「活動弁士の優れた話芸」カツベン! 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
活動弁士の優れた話芸
収穫がふたつある。成田凌が結構声の出る俳優だと分かったのがひとつ。もうひとつは、活動弁士が語る映画はサイレントでもなくトーキーでもない独自のジャンルとして確立されていたということだ。
周防監督の凝り方は相当なもので、弁士が語るサイレントの映像もちゃんとオリジナルで作っている。当然と言えば当然かもしれないが、草刈民代や上白石萌音を使ったサイレント映像は贅沢だし、それに気づいたときはとても得をした気分になった。
本作品は日本における映画の草創期はこのようであったに違いないと思わせるシーンから始まる。活動写真と呼ばれていたその頃には、庶民の娯楽として定着していたと想像され、人気の活動弁士は子供たちの憧れの対象でもあった。
西條八十作詞の「東京行進曲」に次の一節がある。
シネマ見ましょかお茶飲みましょか
いっそ小田急で逃げましょか
変わる新宿あの武蔵野の
月もデパートの屋根に出る
1929年(昭和4年)の歌である。当時の東京の庶民が喫茶店でコーヒーを飲むのと同じくらいの気軽さで映画を観ていたことがよくわかる。
活動写真がトーキーとなり、映画と呼ばれ、シネマと親しまれるのはこの頃からだ。残念ながら活動弁士の活躍の場は減少し、転職を余儀なくされるが、その話芸は講談などに受け継がれることになる。
本作品を観ると、活動弁士のパフォーマンスが優れた話芸として非常に面白いものであることがわかる。単純な映像でも彼らの話芸によって傑作になり、悲劇にもなり喜劇にもなるところが秀逸で、周防監督の思い入れが伝わって来るようだ。ストーリーはドタバタだが、観ていてとても楽しかった。