こはくのレビュー・感想・評価
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父を、そして母を思わずにはいられない
長崎を舞台に井浦新と大橋彰(アキラ100%)が兄弟を演じた。
弟の亮太(井浦)が5歳のとき、必ず迎えにくると言って家を出た父は、35歳となった今も帰ることはなかった。町で見かけた父を一緒に探そうという兄の章一(大橋)の誘いをきっかけに、二人は父の足跡を追うこととなる。
亮太が自身を父に、そして妻を母に重ね合わせて両親の心情を思う映像が秀逸。妻を演じた遠藤久美子の優しさ、柔らかさも記憶に留めたい。
若い時に覚えた親に対する憎悪や嫌悪は時間とともに曖昧になり、更には自らの罪にすり替わる。そんなことをイメージしたことがある大人たちには結構染みる作品だろう。
当たり前にならなかった人
5歳の頃に両親が離婚して依頼30年間父親と会っていない主人公が、兄が父親を見かけたと述べたことを切っ掛けに兄と二人で父親を捜す話。
父親の営んでいたガラス工房を継いだ次男の主人公と、無職実家暮らしで虚言癖のある兄。
離婚歴があり自身も離婚以来二人の息子達とは会っておらず、再婚した嫁との間に新たに子供が出来たというところから話が展開していく。
どこまで本当かどこまで本気かわからない兄貴に振り回されながら二人で父親を捜すけれど、何故父親に会いたいのか。
それまでもそういう思いはあったのか?
自分も若干の違いはあるものの育ったのは似た様な境遇なのにこれっぽっちも理解出来ない。
自分がドライ過ぎるのか?個人差とかはあるんだろうけど。
主人公の場合は自身も離婚と再婚や子供のこともあるから又違うのか?
雰囲気は良かったけど、その辺の感情や動機がもうちょい描かれていたらハマったかも知れないけれど、それが殆どないから良くわからず、ふ~んという感じしかなかった。
そういう意味では怪しげな店での「いたとして…」がビンゴかな。
家族であること
生きていると、思い出したくないこともあれば、思い出そうとしても、なかなか思い出せないこともある。
生きていると、誰かに話しておきたいこともあれば、誰かに聞いて欲しくても、なかなか話し出せないこともある。
そして、たとえ家族であっても、それぞれ想いは違ったりするし、たとえ家族であっても誤解があったりもする。
だから、出来たら、たまには会って話してみたら良い。
思い出は、少しくすんだセピアがかったコハク色でも、会ってみたら、またキラキラし始めるかもしれないのだから。
愛情と我欲と素直になれなくて
佐世保の映画を佐世保で観ました
大橋さんと横尾監督と井浦さんの舞台挨拶付 大橋さんの佐世保弁がネイティブすぎて(ご年配の方から習った?)監督から少し手直し(笑)が入ったとか
優しさの中の強さ、弱かった亮太が一歩前に進めたこと等のお話でした
オープニングで夕陽の中 波に揺られる
遠い昔に味わったようなどこか懐かしい感覚 こはく色に充てられ揺蕩う
愛情と我欲と素直さと
例えばごはんを掌で三角に結ぶように愛情と我欲と素直さを結ぶと人それぞれのカタチが出来上がる 軽く握っても強くてもその味わいは変わってくるし涙や汗で切なくもしょっぱくもなる
この3つのバランスを上手くとれない章一や亮太···私もそう
兄は出会えた父に素直に駆け寄れ弟はもじもじして駆け寄れない
どこか調子のいい兄との対比と掛け合いも見どころ
章一が壁ドンして亮太の目が点になるとこは面白かったな
今、通ってきたアーケードが映像の中にある訳で まさにここから直結してる『こはく』映画館に着くまでに耳にしてきた佐世保弁や地元の人々がそのまま映画の中に溢れていて現実から自然な流れでストーリーの中へと移動してました
ラストで章一から亮太!と呼ばれた時の表情はこれまでと同じように見えて違うんだと伝わりました
三人が会えた場面あってこそだけど何気ないこの場面が大切に思えたし好きです
家族について思うと不器用になる
心で作るおむすびはカタチ良く美味しく出来んといかんと?
そがんことなかばい と言ってもらえた作品です
△追記 6月30日
そして そのおむすびを差し出すこと
受け取ることができるということが
どれだけの安心に包まれ
いかに幸せなことであるのか
沁みました
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