「『誰かが棄てたモノを拾ったんです』」万引き家族 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
『誰かが棄てたモノを拾ったんです』
今作品に於いて、如何に日本人がカンヌ映画祭パルムドールに対しての価値観というものに戸惑うことが如実に現われたことがなかったのではないだろうか。実際、公開する迄(勿論、試写会等では先行上映しているので鑑賞者はいるのだろうが)はその作品を観ていないので、単に日本の作品が世界に認められた事に手放しで喜んだのだろうが、同時にそのセンセーショナルな作品名故、より、アンビバレントな感情が生まれ、そして実際鑑賞してみると日本人が大好きなお涙頂戴を盛り上げる演出程ではない、スカすような展開なので、これのどこが世界で認められたのか訝しがる感想も多いと思う。
実際、今作品は多分日本人の心よりも外国人、とりわけヨーロッパのアッパークラスの人達に響くようなコンセプトで制作されたのではないだろうか。なので、日本人、特に自分にとって不都合なモノ、観たくないモノ、目を背け続けるモノに対し、徹底的に蓋をして『無かった』事にしたいと思いたい人達からすれば、大変不都合でイヤな、パンドラの箱のような内容であったと思うからだ。勿論、心のどこかでそういう実情やそういう世界は朧気ながら勘づいてはいたが、そうなると自分に余計な責任を抱いてしまう、意味がない負担を強いられてしまう、そんな重荷を背負いたくない人達にしてみれば、こんな万引きで生計を立てている家族、しかも全員が他人、子供達は学校や地域から切り離されている状況を、まるでるろうに剣心じゃないけど、『悪即斬』の精神で攻撃に走るのであろう。芸能人の不倫に対するバッシングの例を挙げることもなく、こうしてその本質から目を逸らしたい人達にはかなり気が滅入る話だ。折しも、タイミングの悪さで、またしても児童虐待死の事件が発生し、その死亡した幼児の血を吐くような文章がマスコミによって伝播され、より今作品に影響を及ぼしてしまっている。
弱者に対する視点というテーマについてこれ程迄に如実に現わした作品は久しぶりなのではないか。それを今の日本の俳優陣の曲者揃いがキチンとその演技を施し、又監督は的確に演出してゆく。子役のあの自然な演技はその賜物であろう。
但し、確かにストーリーそのものの評価となると、もう少しドぎつさが有っても良いと思うし、演出の過剰さを排してる分、感情の発露が希釈されているきらいも否めない。特にラストシーンの戻らされた女の子が、ベランダ越しに外を視るカットでのぶつ切りは、思い切り観客にその結末を投げた形になっている。果たしてそれを観客がどう捉えるか、煮え切らない、カタルシスが得られない事への嫌悪感が支配するのか、それともその続きを自分で想像してみて、ハッピーエンドを自分で構築してゆくのか、多分、これが正に監督からの観客への問いかけなのではないだろうか。是枝監督はドキュメンタリー出身であるからこの手法は『我が意を得たり』なのである。
『店にあるモノは誰のモノではない』、それをどう思考し、心を在るべき姿に落とし込んでいくのは他でもない観客一人一人なのであろう。私はラストをハッピーにした。しかし、別の人は向えに来ないバッドエンドを想像するかもしれない。それも作品として『有り』なのである。
ご丁寧に、コメント頂き、ありがとうございました。
今回程、所謂シネマコンプレックスと、ミニシアターの意識を感じさせた事象はありません。
今作品、明らかにミニシアター系の作品です。それをシネマコンプレックスに掛けたしまった事で、そのターゲットの齟齬が生まれてしまったことは否めません。その辺り、一寸不幸かなぁと感じた次第です。
私、嫌なニュースから目を背けるタイプの人間です。
耳が痛いです。
あと、身近な問題として、子供に対してちゃんと親をできているのかという葛藤もあります。(あまり深刻には考えてませんが)
さて、この映画、私はバッドエンド寄りで受け取りました。
特に祥太の方が。
彼の行動、どちらかと言えば正しかったと思います。
でも、その行動が家族だと思っていた物を壊した。
あの年齢でそれを背負わすのか。いや、あの年齢だからこそ背負ってしまうのか。
正しい行動をした彼が、本来持たなくていい負い目を抱えたまま生きて行く。
そう考えてしまうと、バッドエンドかなと。
もっとも、ハッピーエンドやバッドエンドで考える作品ではないかもしれませんが。