「人間が違うわ!!」ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
人間が違うわ!!
John Coltrane というと、まず、思いだす曲はジャズバージョンのMy Favorite thingsで、物静かなイメージが強い。
彼のファンかというとそうではないが、このドキュメンタリーでわかったことがある。それは、なぜ知り合いの人が息子の名前をコルトレーンにしたかということだ。コルトレーンの生き方は自分の道を踏み外して(ドラッグ)も、それから復活し、努力をして自分のやりたい音楽に没頭する力を持っている。それに、過去のジャズにとどまらず、クリエイティブなジャズの世界を構築していくことができる。ましてや40歳という短い一生の中で、『平和』の使者を自らかってでている。こういう理由で新しい生命にコルトレーンとつけたのだと思う。それに、知り合いの息子もコルトレーンに似てハンサムである。このドキュメンタリーを見て意味がわかった。
コルトレーンがマイルスのKind of Blue(1959)に参加した功績は大きい。それに、マイルスがコルトレーンを首にした功績も大きい。私はマイルスを聞いて、コルトレーンのことを知ったと思う。記憶に自信がないが、当時、私の学生時代のジャズ気狂いというのはジャズの全てを知り尽くしていて、マイルスやハービーハンコック、マッコイターナー、ソニーロリンズ,ウェイン・ショータなど昼夜聞いている人たちのようだ。ジャズ研があって、一歩でも足を入れたら、その世界にハマるから敬遠していた。このドキュメンタリーにもそんなような日本の方が出演していたようだ。
ドアーズのドラム:ジョン・デンズモアもここで『Kind of Blue』とコルトレーンを絶賛していたね。クリントンもジャズの世界にハマった人のようだ。
Giant Steps:
John Coltrane - Giant Steps の中で、Naima は最初の奥さんの名前で、彼が作曲している。これ以降、彼は数多く作曲を手がけてようだ。
アラバマ:
Alabama (Live At Birdland Jazzclub, New York City, NY, 10/18/1963) · John Coltrane
Producer, Associated Performer, Soprano Saxophone, Tenor Saxophone: John ColtranePiano: McCoy Tyner Drums: Elvin JonesDouble Bass: Jimmy GarrisonComposer Lyricist: John Coltrane
を聞いてほしい。このアラバマは鎮護歌だね。バーミンガムの16番バプティスト教会で、爆破事件の余波で製作されたもの。四人の子供が死んで、多くの人が負傷した。これが当時の公民権運動に結びついた。
至上の愛:
John Coltrane - A Love Supreme (1965) Bass – Jimmy GarrisonComposed By, Tenor Saxophone – John ColtraneDrums – Elvin JonesPiano – McCoy Tyner
これなしでコルトレーンは語れないね。
蛇足メモ:
経歴を自分のためにまとめておく。1945年ハワイ到着したが、海軍の規模が縮小され、彼はバンドで演奏するようになる。ミュージシャンの評価は与えられず、海兵隊の一員となる。コルトレーンは憧れのチャーリーパーカーと一緒に演奏するようになるコルトレーンは1949年ごろからディジー・ガレスピー、アール・ボスティック、ジョニー・ホッジスのバンドで演奏。1955年に、マイルス・デイヴィスのバンドに入るが、コルトレーンの演奏はイマイチで、ウィントン・マルサリスは褒めていなかった。1957年に、マイルス・バンドを首になり、セロニアス・モンクのバンドに参加。さすがモンクで、音楽とはを伝授してるね。これが一番彼にとって生産的であったようだ。アルバム『コルトレーン』を出していると。
1957年『ブルー・トレイン』を吹き込んでいる1958年、マイルス・バンドに再加入する。
1959年、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』
『ジャイアント・ステップス』を録音。
1960年春、マイルス・バンドを脱退。『マイ・フェイヴァリット・シングス』
1964年『至上の愛』を録音。1965年同年12月にマッコイ・タイナーがバンドを離れ、アリス・マクレオド(アリス・コルトレーン、1966年にジョンと結婚)が加入。1966年3月にはエルヴィン・ジョーンズも退団し、ラシッド・アリがドラマーに。1966年7月に来日。長崎をはじめ9都市を廻る公演を行う。彼の長崎の原爆に対するあつい思いには感激した。