「”戦うプリンセス”+”水の記憶”というディズニーの新境地。」アナと雪の女王2 にゃもさんの映画レビュー(感想・評価)
”戦うプリンセス”+”水の記憶”というディズニーの新境地。
・「今まではエルサの力の強さを不安に思っていた。けれど、今はそれが十分であることを祈っている」
予告編の台詞がよく今作を表している。
前作では「力を抑える、制御する」が課題のエルサ、今作ではむしろ力の強さが試される。
・「冒険にはもううんざりしてる」と冒頭で歌いながらも、
北の海に挑み、荒馬を乗りこなし、大洪水という天変地異と身一つで立ち向かうエルサは、まるでジャンヌ・ダルク。
これまでの「可愛く愛される」ディズニープリンセスから、
「戦う強いヒロイン」という新たな境地を切り開いた気がします。
前作が女性解放であれば、今作はさらに女性進出へ。
これまでのプリンセスに憧れてきた少女達は、「可愛く愛され」さらに「強い女性」に憧れるようになっていくのかなぁと、そんなことを思ったりしました。
・間接的に民族問題を扱っていることに、時代性を感じた。
全世界的に移民が増え、社会的なインパクトが巻き起こり、民族と宗教の対立により今やディズニーの本家アメリカでも「メリークリスマス」と(キリスト教的に)祝うことが叶わなくなった昨今。
作品の中では、民族間の結婚と、その祝福としての力、という形で物語がまとめられている。多民族の平和的共存、というメッセージが込められていることに2019年の時代性が感じられた。
(もとい、そのようにしなければ商業作品として世界的なヒットは見込めないだろうという算段もあるのだろう)
・「水は記憶を持つ」「ダムを破壊することこそが解放」という思想的偏向がやや気になる。
ファンタジーで良くある妖精達の設定の一貫として、水の記憶、というはありだとしても、作中で強調されすぎでは?
エンドロールの後にまで、しかもオラフの子ども向けトークに包まれて繰り返されたのには少しびっくりした。
「水の記憶」はいわゆる擬似科学界隈でよく言われているトンデモ理論。
それを子どもに見せることでトンデモ科学を受け入れる下地を作り出しそうな危険性を感じた。あくまで作品設定だと割り切れればいいんですが、作品への没入感の強い子どもにそれができるかどうか?
・アナとクリストフ
「プロポーズされて結ばれてハッピーエンド」という恋愛の王道的な結末を潔いほどに覆した前作。今作ではその王道が踏襲されたという意味で、ある意味恋愛的な物語面の補完としても楽しめますね。
それにしても、前作エンドでは単なる氷の業者扱いだったクリストフ、プロポーズに成功したことでひょっとしてこれで一国の王になる?それでいいのか、王座があまりにちょろすぎる気も(苦笑)