運命は踊るのレビュー・感想・評価
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おもしろくはないです。が、
「人生」を正確に描いている。
『どこで』間違ったのか。『なにが』間違いだったか。そもそもヨナタンの死は、間違いではなく『当っていた(決まっていた)』のか。どこでどうなっていれば、『息子が生きている世界』だったのか。
もしかしたら、誤報と軍の態度に激怒した夫が息子を呼び戻さなければ、事故に合わなかったのかも、『息子が生きている世界』だったかもしれない。しかし、息子は息子で誤射で殺してしまった罪の意識に追込まれ、いずれは自殺していたかもしれない。
この、息子の方で起きた事件が、「if」と考えたときにも、同じような結末を迎えてたのかもしれない。どちらにしても『息子の生きている世界』はなかったようにも思える。
戦地に送った時点で、決まっていたのかもしれない。
飼い犬は、蹴られても主人に寄り添おうとする。それは、エサをもらうため、生きるための行動かもしれないが。自然界に生きるらくだにとって、人工的な道路はただの通り道の一つに過ぎない。登場人物すべてが人間らしく、身勝手で、無責任で、弱くて。
最後ヨナタンが描いた絵は、ただの事件の罪悪感の記録だった。軍は、個人ではなく集合体だから。ヨナタンはそれを口外する事は許されない。
そして、その絵を解釈する夫婦は、どこか滑稽で。軍関係者のテキトーさを忘れ、どんな意味があるかなど深追いをせず、ただ自己投影する。
「どうやって、なぜ」死んだかわからなかった最初の知らせとは違い、
「家に帰る途中、事故で」死んだとわかっていた2人は、無意識にどこかで納得している。
原題の『FOXTROT』は、4拍子の社交ダンスという劇中にも出てくるステップの意味だけど、『運命は踊る』の邦題もぴったり。
劇中、ステップを踏みながら『どこへ行こうと必ずおなじ場所に戻ってくる』と泣き崩れるシーンは、戦地に送り出した時点で『息子が生きている世界』はなかったことを示唆している。どう選択しようと、そうなったいたんだろうなと。
ラストシーン、引きで見せる交通事故のシーンは、なんとも滑稽であっけなくて。でも運命を感じる。おもしろくはないです。が、素晴らしい映画。だと思う。
必ず同じ場所に帰るダンス
どういう道程であろうが運命には逆らえない、というテーマが裏でずっと流れてる。ある。作中、誤ってヨルタンが殺したあの4人が車ごと埋められたことについて「戦争はなんでも起こり得る」と上官が言った。が、戦争だけではなく人生の廻り合わせはなんでも起こりうる。で、同じ場所に戻る。ゼロ地点に。
「人生の」みたいな大きな枠組みで物語を捉えたくなる映画でした。
言いたいことは…
全体が3部に分かれている。まず、ある夫婦が
兵役中の二十歳位の息子が死んだと知らされて、数日後それが間違いだったという知らせを受ける。役人に「今すぐに息子を返せ!」とたいそう怒る夫と、なだめる妻。
一方その頃息子は国境で3人の同僚と警備に就いているが、缶詰めを食べ、漫画を描き、意外にのほほんと過ごす毎日。こんな状況で戦死する筈もない。そんな中、同世代で女の子達と楽しそうにドライブする車が通り、検問の際にちょっとした手違いで大変なアクシデントを起こし、仲間と揉み消す。その後に自分だけ自宅に呼び戻さる。
彼が描いていた漫画が動画になる。
再度、夫婦の自宅で、息子を失って夫婦関係がうまくいかなくなり、離婚寸前の状態。息子は呼び戻した筈なのに。今度は妻が激しく感情をぶつけ、夫は言われるがままになっている。しかし悲しみをぶつける中で、何かが蘇り、何かに気づく。
最初と最後のシーンが、息子を迎えに来た車だった。
何を言いたいのか明確に描かれておらず、それほど重い作品ではない。しかしどのシーンも何かを訴えるものがあり、観客はそれぞれ何かを受け取った感じ。
不覚にも寝てしまったが‥‥
不覚にも途中寝てしまった!
ぜったい面白いに違いないと思って、期待して見たのに、何たること。
言い訳すると、面白くなかったから寝たんじゃなくて、死んだと思われていた息子が国境警備の任務についてるシーンが、ホントに退屈な任務で、見てるこっちも寝ちゃうくらい退屈だったのだ。
邦題の「運命は踊る」の言葉からくる印象と違い、物語は淡々としている。
息子の死を知らされたら普通は泣き叫ぶであろう母親は、言葉も発することなく早々に気絶してしまったので、父親が淡々と悲しみを引き受けていく。
人生はどんなに波乱万丈であろうが、淡々としていようが、原題の「Foxtrot」というダンスのステップのように、本来の位置(道筋)に戻るものなんだと、生死という最大の皮肉を込めて映画は私たちに教えてくれる。
つまり、生き死には誰のせいでもない、ということか?
戦争がなくても、若くして死んでいたか?
と、こちらも突っ込みたいところだが、これは戦争の是非を問う映画ではなさそうなので、この物語の不条理を不条理にかみしめます。
もう少し詰めればピりっとしたように思うが
ある日、兵役中の息子ヨナタン(ヨナタン・シレイ)が任務中に戦死したという報せが届く・・・
というところからはじまる物語で、動揺する夫妻を描いた後、息子の死の報せは誤報だったことがわかる。
誤報ならば、息子をすぐに帰還させろと息巻く父ミハエルが映し出された後、映画は、ヨナタンが任務に就いている辺鄙な検問所のエピソードへと切り替わる。
むふふ、なるほど、両親のエピソーの前に起こった息子のエピソードを描くわけね。
と、納得し、とすると、その後は、帰還した息子のエピソードが描かれるのだろう、と、まぁそのあたりは想像に難くないし、それに近い展開となる。
悪くはないし、タイトルどおり、踊る運命も描かれ、それを象徴するダンスステップのフォックストロット(原題)の説明も入るので、懇切丁寧な感がなきにしもあらず。
エピソードごとに登場人物たちの心情も丁寧に描いていて、緊張と緩和のバランスも巧みなのだけれど、どうも、俯瞰ショット(さらに丁寧に移動までする)の多さは、ちょっとやりすぎ感があって、興ざめ。
俯瞰=ひとと異なる視点、であり、神の視点、運命の視点というところなのだろうが、多用しすぎで、効果が減じられているような感じ。
割けたはずの運命が、再びやってくることを、同じところをぐるぐる回るだけのフォックストロットに喩えているのだから、そのステップの足跡をみせて、俯瞰シーンはもう少し削れなかったか。
それほど捻ったストーリーでもないし、三幕物のピリッとした小品ならば、あと15分ばかしは削れるんじゃないかしらん、などと思った次第。
なぜ義務教育で「中東情勢」を教えないのか?
本作品は、4か国合作の作品である。
私の世代には、難しすぎる作品だというのが感想だ。
この作品の惹句
「人は、運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命に
出会う。」⇔「フォックストロットに尽きる。
「イスラエル国」が参加していること点を注視しなくてはいけなかった。私自身、あろうことか5分遅れて着席してしまった。
映像がどこの国の場面が映し出されているのか全く判らなかった。結局、主人公のフェルドマンは、どこに住んでいる人間?かも判らなかった。その息子もどこに徴兵にとられているのかも皆目見当がつかなかった。見始めて「ヤバイ、難しい映画かも…。」という不安が頭をよぎった。だいたいの「あらすじ」は、パンフレットで知りつつも、今回も「中東情勢」絡みかぁと思った。
前半部「息子の戦死」を知らされるフェルドマンが驚愕する。
一人にしてほしいところ、運悪く色々な人が、自宅にやってくる。亡くなった兵士用の聖職者が葬儀のスケジュールを話し続けるに場面には笑った。今度は、「息子の無事」を知らされることになるが。そこから、作品の流れが大きく変わる。画面に「フォックストロット」という文字。「?」
中盤から、息子が兵役に就いている「とある検問所」ここでの4人の兵士の自堕落な生活が続く。そんな生活が続いるうち
或ることが起きてしまう。
終盤、息子ヨナタンが家に帰宅する命令が下る。そこから、徴兵にとられている最中、暇つぶしで描いていた「絵」が、テルアビブに住むフェルドマンの言動や行動とリンクしていく。
最近、宗教的にも地理的にも複雑な中東を扱った作品が多い。私にとっては、ユダヤとアラブ、今もって紛争の絶えない中東情勢。義務教育で教授されない問題は、正直判りづらい。
ドイツで起こった「ホローコースト」を目の当たりにした、
現実に目にしたユダヤ人は減ってきているという「監督の言葉」が、一番心に沁みた作品であった。
不思議な映画
むしろ、驚くほど感情は揺さぶられなかった。登場人物の誰に対しても、感情移入できない。生死の血生臭さをなかったことにする、スタイリッシュで無機質な生活の色。怒りと人間の生への不信感で精神疾患にのまれる人々と、無関心な周囲の人間の白々しく芝居がかった同情。タブレットと泥まみれの住居。生死のコントラストは明確に描かれているが、それは"希望"と絶望ではない。抜け殻しか映っていない。人間未満の肉体しか、この映画には映っていない。悲劇をこじらせ、沼に足を奪われたまま、抜け道を見いだせない家族の、人としての在り方に疑問、違和感。ブルドーザーを強さの象徴として描き、「本当はこう生きたかった。」というメッセージを残すも、おそらくは自らの罪の意識に殺され、人間の生を証明できなかった一生。おかしくないか?ここまで人間を客観的に描けるものだろうか?、、、、、、、、、
と、ここまできて、この作品の特異さがわかった。客観性だ。はっきりいって、テキトーな評論家気取りの飾り立てた文章の賞賛には、へどがでるが、"客観性をもってして全てを観るものにゆだねる"方向性は、貴重だと感じた。
缶
あの缶が、あのたったひとつの缶が人間の生死を決めてしまった。殺された人間も殺した人間も、彼らの運命には0.5秒の価値しかなかったのだろうか。悪夢であって欲しい。そう、ここの全てが悪夢であって欲しい。
ミハエルは地雷を踏まなかった。地雷は他の人間が踏んだ。地雷を踏まずに生き残ったミハエルの子供を偶然身ごもったダフナ。ミハエルが地雷を踏んでいたら、生まれてこなかったヨナタン。ヨナタンが生まれてこなかったら、あの時若者達は、車の中で死なずに済んだのだろうか。もしかすると、他人の運命と自分の運命はずっとずっと繋がっているのかもしれない。そう思うと、簡単に人の運命に立ち入るべきではないだろう。
簡単に人の運命に立ち入る事は、紛争が絶えない中東では日常だ。簡単に人が死に、簡単に人が殺される。作品中「アウシュビッツにいた曾祖父が」というセリフが出てきたが、過去のユダヤ人に起こった悲劇が、今のユダヤ人の運命に大きく関係していると言いたいのだろうか。収容所にいた民族が、収容所の様な国で暮らしていることを。
この作品から醸し出される重苦しい空気。そして運命の描写は、戦争の様な酷い過去を繋ぎ続けている人類の愚かさを示唆している様に感じた。
☆☆☆★★★ 「貴方がブルドーザーで私が車ね!」 冒頭、息子の戦死...
☆☆☆★★★
「貴方がブルドーザーで私が車ね!」
冒頭、息子の戦死を告げられ。痙攣を起こし倒れ込む母親に、絶望感に打ちひしがれる父親。
周りから聞こえて来る音の全てが、まるで自分に向けて撃たれて来る銃撃音の様な錯覚を覚える。
その緊張感は半端なく、息がつまる。この演出力が凄まじい。
やがて、息子のドラマが始まる。そして…。
或る日に起こった悲劇の出来事。
映画の最後は。息子を亡くし、悲しみに暮れる夫婦が。新たな絆で結ばれる…風なドラマが展開される…のだが!
ちょっと待てよ! この夫婦…ひょっとして?
この旦那は、ひょっとしてヨナタンなのではないのか?…と。
誤った誤射により、死なせてしまった女性!
せめての罪滅ぼしに…と、トラックに乗ったヨナタンが。その道中に妄想で産み出した、自分と彼女の夫婦なのではないか?
何故ならば、ヨナタン自らが書いた絵。
最後に破り捨てた絵には、ブルドーザーと車が描かれていた。
しかし、戦死した…と思っていたヨナタンは生きていた筈なのだ!
間違えに対して、怒りに震えていた父親は。ヨナタンの帰宅を軍に促す。
それなのに、夫婦の部屋にはヨナタンの書いた絵が有った…それは何故なのか?
或いは。最後の夫婦のパートは、《その後》を描いていた…って事だったのだろうか?
映画本編でのその辺りの説明は一切ない。
まああくまでも、私が観て勝手に想像した事では有りますが-_-
「むしろ逆だよ! 君がブルドーザーで僕が車だ!」
2018年10月3日 ヒューマントラストシネマ有楽町/シアター1
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