希望の灯りのレビュー・感想・評価
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スーパーマーケットというかりそめのユートピア
スーパーマーケットという閉ざされた空間をひとつの小宇宙に見立てるというアイデアは決して物珍しいものではないが、ルーティーンの繰り返しのような職場が、主人公に取っては自分を閉じ込めるのではなく、社会というものに繋がるための扉として機能していることに新鮮さを感じた。
一方で主人公に限らず、本作に登場する個人の「家」は一種の牢獄のように描かれている。「家」は孤独を色濃く感じる場所であり、彼らにとってスーパーマーケットは人と触れ合い、仲間意識を共有することができる場なのだ。
しかしやがてそのスーパーも、世の中の大きな流れの中にポツンと浮かんだ避難所のようなものであることが示唆されるのだが、だだっ広いところにポツンとある無機質なスーパーマーケットから豊かな人間ドラマを生み出し、オアシスのような温かみを感じさせてくれた監督の視点に、大きな魅力と希望を感じています。
何度も見て理解を深めたくなる映画
旧東ドイツの物語だとまず認識しないと一体何を言いたい映画なのか全く見えてこないと思います そして、東西ドイツの再統一の実態についての予備知識がないと何の映画なのか?となると思います
希望の灯り
2018年 ドイツ映画
不思議な魅力に溢れていて、少し見始めると止まらなくなります
上映時間は2時間あるけれども、もう終わりなのと思ってしまうことでしょう
原題は「通路にて」
舞台は旧東ドイツだったどこかの田舎の巨大スーパー
主人公はクリスティアンという無口な青年
登場人物は少ない
台詞も少ない
場面も巨大スーパーの店内何ヶ所かと近くのバス停とバス、
職場の先輩の家、田舎町の盛り場、マリオンという女性の家くらい
旧東ドイツの物語だとまず認識しないと一体何を言いたい映画なのか全く見えてこないと思います
そして、東西ドイツの再統一の実態についての予備知識がないと何の映画なのか?となると思います
巨大スーパーは世界中どこでも同じような作りで大した違いはありません、労働生産性とか経済効率とか合理性を考えるとそうなってしまうのです
見た目だけでは、どこの国のことなのかさえわからないぐらいです
ただし、日本だけは、パレットとフォークリフトのオペレーションは物流センター程度で、お客の入る店舗では台車での在庫の運搬、保管が主流で世界標準とは違います
何故そうなのは土地代が高いからでしょう
東ドイツは1990年10月まで存在した今はない国です
第二次世界大戦でソ連軍に占領された地域がソ連の共産主義の衛星国として東ドイツという国として無理やり人工的に作られたのです
ソ連が崩壊してしまうと、西側の連合軍に占領された地域の国、西ドイツに吸収合併されドイツといういまの国に、再統一されてなくなってしまったのです
東ドイツ時代はソ連圏の共産主義社会ですから、日本でいうところの親方日の丸の国鉄体質みたいなもので、西側の資本主義社会とは違い、何から何まで非効率で生産性が低く立ち遅れた国のまま取り残されてきました
それでもソ連圏共産主義社会の中ではそれなりに経済はマシな方の国だったのですが、ソ連自体が経済的に行き詰まり崩壊したのに、東ドイツが単独で延命できる筈もなく、西ドイツに実質的な救済的な併合という形での再統一に向かったのは当然のことです
再統一された東西ドイツの経済格差は大きく、先進国としての西ドイツからすらば、東ドイツは後進国、せいぜい中進国で、共産主義の非効率な国営企業は民営化されてもたちまち経営が破綻して、西ドイツの企業に買収されました
西ドイツからすれば、東ドイツの国民は、元々同じ国の国民です、同じ言葉と文化を持っており、しかも西ドイツと比べ格段に安い賃金で雇用できる労働力になりました
それが競争力となり、統一ドイツの経済力は強化されて、立ち遅れていた旧東ドイツ地域のインフラなどへの投資の原資になり、最新設備の工場への建て替えが進んだのです
まさにwin win の関係でした
しかし、実態はどうか?
旧東ドイツの国民は西ドイツの人々から、二級市民的扱いを受け、移民よりはマシくらいの位置付けにされてしまったのです
旧西ドイツから企業が進出して旧東ドイツの企業を買収すれば、そこの幹部はもちろん、旧西ドイツの人々で、旧東ドイツの人々は下級の労働者にされてしまうのです
何十年旧東ドイツの企業で働いてきてもそうなってしまったのです
そして、親方日の丸的な頑張っても頑張らなくてもいい旧共産主義東ドイツ時代の働き方は西ドイツから進出してきた企業では通用せず、資本主義の生産性指標一本槍の働き方でなければ、たちまち職を失うようになったのです
巨大スーパーとは、その西ドイツからきた企業を象徴しています
かってケネディ大統領は豊富な品揃えのスーパーマーケットを資本主義社会のアメリカの象徴と演説しました
共産主義のソ連圏のスーパーマーケットには商品はなく、買いたくても買えない店でしかなかったのです
計画経済で官僚が計画して生産された製品を運んで並べていただけだからです
巨大スーパーになる以前のトラック運送人民公社はまに、それで売れようが売れなかろうが工場で生産されたものを、単に運ぶだけでよかったのです
ゆえに、巨大スーパーは旧西ドイツをそのものを象徴しているのです
劇中、巨大スーパーの上の人は、フォークリフトの研修会にきた人物くらいです
彼は多分旧西ドイツの本部から出張してきた人物でしょう
旧東ドイツの人々を、まるで無知な移民のように下に見た態度を示します
店に常駐しているであろう店長などの幹部は誰一人姿も見せません
彼等は旧東ドイツの労働者とは違う上流階層の人々のように、接触は一切ないのです
巨大スーパーの売り場は営業中は煌々と明るく、フォークリフトが行き交う、クリスティアン達が働くバックルームは作業する最低限の照明だけで薄暗いのです
22時の閉店後は売り場も作業灯だけになり薄暗くされます
当然です
クリスティアン達は作業員であり、客ではないからです
売上がないのに電気代をかけたくありません
本当は真っ暗闇で作業させたいくらいなのです
とは言っても、暗すぎて労災になると店の責任になりますし、作業効率が低下して労働時間が延びたら却って経費が掛かるから、最低限にしているのです
つまるところ、クリスティアン達作業員は人間的な扱いをされていないことを照明で表現しています
もちろん当たり前のことです
彼等は客ではない、作業員だからです
規則と効率指標の範囲の中だけで許された自由です
巨大スーパーに働く人々は常に誰かに監視されているかのように働いています
あまり無駄口を叩く間もなく働いています
資本主義の非人間性?
そんな大袈裟な
当たり前のことです
世界中のスーパーどこでも同じです
それでも人間なんですから、深夜の閑散とした巨大スーパーで誰とも口もきかず黙々とはたらくとさぞ寂しく、虚しい気持ちになることでしょう
旧東ドイツ時代ののんびりした働き方が懐かしく思えたりするのでしょう
適当にタバコ休憩ばかりする
ルディやブルーノ、
勤務時間中に、バレないようにチェスを長時間しているユルゲンとブルーノは旧東ドイツで再統一までに大人になっていた人間だけです
賞味期限切れで売り場から撤去された食品が荷受け場近くの大きなゴミ箱に廃棄されるのは、洋の東西問わず同じです
廃棄商品を、どうせ捨てるのだからと、従業員が勝手にもって帰ったり、食べたりするのは、不正の温床になるので規則で禁止されるのも同じだと思います
これも、平然と破るのは旧東ドイツ育ちのブルーノとかです
ゴミ箱を漁り、廃棄商品を食べる姿は最早人間としてのプライドがなくなってしまったかのようです
クリスマスイブの荷受け場での従業員だけのささやかなパーティー
欧米のクリスマスイブは日本の大晦日みたいなものです
誰だって家族と過ごしたいものです
なんでこんな時まで働かないとならんのかとつらいのは人間だからどこも同じです
でも、そこには西ドイツから赴任して来たであろう店の幹部は誰一人いません
現場の従業員だけが幹部には黙って勝手やっていることみたいです
上の人が食べ物や飲み物を差し入れしてくれているわけもなく、食べ物は廃棄商品、飲み物は瓶が割れた事にでもしたものでしょう
上に見つかれば、色々大変な事になりそうですが、毎年こうしているみたいです
明るい売り場は旧西ドイツ
暗いバックルームは旧東ドイツ
閉店後の暗い売り場も旧東ドイツ
そういう対比で象徴しているのだと思います
「今はフォークリフトの運転さ」
俺達は日陰者扱いさという意味にきこえます
1990年の再統一から、本作公開の2018年までは28年です
そこを頭に置いて登場人物を整理するとこうなります
クリスティアン
20代半ばくらい
たぶん再統一後の生まれです
高卒で、旧東ドイツ国民なので、低賃金労働者にしかなれず、前職は解体業で移民と一緒に肉体労働に従事するしかなく、周囲の友人達も同じ境遇だから、面白いわけもなく、当然グレてしまいます
首元や、腕にタトゥーを入れたのもそのその頃のことでしょう
彼も彼等と連んでいるうちに犯罪に手を染めて少年刑務所に2年入っていたといいます
釈放されて出てきても悪い友達と連んでいたら人生駄目にしてしまうと彼なりに考えて、巨大スーパーの夜間作業員になんとか採用されます
ここで真面目に働いていれば、いつかは自分も人間らしい人生が待っているかも知れないと思って辛抱を続けているのです
両親は登場しません
もしかしたら再統一の頃に家族がバラバラになったのかも知れません
彼が無口なのは、旧東ドイツ国民は発言力が無いことを意味しているのだと思います
マリオン
40歳くらい?
再統一は10歳くらいの時でしょうか?
物心ついたころから、再統一ドイツの国民です
旦那もそんな年くらいでしょう
再統一の大混乱の時期に十代、二十代を送ったのだから色々苦労の多い夫婦生活だったろうと思います
それでも彼女の家は結構良いもので結構稼ぎのある亭主の様です
部屋にはDV を思わせる荒れた生活の痕跡は何一つなく一見幸せそうです
亭主は、なんとなく旧西ドイツ出身の男のように思えます
彼女を救うヒーローにクリスティアンがなる余地はあまりなさそうです
彼はあっさり諦めて帰ります
良い子です
ブルーノ
50歳くらい
再統一は20歳の頃だったでしょう
生まれ育った旧東ドイツは滅び、大人になってから親世代や先輩から教わった働き方
とはまったく違う働き方をしないとならなくなり、旧西ドイツから来た連中に、同じドイツ人なのにアゴで使われるようになった人生を送ってきた人物です
その時の混乱で、困窮したのか、生活が荒れたのか、妻子から逃げられたのかも知れませんし、ひょっとしたら、妻はあの家で自殺したのかも知れません
もしかしたら、マリオンの旦那のDVは嘘で、自分のことだったのかも知れません
在庫を縛っている丈夫な梱包テープをこいつは役にたつ取っておけと言っていました、彼の死を知って、あれはそういう意味だったのかとクリスティアンは梱包テープを見て捨てずにポケットにしまいこみます
単に仕事に使うということなのか
俺には関係ないということなのか
それはわかりません
ユルゲン、ルディ
60歳くらい
クリスティアンの父くらいでしょう
再統一は30歳頃
はたらきざかりで再統一になり、揉みくちゃになった世代
プライドも何もなくなり、今の職場で適当に働いて生きて行ければそれでいい人物
それでも、ユルゲンは店で一番楽そうな煙草係、ルディは店の作業主任のようで、上手くたちまわって自分の居場所を確保しているのです
あいつは大丈夫
何があっても前に進まないとな
それはブルーノからのルティを通じてのクリスティアンへの伝言であると同時に、旧東ドイツの人々への監督からのエールだと思いました
そして
クリスティアンは試用期間を終わり正社員となり飲料の担当者として働く明日が約束されました
ラストシーンの波音は一体何を表現しているのでしょうか?
深夜の巨大スーパーの片隅、日陰者の旧東ドイツ人が働いているところ、波音が聞こえるような楽園からは、最も遠いところ
そんなところでも、真面目にやっていれば耳をすませば、波音が聞こえるくらい楽園に近づいたことに気づくこともあり得るのだ
そう言っているのだと思いました
マリオンとクリスティアンの恋の行方は語られません
それはテーマではないからです
再統一から30年近く経ちました
巨大スーパーの従業員の息子が望むように大学をでれば、旧東ドイツ出身者でも先が開けるでしょうし、そうでなくてもクリスティアンのように居場所を作っていけるのです
マリオン夫婦のように、東西ドイツの結婚はつらいことがあっても続いてゆくのでしょう
やがて、笑い話になる日があるのかも知れません
最後に
本作の邦題を「希望の灯り」とした日本の配給会社の方に敬意を示したいと思います
何が言いたのかよくわからなかった
食品管理の倉庫で働く無口な新入りが職場の年上の女性に想いを寄せるが彼女には夫がいた。不倫泥沼の話しでもなく凄い展開が来るわけでもなく、物静かに淡々とストーリーが進んでいくのでボケーっと観て頭をすっからかんにするには丁度良かった。でもちょっとよく分からない映画だった
東ドイツに限らない、普遍的なテーマ
本作は、1989年東西ドイツ統一後の、旧共産主義東ドイツ側の人たちの日常と苦悩を描く。
長らく続いた冷戦の終結、という特定の背景はある一方、所謂「大衆」の代表のような、現場労働に従事する素朴な人たちの日常、という観点では、普遍的なテーマであるとも見えた。
印象的だったのは、スーパーマーケットの従業員たちが、仕事場を「家」「家族」のように捉えて働いている点だ。
職場の雰囲気は温かく、仲間の連帯感が強く、競争や対立よりも協力で仕事を進める。
これは、労働に希望を見いだしていた共産主義の良さの名残りだろう。
日本が近年急速に失ったものでもあるし、残念ながら、世界はあまりにも共産主義の悪口を言い過ぎたとも思う。
資本主義の効率化と競争についていけない人もいるし、そればかりが価値でもないのだ。
クリスティアンは、半グレ仲間から足を洗って真面目なスーパーマーケットの仕事に就き、同僚の年上女性マリオンに好意を寄せ、希望を見出す。
しかし、マリオンが既婚と知り、さらに彼女から冷たく当たられた日の夜は、いたたまれず半グレに逆戻り。
この不安定さがすごく人間らしいと感じた。
そして、半グレでも反社会でも、ある時小さな恋愛や人とのつながりから、まともな生活へと心を入れ替えられる可能性がある。
それが「希望の灯り」なのではないか。
最後は泣けてしまった。
派手なシーンは無いが、主演の好演をはじめ素晴らしい緊張感で撮影されている。
心が洗われる一作。
フォークリフト愛に溢れた映画
全編通じてフォークリフトが重要なキーアイテムになっていた。
でも従業員にとって、フォークリフトはパレットやカッターナイフと同じく単に仕事に必須のアイテムの一つのだけな筈で、何故フォークリフトだけが特別なアイテムになっているのか分からなかった。倉庫番にとっては憧れの花形アイテムなんだろうか。
後、互いに惹かれて来ていたとはいえ、呼鈴鳴らして無反応の家に無施錠の窓から侵入して、人の家を勝手にうろついてパズルをしたり女性のシャワーを覗いたりするのは気持ち悪いと思った。
元空き巣泥棒から全然更生出来てない感じで、せっかくお見舞い目的で来訪したのに覗き魔になってて、やはり入れ墨だらけの元犯罪者なんだなとしか感じなかった。
海と呼ばれる狭い生け簀の中で、自由に泳ぐ事も、満足に呼吸する事も出来ずにひしめき合っている魚が、この世の無常を象徴しているような気がした。
毎日顔をつき合わして、一つの家族のように働いていても、実際にはお互いを何も知らない事に孤独を感じた。
考えさせられる様な良いシーンも多かっただけに、前述の不法侵入シーンの必要性を感じず、そこが残念だった。
なんとも難解。 ムードはよく伝わったけど、内容は脈絡もなく意味不明...
ブルーノは
何故死を選んだか。健康で仕事があって気の合う仲間もいる。でも心の隙間は埋められず、夜はなかなか寝つけない。酒と煙草は手放せない。あートラック転がしてたあの頃に戻りてえなーって。う〜ん人生に絶望しちゃったかなあ。今日は昨日のコピペで明日は今日のコピペか。まあでも他の登場人物も似たりよったりよね。そんな大っきい出来事無いし。日常の些細なことに幸せ見つけて帰りのバスで今日はいい一日だったなあって。それで十分人生ハッピーなんだけど。そういう小さなことに喜び見つけるには練習もいるなあ。毎日に感謝して生きるって。ありがとうの反対は当たり前。当たり前になっちゃ逆に生きづらくなるんかな。あと孤独も超危険よな。やばいやばい。
少しの光
巨大スーパーでの品出しやフォークリフト作業、そこで交わされる従業員たちの会話や交流。きっとこの外や家庭よりもここは仲間と社会とつながる場になっているんだろうなと思った。主人公がバス運転手に「良い1日だった」と答えるシーンはとてもいいですね。彼にとってはこの日常がそう思える日々なんだなと。
ベルリンの壁崩壊から30年近く経っても、西側と東側ではインフラや賃金にも結構格差があるみたいですね。それは人の心にも禍根を残していると。
あと、ブルーノはマリオンの夫だったんではないかと思っている。やけにマリオンの旦那のこと詳しいし(暴力的だとか実は自分のことずっと話してたんでは)最後は主人公に託そうとしてたし。まぁ真相は分かりませんが。
ドイツ再統一後、28年の無念の日々をひっそり孤独に耐え続けた中年男の死
ベルリンの壁崩壊の翌1990年10月に東西ドイツは再統一するが、政治的な祝賀ムードとは正反対に経済的には大きな混乱を来して長い不況に突入する。
特に旧東側では国営企業が民営化されて次々に倒産し、失業者が増加。その煽りで移民排斥の動きやネオナチの復活が見られるなど、経済的な格差から社会不安が醸成されているという。
本作の舞台は再統一後28年を経た2018年のライプツィヒにある巨大スーパーである。ここも東ドイツ時代は運送トラック会社だったが、再統一後にスーパーに業態変更を迫られ、ドライバーたちはスーパー店員となった。
そこに新たに採用されたのが建設業をクビになった主人公。首や腕、背中に刺青があり、少年犯罪で2年刑務所暮らしをした経歴の持ち主だが、周囲と同調する能力はあるし、仕事も真面目なために、職員に好かれて信頼を得ていく。好意をもった女性職員から自分も好かれるのはいいが、彼女は既婚者で、すぐに何かが起こるとは考えられない。
その環境の中で、彼はフォークリフトの運転資格を苦労しながら取得したり、職場での貧しいクリスマスイブのパーティでさきの女性と寄り添ったり、暴力夫が原因で彼女が休職したり等々のささやかな出来事の後、ある夜、上司のベテラン職員宅に招かれ、暗く狭い部屋で2人で酒を酌み交わす。
酔ったベテラン職員は東ドイツ時代を懐旧して、「あの頃はトラックを飛ばして、いい時代だった。今やトラックの代わりにフォークリフトの運転だ」と、無念の気持ちを吐露する。
翌日、出勤した主人公は先輩から「あいつはもう来ない。今日からお前が責任者だ」と告げられる。理由を尋ねると、「昨夜、自殺した」というではないか。しかも本人は妻と一緒に暮らしていると話し、周囲もそう思っていたが、実際は再統一後の長い年月を、たったひとりで暗く狭い部屋で過ごしてきたのだ。恐らくは28年間、ずっと無念の気持ちを抱きながら。
葬儀の日、かつてのドライバー仲間だったスーパーの同僚たちや、主人公や件の女性は一緒に参列し、無言で死者を見送る。
ここにどのような希望の灯があるのか、小生にはわからない。ただ、再統一後の地方都市でひっそりと無念の28年を過ごした中年男性と、自らそれに終止符を打った心中に思いを馳せるだけである。
東ドイツ時代を懐かしむことをノスタルジーならぬ「オスタルギー」と呼ぶらしい。2007年にドイツで行われた世論調査によると、東西分断時代の頃の方が良かったという回答が19%に上った。
あの自殺したスーパー店員と同様の人々は、ドイツにどれほどいるのかと想像せざるを得ない。本作は何ら政治的主張も体制へのプロテストも、社会的な訴えかけもせず、ただ中年スーパー店員の自殺を投げ出しただけだ。しかし、そこに無言の政治的な訴えを読み取れるような気がする。メルケルにそれが読み取れたか、少々疑問だが。
丁寧に丁寧に作られた作品
日本だと是枝監督の様な、リアリティを感じつつ、端々に映像作品としての美しさをやセンスを感じる素敵な作品でした。
カンヌ系というか、文学系というか、そういった心象をテーマに描いた作品が苦手な方は合わないと思います。見終わって「で?」となるかもしれません。
家に忍び込むシーンだけは、違和感がありましたね。流石に。
自殺した方が、奥さんがいるという「見栄」、喫煙所があるのに、隠れて吸っていたこと。何気ないシーンも、後になって色々と考えさせられるのが良かったです。
深い映画、だと思いました。
終始、静かに流れる感じ…
です。
旧東ドイツの大きなスーパーマーケットで働く人々の人間ドラマです。
それぞれが余計なセリフが少なく、周囲の余計な音も少なくて終始静かなやりとりが続いていきます。
セリフが少なめなので、各登場人物の気持を感じ取ろうと引き込ませる意図を感じさせたかった作品なんですかね?
ヨーロッパの方はこんな雰囲気の作品が多い気がします。
嫌いじゃないです。
私はたまにこーゆー感じの観たくなります。
ただ、終始静かで単調な流れなので眠くなりましたが…
笑
オフ・ビート
東西統一後の負け組を描く
東西統一後の東ドイツ、スーパーの倉庫係として働く青年の試用期間の日々を淡々と描く。
ドイツ表現派の典型のような説明を省き、描写の中から何かを感じ取れれば由とする演出手法だから、ただ観ているだけでは真意が分からずもやもや感が絶ち切れない。
人妻でありながらちょっかいを出してくるマリオン、明らかに不道徳路線なのだが孤独な青年にしてみれば純愛路線の様、DV夫らしいが彼女の私生活は殆ど語られないので真意は不明・・。
親身に目を掛けてくれる上司のブルーノがなぜか首吊り、昔の長距離トラック運転手時代を懐かしむが、そうまで拘るのなら何故復帰しなかったのか、東西統一の被害者のようだが自由を手に出来たことは彼には意味をなさなかったようだ。妻と同居と嘘までついていたのは逃げられたのか、寂しさに負けるような軟な男には見えないから、邪推すれば青年に責任者の地位を譲ろうとしたのかも・・、ことほど左様に真意不明。
タイトル、原題はIn den Gangen(通路で)、原作の日本語書名は「夜と灯りと(新潮社)」だからその辺から邦題の「希望の灯り」となったのだろうが、陳腐に思える。
原作者で脚本のクレメンス・マイヤーは自身も東ドイツ出身、東西統一で経済的に負け組となった東ドイツの労働者に視点を据えている、そういう意味では社会派の作家なのでしょう。自身も少年院に入り、タトゥーも入れ、建設現場や、警備員、フォークリフトの運転手として働いていたらしい、まるで主人公は彼の投影にも思えます。
無口な映像から受ける感情。
旧東ドイツの空気感は知らないが、
ちょっと暗くて寒くて堅い感じ。
そして無口なイメージ。
主人公は脛に傷を持つ青年クリスチャン。
表情は柔らかいが社交性があるわけではない。
スーパーマーケットの同僚たちは、
そんなクリスチャンを好青年として感じている。
国柄なのか土地柄なのかは知らないが、
あまり身の回りの深い所を話してこないし
詮索したりもしない。そういう人たち。
それが居心地の良さにもつながってくる。
無口な人ってのは、よく観察する。
それゆえ、表面的な会話よりずっと
その人の内面をよく知られる。感じられる。
しかも古参の従業員たちはみな
旧東ドイツ時代からの同僚で気心を知っている。
だからこそ、ブルーノが抱えていた闇を感じられなくて
深い悲しみに包まれてしまう。
映像表現からも、その人種性のようなものは
強く感じられる。
ドリーやパンは多用されず、
基本的にフィックスカット。(カメラは固定)
アングルは平面的で奥行きは出さない。
人物のカットは真正面から真後ろへの直線的な切り返し。
セリフ前後の間は、一般的な映画よりも長め。
この「間」が実に内容に合っている。
北野映画を思い起こさせる映像表現に近い。
だからこそ、観客は余計な映像情報を入れずに
登場人物の内面を読み解けられる。
無骨だが実に感情豊かな、
スーパーマーケット=家族のような温かい場所。
じんわり胸に染みわたる、とても柔らかい、いい映画でした。
これが日本のスーパーマーケット映画だったらどうだろう。
パートのおばちゃんの井戸端会議から始まる根も葉もない噂話。
表面的な仲の良さを装って、同僚を陥れる人間模様。
異性にほんの少し好意を持っただけで不倫話にまで膨らませる想像力。
そんな映画は見たくないなぁ。
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