殺人者の記憶法 新しい記憶のレビュー・感想・評価
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混乱
新旧の殺人鬼対決と思わせておいて、実は旧殺人鬼に皆だまされるという事でしょうか。
ニセの記憶と本当の記憶がごっちゃになり、こんがらがります。
ラストの白いスニーカー履き替えは、ユージュアルサスペクツを想起しました。
もう一方見てから、こっちが良いと思います。
重複するところも多々あるため、こっちだけで良い。という評価もありますが、
構成、見せ方、結末を変えてきてるので、別ものだと感じました。新しい記憶。と題していますしね。
ぜひ、もう一方を先に見たうえで、こちらを見てみてください。
主人公の印象が全く違うことを感じることができ、主演の演技力の凄さをより強くみることができると思います。
「善」と「悪」を演じ分けるって、こういうことなんでしょうね。
脚本の人も、どっちでいくのか、すごく悩んだのでしょう。
お蔵入りにするのは、勿体ないシナリオです。
どちらにしてもオ・ドンスはかわいそう・・・
続けて見ると、同じじゃねーか!と思ってしまう終盤間際まで。間違い探しをやらされてるような気もしましたが、多分観客は認知症検査を受けさせられたんだと思います。桜、電車、ネコ・・・それは違う!
追加シーンは賭博現行犯で警官隊が突入するところ等。あ、それは日本じゃ逮捕されないんだよ!と、検事に教えたくもなりますし、逃げた女が「警察署長は私の友達なのよ」などと見過ごしてもらおうとしたのが笑えた。
全体を検事がキム・ビョンスを病室で尋問するシーンで進めていき、ミン・テジュ犯人説をそのまま信じ込む様子が描かれている。じゃ、チョ・ヨンジュは誰が殺したんだ?という謎にも二通りの可能性を残していた前作だが、この別バージョンエンディングではもうどの殺人の犯人もビョンスでいいじゃん!的な解決策を取っていた。
左右の靴を履き違えるシーンがやたらと多く、正解ならば正気を保っていて、履き違えならば認知症を描いてるのはわかりやすい。しかし、最後に娘(本当は自分の子じゃない)まで殺していたなんてのはかなりショッキング。オ・ダルス演ずるアン・ビョンガン殺害もビョンスなわけだし、これじゃタバコ屋の娘も浮かばれない。虚しさだけが残るエンディングでした。
前作よりもスッキリするのは17年前に失踪したタバコ屋の娘の件だけ。テジュが犯人じゃ17年前は子どもだから無理すぎると思った前作の謎をクリア。どちらにしても17年前の事件はビョンスなのだが、この別バージョンでは最近の連続殺人も犯人はすべてビョンス。無理な記憶だとは思うが、賭博罪の男と女もビョンスの犯行なのだろう。おかまを掘ったのは実はテジュだったというところは面白かったけど、こうなったら記憶法であるはずのレコーダーも紛失しているからタイトルすら怪しい・・・
『全ては劃した想いの儘に』
自宅(CS放送)にて鑑賞。アルツハイマーに陥った嘗ての連続殺人犯の慚愧と葛藤を描くミステリー。先行して上映されていた『殺人者の記憶法('17、以降「前作」と表記)』の(八割方同じだが、結末等が違う)ディレクターズカット版と位置附けされており、そちらとの重複を恐れずにレビューする。どうしても両作を比較する事になるが故、いつにも増してネタバレ寄りになる事をお許し願いたい。オープニングは変わらないが、その後の展開は逮捕後の病室にて調書を取る形で進行し、時系列が前作と異なっている。全篇を通し丁寧な作りで、前作よりも判り易い反面、後味は一際悪い。映画としては本作の方が好みである。70/100点。
・濁った色調の寒々しいロケーションは、登場人物達の心象風景の象徴で本作の雰囲気やテイストを決定附けている。中でも雪に覆われた竹林が枯淡の趣と云った風情で印象深かった。
・そもそも記憶障害者が劇薬を扱う獣医を営む設定に無理があり、他にも細かな破綻や綻びは全篇に及ぶ。特に本作では印象的なカットを活かす意図でか、やや不釣り合いで意味的に齟齬をきたす様な描写やシーンも含まれている。
・前作と本作では、日本におけるソフト版のパッケージやポスター等、販促用画像が異なり、二作の差異を象徴的に表している。受け取るニュアンスも微妙に異なるよう、前作より細部に亙り手が加えられているが、本作の方が約十分程度長くなっている。前作とは“キム・ウニ”役のキム・ソリョンとソル・ギョング演じる“キム・ビョンス”の遣り取りや来るべき対決の時に備えての腕立て伏せのシーンがカットされているが、レントゲン写真が誰の物だったのか、そもそもの追突事故は誰が起こしたものだったのか等が判明する仕掛けがあり、更に彼の元へ“アン・ビョンマン”所長のオ・ダルスと警察学校の学生が過去の連続殺人を訊く為に訪問するシーン等が追加されている。そしてその所長は誰の手に掛かったのかもクライマックスでしっかり描かれている。
・前作以上に白いスニーカーが象徴的に扱われており、それはラストでも活かされ、前作と違った解釈を与える重要なアイテムとしての意味を持たせている。亦、前作以上にキム・ナムギル演じる“ミン・テジュ”の凶悪性が強調されたシーケンスが追加されており、よりミスリードを誘う作りとなっている。
・キム・ナムギルの“ミン・テジュ”とキム・ソリョンの“キム・ウニ”が劇場で観ていたのは『グッバイ・シングル('16、原題"굿바이 싱글"・英題"Familyhood")』である。
・左頬がひきつると怖ろしくなる“キム・ビョンス”を演じるソル・ギョングはどことなく明石家さんまを彷彿させる風貌だったが、圧巻の説得力を持った悲哀を込めた演技で、事故のシーンもスタントを使わず自ら演じたらしい。若かりし日と侘しく少々草臥れた現在を、10kgの体重増減にて演じ分けたと云う。逆に“ミン・テジュ”のキム・ナムギルは妖しい雰囲気を増す為、14kg体重を増やして臨んだ。
前作があることを知らずに、こっちを先に観てしまう、 二転三転する後...
前作があることを知らずに、こっちを先に観てしまう、
二転三転する後半はゾクゾクしたけど、なにが本当のことなのか?頭が混乱。。
検事とのシーンが大事なわけですね。でも、記憶に基づいて話が展開されているわけだから、全部ソルギョングの嘘?妄想?だとするのなら、結局のところなんだってアリなんだよなぁ。。。
少し、つじつま合わないんじゃないの?って思うところもでてきたような。
でもラストで靴を元に戻してからの数分はやっぱりビックリでゾクゾクでした!
こっち観てから前作のほうも観たけど、前作の記憶のほうが好きかなー。。
でも、両方観てこその作品だと思うので、どっちかだけ観るのはやめたほうが良いかと。
あぁ、、、やっぱ韓国映画好きだー!!
この手法をとったアイデアは斬新。
ほぼラストまで同じ内容なのに、ラスト数分だけで、全く違う結末になってしまう。はぁ、、、すげーな!
どっちかが本当ってわけでもなく、どちらも妄想なのかもしれない。
記憶を信じるな。
この言葉に尽きますね。
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