「テロの恐怖、長回し撮影の難しさ」ウトヤ島、7月22日 突貫小僧さんの映画レビュー(感想・評価)
テロの恐怖、長回し撮影の難しさ
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いきなりの銃声は、やっぱり怖いものです。しかも犯人の服装が警察官と知れば… 。
NZの政府の移民政策への不満からの無差別銃乱射事件のテロが実際起こってから翌日。
観にいくのを躊躇した。銃声の音が腹の底からズンズンきた。この事件を事実に近いものとして知らしめる方法として、一被害者一目撃者である彼女の視点から描くには長回しの方法しかないだろう。しかし、カヤと母親の実際の会話を撮る点は、イラついた。非常に聞き取りづらい。最後に妹である「スマホを捨てたエミリエ」の出現。ボートに乗ってんじゃんという場面に少し拍子抜けした。警察が来るのも遅い。初動捜査にいらついた。命尽きる少女とカヤの別れ。カヤが、以前より強い女になったような気がした。この場面はさすがにウルッとさせられたのに。ラストのカヤがボートに乗り込む場面。もうすこし撮影をしっかりして欲しかった所。エンドロール前の説明が長~い。ここも「長回しワンカット」映像に入れるべき。
死者が77人ってそんなに映像にいなかったけど。テントの中で耳栓をしてスマホでゲームに興じていた方が助かったのではなかろうか。自殺した被害者はいなかったのだろうか。不定期に聞こえる銃声は、やっぱり怖い。ウトヤの惨劇を映画という形以外どんな形で残したのだろうか。この惨劇から何を得て欲しかったのか。これが非常に薄い。テロは実際に世界のどこかで起きている。このような極限状態で人が何が出来るのか。どうすればよいのか。
ノンフィクションを克明に描くことはフィクションを描くことよりかなり難しいことを知った。
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