クワイエット・プレイス : 映画評論・批評
2018年9月25日更新
2018年9月28日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー
うららかな静寂の世界、その日常を一瞬にして恐怖に変える理不尽な脅威
全米大ヒットを飛ばしたこのホラー映画が気になっている人は、もうキャッチコピーをご存じだろう。「音を立てたら、即死。」。並外れた聴覚を持つ凶暴オヤジの暴走を描いた「ドント・ブリーズ」(2016)を連想させるコピーだが、本作はあのような閉塞した密室劇ではなく、スクリーンに映し出される空間的な興趣がまったく異なっている。音さえ立てなければ、家の外でひなたぼっこするのもハイキングするのも自由。これほどうららかで、緑豊かな田舎の景色が広がるサバイバル・ホラーも珍しい。
すでに人類の大半が死滅した2020年。人里離れた農場の一軒家に暮らすアボット家の親子4人は、盲目で音にだけ反応する“何か”の襲撃を逃れてきたサバイバーだ。幸運に恵まれただけではない。彼らは日常の動線に砂をまいて裸足で歩くなど、あらゆる消音対策を凝らしてきた。コミュニケーションの手段は手話。極端にセリフの量が少ない本作のシナリオは、おそらく通常の劇映画の半分以下の薄さだっただろう。
とはいえ、いくら万全の備えをしても、完璧な沈黙を保つのは容易でない。ひとたび不注意で物音を立ててしまったら、理不尽なまでに獰猛な“何か”を招き寄せてしまう。かくして私たち観客は静寂に包まれた映像世界に没入し、アボット家の平穏な日常が一瞬にして極限の恐怖に変わる様を体感することになるのだ。そんな否応なく集中力が高まる濃密な映画体験は、派手なビジュアルと音響のスペクタクルが氾濫している今どき貴重ですらある。
また本作は、冒頭のある残酷な出来事によってトラウマを負ったアボット家の葛藤と再生のドラマでもある。このエミリー・ブラントとの夫婦共演作で監督デビューを飾ったジョン・クラシンスキーは、喪失感とわだかまりを抱えた家族の関係をほぼ映像だけで表現するというチャレンジングな演出を成し遂げた。終盤に父親が娘に伝える心揺さぶるメッセージも、手話のジェスチャーで描かれる。
つまり、これは終末世界を生き抜く家族の絆の物語であり、実はそのテーマを描くうえでは“何か”の正体を映す必要はない。しかし、そこはハリウッド・ホラーだけに“何か”は最悪のタイミングで音を察知し、グロテスクな風貌を露わにしてひたひたと迫ってくる。ポスター・ビジュアルで口を塞いでいる母親(ブラント)は出産間近で、悲鳴と呻き声を必死に押し殺しているのだ! そして家族に危険を知らせるために、夜が訪れた農場のトウモロコシ畑に灯るレッドライト。一家のサバイバルの知恵であるその警告灯は、身じろぎもできないクライマックスの到来を告げる優れた視覚的アイデアでもあるのだ。
(高橋諭治)