ガンジスに還るのレビュー・感想・評価
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これがインド版「終活」なんですね!
死期を悟り、ガンジス河畔の聖地バラナシで死を迎えるべく移住を決意した老父とその家族のヒューマンドラマ。家父長制が根付いているのか、息子(と言っても適齢期の娘がいるのだが)は仕事まで休んで、「終活」ホテル入りする父親に甲斐甲斐しく付き添う。インドの人達にとってガンジス河がとても神聖な場所であること位しか知らない私たちにとって、この作品で見知る彼らの宗教観・人生観は本当に驚くことばかり。しかし、死期が到来するのを心静かに迎え待つ慣習は、それだけ死を尊厳あるものとして受け入れていることの証左でしょう。人が亡くなることを「解脱」(呪縛束縛から自由になること)と呼ぶのも、そういった死生観と無縁では無いように感じました。ちょっと興味深かったのは、終活ホテルの滞在期間が最長15日に決められている点。実際に永眠する日など誰も事前に分かることなどまず無いのに、そんな決まりを本当に守れるのかと最初は不思議でしたが、そこはちゃんと知恵で解決していた! 遠く離れたインドの人達の人生観や家族観がこの作品を通して覗き見れたようでとても興味深く感じました。
二十歳です
正直、自分が死ぬなんて思っていないし、死についてなんぞ全く考えていないが、観ていてかなり余韻に浸れる映画であった。 ストーリーとしては自分の死が近づいていることを自覚した父の付き添いで聖地バラナシに向かい、死と対面するといった話であるが、そこで出会う様々な人に感化され、自分の父親や家族と向き合う。 もちろん自分には家庭がないし、インドの価値観なんてわかったもんじゃない、だが彼らの愛や宗教観、そしてインドの情景が味わえ大変貴重な1時間半であった。 個人的にはガンジス川で行われた祭りに家族で参加するというシーンがあるのだがそこがかなりお気に入りである。 上質な一本でした。観て後悔がないです。
天才
悲しいシーンや劇的な演出もなく、むしろユーモラスに淡々と進むのに、途中から亡くなった父を思い出して涙が止まりませんでした。監督は、なんと1991年生まれ!このように生死をテーマにした静かな物語を描けるなんて驚異的。見終わった後、こな物語を何日間も想い返しました。素晴らしかった。
ドラマチックな物語を見たというより一般的なインド人家族の最期を見たという感覚
エンターテイメント性ゼロのシリアスなインド映画は初。 さすがにこういう作品では踊らないのですね。 ドラマチックな物語を見たというより一般的なインド人家族の最期を見たという感覚でした。 うーん、国柄の違いなのか僕がまだ若いからか……あまり響くモノはなかったかもなぁ。(現在32歳) カメラが常に人物に寄ってて見える世界が常に狭い。 その窮屈さが奇妙な非現実感かあって見たあとしばらくフワフワした気分になりました。 その余韻は興味深かった。
父と子と
う~ん、私、父と仲良しではないんですね。別にケンカしてるわけでもないけど。 思うに、サザエさんになりたくても、なれないのが、家族なのかな。同じ場所で、違う時間を過ごす存在。ありがたくもあり、やっかいでもある。うん、そんな感じ。正直、父から、15日間、仕事休んでくれるかと訊かれたら、断るなあ。 でも、齢重ねると思うわけです。うちの父ちゃんも、不器用なりに、頑張ってるのかしらと。そういえば、爺ちゃんも、不器用だったな。 今日はおくり人でも、いつかは、私もおくられる人に。それが、父と子なのかな。 私は、何処に還るんだろう?。
不思議な余韻が響く作品でした
岩波ホールにかかる作品らしい独特の感性が光る作品でした。 監督さんがお若いのにびっくりしました。 死生観は文化や思想によって大きく異なるので、この映画に描かれた死と賛美をちゃんと理解するのは難しいのでしょうが、なんとも感慨深く、いつまでも後を引くように考えさせられる不思議な余韻が響く作品でした。 派手さはなく、わかりやすい娯楽作でもないでしょう。 見る年齢に左右されると思いますが、それでも必見の価値はあるんじゃないかなあと思います。
死を迎える街、バラナシ。
予備知識なしで観た。 映画の舞台、バラナシの街はヒンドゥー教徒にとっての聖地。死期を悟った教徒が、家族とともにやってきてここで死を迎えることは最大級の喜びのようだ。 ここで、ああ、遠藤周作『深い河』で大津が働いていた場所か!と気づく。同行することになった息子の上司の言う嫌味、「そこに行かなくちゃいけないのか?」は、おそらく今の日本社会においても同じ宗教観であろうことは察せられる。つまり、日本のサラリーマン社会では失職につながるほどの宗教行為だろう。日本で言いかければ、例えばお大師さんのそばで死にたいから高野山に連れていけと言っても、一般人にはたぶん受け入れられないだろう。ホスピス病棟などがあれば別だが。しかしまあ、死期を迎える崇高な意思とは違い、意外に世俗的で、ゆるゆるのルールと何でもありの実態。まあ、高野山だってコンビニあるんだしいいよね。・・・・ そんなことなどを考えながら見てた。息子の気分もよく分かった。そりゃまるで自分のようだから。 それがいつのまにか。 いつのまにか、なのだ。ずれていたもの、反発していたものなどが、しみ込むように受け入れられるようになっていく。じわじわ、とくる。知らず知らずに満たされていく浴槽の湯に浸かるように、じわーとくる。人生の滋味あるれる良作だった。
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