「旧東ドイツの物語だとまず認識しないと一体何を言いたい映画なのか全く見えてこないと思います そして、東西ドイツの再統一の実態についての予備知識がないと何の映画なのか?となると思います」希望の灯り あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
旧東ドイツの物語だとまず認識しないと一体何を言いたい映画なのか全く見えてこないと思います そして、東西ドイツの再統一の実態についての予備知識がないと何の映画なのか?となると思います
希望の灯り
2018年 ドイツ映画
不思議な魅力に溢れていて、少し見始めると止まらなくなります
上映時間は2時間あるけれども、もう終わりなのと思ってしまうことでしょう
原題は「通路にて」
舞台は旧東ドイツだったどこかの田舎の巨大スーパー
主人公はクリスティアンという無口な青年
登場人物は少ない
台詞も少ない
場面も巨大スーパーの店内何ヶ所かと近くのバス停とバス、
職場の先輩の家、田舎町の盛り場、マリオンという女性の家くらい
旧東ドイツの物語だとまず認識しないと一体何を言いたい映画なのか全く見えてこないと思います
そして、東西ドイツの再統一の実態についての予備知識がないと何の映画なのか?となると思います
巨大スーパーは世界中どこでも同じような作りで大した違いはありません、労働生産性とか経済効率とか合理性を考えるとそうなってしまうのです
見た目だけでは、どこの国のことなのかさえわからないぐらいです
ただし、日本だけは、パレットとフォークリフトのオペレーションは物流センター程度で、お客の入る店舗では台車での在庫の運搬、保管が主流で世界標準とは違います
何故そうなのは土地代が高いからでしょう
東ドイツは1990年10月まで存在した今はない国です
第二次世界大戦でソ連軍に占領された地域がソ連の共産主義の衛星国として東ドイツという国として無理やり人工的に作られたのです
ソ連が崩壊してしまうと、西側の連合軍に占領された地域の国、西ドイツに吸収合併されドイツといういまの国に、再統一されてなくなってしまったのです
東ドイツ時代はソ連圏の共産主義社会ですから、日本でいうところの親方日の丸の国鉄体質みたいなもので、西側の資本主義社会とは違い、何から何まで非効率で生産性が低く立ち遅れた国のまま取り残されてきました
それでもソ連圏共産主義社会の中ではそれなりに経済はマシな方の国だったのですが、ソ連自体が経済的に行き詰まり崩壊したのに、東ドイツが単独で延命できる筈もなく、西ドイツに実質的な救済的な併合という形での再統一に向かったのは当然のことです
再統一された東西ドイツの経済格差は大きく、先進国としての西ドイツからすらば、東ドイツは後進国、せいぜい中進国で、共産主義の非効率な国営企業は民営化されてもたちまち経営が破綻して、西ドイツの企業に買収されました
西ドイツからすれば、東ドイツの国民は、元々同じ国の国民です、同じ言葉と文化を持っており、しかも西ドイツと比べ格段に安い賃金で雇用できる労働力になりました
それが競争力となり、統一ドイツの経済力は強化されて、立ち遅れていた旧東ドイツ地域のインフラなどへの投資の原資になり、最新設備の工場への建て替えが進んだのです
まさにwin win の関係でした
しかし、実態はどうか?
旧東ドイツの国民は西ドイツの人々から、二級市民的扱いを受け、移民よりはマシくらいの位置付けにされてしまったのです
旧西ドイツから企業が進出して旧東ドイツの企業を買収すれば、そこの幹部はもちろん、旧西ドイツの人々で、旧東ドイツの人々は下級の労働者にされてしまうのです
何十年旧東ドイツの企業で働いてきてもそうなってしまったのです
そして、親方日の丸的な頑張っても頑張らなくてもいい旧共産主義東ドイツ時代の働き方は西ドイツから進出してきた企業では通用せず、資本主義の生産性指標一本槍の働き方でなければ、たちまち職を失うようになったのです
巨大スーパーとは、その西ドイツからきた企業を象徴しています
かってケネディ大統領は豊富な品揃えのスーパーマーケットを資本主義社会のアメリカの象徴と演説しました
共産主義のソ連圏のスーパーマーケットには商品はなく、買いたくても買えない店でしかなかったのです
計画経済で官僚が計画して生産された製品を運んで並べていただけだからです
巨大スーパーになる以前のトラック運送人民公社はまに、それで売れようが売れなかろうが工場で生産されたものを、単に運ぶだけでよかったのです
ゆえに、巨大スーパーは旧西ドイツをそのものを象徴しているのです
劇中、巨大スーパーの上の人は、フォークリフトの研修会にきた人物くらいです
彼は多分旧西ドイツの本部から出張してきた人物でしょう
旧東ドイツの人々を、まるで無知な移民のように下に見た態度を示します
店に常駐しているであろう店長などの幹部は誰一人姿も見せません
彼等は旧東ドイツの労働者とは違う上流階層の人々のように、接触は一切ないのです
巨大スーパーの売り場は営業中は煌々と明るく、フォークリフトが行き交う、クリスティアン達が働くバックルームは作業する最低限の照明だけで薄暗いのです
22時の閉店後は売り場も作業灯だけになり薄暗くされます
当然です
クリスティアン達は作業員であり、客ではないからです
売上がないのに電気代をかけたくありません
本当は真っ暗闇で作業させたいくらいなのです
とは言っても、暗すぎて労災になると店の責任になりますし、作業効率が低下して労働時間が延びたら却って経費が掛かるから、最低限にしているのです
つまるところ、クリスティアン達作業員は人間的な扱いをされていないことを照明で表現しています
もちろん当たり前のことです
彼等は客ではない、作業員だからです
規則と効率指標の範囲の中だけで許された自由です
巨大スーパーに働く人々は常に誰かに監視されているかのように働いています
あまり無駄口を叩く間もなく働いています
資本主義の非人間性?
そんな大袈裟な
当たり前のことです
世界中のスーパーどこでも同じです
それでも人間なんですから、深夜の閑散とした巨大スーパーで誰とも口もきかず黙々とはたらくとさぞ寂しく、虚しい気持ちになることでしょう
旧東ドイツ時代ののんびりした働き方が懐かしく思えたりするのでしょう
適当にタバコ休憩ばかりする
ルディやブルーノ、
勤務時間中に、バレないようにチェスを長時間しているユルゲンとブルーノは旧東ドイツで再統一までに大人になっていた人間だけです
賞味期限切れで売り場から撤去された食品が荷受け場近くの大きなゴミ箱に廃棄されるのは、洋の東西問わず同じです
廃棄商品を、どうせ捨てるのだからと、従業員が勝手にもって帰ったり、食べたりするのは、不正の温床になるので規則で禁止されるのも同じだと思います
これも、平然と破るのは旧東ドイツ育ちのブルーノとかです
ゴミ箱を漁り、廃棄商品を食べる姿は最早人間としてのプライドがなくなってしまったかのようです
クリスマスイブの荷受け場での従業員だけのささやかなパーティー
欧米のクリスマスイブは日本の大晦日みたいなものです
誰だって家族と過ごしたいものです
なんでこんな時まで働かないとならんのかとつらいのは人間だからどこも同じです
でも、そこには西ドイツから赴任して来たであろう店の幹部は誰一人いません
現場の従業員だけが幹部には黙って勝手やっていることみたいです
上の人が食べ物や飲み物を差し入れしてくれているわけもなく、食べ物は廃棄商品、飲み物は瓶が割れた事にでもしたものでしょう
上に見つかれば、色々大変な事になりそうですが、毎年こうしているみたいです
明るい売り場は旧西ドイツ
暗いバックルームは旧東ドイツ
閉店後の暗い売り場も旧東ドイツ
そういう対比で象徴しているのだと思います
「今はフォークリフトの運転さ」
俺達は日陰者扱いさという意味にきこえます
1990年の再統一から、本作公開の2018年までは28年です
そこを頭に置いて登場人物を整理するとこうなります
クリスティアン
20代半ばくらい
たぶん再統一後の生まれです
高卒で、旧東ドイツ国民なので、低賃金労働者にしかなれず、前職は解体業で移民と一緒に肉体労働に従事するしかなく、周囲の友人達も同じ境遇だから、面白いわけもなく、当然グレてしまいます
首元や、腕にタトゥーを入れたのもそのその頃のことでしょう
彼も彼等と連んでいるうちに犯罪に手を染めて少年刑務所に2年入っていたといいます
釈放されて出てきても悪い友達と連んでいたら人生駄目にしてしまうと彼なりに考えて、巨大スーパーの夜間作業員になんとか採用されます
ここで真面目に働いていれば、いつかは自分も人間らしい人生が待っているかも知れないと思って辛抱を続けているのです
両親は登場しません
もしかしたら再統一の頃に家族がバラバラになったのかも知れません
彼が無口なのは、旧東ドイツ国民は発言力が無いことを意味しているのだと思います
マリオン
40歳くらい?
再統一は10歳くらいの時でしょうか?
物心ついたころから、再統一ドイツの国民です
旦那もそんな年くらいでしょう
再統一の大混乱の時期に十代、二十代を送ったのだから色々苦労の多い夫婦生活だったろうと思います
それでも彼女の家は結構良いもので結構稼ぎのある亭主の様です
部屋にはDV を思わせる荒れた生活の痕跡は何一つなく一見幸せそうです
亭主は、なんとなく旧西ドイツ出身の男のように思えます
彼女を救うヒーローにクリスティアンがなる余地はあまりなさそうです
彼はあっさり諦めて帰ります
良い子です
ブルーノ
50歳くらい
再統一は20歳の頃だったでしょう
生まれ育った旧東ドイツは滅び、大人になってから親世代や先輩から教わった働き方
とはまったく違う働き方をしないとならなくなり、旧西ドイツから来た連中に、同じドイツ人なのにアゴで使われるようになった人生を送ってきた人物です
その時の混乱で、困窮したのか、生活が荒れたのか、妻子から逃げられたのかも知れませんし、ひょっとしたら、妻はあの家で自殺したのかも知れません
もしかしたら、マリオンの旦那のDVは嘘で、自分のことだったのかも知れません
在庫を縛っている丈夫な梱包テープをこいつは役にたつ取っておけと言っていました、彼の死を知って、あれはそういう意味だったのかとクリスティアンは梱包テープを見て捨てずにポケットにしまいこみます
単に仕事に使うということなのか
俺には関係ないということなのか
それはわかりません
ユルゲン、ルディ
60歳くらい
クリスティアンの父くらいでしょう
再統一は30歳頃
はたらきざかりで再統一になり、揉みくちゃになった世代
プライドも何もなくなり、今の職場で適当に働いて生きて行ければそれでいい人物
それでも、ユルゲンは店で一番楽そうな煙草係、ルディは店の作業主任のようで、上手くたちまわって自分の居場所を確保しているのです
あいつは大丈夫
何があっても前に進まないとな
それはブルーノからのルティを通じてのクリスティアンへの伝言であると同時に、旧東ドイツの人々への監督からのエールだと思いました
そして
クリスティアンは試用期間を終わり正社員となり飲料の担当者として働く明日が約束されました
ラストシーンの波音は一体何を表現しているのでしょうか?
深夜の巨大スーパーの片隅、日陰者の旧東ドイツ人が働いているところ、波音が聞こえるような楽園からは、最も遠いところ
そんなところでも、真面目にやっていれば耳をすませば、波音が聞こえるくらい楽園に近づいたことに気づくこともあり得るのだ
そう言っているのだと思いました
マリオンとクリスティアンの恋の行方は語られません
それはテーマではないからです
再統一から30年近く経ちました
巨大スーパーの従業員の息子が望むように大学をでれば、旧東ドイツ出身者でも先が開けるでしょうし、そうでなくてもクリスティアンのように居場所を作っていけるのです
マリオン夫婦のように、東西ドイツの結婚はつらいことがあっても続いてゆくのでしょう
やがて、笑い話になる日があるのかも知れません
最後に
本作の邦題を「希望の灯り」とした日本の配給会社の方に敬意を示したいと思います