ガンジスに還るのレビュー・感想・評価
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生の最期の締めくくりを考える
夢で死期を悟った父が息子の付き添いでインドの聖地バラナシを訪れ、死期を待つ物語。何事もことごとしく起こらず、静かに死への時間を過ごす。27歳でこんな老成した作品を作る監督は何者なのだろうと思う。 父と働き盛りの息子、そしてさらにその娘の世代間の違いも反映されている。ヒンドゥーの死生観にどこまでも忠実な父、インドの経済発展を象徴するかのように仕事に追われる息子、そして自立して自分の道を自分で決めようとする新世代の女性の長女。新世代よりの年齢の監督がむしろ、インドの伝統的価値観に寄り添っているのが印象的だ。 バラナシにはこのような死を待つためのホテルがいくつもあるらしい。死という生の最期をどのように締めくくるかは、全ての生きる人がいつかは考えなければならないことだ。この映画の父のように良い死を迎えるためには、きちんと今の生を全うしなければ。そんな気にさせる映画だ。
残る余韻がしばらく後を引く秀作
ガンジス河畔のバラナシは、死して解脱することを待つ人々が集う待機場所。ある日、バラナシに行くと宣言した老父と、多忙な仕事を何とかやり繰りして同行する息子にとって、そこは、なかなか相容れることがなかった親子の"最期の"対話の場所になる。日本に置き換えると養護施設ということになるだろうか。でも、バラナシに漂うインドならではのスピリチュアルな空気が、なぜだか、この物語に奇妙な至福と少しのユーモアをもたらしている。死ぬことは悲しいけれど、残された時間を過ごす少しの知恵さえあれば、もしかして不幸ではないかも知れないと思わせるのだ。そして、同時に、だからこそ、人の命のはかなさが胸に迫って苦しいのだけれど。親子の和解、別れ、人生、新たな旅立ちetc。残る余韻の普遍性が、しばらく後を引く秀作だ。
異文化に触れる
死期を感じるた父と、それを支える家族の物語。 インドの文化が強く表現され、色々な価値観を知ることができた映画。 日本では考えられないなぁと思う事も、インドから日本をみたらきっとそう思う所が沢山あるのだろうなと感じた。 淡々とストーリーが進む為、やや退屈になりがちではあったが、ドキュメンタリーと思うとしっくりくるか。
最期の目標
私は、人間やる事がなくなると死ぬと思っているのですが、「バラナシで解脱する」みたいな最期に向かう目標があると生に固執しなくていいから、気持ちが楽になりそうです。ガンジスに遺体を流す供養は、あの世とこの世が繋がっている事をイメージしやすいので、(三途の川みたい)理にかなっていますよね。個人的にお骨にするよりも死者と近い感じがしました。日本では、日常から死があまりにも離れすぎてしまっているので、今後はこの様な哲学が流行るかもしれません。
【インド人の死生観を父と息子の関係をユーモラスに絡ませながら描き出す。】
冒頭、ダヤの幼い頃のシーンから映画は始まる。 自らの死期が近いというダヤ(それにしては、劇中元気そうで、食欲も旺盛である・・。)は、ガンジス河畔の聖地バラナシへ行くと言い張る。 仕事に追われる息子ラジーブが上司に嫌味を言われながら、同行することに。 漸く辿り着いた、ミシュラという商売っ気タップリの男が経営する”解脱の家”には、”旅立つ日”を待つ人々が暮らす。 10日間で”逝く”筈が、ダヤは依然として元気そう。 ラジーブの作る食事に文句を言い、夫を送ってから18年も滞在するヴィムラとの交流も始まり、美味しい食事も頂く・・・。 一緒に暮らすうちに父と息子の距離は近くなり、ラジーブが一時的に呼び寄せた妻と娘との関係性もユーモラスな要素を塗しながら描き出す。 あんなに元気そうだったヴィムラがある日突然亡くなり、ガンジス河畔でサフラン色の布に包まれ、人々が淡々と儀式を行なうシーンや、 ダヤが亡くなるシーンも映像で描かれる事はなかったが、 - 父の棺を担いだ息子ラジーブが、ガンジス河へ向かう細い石畳の坂道で涙するシーンは、沁みてしまった。ー <”死は一つの過程”という死生観を、家族の絆という普遍のテーマに基づき優しい視点で描いた作品。> <2019年1月29日 シネマテークたかさきにて鑑賞>
大きな起伏はない
父を置いて帰ろうとしなかった息子の葛藤みたいなところは味わいがあった。ネットカフェでビデオ通話がうまくいかないところなど、ちょいちょい出てくるジョークも面白かったし、お父さんの様子も違和感なく見ることができた。
ただ、予告編の濃度をそのまま2時間弱に薄めた感じというか…。山場がない。
インドの乗合タクシーや忙しそうな会社内の風景は社会見学にはなった…のだろうか。
歌って踊らないインド映画。終活がテーマ
バング(ボング)は裏道の店で、 滞在は最大15日まで。 え⁉18年て‼ 爺、息子夫婦、孫娘の3世帯4人家族。 父子の関係 父娘の関係 解脱 ガンジス川はいうほど出て来ず ガンジスに還る前のところでフェイドアウト 爺さんと懇意になった18年婆さんが亡くなるまでは結構退屈で何度も寝落ちして巻き戻した。 逆にそこからは尻上がりに引き込まれるんやけど。 あと15年後ぐらい見直したら印象変わるかも。
親子の愛
まったくヒンズー教を理解していない私が観たこの映画に関してのコメントを書くのは難しい。 だから親子関係の愛について書く。どこの世界でも聞いたことがある似たような親子関係が繰り広げられるが、ちょっとこの年代のギャップと言えるかもしれない関係には疲れてしまう。77歳のダヤとビシネスマンで働き盛りの息子ラジブ(Aadil Hussain)との関係。ラジブ と娘スニタの親子関係も伝統的な見合い結婚させたがったり、女性の地位の低さなどを含め、あまりにも親が子供をコントロールしすぎていて疲れる。そして、親は子供との関係を考え直さず、また同じことをその次世代の子供にしてしまう。 でも、世代を一つ置いた、ダヤとスニタ(祖父と孫)の関係は至って健康的であり、 祖父のダヤは孫に『自分の心に忠実であれ』というくらいに、深く理解を示している。それにも増してダヤは自分が子供にきびしく叱ったことを忘れて、ラジブにスニタに厳しすぎるという。バラナシというガンジス川の聖なる場所『サルベーション』というホテルを死の準備をする場所として選ぶ。楢山節考の老婆の死の場所である山を思い出させた。 インドのニューデリーでは煙害が大きな問題になって、旅客機も飛ぶことができなくキャンセルが出ていると新聞で読んだ。伝統的な焼畑農業、祭りディーワーリーや建築現場、工場、車の排気ガスなどで、人々は苦しんでいる。果たして、聖なるガンジス川の辺りで遺体を焼くことや、ガンガ アアティ などは地球温暖化のため廃れている行事になるのだろうか?
ガンジスの救済の家
インドの慣習に触れるドキュメンタリーのような映画
邦題は違和感があった。それは最終的な目標ではあるけど、この映画のテーマはそのために人々が集まる救済の家、原題そのままで良かったと思うな、ただしガンジスと入れないと分からないかもしれないけど。
あのような家で死を待つのは、ガンジスに流されることによって魂が救済されることを願うから。
日本人には理解できない習慣だけど、覚悟を決めた人だけが死ぬこと、魂を救済されることを許されるという言葉は深い。自らを殺す自殺とは違うのだ。自殺では魂を救済して貰えない。
ならば自殺を考える人を救済する家なるものがあったらいいな。死ぬことの意味をこの映画のような視点から考えるのもいいな。
タイトルなし
母なる雄大なガンジス河が流れる ヒンドゥー教の聖地 バラナシ[Varanasi] (別名:大いなる火葬場) インド国内外から多くの信者・巡礼者が集まる生と死が混沌とする神聖な場所 ガンジスの水は全てのものを浄化する この世の苦しみから解き放たれる そう言われており この地で最期を遂げることは最大の喜びとされているそうです . 死期を悟りその日を迎える場所に バラナシの[解脱の館]を選んだ父 父と息子とその家族が その時を過ごす . 死とは 解脱を得て自由な魂をもつこと 死生観の在り方が描かれています 国や宗教がちがっても 家族を送る気持ちは同じ
尺の短いインド映画。99分はお得か?
最初は親子によるロードムービーになるかと思っていたのに、あっさりバラナシの「解脱の家」に到着。15日間しかいられないと管理人に教えられ、まるで予言者であるかのような自らの死期を悟った父に、静かに死を看取ろうと覚悟したラジーブだった。何せ仕事人間である彼は顧客を無くしてでも付き添う覚悟・・・電話はひっきりなしに鳴る・・・ 象は死期を悟ると群れを離れて孤独死するという。確かに77歳のダヤは息子に対して「着いてきてくれ」とは言ってなかった。親子愛は感じられるのですが、全体的にコメディ色が強いし、プロットとしても平凡。しかし、インドのヒンズー教のしきたりとか、文化の違いといった内容は勉強になります。宗教的な意味も込めて死生観が信心深くない息子とも違うし、死を迎える過程の第一歩とか、インド古来の修行僧の雰囲気も漂っている(手塚治虫の『ブッダ』の雰囲気)。他人の火葬現場を見せられて、思わず絶句してしまうラジーブの表情もよかった。 ちょっとシニカルで可哀そうに思えるエピソードとして、夫婦で「解脱の家」に入ったのに夫に先立たれ18年間も住んでいるヴィムラというおばあちゃんの存在感。もしかしてダヤと夫婦になるんじゃないかとも想像してしまうのですが、結末は見てのお楽しみ。 シタール等を使った演奏もワンシーンあったのですが、全編に流れるのはアコースティックギターのBGM。インドっぽくない音楽だったし、英語のあいさつとかテレビ電話とか、その辺りはもっと民族性を出してもらいたかった。 インドでも乗り合いタクシーだったことも一つの発見。イラン映画でもそうだし、東南アジアでも何かあったような・・・映画とは関係ないのですが、これを先進国で推し進めることにも疑問がある。アメリカのUberといい、それを真似しようとする日本とか・・・未来のタクシーはどうなるんだろ?
カルチャーショック
バラナシに行き ありとあらゆるものが流れる河や 河岸で木を組み火が燃えているのを 実際にみたのですが、 この映画を観て改めて死生観の違いを感じました。 仕事を休んで付き添い 父に尽くす息子の姿に 親子関係の違いも感じました。
バング入りのラッシー
一体なんなんだろう?って調べてみたら大麻なのね。 インドでは政府公認だそうで。 インドに興味を持っていていつかガンジス川で泳いでみたいなんて軽い気持ちがある、それがこの映画を鑑賞した動機。 あまり期待してませんでしたが親子のわだかまりや家族や仕事への焦り、色々なものがバラナシのゆったりした雰囲気の中で展開していく。 お父さん、ガンジスの水飲んだら元気になって本当に死ぬの?なんて途中びっくりしたけど、、 死ということ自体が我々の死生観とは全然違うなと 前向きな死なんでしょうか。 父と子の関係性は少しずつ変化していく。スクーターのくだりや直接的な死のシーンを撮らない部分は好印象 監督かなり若いんですね 最近の死や、家族に対して軽薄な日本人にこそ見ていただきたい作品
今の生を考えさせられる
死期を悟ってゆったりと過ごそうとする父親に付き添う、忙しく働いている息子を描いた作品。生と死の連続性と非連続性が散りばめられている。 死を近く感じるかどうかは別にして、今をどう生きるかを考えさせられる。
静かに命を終える父親が最後にした事
映画大国インドの底深さを感じた優良品でした。「解脱の家」から旅立つ老父が息子の魂を解き放つ話。最後が洒落てて予想外だったが、泣き笑いのオチは浸透圧高くて良かった。 インドだって近代化の波は押し寄せてます。「バラナシで解脱の時を迎える」事も、万人の理解と協力が得られる儀式では無い事が、婉曲的に表現されています。父親を見送るのは当然の務めと考える息子と、職場のギャップ。息子が因習的な家長制度の中で、いまだに父親による精神支配に囚われていることを、緩めに表現する冒頭部が、最後のオチに繋がりますが、「いやになるくらい濃ゆい展開」じゃなく、笑える展開でサラっと流して行くところが好きです。 2週間しか滞在できない?その間に解脱できなければ、どうすれば良いん?と、心配になりましたが、そんな抜け道がある訳ですよ。納得。んじゃ、ヴィムラさんは、どんだけの名前を使った訳???? 映画として驚いたのは、「演技に見えない、ロケに見えない、創作品と思えない、自然さ」。老父役のラリット・ベヘル、宿主のアニル・ラストーギー、ヴィムラ役のナブニンドラ・ベヘルのお三方には、ただただ魅せられました。私たちには馴染みの薄いヒンドゥーの世界観に引きずり込まれる、演技とは思えない演技には、どんだけ場数踏んでんだよ、って思う。 踊るマハラジャじゃ無いインド映画も、もう少し多く、日本でも見られるようにして欲しいです。いや、踊る方も好きなんで、そっちの方も宜しくお願いします。
静かだった
徹頭徹尾、静かな映画だった。 死期を感じた父親が・・へ行きたいというので、仕事を休んでつきそう息子の話。 ただし、若き監督が描きたいのは、おそらく、「インド伝統の家父長制からくる父親からの無言の圧力からのゆるやかな脱脚」みたいなことだと思う。 主人公である息子は、父親の希望をかなえるために仕事を2週間も休みあれこれ文句を言われる。死期の近づいた彼の父親は、彼に「自由にさせてやらなかった私は悪い父親だ」と嘆き謝る。いっぽう彼の娘は、良かれと思って娘に世話した婚約者との結婚を納得しておらず、就職しスクーターに乗って出かけることを選ぶ。 「ダンガル きっとつよくなる」は、娘に強制的にレスリングをさせた父親が結果的に彼女たちに自由な道を切り拓いたという話だった。この映画に見るように、さらに一歩進んだインドは、娘が自由に自分の人生を決めていくようにまでなってきたということか。 この作品のいいところは、時代の流れの中で必然的にそうなっただけということをしっかり描いている点。父親たちの意向は無言の圧力になっているが、そこに悪意も何もないことがちゃんと伝わる。主人公も、その父親も当たり前と思うことをしているだけなのに、まわりの反応にとまどうばかり。 静かだけれど不思議と退屈ではない、いい映画でした。
懐かしいバラナシ
8年前、2週間ほど過ごしてどっと疲れたバラナシも、スクリーン越しで落ち着いて見るとやはりそれなりの神々しさを感じます。 最期を迎える人間が集まる施設がとことん簡素。 人間、執着心さえ無ければ、こんな所でも満ち足りた暮らしができるのだろうなあ。逆に、人間とはいかに無意味なことに固執するものなのか…と、バラナシにいた時はがめついインド人との日々の戦いに疲れ果てて見えなかったことが、この映画を通して感じられたのは収穫。 今日はこの余韻に浸り、のんびり過ごそう。
宗教的描写は100%理解できないけど…
インド版終の棲家の物語。 解脱を目指して死をも覚悟した人たちが生を楽しむ姿と、まだまだ若いはずの人達の死んだような生き方のコントラストが印象的。 監督、わずか27歳でこの作品作り上げたのは達観してるなー。 ラーマ、ラーマ、ラーマ、と何度も呼ばれるとなんとなく嬉しくなってくる(*´艸`) 映画が終わると、自分が生きてる事を素晴らしく感じ感謝の気持ちで満たされるというオマケまでついてきた✨✨✨
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