劇場公開日 2019年12月13日

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「映画は夢と情熱で出来ている」カツベン! keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0映画は夢と情熱で出来ている

2019年12月25日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

花のパリーかロンドンか、月が鳴いたかホトトギス、月も朧に東山、霞む夜ごとの篝火に、抜けば玉散る氷の刃、金波銀波を背に受けて、月光遥かに照らし出す、夢と希望を胸に秘め、我が道行かんいざ京へ、嗚呼これぞ活動写真、嗚呼これぞカツベン(活動弁士)。

嘗て映画には音が無かった。字幕だけの画面を合間合間に挿入することによってスジの説明が補足されていた。日本以外の国では・・・。

京都で日本初の劇映画が誕生した1908年からトーキーが普及する1930年代までの約四半世紀、日本では役者の台詞とナレーションを担う活動弁士とBGMを担った楽団が映画館ごとに居て、その圧倒的な生講釈・生演奏の迫力で観客を魅了していました。同じ作品でも映画館によって全く異なる印象を観客に与えており、映画そのもの以上に弁士によって興行の出来不出来が決まったといっても過言ではありません。

本作は、日本の映画の黎明期を背景に、舞台劇より遥かに低級に見下されていた”活動写真”に魅せられた男と女の憧憬と大志と野望を、コミカルに且つ細かく丁寧に描いた快作です。

登場人物が悉く個性的で、滑稽味と不遜さを兼ね備えており、また各々が善と悪にくっきりと峻別され勧善懲悪のパターンが明快です。エッジの利いたキャラクター設定のユニークさと各々のキャスティングは妙にして見事であり、彼らを映像の中に放り込んで自在に暴れさせる筋立ても実に痛快で秀逸です。

そこには、劇場・建屋の設えや衣装、カメラ・映写機といった映画機器類、そして劇中上映される全ての無声映画を含めた美術・装飾一式が、大正末期のセピアめいた時代の空気感を漂わせて、精巧で緻密に作り込まれ擬装されていることに因る効果も大きく占めています。

更にクラリネット、三味線、鉦、鼓等の単調な独奏のBGMがサイレント映画の世界を彷彿させ、観客が自然にこの時代に没入していくよう巧妙に導いています。

皆の所作・言動に笑い、主人公の奮闘に泣き、そして悪漢との追跡劇に手に汗握る。本作にも登場する日本映画の父・牧野省三の次男にして、東映躍進の中核を担ったマキノ光雄の提唱した映画の三要素を備えた作品です。

主人公が居てヒロインが居てロマンスがあり、主人公を狙う悪漢達が居て、スラプスティックな追跡劇があり、大団円でエンディングを迎える、観客が大いに笑って、大いに泣いて、そして手に汗握った後に、充足感・幸福感に浸って家路につける映画です。

ただ難を言えば、映像は概ね引きで広角カットですが、僅かに主人公とヒロインの寄せカットのみで構成される二人だけの場面がありました。作品全体の映像の構成と前後の脈絡からすると、このシーンだけが寄せカットである必然性と目的が汲み取れません。

また個々のエピソードの描写がやや冗長でテンポが牴牾しく感じます。もっと細かくカットを割り、ヤマ場からヤマ場へ遮断なく展開するべきですが、即ち編集の技量には疑問を感じます。

閑話休題、
「映画は夢と情熱で出来ている」
これは、1950年代、映画界を席巻した東映京都撮影所の時代劇を支えた重鎮の一人である、北の御大・市川右太衛門の言葉です。 映画に携わった人たちの「夢」と「情熱」を実感できる映画、それが本作であることは間違いありません。

keithKH