「写真が時間や音を刻む瞬間」スティルライフオブメモリーズ たかすぃ☆さんの映画レビュー(感想・評価)
写真が時間や音を刻む瞬間
3月に大阪アジアン映画祭で上映されたことを知ってから、この映画に興味を持ち始め、公開初日から連日、新宿のK's cinemaに足を運び鑑賞しました。まだ単館上映ということで、あまりネタバレは書くことはできるだけしたくはないのですが、率直な感想を。
見始める前は、写真家が「あるもの」をテーマに写真を撮り続けるということしか知らず、この映画は一体どのような作品なのかと思いましたが、見終わった瞬間は悲しみがこみ上げてきた。主演の安藤政信さんはもちろん、永夏子さんと松田リマさんの2人の女優の演技や努力なくしては、ここまでの作品は成り立たなかったかもしれない。矢崎組のオーディションでの話を聞けば、なるほどと思った。
もちろん、アンリ・マッケローニという一人の画家の残した作品が実在しなければ、この映画は作れなかった。撮りたいものを撮るのは、誰もが持つ願望や欲望だと思う。
春馬は、自分が撮ったものを現像したいという思いを撮影を重ねるごとに強くなり、怜も次第に気持ちを受け入れていく。二人だけの撮影風景や暗室での共同作業のシーンは、互いに心が惹かれ重なり合う時間でもだったと思う。液体に紙を入れてちゃぷちゃぷしていると像が浮かび上がってくる瞬間は、なにか興奮が込み上げてくる感じがしたほど。フィルムで撮った写真というものは、できるまでどう写っているかはわからない。
写真を撮る側、撮られる側、どちらにも感情移入できて、また女性男性という性別にとらわれない中性的な意味合いも。また、人は女性から産まれてくることで母体からこの世に産み落とされることも描いている。
怜の身体(肉体)からは神が宿るというか、神秘的な森の精霊にも感じさせられるようなものがあった。森での場面もそんな精霊が客を招くといった感じだろうか。また、植物をはじめ、螺旋やトンネル、小屋の扉などは、女性器のメタファーであり、なにかを連想させるような想像を掻き立てられる。
この作品は、観終わってから「?」な場面や気になったり分からなかったする場面も多くあるが、それは人それぞれだと思う。分かってしまえば、「ああ、そういうことなんだ」で終わってしまうので面白くない。
評価が満点に0.5足りないのは、この作品には劇場で上映されるものとは違うもう一つの「完全版」が存在すること。映倫による規制という障壁がなければ、この作品にわずかな手を加えられるようなことはなかったと思う。映画祭という形式では、完全版での上映が可能なので、いつの日かこの目で見て脳裏に焼き付けたいと思う。フィルムを焼き直すように。
この作品に出会えて本当に良かったと思います。