「『全ては劃した想いの儘に』」殺人者の記憶法 新しい記憶 瀬雨伊府 琴さんの映画レビュー(感想・評価)
『全ては劃した想いの儘に』
自宅(CS放送)にて鑑賞。アルツハイマーに陥った嘗ての連続殺人犯の慚愧と葛藤を描くミステリー。先行して上映されていた『殺人者の記憶法('17、以降「前作」と表記)』の(八割方同じだが、結末等が違う)ディレクターズカット版と位置附けされており、そちらとの重複を恐れずにレビューする。どうしても両作を比較する事になるが故、いつにも増してネタバレ寄りになる事をお許し願いたい。オープニングは変わらないが、その後の展開は逮捕後の病室にて調書を取る形で進行し、時系列が前作と異なっている。全篇を通し丁寧な作りで、前作よりも判り易い反面、後味は一際悪い。映画としては本作の方が好みである。70/100点。
・濁った色調の寒々しいロケーションは、登場人物達の心象風景の象徴で本作の雰囲気やテイストを決定附けている。中でも雪に覆われた竹林が枯淡の趣と云った風情で印象深かった。
・そもそも記憶障害者が劇薬を扱う獣医を営む設定に無理があり、他にも細かな破綻や綻びは全篇に及ぶ。特に本作では印象的なカットを活かす意図でか、やや不釣り合いで意味的に齟齬をきたす様な描写やシーンも含まれている。
・前作と本作では、日本におけるソフト版のパッケージやポスター等、販促用画像が異なり、二作の差異を象徴的に表している。受け取るニュアンスも微妙に異なるよう、前作より細部に亙り手が加えられているが、本作の方が約十分程度長くなっている。前作とは“キム・ウニ”役のキム・ソリョンとソル・ギョング演じる“キム・ビョンス”の遣り取りや来るべき対決の時に備えての腕立て伏せのシーンがカットされているが、レントゲン写真が誰の物だったのか、そもそもの追突事故は誰が起こしたものだったのか等が判明する仕掛けがあり、更に彼の元へ“アン・ビョンマン”所長のオ・ダルスと警察学校の学生が過去の連続殺人を訊く為に訪問するシーン等が追加されている。そしてその所長は誰の手に掛かったのかもクライマックスでしっかり描かれている。
・前作以上に白いスニーカーが象徴的に扱われており、それはラストでも活かされ、前作と違った解釈を与える重要なアイテムとしての意味を持たせている。亦、前作以上にキム・ナムギル演じる“ミン・テジュ”の凶悪性が強調されたシーケンスが追加されており、よりミスリードを誘う作りとなっている。
・キム・ナムギルの“ミン・テジュ”とキム・ソリョンの“キム・ウニ”が劇場で観ていたのは『グッバイ・シングル('16、原題"굿바이 싱글"・英題"Familyhood")』である。
・左頬がひきつると怖ろしくなる“キム・ビョンス”を演じるソル・ギョングはどことなく明石家さんまを彷彿させる風貌だったが、圧巻の説得力を持った悲哀を込めた演技で、事故のシーンもスタントを使わず自ら演じたらしい。若かりし日と侘しく少々草臥れた現在を、10kgの体重増減にて演じ分けたと云う。逆に“ミン・テジュ”のキム・ナムギルは妖しい雰囲気を増す為、14kg体重を増やして臨んだ。