「全く新たな武蔵像」武蔵 むさし Keithさんの映画レビュー(感想・評価)
全く新たな武蔵像
劇場公開に先立つ完成披露上映会で観賞。
これまで数多く映画化されてきた剣豪・宮本武蔵ですが、本作は全く異なる視点と演出による新たな武蔵像と彼を取り巻く人間ドラマを、「剣の道」を緯糸にして見事に織り上げた、近年稀にみる本格正統派時代劇の秀作です。
何より剣戟を核とする時代劇の常識を根底から覆す、登場する男も女も悉く一人も悪人がいない人物設定。皆が挙って己の主義・信条に狂信的なまでに忠実に直向きに生き、それゆえに起きる軋轢に互いに妥協することがなく、徹底的に葛藤し相争う。従って勧善懲悪という関係は全く生じず、全ての剣戟は、各々の正義対正義の苛烈で、息苦しいまでの鋭利で凄惨な激突で、終始息を呑むばかりでした。
史実に沿って最後の勝者となった武蔵には、ただ虚無感だけが残ったのだろうと思います。
極限まで凝縮された台詞回しの少なさの上にBGMも殆ど無く、短いカットが次から次へと重畳され、否が応でも緊張感と緊迫感が昂揚させられます。三上監督の前作『蠢動』同様に、モノトーンのやや淡色の陰鬱な画調、青年・武蔵の不安と焦燥に包まれた心象風景の如き画調を背景にして、恰も真空状態かの如き異様に張り詰めた空気がスクリーンのみならず観客席にも漂っていました。宛ら息も出来ないくらいであり、背筋が直立に矯正され身構えさせられていました。
生死の狭間での、生身の肉体がぶつかり合う激しい剣と剣の応酬には、一寸の狂い、一呼吸の遅れで生死を分かつ、一瞬一瞬の劇的な迫力に溢れており、特に一乗寺下り松の吉岡一門との決闘シーンでの武蔵の剣には、鬼神の如き尋常でない速さと鋭さがあり、ヒーローの華麗さや快活さは微塵もなく、ただ生きるための狂気に満ちた必死の気迫と剛毅さが有るのみです。
目まぐるしく場面が移りながら、ストーリーは整然と、且つ非常にテンポよく進んで無理な展開は全くなく、一方で無駄なシーンもない、誠に稠密な構成。
更に台詞も徹底的に磨かれ削がれた珠玉の言葉で書かれており、またやや仰角でのカメラアングルも人物への畏怖の念を自然と醸し出しており、三上監督の台詞・所作の隅々にまで神経を張り巡らせた完成度の高い細心の仕事ぶりが実感出来ます。
歌舞伎十八番「勧進帳」の名場面、弁慶と富樫による山伏問答を擬えた、冒頭での佐々木小次郎と沢村大学との出会いでの厳粛にして小気味よい遣り取りが典型ですが、言葉少ない台詞が、殆ど全て象徴的で重厚な言い回しで尽くされており、その結果、日本語が本来有する優美で風雅な美しさと、その一方での激越で壮烈な険しさを強く認識させられます。
武蔵にとって闘いに勝つことは手段であったはずが、いつの間にか目的化し、名を揚げ立身出世する過程としての試合が、それ自身が、即ち試合に勝つことが武蔵にとって唯一の生きがいと化していく、自然に変わっていくその変貌ぶりには、人が本来持つ獣性が曝け出されて、畏怖を感じます。
斯様に本作のテーマは、武蔵を俎上に載せて、情熱と闘志に満ちた若者の野望と大志を貪り喰って、時代は蟠踞し、そして胎動する。一人の個は、大きな時代のうねりの中で翻弄され浪費されてしまうが、そのエネルギーの躍動こそが、時代を変革させていくということだと感じます。
時代劇をアクション映画と看做す私見によれば、本作は冒頭からエンドロールまで途切れることなく“動”たる殺陣と殺陣に至る“静”たる所作が目まぐるしく展開しており、言わば殺陣アクションの和製ジェットコースタームービーともいえます。
ともかく、2時間の上映中、これほど終始臍下丹田に力を入れ続けた映画は初めてです。