「良くも悪くもファンムービー。シナリオは賛否両論か」ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow カバ太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
良くも悪くもファンムービー。シナリオは賛否両論か
本作はテレビシリーズを通してみてきた人向けのファンムービーであり、基本的に新規向けではありません。
作品的にもファン層を意識してか「キャラの可愛さ」「ライブ感」を意識した作りで、観ていて楽しい、というエンタメ性を重視した作品という印象でした。
ラブライブシリーズが好きで、サンシャインのキャラクターも好きという方であれば十分楽しめる内容だと思います。
一方で、シナリオに関しては賛否両論かな、という感じがします。
※以下ネタバレを含みます。
本作のシナリオを分解していくと、まず作中における最大の課題として
①廃校が決まった浦の星の受入れ先である高校との統合がうまく進んでいない
というものがあり、これを解決することが劇中の目的となります。
その解決にあたり必要なのが、
②3年生組が抜けたことで6人体制となったAqoursが、新しいAqoursとしての再出発を果たす
ことであり、これが全編を通したテーマになっています。
そして、②のために必要な成長のピースとなるサブストーリー的な位置づけで
③小原鞠莉の家庭問題
④SaintSnowの最後のライブ
という2つがあり、これがそれぞれ
⑤学校(親元)を卒業し羽ばたいていく3年生たちの成長・自立
⑥先輩たち(姉)との別れに区切りをつけて、再出発していく1・2年生たちの成長
を描くためのエピソードとなっています。
⑤⑥を経て成長したことで、②の再出発を果たし、みんなで①を解決する、というのが本作の大まかな流れです。
これはμ'sを終わらせる決断をした前作と大きく異なり、ただ前作をなぞるのではなくAqoursだからこその物語として描かれている点です。
この点に関しては私個人としては非常に良かったと思っています。
続いて賛否のある(のではなかと個人的に思った)部分ですが、大きく以下の2点があります。
1.話の詰め込みすぎによるシナリオとキャラのバランスの悪さ
2.微妙に大人の事情を感じさせる楽曲の選定
まず1.ですが、上述した通り本作はメインとなる①②を解決するためのサブストーリーとして③④が登場します。
題材としてはどれも悪くないのですが、わずか100分の中で(特にギャグ描写等に多分に尺を割いている中で)これらの要素をすべて消化しきるのはかなり無理があります。
話がどうしてもあっちこっちに飛んで行ってしまう印象がありました。
特に鞠莉の母と曜の親せきとして登場した月、という2人のオリジナルキャラクターは、1個1個の話を繋げるための接着剤として使われている印象が強く残ります。
まず③の鞠莉の家庭問題については障害となる鞠莉の母についてですが、娘を道具のように扱い勝手に婚姻まで進めようとしている、スクールアイドルをくだらないと切り捨て否定する、など表面的な部分だけをなぞるといわゆる「毒親」的な存在です。彼女が発端となって1・2年組はイタリアを訪れることになるわけですが、鞠莉の母がなぜそのような行動をとったのか、といった部分の掘り下げは特にありません。
結果的にはライブを一回やっただけで改心し、上記の問題は割とあっさりと解決してしまいます。
問題解決までのプロセスもないわけではないですがどうもつたなく、キャラクターとしてはAqoursの面々をイタリアに行かせるためだけに存在している駒のような扱いに見えます。
同様に月も、①の問題における浦の星側と受入先の高校との間の接着剤的な役割と、せいぜいがイタリア編で現地をガイドする程度の扱いであり、映画オリジナルのキャラクターとして登場したにしては印象に残りづらい存在でした。
月はスクールアイドルではない立場からAqoursを眺めていくことでスクールアイドルたちを知り、応援していくことになる、いわば我々観客に近い立場の存在です。前作で言えば妹たちのような立ち位置ですが、大きく異なる点は彼女がAqoursと行動を共にする中で成長を果たし、劇中で何らかの成長や結末を見せるわけではない、という点です。
結果的に彼女はモブというほど出番がないわけではなく、かといってメインキャラといえるほどの存在感があるわけでもない微妙な存在であり、先述の鞠莉の母同様、物語を動かすための駒に過ぎないような印象が残りました。
とはいえ、これらのシナリオのとっ散らかり具合やキャラの扱いについては、脚本側も織り込み済みではあるのだと思います。
そういった細かい部分はあえて切り捨てて、エンタメ性を重視したのかな、と。
この点は恐らく賛否両論になる部分であり、単純に楽しめれば、という人もいれば気になってしまって楽しめない、という人もいると思います。
次に2.の楽曲についてですが、これはもう一言で、
「3年生が卒業したのに最後まで9人で歌うの……?」
というものです。
正直歌わせても歌わせなくても批判のあるものだと思うので、どちらが正解というわけではないのですが、折角3年生が卒業して6人体制で再出発を果たしたのに、エンディングまで9人で歌う必要は個人的にはないと思いました。
劇中では実際に歌っているのは6人で、3年生が歌っているのは旅立っていく中でお別れをしていくイメージ、という形で消化されていましたが、これは正直3年生を参加させたいがための苦し紛れ感が否めません。
エンディング曲を6人だけで歌うことに反発を覚えるファンへの配慮なのでしょうが、3年生の旅立ちと後輩たちの自立、という点で言えばこれは②のSaintSnowのエピソードで行われるべきであり、成長した結果を示す6人での初ライブを無理して9人で歌う必然性は見受けられません。
むしろ、②のSaintSnowのライブがテレビシリーズからの繋がりやそれまでに描かれた姉妹の絆もあって強く印象に残るのに対し、その後に続けてAqoursが9人でいつも通りに歌っていたのが勿体ないように感じられました。
折角あそこまでSaintSnowのライブを力入れて描いたのなら、いっそAqoursのライブはあの場面ではなくても良かったのかな、と。
というわけで楽曲のチョイスや挿入される場面が「まさに!」という感じだった前作の映画に比べ、やや残念な印象が残りました。
単純に曲そのものを見れば悪くないのでしょうが、彼女たちがライブをする必然性と、なぜその曲だったのか、という点のハマり具合が足りなかったように感じられます。
以上、長文となりましたが、何度も申し上げている通りエンタメ作品としては十分楽しめる内容だと思います。
キャラを可愛く描く、という点についてはこれ以上ないくらいだと思いますし、余計なことを考えずに、ノリと勢いで楽しむのが吉かと。
鞠莉の母のあのあっさりとした行動は、「鞠莉の性格とほぼ同じ」と考えるとしっくり来ると思います。「とにかく鞠莉似てるか、それ以上」感は劇中で十分に表現されていました。
尺がなくて掘り下げも足りなかったのは事実ですが…。
SaintSnow直後のライブも私は良かったと思います。演出も最高でしたし、何より「これから6人で新たなスタートを切るAqours」を、しっかり表現していました。SaintSnowとは対極の「輝き」の象徴です。
そうなるとやはり、エンディング曲の9
人演出はちょっと…ですよねぇ。μ'sの解散後のエンディングライブは、少なくとも「未練がましい」感はあまりしなかったのですが、どこで違いが出たのでしょうか?