スティルライフオブメモリーズのレビュー・感想・評価
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小池真理子的な世界観を感じた!!
興味本位で観始め、初めは淡々として抑揚のない印象でしたが、恋人の存在が邪魔になって来たと思い始め(「ナイトクローラー」の助手が邪魔になってきた的な)てからは、映画の世界の没入できました。ヒロイン(永夏子・はるなつこ)のボディがとても美しく、服や髪型、眼鏡や声もとても似合っていて惚れ惚れとしました。愛憎劇かと思いきや、「楢山節考」や「ミッドサマー」の様な、命の循環要素がありました。ラストで赤ちゃんの性器を見た後にトンネルに入る描写はベタで少し笑えましたが、リンゴに噛り付く恋人が下品に見え、すっかり不快な存在になっていました。これ以上何かあるとしつこいので、丁度良い終わり方でした。「無伴奏」の監督で(舞台は軽井沢ではありませんが)、小池真理子的な世界観を感じました。「アースクエイクバード」(2019)でアリシア・ヴィキャンデルの相手役をした日本人カメラマン役はEXILEのメンバーで、インチキカメラマンっぽくて映画が駄目になっていましたが、安藤政信のカメラマン役はそれっぽくて良かったです。個人的には女性器アートには怖いものを感じますが、様々な要素が無理なく入り、総合芸術の名に相応しい映画だと思いました。
生と死に挟まれた男
女性器だけを撮り続ける写真家という設定に惹かれて観に行った。
実在する「アンリマッケロー二」という写真家がモデルで今作にも登場する。
写真家の主人公はひょんなことから、身篭った恋人と死が間近に迫った母親を持つ依頼人(女性器の被写体)との間を行き来することとなる。
芸術は生と死を行き来するものだが、もれなく彼もそうなのだろう。
やがて怪しく幻想的、官能的な死の方へ魅入られていく主人公。
作品が完成に近づくに従って、ひとつの命の生と死も近づいてゆく。
もっとドロドロした三角関係になるかとも思ったが、実際そこはテーマではなかった。
この作品の登場人物は芸術に対してしっかりとした意思や信頼を持っているので変に昼ドラチックになることもなく(心の揺れ動きはしっかりとある)淡々とそれぞれの日々の移ろいが漣のように進行していく。
僕には「時間」について描かれていると感じた。
モノクロから徐々に色味を帯びていく発色現像などを彷彿とさせる映像や、口だけ描かれていない母親の自画像の物語上の使い道など、そういう細部の演出が良かった。
役者も限界まで身体張ってたし、いいと思います。
写真が時間や音を刻む瞬間
3月に大阪アジアン映画祭で上映されたことを知ってから、この映画に興味を持ち始め、公開初日から連日、新宿のK's cinemaに足を運び鑑賞しました。まだ単館上映ということで、あまりネタバレは書くことはできるだけしたくはないのですが、率直な感想を。
見始める前は、写真家が「あるもの」をテーマに写真を撮り続けるということしか知らず、この映画は一体どのような作品なのかと思いましたが、見終わった瞬間は悲しみがこみ上げてきた。主演の安藤政信さんはもちろん、永夏子さんと松田リマさんの2人の女優の演技や努力なくしては、ここまでの作品は成り立たなかったかもしれない。矢崎組のオーディションでの話を聞けば、なるほどと思った。
もちろん、アンリ・マッケローニという一人の画家の残した作品が実在しなければ、この映画は作れなかった。撮りたいものを撮るのは、誰もが持つ願望や欲望だと思う。
春馬は、自分が撮ったものを現像したいという思いを撮影を重ねるごとに強くなり、怜も次第に気持ちを受け入れていく。二人だけの撮影風景や暗室での共同作業のシーンは、互いに心が惹かれ重なり合う時間でもだったと思う。液体に紙を入れてちゃぷちゃぷしていると像が浮かび上がってくる瞬間は、なにか興奮が込み上げてくる感じがしたほど。フィルムで撮った写真というものは、できるまでどう写っているかはわからない。
写真を撮る側、撮られる側、どちらにも感情移入できて、また女性男性という性別にとらわれない中性的な意味合いも。また、人は女性から産まれてくることで母体からこの世に産み落とされることも描いている。
怜の身体(肉体)からは神が宿るというか、神秘的な森の精霊にも感じさせられるようなものがあった。森での場面もそんな精霊が客を招くといった感じだろうか。また、植物をはじめ、螺旋やトンネル、小屋の扉などは、女性器のメタファーであり、なにかを連想させるような想像を掻き立てられる。
この作品は、観終わってから「?」な場面や気になったり分からなかったする場面も多くあるが、それは人それぞれだと思う。分かってしまえば、「ああ、そういうことなんだ」で終わってしまうので面白くない。
評価が満点に0.5足りないのは、この作品には劇場で上映されるものとは違うもう一つの「完全版」が存在すること。映倫による規制という障壁がなければ、この作品にわずかな手を加えられるようなことはなかったと思う。映画祭という形式では、完全版での上映が可能なので、いつの日かこの目で見て脳裏に焼き付けたいと思う。フィルムを焼き直すように。
この作品に出会えて本当に良かったと思います。
いきなり撮ってと言われてもどう撮っていいのか…
何とも難しい、捉えどころのない難しい抽象的作品である。全体がメタファーに彩られ、人間の一生を旅するようなそんなイメージでくるまれているようだ。比喩もあるが直接的なメッセージもある。カットが変わる時の、初めのモノクロの映像からカラーへとモディファイする視覚効果も、何かの暗喩なのだろう。ただ、如何せん、決して映ってはならない身体の部位をフィーチャーしているストーリーなので、これが最大のモヤモヤなのかもしれない。エロスとタナトスを盛り込んでみたりと、色々詰め込みすぎたのも原因の一つであろう。
まぁ、加納典明が猥褻物陳列罪で捕まっているので、この辺り、芸術なのか猥褻なのかのラインは人それぞれだろうし、そもそも“芸術”という心の拠所に委ねる感覚は曖昧だから面白いであろう。なので、今作品のテーマ性やコンセプトは大変興味深い内容であった。
しかし、だからこそ演技陣の不甲斐なさが目立って仕方がなかった。特に主役の安藤政信の演技のメルトダウン振りは目を見張るものがある。まるで“熱海殺人事件”前の阿部寛の大根振りを彷彿させる。周りの共演陣もまるでAVの演技そのものであったりと世界観を形成できていないようにみえた。視聴覚の効果面で、自然音の強調をしてみたり実験的な匂いも感じる。
もう少し、シンプルに構成してみれば観やすかったのかもしれない。演技がどうしようもないので表現するのが困難かも知れないが、例えば、主役のカメラマンの魔女にのめり込む過程をもっとドラマティックに演出してみればと考えたりする。女性二人が“不思議ちゃん”被りだったから対比もしにくいしね。光るセンスを感じた作品なのだが、アートを意識しすぎたのかも・・・
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