「中島哲也の最高傑作かな?」来る もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
中島哲也の最高傑作かな?
①原作の『ぼぎわんが、来る』はホラー小説としては尻窄みである。第1章は確かに怖い。しかし第2章は視点の切り替えという面白さはあるがあまり怖くない。第3章(最後の章)は、最強の妖怪ハンターという姉の造形は面白いが、ぼぎわんがあまりに簡単に退治されてしまうので「なんや」という感じで脱力してしまう。ホラーとしては中途半端。②一方、映画の方は第1章に当たる部分はほぼ原作通りであるが、第2章に当たる部分から映画独自の展開・解釈となる。原作では良い父親の芝居をしているだけの夫の正体に愛想をつかしているが娘は普通に愛している母親なのが、映画での黒木華扮する母親は男も出来てだんだん娘を邪魔に感じだして来る。そして原作とは違ってなんと最後にはぼぎわんに殺されてしまう。③何故ぼぎわんは父親だけでなく母親も殺してしまったのか?そう、父親も母親も上部だけで子供を愛しているという嘘をついていたから。父親は自分が死んだと悟ってから初めて娘への愛情に気付いたがもう後の祭り。母親も最後に娘への愛情を取り戻したがもう遅かった。③この第2章にあたるパートの伏線は次のパートで更にはっきりとする。娘は妖怪ハンターの姉の前で『エクソシスト』のリーガンよろしく白目を剥いたりしてぼぎわんに憑依されたがごときになる。また松たか子扮する妖怪ハンターは「恐ろしい子」と言いぼぎわんもろとも葬り去ろうとする。ぼぎわんは子供を愛していると表面を取り繕う嘘つきの親を憑き殺すだけでなく愛されなかった子供にも憑くのだ。④そしてここからこの映画の最大のクライマックスがやって来る。妖怪ハンター姉の仲間の色んな宗教・土俗宗教・呪術の僧・お祓い士・祈祷士が一堂に会して(しかし一部沖縄からのイタコたちは途中で殺されてしまう)一大お祓い式を始めるのだ。こんなシーンは日本映画始まって以来ではないだろうか。しかし、それでも祈祷士たちの方が倒れていく。それほどぼぎわんは劇中の台詞通り凶悪な化け物だということがビジュアルとして納得させられる。ここがmotion pictureたる映画の醍醐味だ。⑤さて最後、妖怪ハンター姉が娘もろともぼぎわんを退治するかと思いきや、娘に真の愛情を注いでいた妖怪ハンター妹が娘を庇う。すると妖怪ハンター姉は「ならば、そうやって抱いていなさい!(愛してあげなさい)」と妹と妹の男(いつもと違って頼りない岡田準一)とをベランダから突き落としてからぼぎわんを退治する。娘は心から愛してくれる男女(特に小松菜奈扮する妖怪ハンター妹)に出会えたことでぼぎわんの魔手から逃れられたように思える(あくまで思えるだけですよ。ラストのアニメのシーンが意味深)。⑥基本的にエンタメなので監督にそんな意図はなく又穿ち過ぎかもしれないが、昨今の親子関係の問題、特に親側の問題をそれとなく提示しているようで面白い。