追い続けたカメラはそのままカヤから離れて逃げる友人を追う。ここでカヤが死んだことを観客は知る。その友人が逃げ込んだボートにはカヤの妹が乗っていた。カヤがあれほど心配していた妹は無事だった。姉が自分の身を顧みず妹を探し続けたことを彼女は後ほど周りの人たちから聞かされて知るのだろう。口うるさかった姉がどれほど自分のことを思っていてくれたかを。
登場人物は全て架空の人物だが、あの時あの場所にはカヤのような若者たちが大勢いて必死に互いを助け合いながら生き延びようとしていた。しかし凶弾は容赦なく彼らの命を奪っていった。国の未来を担うはずであろう志の高き若者たちであった。
2011年に起きたこのテロ事件は単独犯ブレイビクによるものだった。当時のノルウェーは福祉国家としてほかのヨーロッパ諸国よりも多くの移民を受け入れており、その数は人口の十割を移民が占めていたほど多様性に寛容な社会だった。
当時からヨーロッパ諸国では移民問題が悩みの種だった。多くの移民は移住先の国になじむよう努力し、また受け入れる国も語学教育や職業訓練など移民がなじむためのプログラムは充実していた。
しかし中には移住先の国で生まれた移民二世などによるホームグロウンテロが脅威となりつつあった。
この政府庁舎とウトヤ島を襲った犯人のブレイビクはそんなテロを起こすイスラム系移民を憎悪し、移民に寛容な政府労働党に不満を募らせての犯行であった。
もちろん移民の大半はその国になじんで暮らしておりテロを起こすのは一握りの人間だ。だが、危機意識を抱き憎悪感情を募らせ、ノルウェー人の彼自身がホームグロウンテロリストになってしまったというまさに皮肉な結果によるものだった。
計80人近くの死者を出したテロ事件を単独で起こしたブレイビクに対してノルウェーは最高二十年の禁固刑を言い渡す。この国には死刑制度や終身刑はない。
応報刑から教育刑に舵を切り、治安を改善してきた経緯がこの国にはあった。実際、そうすることで再犯率は大きく下がっていた。
それだけに今回起きたテロ事件に国民の衝撃は大きかった。厳罰化を叫ぶ声ももちろん上がったが国はそうはしなかった。今まで通り犯罪者の社会復帰に重きを置いた政策、移民政策を続けた。
日本ではオウム真理教によるテロ事件を契機に厳罰化が進んだ。同じ国を揺るがすテロを経験しながらノルウェーと日本は対極にあった。
ノルウェーでは修復的司法制度なども採り入れ犯罪被害者へのケアが充実している。このブレイビクへの刑罰に異議を唱えた被害者も多くいたが数年後の取材で彼らの憎しみの心が緩和されていたことがわかった。これも国によるケアのおかげなのだろう。
かたや日本では長年犯罪被害者は置き去りにされてきた。それこそ昨今の凶悪事件による世論の盛り上がりを受けて刑事裁判における被害者参加制度なども取り入れつつあるが修復的司法制度などは小さな活動はみられるもののいまだ根付いてはいない。
犯罪被害者へのケアが充実した国ほど厳罰化が緩和されている。実際、被害者ケアがなされている国の多くが死刑廃止国である。
テロの犯人は己の中の憎悪感情を増幅させて社会にその憎悪の種をまき散らす。テロの被害者がその種を受取り社会が厳罰化に向かえばそれは犯人の思うつぼである。憎しみには憎しみで、暴力には暴力で、社会はテロリストの思い描いたとおりになる。
ノルウェーのこのテロの被害者たちの言葉が印象的だった。自分たちはけして犯人のように憎しみに囚われることはない。ブレイビクの思うようにはならない。憎しみの連鎖を止めることが社会からテロをなくしていくことにつながるのだと。
人間は不安に駆られるとその不安の原因である敵を探し出そうとする。敵が見当たらなければその敵を作り出す。いま全世界で巻き起こる移民問題に端を発した排外主義は少数者の移民を標的になされているものだ。
日本でも少数民族の暮らす地方都市ではデモが盛んにおこなわれている。彼らは常に敵を探そうとする。いなければ作り出す。
本編最後のテロップでは「テロリストの敵」という言葉が語られる。テロリストの敵とは憎悪対象である。これは人間だれしもが持つ憎しみの感情をぶつける相手。憎しみの感情を癒すことなく増幅させるものとは何だろうか。
厳罰化や死刑制度を存置している国では被害者ケアが不十分だったり、明らかに不足している。その分被害者の憎悪は厳罰化や死刑制度に向けられる。
このように憎しみの心を増幅させるだけではやがて憎しみは常にその対象を探し求め続けるのではないだろうか。それがヘイトクライムやテロ、そして戦争へとつながるのではないだろうか。
周辺国への憎悪を煽り立てるマスコミや政府を見ていると死刑制度存置に固執することと無関係に思えなくなる。
移民排斥を声高々に叫ぶ排外的保守系団体が台頭する欧州諸国では日本を見習えという。移民をかたくなに受け入れず国を守っているからだという。これは言われて喜ばしいことなのだろうか。
最後にもう一人、日本は多様性を認めずイスラム系住民も少ないとして見習うべき国だとSNS上に書き込んでいた人物がいる。このテロ事件の犯人のブレイビクである。彼は一度会ってみたい人物の一人として元政権与党副総裁のA氏を上げていたという。