「“普通”ができない自分に疲れたことのある人は共感できるものがあると思う。人間皆、少しだけ分かり合って生きているのかもしれない。リアル。」生きてるだけで、愛。 鳥さんの映画レビュー(感想・評価)
“普通”ができない自分に疲れたことのある人は共感できるものがあると思う。人間皆、少しだけ分かり合って生きているのかもしれない。リアル。
寧子にイライラする人も多いと思う。寧子に共感できるような自分は嫌だと思うかもしれない。津奈木に同情、またはなぜ一緒にいるのかと疑問に思う人も多いと思う。でもラストのシーン、パソコンを窓から投げて仕事をクビになった津奈木に対して寧子が「津奈木、私みたいなことしてる」と笑ったシーンで、誰しもがまだ出会っていないか、見て見ぬ振りをしているだけで、心の奥底に寧子のような一面を持っているかもしれない。と私は思った。あの時死ぬ気で挑んだ受験に失敗していたら、大切なあの人が死んでいたら、就活に失敗していたら、どこにも自分の居場所を見つけられなかったら。自分の中の普通を保っているところがバグる可能性なんて、誰にでもあると思った。
寧子の、自分がダメなことは分かっているけれど、何とかして人のせいにしていないと生きていられない感覚、正直私は共感できる部分があった。鬱病の中、よし、頑張ろうと思った時に行動に移してみても、何だかうまくいかない、タイミングが悪い。自分に振り回されて疲れる。ここなら大丈夫かもしれないと思えたアルバイト先での「大丈夫だと思ったのにな」「バレちゃう」という台詞がすごく印象的で、その感覚にすごく共感した。自分は鬱病、周りは健常者、優しくしてくれる、会話して笑える、なんだか自分は普通ができている気がする、自分は大丈夫になる気がする。だけれど自分が本気で発言したことに対して理解を得られなかった瞬間、あ、やっぱり自分はダメだったんだ。みんなに違うことを見透かされてしまうと思うとどうしようもなく辛くなり、泣きたくなる。さっきまで近くに感じていた人が、一気に遠くに感じる。冷たく感じる。
津奈木は、いつからか自分の感情と向き合えなくなったのか、諦めたのか、そうしないと生きていけなかったのか、セリフにもあった通り自分の感情ではなく相手を納得させるための言葉を言うことで無意識に自分を保っている。しかしだからこそ、寧子と一緒にいられたし、寧子も無意識にそれに救われて今まで生きてくることができたのだろう。
現代人の生きることに対する苦悩が、2人の人間性にすごくよく現れていると感じた。私は元気付けられた。