劇場公開日 2019年3月8日

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「怖くない理由」ウトヤ島、7月22日 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

2.5怖くない理由

2019年3月11日
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鑑賞方法:映画館

 有名なビデオゲームに「バイオハザード」(英題「Resident Evil」) というタイトルがある。最近の3Dになってからのバイオハザードはあまり怖くないが、最初にプレイステーション1で始めたときのバイオハザードは恐ろしく怖かった。その一番の理由が、見えないところからいきなり敵が襲ってくるシチュエーションである。
 本作品も同様で、銃声はすれども銃を持っている襲撃者の姿が見えない。しかもバイオハザードの主人公は武器を持っているのに対し、本作品の登場人物はみんな丸腰だ。兎に角逃げるしかない。しかしそれにしては本作品にあまり恐怖を感じることはなく、バイオハザードのほうがよほど怖かった。その理由はどこにあるのだろうか。
 ノルウェーのパラダイムはアメリカと同様、家族第一主義のようで、登場人物の電話の向こうは大抵母親だ。娘から母親に「ママ愛してる」というのがお決まりの台詞で、そのシーンが何度か登場したが、家族第一主義のパラダイムを共有していないと、いまひとつピンとこない。日本だと「おかあさん、ありがとう」という感じになるのだろうか。いや、殺人者から逃げ回っているときに「おかあさんありがとう」は多分ない。
 本作品では、千々に逃げ回る若者たちのうち、ひとりの女性カヤにピントを合わせて、恐怖と回避行動の様子が長回しで描かれる。カメラの揺れに合わせて画面も揺れるので、船酔いなどに弱い人は観ないほうがいいかもしれない。
 妹を探しつつ逃げるカヤは、恐怖や焦りを募らせるのではなく、ときにはどこにそんな気持ちの余裕があるのかという行動をする。そして何故かときどき家族第一主義が顔を出す。追い詰められている感じがあまりしない。そこに違和感があるので、恐怖感を共有できなかったのだ。無意味な饒舌は緊迫感をなくしてしまう。

 かなり期待した本作品だが、テロに反対するために家族第一主義を持ち出したことで、恐怖心が観客に伝わらなくなってしまった。製作者の正義感は理解できるが、この作品にはテロと家族という頭でっかちな対比は不要であった。無言の行動と遠かったり近かったりする間欠的な銃声だけでシーンを進めれば、まさに初期のバイオハザードと同じで、圧倒的な恐怖を表現できただろう。少し残念である。

耶馬英彦